※表の雨宿り、裏の実感、熱の所為から続いています。




初夜

Scene1.賭け
告白したのは、雨の日。
偶然ばったり出会って、雨宿りしている最中、唐突に。
正直、あの時はそれ程深く考えていなかったのだ。
ちょっと興味があって。
同じチームなのだから当然だとわかっていても、キバやヒナタとばかり一緒にいるのが気に入らなくて。
自分の傍らに置きたいと考えた。
そして暫く付き合う内に、好きだという気持ちがどんどん膨らんでいって、不安で溜まらなくなりキスを強要。
告白した時は仲良くしよう…なんて言っていたはずで、恋人として了承を得たわけではなかったのに。
あの時のことは、思い出したくない。
それでも、シノが俺から離れていかなかったことには、ほっとした。
それで調子づいて、今度はセックスの失敗。
あれは……やっぱり焦りすぎたのが悪かった。舞い上がって、判断を誤った。

シカマルは簡単にまとめた反省点を頭に刻み込んで、すうっと目蓋を持ち上げた。
月明かりに青白く浮かぶ天井を見つめる。
こんなことを真面目に考え込むのは馬鹿らしいと思うが、大事なことなのだから仕方がない。
どんな馬鹿げたことでも、真剣に取り組んで最良の成果を上げるべし。
シノの考え方を参考にするのもたまには悪くないだろう。
「メンドクセェが、賭けるしかねーな」
そう呟いて、寝返りを打った。


「は………?」
思わず、シノは虫眼鏡を落としそうになった。
幼虫の観察をしようとしていた時シカマルが訪ねてきたため、なんとなくそのまま手に持ってきてしまった物だ。
ぽろりと手から落ちる寸でのところで握り直し、阻止することはできたが。
正直に言って、これは顕著に動揺を表していた。
それもそのはず。
「だから、今晩。その気があったら此処に来いって言ったんだよ」
そう言ってシカマルが差し出しているのは、一枚の宿屋の黒い名刺。
『蜜月』という名と住所、連絡先が白く印字されたシンプルな装丁は嫌いではない。
が。その住所は明らかに、夜街に属している。
こんなものどうやって入手したのか。
18歳未満の出入りは好ましくない、密会、逢い引き、色事etcの場所……。
しかも、今は朝である。
「嫌なら来なくてもいいから」
「…ぁ…あぁ……」
ポカンとしたまま、しかしこれからすぐ任務へ向かうであろうシカマルの装いにシノがとにかく受け取ると、シカマルは、んじゃ、と言ってあっさり去って行った。
暫し呆けてから、ふと受け取った名刺に目を落とす。
ひっくり返した裏側には、簡単な地図が描かれていて、再び表を見れば、やはり夜街。
「…………」
暫し沈黙した後、要するに俺に選択しろということかと、漸く納得してシノはふむと頷いた。
そして、なるほど、これはなかなか妙案だな、と妙に感心する。
これならば、宿屋に行くかどうかの選択もさることながら、夜街に踏み入る覚悟も試すことができる。
夜街は、今の背格好で歩き回るわけにはいかないので、必然的に変化の術が必要になる。
かつ、暗黙の年齢規制のために罪悪感が伴う。
つまり、手間を惜しまず、規則に反してまでも行く意志が求められるというわけだ。
…………深読みのし過ぎか?
もしかしたら、もっと単純なのかもしれない。
しかし、何れにせよ、受けるか受けないかの選択肢に違いはない。
さてどうしたものかと思いながら、シノは片手に虫眼鏡、もう片方に名刺を持って部屋へ戻ると、飼育箱を見て思い出した。
ああ、幼虫の観察を済ませなければ……。



Scene2.思惑
煌々と赤やピンクの提灯が灯り、一般の通りとは明らかに違った雰囲気が生み出されている。
当然カップルの姿が多く、思った以上に賑やかだ。
まるでお祭りだな――――。
二階の格子窓の隙間から通りを眺めながら、シカマルは思った。
飲み屋街、色街宜しく、大人のお祭り。
すでに変化を解いて元に戻ったシカマルの姿は、比べるとやはり子供で、まるで迷い込んだ気になってくる。
ポケットから懐中時計取り出して見れば、既に11時を回っている。
やっぱり無謀な賭けだったか、と思わず苦笑が漏れた。
時間は指定しなかったが、そろそろリミットだろう。
変化はともかく。
厳格なシノが、こんなところへ来るはずもなかったのだ。
それになにより、自分と関係を持とうなどとは思っていない。
わかっていた。
シノは、それこそ本当に自分に「付き合って」いるだけなのだと。
告白も、キスも、その先も。
彼奴は泣ける程受動的だった。
能動的になるのは、自分の気持ちを察した時と、熱を出した時ぐらいだ。
恐らく、自分の部屋やシノの部屋で行為を要求していれば、成就したことだろう。
「彼奴、優しいからなぁ…」
シカマルの口から、溜め息と共に零れる。
優しい。
ともすれば、シノに不似合いな言葉だ。
厳格で無愛想で突っ慳貪で、任務となれば同期で一番残忍になれるのは多分奴だ。
優しさを体現する笑顔だって、欠片も見たことが無い。
それでも。
シノは、優しい。
表面がじゃなくて、心根が優しいのだと言ったのはヒナタだった。
偶々聞いたサクラといのとヒナタの会話。
何気に、あれが告白の引き金になったように、今更ながら思う。
ヒナタがナルトに憧れを抱いているのは明らかだ。
しかし、シノもまたヒナタにとって特別なのだと感じた。
当然、キバも特別なのだろう。自分にとって、チョウジが特別で、いのが特別なように。
シノにとってもヒナタやキバは特別なはずだ。
では、自分は……?
シノとの接点など皆無に等しい自分は、精々同期の仲間程度だったろう。
「仲間、か…」
親友やチームメイト、小隊ではこれほど強い絆を示す言葉は無い。
しかし、好きな相手に言われてこれほど困る言葉も無い。
途端に「ただの仲間」に格付けられ、そしてそれを克服するのは甚だ難しい。男同士では余計に。
自分は、その部類だ。
「風呂でも、入るかな…」
明日からは、友達として接していかなければならない。
綺麗さっぱりとまではいかなくとも、未練は残したくないものだと、不意の欠伸を噛み殺して、シカマルは障子戸をぱたんと閉めた。


黒い名刺の裏面を睨みながら、長い真っ直ぐな黒髪の美女が一人で大人のムード色に染まった道を歩んでいる。
擦れ違いざま男が振り返り、寄り添っていた女性に叱咤を受けるという光景も素通りして、ただひたすら目的地へと向かう。
どことなく見覚えのある面影は、変化している者の最寄りの大人の女性。
担当上忍には失礼ながら、参考にさせてもらったのだ。
はじめ、シノも大人の男性に変化してくるつもりでいたのだが、男と待ち合わせしているのが男では目立つかと思い直し、女性に変化することにした。
変化してから、ナルトのお色気の術を思い出して、自分も大人になればこう言うのに弱くなるのかと胸元を見、首を傾げた。
女体を見てドキドキするのと、恋をしてドキドキするのは、違うのだろうかと更に首を捻ってみたが、結局わからず諦めた。
そうして踏み入った夜街は、屋内はともかく、屋外はカップルが多いだけで普通の街とさほど違いは無い。
入るのに、躊躇いも無かった。
シノは、人が思う程厳格ではなく、重要と思うルールは遵守するが、他はあまり気にしない質だ。
シカマルが設けた条件は、実は強い意志がなくとも越えられる、それほど高いハードルではなかった。
朝。
唐突に突き付けられた選択について、シノは自分の考えだけは判断することができず、キバに伺いを立てることにした。
演習の帰り道、ヒナタを送ってから。
滅多に自分から話す事のないシノが、突然「お前の意見を聞きたい事がある」と切り出した時には、ビックリした様だったが、その内容に更にビックリした様だった。
もし、付き合っている相手から夜の誘いを受けたら、どうするか。
ぎょっとして、まじまじとチームメイトを見てしまったキバの反応は、当然だったろう。
「………お前…誘われたの?」
「………例えばの話だ」
そうは言っても、明らかにこれは例え話ではない。
キバもそう感じ取ったが、流石にそれ以上深く突っ込んではいけないと思ったのか、「そうだな…」と少し考えてから真面目な意見を述べた。
「好きな相手なら、受けるだろうな。ちっと早い気もすっけど、相手が望むなら断る理由ねーし」
早いというのは年齢的に、ということだろうが、それでもキバは受けると言う。
「好きなら、か……」
シノは、眉を寄せた。
シノにとって、シカマルは「仲間」以上の「特別」な人だ。
だが、それが「好き」という感情かよくわからない。
シカマルと居るのは落ち着くし、たまに揺らぐが、シカマルの平凡且つ平穏な空気は好きだ。
しかし世間一般的に聞く恋愛感情…トキメキやらドキドキやらを感じたことはない。
それが、シカマルに対する認識だった。
キスをされた時は、気持ち良さを感じたものの、結局息苦しくなっただけだったし、行為間際までいった時のことは、熱の所為でほとんど記憶にない。
こんな気持ちで受けるのは、シカマルに対して失礼なのではないかとも思う。
「…………………………もし、好きかどうか、わからなかったら……?」
普通なら、好きでもないのに付き合ってるのかと思うところだが、 シノの事を他の者よりよく知るキバには、極自然にその質問を受け取ることができた。
「好きかどうか、確かめるために行く。んで、もしできないと思ったら――――」

シノはぴたと足を止め、右手の建物を見上げた。
名刺と同じく、黒地に白字の看板が有る。
キバの答えが頭の中に甦る。

「そんとき考える」

キバらしい答えだと、思わず笑みが零れた。



Scene3.前戯
流石に専用だけあってか、風呂はなかなかだった。
檜風呂に広めの室内。やはり暗めの照明は手元が見づらくて多少難儀したが、雰囲気のためだ。仕方がない。
バスタオルを引っ被ってわしゃわしゃと髪を拭き、髪を束ねて浴衣に手を伸ばしてから、シカマルはふと動きを止めた。
人の、気配がする。
はっとして顔を上げれば、そこには、先程の自分と同じように窓辺に座り、へりに肘を乗せ頬杖をついて、こちらを見据えている、シノが居た。
「シ……シノ…?!?」
シカマルが目を瞠って驚いていると、シノは小首を傾げて言った。
「何を驚いている。来いと言ったのはお前だろう」
それはそうなんだけど…とシカマルは言葉に詰まった。
来ないと、思っていたのだ。
来るはずがないと。
諦めていた。
黙ったシカマルに、シノは立ち上がって歩み寄り、正面に立つ。
「遅くなって悪かった」
その、可笑しいとも思える尊大な態度と言葉に、ああ、シノだ、とシカマルは実感した。
諦めていた分喜びが大きくて、不覚にも目頭が熱くなる。
しかし、泣くという醜態は、次のシノの言葉によって一蹴された。
「幼虫が、蛹になってな」
「…………………は…?」
「演習から帰ったら、蛹になっていて。つい、時間を忘れて魅入ってしまったのだ」
朝観察した時、ほとんど動かなくなっていたのでそろそろかと思っていのだが…と、珍しく熱っぽく語るシノに、シカマルは唖然とするしかなかった。
幼虫の時の模様もさることながら、蛹の形や色合いが素晴らしい種類らしい。
羽化すると何故か地味になってしまうが、紋様は芸術的だとか。
そんな話を暫くぼんやりと聞きながら、シカマルは心の中で思う。
(蛹……。百歩譲って成虫ならともかく………。サナギって…)
生まれて初めて、蛹に敗北感を感じた瞬間だった。
「シカマル…?」
何やら沈んだ空気を纏ったシカマルに、シノはどうしたのだろうかと小首を傾げながら、シカマルの顔を覗き込む。
風呂上がりのためか、良い香りがした。
シカマルは腰にタオルを巻いてバスタオルを引っ被っているだけの格好だ。
近付けば、湯に温まった体は熱を帯ていることがわかる。
思わずドキリとして、シノは体を離した。
お互い押し黙り、沈黙する。
蝋燭の灯りが揺らめき、陰影が蠢く。
ピチャン、と水滴の音が一つ、落ちた。
「………………で……」
すいと顔を上げ、シカマルがいつものぬぼ~っとした表情からは想像もできない鋭い視線をシノに向ける。
その視線に射抜かれて、シノはサングラスの奥の目を開き、息を呑んだ。
戦闘時とは異なる緊張に体が強ばる。
シカマルは、瞬きすらせずじっとシノを見据えている。
キバは「その時考える」と言っていたが、どうやらその意見は参考になりそうもない。
心臓が早鐘のように打ち、その音が煩く耳に木霊して考えるどころではないからだ。
それでも、からからに乾いた喉から出た応えは、普段の受け答えの賜か。
「そのために、こんなところまで来たんだろうが」
という、突っ慳貪な言葉だった。