紫陽花色のラプソディー
梅雨の束の間の休息か。
昨日まで降り続いていた雨が嘘のようにあがり、見上げる空は快晴。
こんな日にはシカマルでも誘って縁側で将棋でも指したいものだ。
などと取り留めもなく思いながら猿飛アスマはぶらぶらと歩いていた。
今日の10班の任務は昼過ぎからで、それまでの時間潰しと昼飯をどこかで取ろうという算段のもと、出向いてきた。
そんな時、ふと視線を下ろすと、そこによく見知った3人組が衣料雑貨店の前にたむろしているのを見つけた。
「よう、何してんだ。3人揃って」
「あ。アスマ先生」
きれいなポニーテールを揺らして、顔を上げたのはいの。
その後ろにいるやる気のない顔のシカマルと、ばりばりと菓子を頬張るチョウジもアスマに向いた。
「明日父の日だから、そのプレゼント選んでんだよ」
「父の日…? そういやぁ、明日だっけか……?」
「あ~、アスマ先生。その反応、忘れてたでしょ!」
シカマルの言葉に頭をぼりぼり掻きながら気の抜けた言葉を返すと、いのが鋭く指摘する。
しかしそれを、シカマルが訂正した。
「や。忘れてたんじゃなくて、知らなかったんじゃねーの?」
「うん。ぼくもそう思う」
「え~。ひっど~い!」
それまで黙って菓子を食っていたチョウジが賛同する。
いのも、絶対そうだとなにやら自信を持ったらしく、アスマが肯定も否定もせぬ内に声を上げた。
「親不孝者ぉ!」
「放蕩息子~」
「お父さんかわいそー」
いの、シカマル、チョウジが無駄に見事な連携を見せ、輪唱する。
アスマは言い返したかったが、実際図星なので何も言えず、ただ苦い顔をして一言だけ言った。
「……うるせぇ」
その頃。
日向ヒナタもまた、父の日に贈る物を探すべく商店街へやって来ていた。
そこで、見知った人物に出会う。
「あ、シノくん…」
同じ8班のチームメイト、油女シノだ。
先に見つけたのはヒナタで、その声が聞こえたのかシノもヒナタに気が付いたらしく、立ち止まったヒナタの方へゆっくりと歩み寄ってきた。
「買い物か?」
「あ、うん。……父の日の、贈り物を…」
シノの問いにふっと目を伏せたヒナタだったが、次のシノの言葉に顔を上げる。
「……俺もだ」
「シノくんも…?」
「ああ」
シノがこくんと頷く。
それを見て、らしいといえばらしいが意外といえば意外だなと、ヒナタは小さく微笑んだ。
厳格で律儀なシノならきっと、真に感謝の気持ちを込めて贈るのだろう。
しかし、シノが贈り物をするとなると一体何を贈るのか、見当が付かない。
ヒナタは少し躊躇った後、ぐっと拳を握り、口を開いた。
「あの…あのね。……シノくんは、いつも何あげるの、かな。」
勇気を出して言ってはみたもののすぐ弱気になり、固めた拳を解いて胸の前で指を合わせもじもじ癖を出す。
俯きながらちらちらとシノを見れば、無言で視線を向けてくるシノに、慌てて付け足した。
「ほ、ほら…! 父の日って、母の日と違って決まった花とかもないし…。それに…その…実は、父上に何か贈ったこと…なくて……は、初めてで…」
参考にしたいな…なんて……と、最後は蚊の鳴くような呟きになった。
父の期待に応えられなくて。申し訳なくて。怖くて。避けてきた。
それでも下忍になって、変わらなければと思って。変わりたいと思って。
いつまでも逃げていたくなくて。だから。
あたふたとしながらも言うヒナタからは、そんな思いが伝わってくる。
シノは暫く黙って見据えていたが、えーっと…と目を泳がせ始めたヒナタに、徐に言った。
「…………親父が居る場合は、会話をする」
「……………………………………え…会、話…?」
一瞬聞き間違いかと思ったヒナタだったが、聞き直すとシノはうむと頷く。
……………カイワ?
「親子の会話は、大事だ」
確かに、大事だ。
しかし、わざわざ父の日にするものだろうか?
人のことは言えないが、普段どれだけ会話が少ないのだろう…?
しかし本人にとっては、至極当然のことらしく、全く気にしない様子で話を続ける。
「いない場合は…」
「う…う、うん」
未だ混乱から脱しきれない頭で、しかしなんとかシノの言葉に頷くヒナタ。
自分で尋ねたのだから聞かないと失礼だと、無理矢理疑問をねじ伏せた。
「大抵小物を贈る」
淡々と話すシノに、うんうんとヒナタが必死に頷いていると、再び黙ったシノがふと小首を傾げる。
「……そう言えば、父の日にも決まった花があると聞いたことがある」
「え……な、何?」
今思い出した風な科白に素直に吃驚してヒナタが訊くと、頷き、言う。
「バラだ」
「…………バラ……?」
再び頷くシノに、ヒナタは少し目眩を感じた。
なぜ、よりによって、バラ……。
「そ…そうなんだ……。知らなかった…。でもバラは…ちょっと……」
流石に、父親にバラを贈る勇気はないと、ヒナタは深く溜め息を吐いた。
受け持ちの生徒のからかいから逃げるようにその場を後にしたアスマは、
太陽の照りつけが強くなったのを感じて飯屋に避難するかと、近場の蕎麦屋に足を踏み入れた。
その中で、一応見知ってはいる人を見つけた。
店の隅で、立てた襟にサングラスという異彩を放つ風体にも関わらず、影か空気の如くひっそりとそこに居る、油女シビ。
シビもアスマに気付き、お互い会釈すると、なんとなく成り行きで相席になる。
「暑いっすね」
「……ああ」
決まり切った文句だがアスマが実感を込めて言うと、シビも同意を示す。
が、会話は続かない。
任務で一緒になったことはなかったが、上忍同士、集会で顔を合わせることはあるし、教え子の同期の中にシビの息子もいる。
無関係ではない。だが、それだけだ。
「………」
「………」
アスマは黙ってメニュー表に目を落とした。
シビは既に食べ終わっているらしく、空いた器を脇によせて何事か考え込んでいるように見える。
実際どうかは知らないが。
息子もそうだが、何を見て何を考えているのか全くわからない。
この親にしてあの子ありだな、と無意識に納得した。
そうして、ふと、そうかこの人シノの父親なんだよな。と当たり前のことに思い至る。
ちょっとした興味と好奇心を起こし、アスマは徐に尋ねてみた。
「油女さんとこは、父の日に何かあるんですか?」
思考の淵からゆっくりと戻ってきたように、シビが僅かに視線を上げる。
「いやさっき、俺の受け持ちの…元祖イノシカチョウのとこの子供らなんすが、父の日のプレゼントを探してたんで」
シノはどうなのかなぁ~…と。とは言わないが雰囲気でそんな感じのことを伝えてみる。
シビは暫しそのままじっと黙ってアスマを見ていたが、こういう反応はシノで多少慣れがあり、待っていればいずれ答えるだろう、と待つ。
そしてちょっと長めの間の後、漸くシビが口を開いた。
「……ウチでは、ワシが居る場合は、会話をする」
「……………は……?」
思わぬ回答に、間抜けな声が出た。
しかしシビは全く気にしない様子で続ける。
「居ない場合は、大抵小物をくれる」
「………はぁ…」
相槌を打つも、アスマの意識は前の科白から離れられていなかった。
会話………と言ったか? 言ったよな?
会話というと、あれだな。話すことだよな。
それをわざわざ、父の日に…?
父の日って、そういう日だっけか……?
つーか、普段どんだけ会話少ねーんだよ…。
悶々と思考を巡らせ、アスマがなんとか無理矢理呑み込んだ頃。
答えるだけ答えて再び沈黙に身を沈めていたシビが、徐に、その重厚な口を開いた。
「……だが、それは飽くまできっかけや手段にすぎない」
アスマが目を瞠ってシビを見る。
虫が過ぎったのか、格子窓の外をブゥンという音が一瞬通り過ぎた。
その音に、まじまじと見てくるアスマの視線を素で無視して、シビは窓の隙間の向こうを見つめる。
格子の先には、往来するまばらな人々と、向かいの建物、そしてその上に夏のような空。
手前には、心なしか色褪せて見える紫陽花が咲いている。
その内の何かを見つめたまま、アスマの方を向くこともなく、シビは静かに核心を突いた。
「要は、お互いが大事だと、再認識することだ」
パチン、と、アスマは王手を打たれた気がした。
そんな折、不意に窓から一匹の蟲が飛び込んできて、シビの手元に降り立つ。
その蟲の上にシビが自然な動作で手を被せると、次に手を離した時にはまるで手品のように蟲の姿は消えていた。
「すまないが、ワシはこれで失礼する」
「……ああ、はい。どうも…」
そう告げて席を立ち店を出て行くシビの姿を、アスマは目で追い、見送る。
見送ってから、流石見事な洞察力だと苦笑を浮かべた。
参った。完敗だ。
ただの興味と好奇心を装っていたが、実は根幹に、あわよくば参考にしようという思惑があったのだ。
いつ見抜かれたのかと考えれば、初め尋ねた時の、あのちょっと長めの間か。
シノも、こんな風に何か見抜こうとしているのだろうかと考えて、今度から気を付けようと思った。
そうそう見抜かれて困る事も無いが。
「………要は互いが大事だと再認識すること、ね」
参考どころか大層な教訓をもらってしまったものだ。
アスマは苦笑いを浮かべつつ、再びメニュー表に目を落とし、遅ればせながら店員を呼んだ。
猿飛親子→
日向親子→
油女親子→