そうしてやって来たのは、昨日よりも更に雪深い山の中。
ただし今回はチャクラを使って駈け登っていた。
昨日はそれまで走り通しだったこともありチャクラの消耗を考えて地道に登ったのだが、
今回はチャクラも減っていないしそれ程距離もないということで一気に行くことになったのだ。
雪道を走る際のチャクラ加減は普通の道や水の上を走るのとも微妙に違い、コツが要るが、問題にはならなかった。
問題なのは、滑落と雪崩れ。
大きな岩が連なる岩場を登っていた時、それまで順調だったシノの足下の雪が突如として崩れ、滑り落ちた。
「おい、大丈夫か?!」
「……問題ない」
幸いな事に崩れたのは岩からはみ出ていた雪の一部分だけで、シノは足場を確認すると冷静に応えてもう一段上の岩場に飛び移った。
上から覗き込んでいたゲンマも安心したように笑みを浮かべ、更に登っていく。
来る時もそうだったがこの旅における移動は修行のようなものばかりだ……とシノが思ったことは秘密だ。
そんなこんなで登ること小一時間。
白い息を弾ませて到着したのは、眼下に沢が窺える山間部だった。
ザアザアと微かに水流の音が聞こえてくる。
下を窺えば綿のように真っ白な雪が厚く積もり、そしてその中を不規則に、まるで幼子がクレヨンを握り締めて描いたような、黒い川の筋が走っている。
雲に隠れた太陽は見えないがどうやら沈み始めたらしく、灰白色の空はうっすらと暗くなって、静かに夜の帷が下り始めていることが判った。
「……今日はここで野宿だ」
崖の上でもそれなりに広くしっかりとした場所を確保すると、荷物を下ろしながらゲンマは言った。
そして、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

「実はここで待ってればな…」
「ユキホタルが見れるんですよね」

さあ種明かし…! とゲンマが待ってましたとばかりに告げようとするこの旅の大いなる目的を、
シノは沢の様子を窺いながら無情な程にあっさりと奪い取った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………お前、知ってたのか」
「当然だ」
ささやかながら大きな楽しみをあっけなく奪われ、呆然とするゲンマを、シノが無感動に振り向く。

「この時季…そして『雪洞(ぼんぼり)村』と言えば『ユキホタル』。これは常識だ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
暫し言葉を失っていたゲンマが漸く「ひでぇ…」という呟きを漏らし、落胆して雪の上に座り込んだ。
「…………それはお前ら虫オタクの常識だろ」
そして呻く。
『ユキホタル』というのはこの地域の、この時季にしか見られない雪のように輝くそれはそれは美しい蛍なのだという。
ゲンマがこの話を聞いたのは7年前、最後にこの村を訪れた時に例のおばさんから教えられた話だった。
その当時、ゲンマはあまり虫に興味が無くへぇそうなんだと軽く聞き流しただけだったが、蟲使いの油女シノと深い関係になり、
旅行に行くという話が上って、そのことを思い出したのである。
秘境に棲む幻の雪蛍……これ以上良いネタがあるだろうか。
「………せっかく驚かせてやろうと思ったのに…」
それがこうもあっさりきっぱり切り捨てられるとは…。グチグチブツブツ、文句も言いたくなるだろう。
ドッキリを仕掛けたのに全然引っ掛からなかったという最悪のパターンだ。

「…………」

そして一方で、項垂れ嘆くゲンマにどうしたものかと眉を顰めているのはシノ。
そりゃあ、今まで振り回されたお返しにほんの少しは鼻を挫(くじ)いてやろうという思いが無かったわけではない。
が、まさかここまで落ち込むとは思わなかったのだ。
シノが小さく溜め息を吐く。
ユキホタルというのは本当に――ゲンマの言葉を借りるとするなら『虫オタク』の――常識なのである。
故にシノは『雪洞村』という名に憶えがあり、それを知った時からゲンマの思惑にも薄々勘付いていた。
今まで黙っていたのは確証が得られなかったからだが、ココまで来ればもう、目的は一つしかないだろう。
シノとしては別にゲンマに打ち明けてもらっても良かったのだが、たとえそうした所でもともと反応の薄い上にネタを知っているシノが
ゲンマの望むリアクション――がどんなものか知らないが――を取れるはずがない。
何にせよ『知っていた』という事実を明かすことになり、結局ゲンマを落ち込ませることになっただろう。
だからシノは、糠悦(ぬかよろこ)びは極力させまいと、ゲンマが言う前に言ったのだ。
「………」
とは言え。
すっかり悄気てしまったゲンマを見つめて、シノは再び溜め息を吐いた。
ここはさすがにフォローせねばなるまい。

「……確かに驚きはしなかったが、別に楽しみでなかったわけではない」

シノがそう言うと、悄気た犬の耳のように垂れていたゲンマの帽子の耳当てがピクリと浮いた。
「ユキホタルはココにしか生息しない貴重な虫だ。一度は見てみたいと思っていたし、連れて来てもらえた事を有り難く思っている」
次に様子を窺えば、じっとシノを見るゲンマの機嫌はまだ斜めなようで、口がへの字に曲げられている。
経験豊富な年上の彼氏にしては随分と可愛らしい態度だ。
しかしそれでもやはり大人なのか、どうやらあとは自力で機嫌を直してくれるらしい。
「うん…そうか」と何かを呑み込むように呟くと、シノに確認してきた。
「ってことは、お前、見たことはないんだな」
「ああ…絵で見たことはあるが現物は無い」
「ふぅん……まあ…ならいいか」
ゲンマはよっこいしょと言って立ち上がると、腰を伸ばして言った。
「お前が少しでも喜んでくれるなら、いいよ」
「…………」
苦笑混じりに微笑んだゲンマに、シノが眉の顰(ひそ)みを微妙に変えて顔を背ける。
嬉しかったのだ。
この旅行はゲンマがシノのために計画してくれたものであり、シノのために準備してくれたもの。
何だかんだ色々あり解決できない難題も抱えてしまったが、こうしてゲンマが一緒に、自分のために居てくれることはやはり嬉しかった。
「………言っておくが…」
だが、こんな時に素直になれないのはどうしてだろう。
「ユキホタルというのは正式にはホタルではなくトンボの仲間だ」
「トンボ…!?」
つい虫の話に戻してしまったシノの言葉に、ゲンマは素っ頓狂な声を上げた。
「……そうだ。しかし産卵時に発光する様子から『ユキホタル』と呼ばれている」
「へぇ~っ、そいつぁ初耳だ。さすが虫使い」
「………」
完全に立ち直ったらしいゲンマがシノの横に立って下の沢を覗き込んでくる。
ゲンマに褒められたシノはまんざらでもなかったが、やはりついつい顔を背けてしまった。
だが、次に言い放たれたゲンマの言葉に思わず振り向いてしまう。
「マズイな…暗くなり出してる…。そろそろ取りかからねぇと」
「……取りかかる?」
「ん?」
また何を言い出すのか…と、訝しげで少し嫌そうな表情を浮かべたシノに、ゲンマは無邪気な笑みを満面に浮かべて言った。
「かまくらを作るんだよ…!」


                 *


大人というのは、どうしてこうも無邪気なのだろう…と子ども心にシノは思った。
ゲンマはリュックからシートやら折りたたみ式のスコップやらを取り出すと、本当にかまくらを作り始めたのである。
こういうのを童心に帰ると言うのかも知れない。
雪を集めて土台を固め、その上にまた雪を積んで固めていく。
そんな単純な作業をするのに本気になる必要がどこにあろう。
だがゲンマは、童心を持っていなければならないシノを差し置いて、それはそれは楽しそうにかまくら作りに本気を出した。
忍の体力・知力・技術を駆使して完璧なまでのかまくらを有り得ない速さで築き上げたのである。
床の部分を計算に入れ、換気口にもなる入口をあまり大きくならないように開けて中の雪を掘り出し、
適度な厚みを保ちながら壁を作り床を均(なら)して出来上がり。
木ノ葉には滅多に雪など降らないというのに、この人は一体いつどこでかまくら作りなど修得(マスター)したのだろう……。
と、シノは思わずにはいられなかった。
本当にこの人は木ノ葉生まれなのだろうか。もしかしてどこかの雪国生まれなのでは…とさえ思えた。
多分そんなことは無いだろうが、手伝う隙も与えられず呆と眺めることしかできなかったシノにはそう思えたのである。
それ程までに、ゲンマは生き生きとかまくらを作り上げた。
「ほらシノ、何やってんだ。早く入れよ」
「………」
おいでおいでと子どものように破顔したゲンマに手招きされて、シノが大人しく入ってみれば、かまくらの中は思った以上に暖かく、
そして少々やり過ぎだろうと思われる程に立派な物だった。
中が空洞になっているシンプルさはそのままだが、その壁や床の滑らかさ、そして広さが半端ではない。
床に敷かれたシートの上に寝そべっても違和感無く、更に大人のゲンマが寝転がってもまだ余裕がありそうだ。
数日過ごすならまだしも、ユキホタルを観察するために一体何泊するつもりなのだとシノは思った。
思って、本当に気になったので訊いてみると、天井に蝋燭立てを取り付けていたゲンマはう~んと呻って逆にシノに尋ねてきた。
「……ユキホタルって、そう簡単に見れるもんなのか?」
どうやら詳しい情報は手に入らなかったらしい。
ロウソクに火が点けられてかまくらの中が温かな色で灯される。
更に薄手の毛布までリュックの中から引っ張り出してきたゲンマは、入口が正面に見える上に風が吹き込んできても寒くない
一番奥まっている場所を陣取ると、突っ立ったままのシノを呼び寄せた。
そうしてせっかく広めに作られたかまくらの中で、雪の壁に凭(もた)れて座り身を寄せ合う。
二人で毛布にくるまって落ち着くと、ゲンマは話を再開した。
「いや、お前は常識だって言ってたけどさ。村の人間に聞いても図書館で調べても詳しいことは分からなくてな?
取り敢えず、この時季にこの場所でなら見れるってんで来てみたんだけども」
旅好きな割に随分と行き当たりばったりな計画だな…とシノは思ったが、いや、と考え直した。
旅好きだから、行き当たりばったりなのかもしれない。
そう思い、シノは「そういうことならドッキリなど仕掛けずに始めから聞けば良かったのだ」という言葉を呑み込んで、
余計なことは省き必要な事だけを告げることにした。
「………ユキホタルはその個体数自体が少なく、そう簡単に見られるものではない」
「あ~…やっぱそうか」
「……そもそもユキホタルは絶滅したとも言われている虫だ」
「え、じゃあ」
「『言われていている』だけだ。現存はしている」
「ああ…」
ゲンマが安堵したように息を吐く。
そして二人とも、暫し沈黙した。
「………」
「………」
「……ユキホタルが初めてその存在を知られたのは、およそ80年前―――」
先に沈黙を破ったのは、シノだった。
「戦地を逃れ雪山に逃げ込んだ兵士が発見し、その後噂が広まったと言われている。
しかし、詳しい調査がなされる前にユキホタルはその姿を消してしまった。
何故なら、その兵士が持ち帰ったユキホタルの卵が、一粒十万両で買い取られた事で乱獲されてしまったからだ」
「じゅ…十万両?!」
シノがさらりと口にした破格の値段に、ゲンマが驚愕の声を上げる。
一粒十万両というとヘタな宝石などよりよほど高価だ。
だがシノはゲンマの動揺など意に介さず、淡々と続けた。
「そうだ。もっともその当時はその『光る物体』が虫だとは思われていなかった。ただ、雪山に光る雪が降り、その後に白い玉が残される…。
その玉はその筋では『雪の真珠』あるいは『雪の雫』と呼ばれ、宝石として扱われた。
しかしその数年後、ある研究者がその玉を割って調べてみると、それが『生物』の卵であることが判明し、虫の卵であると結論が出される。
それを受けてようやく調査が始まったが時既に遅し、乱獲された後で発見できず、名前だけが付けられて、『雪洞村のユキホタル』は幻の虫として有名になった。
まともな資料が無かったのはいまだに『幻の虫』扱いで、正式な認定を受けていないからだろう。
恐らく、『幻の生物』や『絶滅動物』、あるいは『宝石』などのキーワードで検索をかけていれば、もう少し見つかったはずだ」
「…………。…あのよ」
シノの長々とした蘊蓄(うんちく)を聞いて、ゲンマは一息吐いてから尋ねた。
「ユキホタルって…本当にいる…んだよな。お前さっき『現存してる』ってはっきり言ったし。
それに…え……さっき、正式にはトンボだとか言ってなかったか? 絵も見たって。でも…調査…されてないんだよな…?」
んん? とゲンマが困惑気味に首を捻る。
するとシノは、驚くべき事を告げた。
「調査はされた。だがその詳細は公表されずに、ウチの書庫に仕舞ってある」
「……ウチの書庫…って…あ油女の?!」
「そうだ。何故なら十数年前、この山に入り調査を行ったのはウチの人間だからだ。
その調査によってユキホタルが生き残っている事が確認され、その詳細も調べられた。
故にその資料がウチにはあり、俺はそれを読んだ」
「でも公表してない…ってのは……」
「生存が確認されたことでまた乱獲されるのを防ぐためだ。それに詳細が解明されてすぐの頃、里が壊滅状態に陥ったために……」
シノは一度そこで言葉を切ったが、すぐにまた続けた。
「……その卵が他国の軍事資金の足しにでもされたらと考えたのだろう…」
そう言ったシノに、しかしゲンマはそれだけではないのだと察した。
きっと油女一族は里の復興資金としても目を付けられたくなかったのだろう。
「……だから」
少し調子を変えてシノは言った。
「ゲンマさんがユキホタルのことを知っていて、しかもそれを『見に』行くと言って、正直驚かなかったわけではない。
幻ではないと俺は知っていたが、一般的には『絶滅した幻の虫』だからな。
しかし村人に聞いたのだろうと思えば納得がいった。何故なら、雪洞村の村人はユキホタルのことを知っているはずだからだ」
「ああ…うん、そうだ。俺はほら、あのおばさんに聞いた。まあ、あの人は『蛍』だと思ってたみたいだが」
「………けれど、その価値のことは言わなかった…」
「うん?」
シノは毛布を上げて息を吐くと、再びゲンマを見た。
「俺はあの村に着いた当初から、良い所だと思っていた。何故なら、ユキホタルを客寄せに使っている様子が無かったからだ」
「………それは、もう絶滅したと思ってるからじゃ」
「『幻の虫』だけでも十分に客寄せになる。しかもその卵は宝石だ。人を呼び込むのにこれ以上のネタは無い。それなのに客は俺達だけだった」
「………」
「それに、もし絶滅していると思っていたなら、おばさんもゲンマさんにそう言っただろう。
しかし、ゲンマさんが俺をココに連れて来たということはそう言わなかったということだ。
つまり、ユキホタルが絶滅していないことを知っていた」
「………確かに、言われてみれば」
おばさんは、普通にユキホタルがいるように話をしていた…ように思う。
実は今日もユキホタルを見に行こうと思う、と話をしたのだが、気を付けていってらっしゃいぐらいしか言われなかった。
「根拠はまだある。旅館の部屋に掛け軸が掛けられていただろう」
「ん…ああ、おう」
「あれはそう古い物では無かったが、間違いなくユキホタルを描いたものだ。それに旅館の名前も『しずく』。
あれは、多分、ユキホタルの卵を『雪の雫』と呼ぶところから取ったのだろう。もしかしたら一粒二粒売ったのかも知れないが
その他には売買した様子は無かった」
「……なるほど」
「それにウチの人間がユキホタルの調査をした時、間違いなくあの村に滞在したはずだ。それもそう昔のことではないから、住民が知らないはずはない」
「……そうか…」
ゲンマは正直、呆気に取られていた。
自分はおばさんから得た簡単な情報で、なんとなく良いなと思ってシノを連れてきただけなのに、
そのシノはユキホタルの詳細を知っていて、しかもその詳細を調べて知っているのは油女一族だけだと言うのだ。
つまり、何も知らずにユキホタルをただの珍しい虫―しかも蛍―だと思い込んでいた人間が、その全てを知る貴重な人間を連れて来ていたことになる。
何と言うか…ツチノコの正体を知る人物が実は隣に居た! といった感じの気分だ。
しかもその上、シノがゲンマ御用達の村を『良』と判断した理由が『ユキホタルを客寄せに使っていないから』ときたもんだ。
要するに、ユキホタルの生態系を壊していないから良いところ――なのだろう。
善し悪しを判断する基準まで虫とは……なんともはや。

「……お前は、ホントにすごいな…」

ゲンマは呆れたような苦笑を浮かべ、けれど愛しみを籠めて言っていた。
虫に関する知識も虫への敬愛も、そしてそれを基にした観察・洞察・推理力も。
脱帽してしまう。

「……まあ、そんなわけで………」

ゲンマの心底からの褒め言葉に、シノは仄かに頬を染めて視線を逸らした。
嬉しかったのと、余計なことは言わないつもりがペラペラと語ってしまっていた事に気が付いて少し恥ずかしくなったのだ。
「話は逸れたが、ユキホタルは数こそ少ないがいるのは間違いない。幸い今日は風も穏やかで雪も降らず、天候にも恵まれている。
ユキホタルにとってはまさに絶好の産卵日和だ」
「……それじゃ、今晩見られるかな」
「……条件は揃っている。あとは運の問題だ」
ゲンマの問いにふとシノが正面の入口を見てみれば、外はすっかり暗くなっている。
それでもぼんやりと見えるのはちょうど沢の上辺りで、入口に寄って覗き込めば沢の様子が確認できるだろう。
こんなところにもかまくら作りにおけるゲンマの計算深さが窺えた。
本当に、本気で作ってくれたのだ。だが。
「………まあもし見られなかったら……明日も待てば良い」
そう言うゲンマの一瞬の迷いを、シノは拾い逃さなかった。
実はゲンマの頭には一瞬、おばさんから聞いた戦の話が浮かんだのだ。
確認はした方が良い。が、そう急くことも無いだろうと奥に押し遣った。
休みはもう2,3日取ってあるのだ。
一人旅なら自分の都合で勝手にするが、今回は違う。
シノにユキホタルを見せるのが目的で来たのだからできるだけ粘るべきだろう。
そう思ったゲンマだったが、しかしシノは首を振った。
「……………いい…」
「いい…って、でも」
「だがその代わり、今晩見られなかったら、またいつか連れてきてくれ」
正面を見据えたまま目を合わせないようにして、シノが言う。
ゲンマにどんな迷いがあったのか知らないが。
迷うぐらいならその方が良いと思った。
どのちみ自分は、一緒にいられればそれで良いのだから…。
「…………またお前は…」
ゲンマの声にチラと目を向ければ、ゲンマは困ったように微笑んでいた。
「そんな嬉しいこと言うから……」
そしてそう言われて抱き付かれ、ゆっくりと、押し倒された。
「…………」
「………あ~…あったけ~」
「……人を懐炉(かいろ)代わりにするな」
のし掛かられるように抱き竦められたシノが呻く。
だがどちらかと言えば、懐中で温められているのはシノの方だ。
ゲンマはふふと愉しそうに笑うと、シノの頭に懐きながら静かに言った。

「………俺も、またお前と来たいよ」

可愛くて、愛おしくて堪らない。
抱き締めた成長途上のその体は、しなやかで線が細い割に綺麗な筋肉が付いている。
こんなことを言ってしまえばオジサンどころかヘンタイの仲間入りをしてしまいそうだが、
それを抱いた感触は服の上からでもゲンマの心と体を昂揚させた。
寒空の下、密着させた身体に浸みる温もりに今宵はどうも自制できそうにない。
この、虫が本当に好きな少年が、どんどん好きになってしまう。
「シノ……俺はお前が、本当に好きだ」
そう耳元に囁けばシノが眉を顰めて振り返る。
その顔は、ゲンマの気持ちに気付きながらも躊躇っているような顔だった。
だが、そんな顔をされてはますます堪らなくなるだけだ。
ゲンマはその頬に口付け、耳を甘く噛んだ。
しかしピクンと肩を竦めたシノに少し申し訳なさが湧いて、自身を諌めるように問う。
「厭か?」
イヤと言われれば忍耐力を振り絞って身を引こう――そう思っての問い掛けだった。
けれどシノは少し迷いながらも首を振り、ゲンマに言った。
「……こんなところで…凍死しないか」
その、確認するような質問にゲンマは思わず笑ってしまった。
「押しくらまんじゅうするみてぇなもんだから、大丈夫だろ。それに、寒かったら温めてやる。
……ああでも、そんなことしてたらユキホタルが出て来ても見逃しちまうか」
「それは……問題ない」
ゲンマの言葉にシノはそう言うと、手袋を外して手を入口に向けた。
するとシノの服の中から数匹の蟲がチョロチョロと出て来て指先から飛び立っていく。
「……何かあれば報せてくる」
シノはそう言って、再びゲンマを振り返った。
「………ってことは…いいんだな」
最終確認のためにゲンマが問えば、シノは小さく、頷いた。



                 *(Scene7へ)



                 *(Scene6[R18]へ)