慰-ナグサミ-

「おい……まだふて腐れているのか」
月夜の晩。
先刻まで降っていた雨のせいで蒸し暑い夜。
開け放たれた窓辺に立ち、シノは布団にくるまっているチームメイトに言った。
返事は無い。
まだ腐れているのだなとシノは受け取り、チームメイトがふてているベッドに歩み寄った。
「キバ」
呼びかけるも、返事は矢張り無い。
しかしシノは黙って待った。返事はなくともその内に―――。
「うおわあああ!!」
―――反応はあるだろうと思って。
布団を蹴り上げ投げ飛ばし、ふて腐れていたチームメイト、犬塚キバが姿を現した。
ベッドの上では蟲が群をなし、蠢いている。
「てめぇ!! こんな起こし方があるかよ!」
「俺が布団を引き剥がすより効率的だと思うが」
「効率より常識考えろ! 蟲の夜這いなんて! 恐怖映画じゃあるまいし!」
「…断る。常識より効率を考えるべきだ。なぜなら、常識は大切だが無駄が多すぎる。
常識にとらわれていては余計な事に時間と労力を削がれる事になるからだ。それに、
蟲の夜這いは決して非常識ではない。なぜなら、夜行性の虫も多くいるからだ。また恐怖映画というのも…」
「ああ! もういい! も~いい!! わかった! わかったから! いいからこの蟲共早くしまえよ! でねぇと踏みつぶすぞ!!」
「………」
怒鳴るキバに、シノは黙って蟲を体に戻す。
そしてまだぶすっとしているものの、キバの怒りが多少収まってから話を戻した。
「……で、まだふて腐れているのか」
ふて腐れたキバは、唇を突き出して「うるせぇ」と呟きながら、投げ飛ばした布団を回収し始めた。
やはりまだ、御機嫌斜めならしい。
シノは微かに眉を潜めた。
キバが機嫌を損ねたのは、今回、任務でシノに助けられたからだ。それは、命を救われたと言っても過言ではない。
とは言え忍の世界で仲間を助けるのは当然のことであり、救った救われたで常識的に感謝こそするが、
恩義に思う必要もなければ気に病むことでもない。仲間は助け合うものだ。
キバとてそれは解っていて、下忍当初はいざ知らず、中忍になって二十歳も超えた今は、そんなことで不機嫌になることは無くなっていた。
………はずなのだが。
どういうわけか今回は、ライバル心やら屈辱感、負けん気、意地、等が爆発したらしい。
それで久々に大喧嘩になった。
もちろん、発端はキバの一方的な不機嫌と言い掛かりだ。
昔はよくあったことだが、今回改めて、身勝手この上無いなとシノは思った。
しかし、昔も今も、それは当の本人が一番解っているのだろう。だから益々不機嫌になるのだ。
大人になった今では余計に、自責の念は強いはずだ。
(…………大人か)
布団を抱えて戻ってきたキバを見ながら、シノは思う。
もう少し、大人になったかと思っていた。
昔と比べればだいぶ大人しくなったし、感情の抑制が利くようになったことは確かだ。
しかし今回のように、理不尽な怒りが沸く事はまだあるようだ。
大人になって、まだ子どもなのだろう。
まあ、それはキバに限ったことではなく、大多数の人間に当てはまることだが…。
シノは小さく溜め息を吐いて、キバに言った。
「………キバ、明日には引きずるな。さっさと寝て、忘れろ」
それが一番の解決法だ。
布団を抱き抱えたキバは返事をしなかったが、解っているだろうから、シノはそれ以上は何も言わず踵を返した。
と。
後ろの裾を掴まれて、引き留められた。

「…………」

「………お前さ、慰めに来たんだろ?」

「…………」

「だったら」

「…………」

「最後まで慰めていけよ」
「…………」


引かれたのか、引き返したのか。


口付けて、
口付け合い、
触れて触れ合い、
抱き締め合って、
感じ合う。


互いの存在と、熱と鼓動を確かめ合って、生を感じる。
人が求める慰めは、求められる己の価値と、求めてくれる他の存在。
そして、温もり。

「―――――んっ、」
「あ…!」

欲を吐き出して、熱い吐息を漏らす。
腹部に吐き出された彼の体液を、手で拭う。
糸を引く。
粘着質でドロドロとしている。
生き損なった精。
ただの精液。
人が人に求めた慰めの結果だ。
はあ、と息を吐く。
欲望は快楽と悦楽を求めて決して満足はしない。
欲は欲を生み、望みを増長させ続ける。
終わらない、尽きる事無い人の欲望。
虚しいと思う。
しかし。


「………機嫌は直ったか」
下部を陣取って項垂れている者に問えば、溜め息が返ってきた。
「悪ぃ、ダメだ。なんか、お前を欲求不満の解消に使ったみてぇで、余計へこんだ…かも」
「慰めろと言うのと、慰み者になれと言うのと何が違う。もともとお前の欲求不満の解消が目的なのだから、
気にする必要はあるまい。それよりも、慰めにならなかったのなら、それこそ目的を達せなかったことになる」
「や、慰めにはなった。すげーなった。でもさ、なんか、だから空しいっていうか。なんか、自慰した気分」
格好悪ぃ…とキバは言った。
「キバ。格好は付けるものではない。行為や努力に自然と付いてくるものだ。格好が悪いと思うなら、それはお前の自業自得だ」
「お前、俺を慰めてぇんじゃねぇのかよ」
「現実逃避は、慰めにはならない。現状から目を背けても、惨めになるだけだろう」
「………優しいお言葉をどーも」
キバはそう言って、でも愛がねぇんだよなぁ…とぼやいた。
「やっぱ、ダメだ、こんなんじゃ。やるなら愛し合わねーと」
そして口付けてきた。
先程と同じように、口付けし合う。
しかし、今度の結果に虚空は無いだろう。
求め合うだけの慰みは埋まらない欲望の連鎖を生む。
しかし愛し合いは、満ちるのだ。
想い合う心が触れ合い、温もりに包まれて。

――――今度こそ、貴方が満たされますように。






熱に埋もれた月夜の晩。
気怠さに浸る至福の一時。
機嫌の傾斜が緩やかになったキバは、身を寄せながらボソリと言った。
「今度は俺がお前を助けてやるからな」
「………当然だ」
小突くように、シノがキバの頭を撫でる。そして、
「だが、それは高い確率で有り得ない。なぜなら、俺はお前のように失敗しないからだ」
と付け足した。
「…………お前、無駄な言葉は省く癖に、余計な一言は付けるよな」
「余計な事など俺は言わない。事実だ」
「何だよそれ。マジでムカつく」
布団の下で、軽く蹴られた。
そして少し黙ってから、身を起こして上に被さってくる。
抱き付いて懐いてくるのを、慰められているのはどちらだろうと思いながらシノは受け入れた。
温かい、匂いと感触。
満たされる、心と体。
欲は尽きず埋まらず、愛は一杯で溢れ零れる。
「……今度、七夕だな。お前は何を望む」
誕生日に何が欲しい、と素直に訊けばいいのにと思いながらキバは微笑った。
「いつもと違うプレイとか?」
「……」
「黙るなよ。冗談だって」
笑って、更に強く抱き締める。
「みんなで飲みてぇかな。最近会ってねーし」
仲間がいると、頑張れる。
負けられないという想いが湧き。
守りたいという想いが興る。
そしてそれは、強くなりたいという想いの糧となる。
互いを必要とし、求め合い、助け合い、支え合う、

何よりもの慰めかもしれない。

「………そうか」
シノはそう応えて、キバを抱き締め返した。
静かに抱き合う。
愛に満たされ―――。

シノは、微かに眉を潜めた。





※表のキバ誕2009に、一応続きます。










(09/7/4)