※お酒飲める歳の頃、公認設定です。
バシャバシャと水の流れる音と感触。
ガチャガチャと陶器のぶつかる音。
何か可笑しな事が起きたのか、笑い声が遠くで沸いた。
七夕抒情
「ああ、シノくん。悪いね~、任せちゃって」
振り向いた先の戸が開き、シノのいる台所にそう言ってやってきたのは、ハナと灰丸三兄弟だった。
戸が開いたために騒ぎの音が一瞬大きくなったが、ハナが戸を閉めると元の音量に戻る。
入ってきた灰丸三兄弟は、それぞれハナにくっついてきたり、シノの足下に寄ってきたり、戸口付近で寝そべったりした。
見た目はそっくりだが、性格はそれぞれ違うらしい。
「……何か」
水を止め、洗い物をする手を止めて、ありましたかとシノが問えば、ハナは「ウーロン茶無い?」と尋ねてきた。
なかったのか…と思いながら、シノは手を拭いて冷蔵庫を開けた。
酒とウーロン茶はけっこう買っておいたから、まだある。
シノがウーロン茶の2リットルペットボトルを取り出して渡すと、
「洗い物なんてシノくんがやらなくてもいいんだよ? 後でキバにやらせるから」
とハナに言われた。だが、シノはそれをきっぱりと断る。
「いえ。俺がやります」
あまりにもはっきり言われたためハナはちょっと面食らったようだったが、「そう?」と小首を傾げると
「まあ、そう言うならいいんだけど」と言ってウーロン茶を持って台所から出ていった。合図も無しに、灰丸三兄弟が各々その後に続いていく。
シノの足下にいた一匹は、一二度シノの足に擦り寄ってから出ていった。
じゃれつかれたというより、痒いところを掻く柱代わりに使われたようだ。
ピシャリと戸が閉まり、シノはまた台所に一人になる。
洗い場を見れば、洗い済みの食器類が水切り籠の中にぎっちり詰まり、未だ泡にまみれている洗い物は残り少ない。
シノはその状況を見て、残りを洗うより前に拭いて片付けてしまうことにした。
食器用の布巾を手に取る。
と、そこに今度はいのがやって来た。
「シノ! あんたこんなとこにいたのね。っていうか、いないことにも気づかなかったけど!
なんでこっち来ないのよ、せっかくのパーティなんだから、あんたも飲みなさい!」
かなり飲んでいるらしく、やけにハイテンションだ。
まあ、「今日は無礼講」と言ったのは自分だから良いのだが…と思ったシノは、しかし、とふと気付く。
今考えると、いつも礼など気にする連中ではないのだし、わざわざ言う必要は無かったな、と。
「ほ~らっ! 何ボケッとしてんのよ! あんた顔見えないんだから、しゃべんないとただの置物よっ!」
「……おきもの…」
いのの、無礼にも程がある言葉にシノが絶句する。
だがいのは全く気にせず、冷蔵庫から缶ビールを二本取り出すとプルタブを起こし、一本をシノに差し出して、
「はい! これ持って! キバの誕生日に、カンパ~イっ!!」
と物凄く楽しそうな笑顔でシノに持たせた缶に自分の缶をぶつけ、グビッと飲んだ。そして本当に美味そうに、ぷはぁ! と息を継ぐ。
シノはそれを見て、不意に紅先生を思い出した。先生も酒を飲む時、本当に美味そうな顔をして飲むのだ。
他人がどう思うかは知らないが、シノはそれをどちらかと言えば好ましく思っている。
素直な表情は素敵だと思う。それが例え酔っ払いでも。
………自分は絶対にしないが。
と、そんな事を考えていると。
「ほら! また置物になってるわよ! 起きてる? 起きてるでしょ! だったらさっさと飲みなさい! 」
いのにまた置物呼ばわりされてしまった。
シノは心外だと言わんばかりに眉を寄せたが、黙って従い、言われた通り、持たされたビールに口を付けて一口だけ飲んだ。
いのは、それを見たら満足したらしい。
んふふふふと素敵な笑みをたたえてシノの飲んだ缶を取り上げ、「よぅし! お利口お利口」
とシノの頭をポンポン叩いて意気揚々と皆のいる部屋へ戻って行く。
「…………」
何も言えずに、いのを見送るシノ。
いのが戸を開けると、ちょうど入ってきたシカマルと鉢合わせになった。
「あ、シカマル。これあげる! 飲んだらシノと間接キスよ~」
「あぁ?」
押し付けられる形でビール缶を受け取ったシカマルが、呆気に取られた顔で入ってくる。
しかしいのは全く意に介さず、そのまま擦れ違って台所を出、戸を閉めてしまった。
「…………何だ?」
シカマルの困惑の矛先は、当然のようにシノに向いた。
シノは眉間に皺を寄せながら、言った。
「………俺は、黙っていたら置物らしい」
「…………………は…?」
シカマルの疑問は、更に深まっただけだった。
カチャカチャと陶器が触れ合う音がして、カタン、と食器棚の戸が閉まる。
何か可笑しなことが起きたのか、笑い声が遠くで沸いた。
「………まあ、いのの言う事も一理はあるよな」
「…………」
「いや、置物じゃなくて、何でこっちにいるのかってことだよ」
台所のテーブルに着き、食器を拭いているシノを見ながらシカマルは言った。
「今日の幹事はお前だろ。なのにお前自身は参加しねぇって、何でだよ」
シカマルが、いのに渡されたシノのビールを軽く飲む。
いのは陽気に「間接キス」などと言っていたが、回し飲みなどよくやっていることで、特別気にすることでもない。
「…………」
シカマルは飲みつつ、黙って食器を拭き続けるシノの背中を見つめた。
数日前。
「キバの誕生会をやる」と言い出したのはシノで、意外性ナンバーワンと言われているのはナルトだが、
その時はその座を揺るがすほど意外に思った。一瞬、自分は白昼夢を見ているのではないかとさえ思えた程だ。
シノが任務に関する事以外で、積極的に何かを計画し実行しようとするのを、シカマルはそれまで見た事がなかったのである。
とは言えもともと計画性も実行力もある奴だから、やろうと思えばできるに違いなく、実際この日の誕生日会は実にスムーズに進行されている。
非の打ち所無く、無駄に完璧だ。
しかし。
計画、準備、実行、全てを担い仕切った当の本人は、パーティそのものにはほとんど参加していないのだ。
幹事が忙しいからと言うより、シカマルが見る限り、シノが自分で避けているように思えた。
「…………キバも、不審がってるぜ?」
シノの手が、ピタリと止まる。
「お前の席……キバの隣に取ってたのに来ねぇから、今はナルトが陣取ってる。だから盛り上がっちゃいるが、気にしてたぜアイツ」
廊下を覗き込んでは台所の方を窺って、つまらなそうな顔をする。
キバがそんなだからシカマルも気になって、こちらの様子をちょっと窺いに来たのだ。
静かな場所で少し落ち着きたい、というのもあったが。
「ケンカでもしたのか?」
そう問えば、
「…………先日したが、それはもう和解している」
と返ってくる。
「なら何で」
と続けて尋ねれば、これには沈黙が返ってきた。
「………………ま、別にいいけどよ」
グビ、とまた一口飲む。
シノはまた食器拭きの作業に戻る。
暫く静かな間が空いた。
と。
不意に、シノがまた手を止めて、ボソリと言った。
「………俺がいない方が楽しめる」
「ぅん?」
「本来ならば昼間から飲酒などさせたくない。だから傍にいれば、間違いなく興の冷める事を
言ってしまうだろう。キバからすると、俺は口うるさいらしいからな…」
最後に「だったら置物になった方がマシだ」と言ったのは、まだいのの言葉を気にしているからだろう。
置物はともかく、と、シカマルは言った。
「でも、お前がいなくて楽しさ半減したんじゃ意味ねーだろ」
「俺がいて興醒めしても意味がない」
シノは頑固だ。その上、「それに…」と拭いた皿をしまいながら、
「アイツが楽しんでいるのを、俺はあまり見たくない」
と呟く。
「……はぁ…?」
シカマルはわけが分からず、間の抜けた声を上げた。
「今日は、キバを楽しませるのが目的じゃあねぇのかよ」
「そうだ」
「それなら…良いじゃねぇか。楽しんでれば」
シノはキバの誕生日を祝い、楽しませるためにこの催しを企画した。
それでキバが楽しめれば、目的達成で成功だろう。
それを見たくないとは………どういう事だ?
シカマルが当惑していると、シノが布巾を置いて徐に振り返った。
「アイツが楽しむのは、良い。ただ、俺がそれを見たくないだけだ」
「だから……何で」
「…………」
シノは再び押し黙り、向きを戻して皿を手にする。そして、
「………アイツが他の者と仲良く楽しげにしているのは、気に食わない」
と拗ねたような口調で言って、布巾で皿を拭き始める。
「…………」
シカマルはそんなシノを見つめ、思った。
………要するに、嫉妬かよ。
「メンドクセェなぁ…」
溜め息と共に、口癖が零れ出た。
惚れた腫れたはこれだから面倒なのだ。
好きだから相手の幸福を願い。
好きだから相手の幸福が辛くなる。
束縛してはいけないと解りながら、独占したいと望んでしまう。
全く、面倒な事この上ない。
やってられねぇと、シノの飲んだビールを呷り飲み干した。コンとテーブルに空の缶を置く。
「ま、好きにしろよ」
シカマルはそう言って、部屋へ戻ろうと立ち上がった。
ちょっと振り向き様子を窺えば、シノは黙って立っている。
動きが見えず、音もしない。
置物と言ったいのの気持ちが、なんとなく解った。
シカマルが出ていってから少し後。
食器を全て洗い、拭いて、しまい終わったシノは、さてどうしようかと台所に立っていた。
冷蔵庫を何とはなしに開けてみれば、買ってきたソフトドリンクのペットボトルと酒がまだ残っている。
まあ、もし余っても置いていけば良いかとシノは思った。
あって困る物でもないし、キバの母親も酒を飲むだろう。
…………飲むのか?
はたと考える。
飲みそうな気はするが、本当のところどうなのかは知らない。
姉は飲めるが、それ程は飲まないようだ。
こうやって台所や家を借りてはいるが、キバの家族とシノは、それ程親しいわけではない。
取り敢えず、家族全員肉食系だということは知っているが。
シノは冷蔵庫を閉めて皆がいる部屋の方を振り向いた。
大きな音は聞こえるが、話声は聞こえない。
笑い声は、よく聞こえてくる。
キバも、笑っているのだろうか―――。
「…………」
シノは戸から視線を引き剥がして、冷蔵庫を再び向いた。
つまみもけっこう買っては来たが、それは残らない可能性が高いだろう。なぜなら、チョウジが全部食うだろうからだ。
理論的な思考を呼び起こし、自分を保つ。
シノはシカマルが置いた空き缶を見つけて、時間稼ぎと暇潰しのためにそれを洗う事にした。
蛇口から水を出し、缶の口に当てる。
勢いが有りすぎて小さな口に入りきらなかった水が、口の周りに弾かれ、溢れ。
少し勢いを緩めると、水の線が細くなり、缶の口に吸い込まれるように入っていく。
ジョボジョボと、缶を満たしていく音が手の中の小さな空間に低く響いて――――。
溢れた。
溢れた水が、缶と、それを持つシノの手を包み込む。
シノは水を止めた。
缶はこれほど簡単に満ちるというのに。
何故、人の心は易々と満ち足りてくれないのか。
飽くなき想いに、空っぽの心が張り裂けそうになる。
望めば望むほど足りなくて。
願わなければ、少しはマシか。
努力も空しく、理論的に感情論を展開し始めたシノ。
しかしその思考は、突然の来訪者に吹き飛ばされた。
ガラリと、戸が勢い良く、本当に凄まじい勢いで開かれる。
「何だい、シノ! アンタ、こんなトコに一人で何やってんのさ! 辛気くさいねぇっ!」
「つーか酒臭ぇ。ガキ共が何やってやがる…」
入ってきたのは、キバの母ツメと、その忍犬黒丸だった。
シノは軽く会釈をして「お邪魔してます」の意を表した。のだが。
「何とか言いな! せめて挨拶ぐらいはするもんだよ!」
と一喝されてしまった。
油女の家では十分挨拶として通じるのだが、この家では声無きものは意味を成さないらしい。
「………任務は」
そうは言ってもシノはシノで、怒鳴られたくらいでは自分のスタイルを崩さない。
全く怯まず、動じることもなく、堂々と挨拶を抜かして端的に尋ねた。
肝が据わっているというか、怖いもの知らずというか。
しかしその辺り、シノ自身は知らないが、ツメは気に入っているのだ。
ニィッと口角を上げて、台所に上がり込む。
「まだ終わってないよ。ちょっと戻る必要があったから、ついでに寄っただけさ」
ツメはそう言うと、冷蔵庫を開けた。
おっ、酒がある、と呟いたので、どうやら嫌いではないらしいとシノは少し安堵した。
しかしツメが取りだしたのは水の2リットルペットボトルで、それをそのままゴクゴクと豪快に飲みだす。
直飲みか…、とシノは少し驚いたが、勿論表には出ない。
シノがそんな無表情でツメの動向を見つめていると、ツメは「ほらよ」とペットボトルをシノに押し付けるようにして寄越してきた。
まだ中身は残っている。
「?」
受け取ったものの、どうしろというのか判らない。
しまえば良いのか…? と思っていると、不意にふくらはぎを人間の感触ではない物に叩かれた。
「おい、水」
「………」
振り返りつつ足下を見れば、黒丸が専用の受け皿を用意して待っていた。
俺が注ぐのか…、とシノは僅かに眉を寄せたが、何も言わずに屈んで黒丸の皿に水を注いだ。
トプトプと、ペットボトルの中で水と空気が入れ替わっていく。
僅かに香る酒の匂いと相俟って、シノは何だか酌をしている気分になった。
適度に皿が満ちたところで止める。
「良いか」と尋ねれば、黒丸は「おう」と返してきて水を飲み始めた。
赤丸相手なら頭や背中を撫でるところだが、黒丸にそれをやったら噛み殺されそうなので、シノは思い止めてペットボトルを冷蔵庫に戻した。
遠くで声が湧く。いつの間にかツメがいなくなっており、キバの誕生日会に乱入したらしい。
ツメは程無くして、笑いながら戻ってきた。
「まったく、あのバカは!」
そう言いながら、ドカッと椅子に腰掛ける。
黙って見ているシノに気付けば、ニヤリと笑った。
挑戦的というか、挑発的というか。
この表情は、性格以上にキバに似ていると、シノは思う。
順序的には、キバがツメに似ているのだが。
「アレは昔っからバカでね。犬達の方が賢いぐらいだ」
「………知っています」
シノがそう言うと、ツメは爆笑した。
「でも、まあ、アレはアレで良い男になったろう? 何だかんだ、この世界で新しい歳が食えてんだしね。生きてりゃ良いんだ、生きてりゃあ」
それが一番の値打ちさ、と明るく笑い飛ばして言う。
この世界…忍の世界において、それはその通りだとシノも思う。
「それで、何でも良い。小さくても、幸せだと思える何かをさ。一つでも掴めれば万々歳だよ」
「…………」
揶揄するような笑みを浮かべながら、しかしキバのいる方を見つめるツメの表情に、シノは、一瞬、見取れてしまった。
親の顔。
誰かを心の底から想っている、人の表情。
何度か垣間見た事のある、キバの表情とよく似ていた。
「……大丈夫です」
シノは、思わず口走っていた。
はっとして一瞬口を噤むも、視線の合ったツメに、今度は自分の意思で―――言った。
「キバは、俺が幸せにします」
真面目な表情で、真面目な想いで。
するとツメは――――大爆笑した。
あははははははと、遠慮無く、豪快に、大いに笑う。
「……………」
シノは、目一杯眉を寄せた。
その怨めしげな空気が伝わったのか、は、は、と呼吸を乱しながら、ツメは笑いを収めていった。
そして「悪い悪い」と謝りながら、しかしまだニヤケた顔でシノを見つめる。
その眼差しは、先程キバに向けられていたものと近いような気がした。
しかしその目は不意に足下に向けられ、
「黒丸、そろそろ行くよ!」
とツメは唐突に出立を告げる。
ツメがガタンと席を立つと、黒丸も同じタイミングで立ち上がった。
もう少し弄られるかと思っていたシノは、ツメの引き際の良さに少々肩透かしを食らい、困惑した表情をほんの微か浮かべる。
物足りないとは言わない。
からかわれたいわけでもない。
ただ、冗談と思われたのなら心外だ。
決して冗談で言ったわけではない。
しかしそこは、ツメもちゃんと受け取ってくれていたらしい。
台所から去る間際、ツメはシノを振り返って言った。
「まあ、アレで良ければ大事にしてやりな。アレにも、後で『ちゃんと大事にしろ』って言っといてやるからさ」
挑戦的な、挑発的な、あの笑顔を残して、ツメは台所を後にした。
「…………」
ツメの捨て科白にきょとんとするシノ。
しかしまた、人間ではない物の感触が足に触れ、足下を見ると黒丸がシノを見上げていた。
「……ま、頑張れ。坊主」
そう言って、黒丸もツメの後に続いて台所から悠然と出ていく。
「…………」
よく、判らないが。
取り敢えず激励されたようだと、シノは受け取った。
そして、肩の力を僅かに抜く。
蛇口から落ちた一滴が、満杯になったビール缶の上に落ち、ピチャンと跳ねて飛び散った。
「母ちゃん!」
玄関でキバに呼び止められたツメは、「何だい」と振り返る。
訝しげな顔をしたキバは、ちらと台所の入口に目を遣ってから、心なしか声を小さくしてツメに訊いた。
「シノと何話してたんだよ」
ツメはその質問に、ふっと吹き出し、大笑いをした。
「な…何だよ…!」
牙を剥き出しにする息子に、特有の笑みを浮かべるツメ。
そしていきなり片腕を息子の首に回して乱暴に捕まえると、耳打ちをした。
「キバ。アレはちゃんと捕えて、大事にしときな」
「はあ?! だから何の話を…」
「いいから、そうしな! いいね!」
言うだけ言ってキバを強引に置き去りにし、ツメは黒丸と共に意気揚々と出発して行った。
追い掛けても、既に影も形もない。
「………な…何だよ、一体。わけわかんねーぞ! 母ちゃん! 黒丸! おい、ちゃんと解るように言ってけよ!!」
取り残されたキバは、言いたい事だけ言って去っていった母親に対する不満と憤りを、誰もいない空に向かって叫ぶしかなかった。
その先の空は既に陽が落ち、夜になろうとしている。
しかし残念ながら曇っていて、星は見えなかった。
誕生日会を終え、面々を送り出した後。
ハナも用があるらしく出掛けてしまい、キバとシノは二人で後片づけをすることとなった。
賑やかな連中が一気にいなくなったせいか、家中静まり返っている。
しかし、静かな理由はそれだけではなかった。
二人の間で、会話が無いのだ。
たまにキバがシノをチラチラと見るのだが、結局何も言わずに黙々と片付け続ける。
大量のゴミを袋に詰めたキバは、台所に持って行こうと思い、シノに声を掛けようとしたが……
何だか声を掛け辛くて、しぶしぶ黙って部屋を出た。
廊下に出て、溜め息を吐く。
せっかくの誕生日なのに何でこんなに気まずい空気になるんだと、ぶつくさ呟きながらゴミを運んだ。
回収日まで、ゴミは台所の勝手口脇にある、ゴミ置き場に置いておくのが犬塚家のルールだ。
この家の者は鼻の利く者ばかりだから、ゴミは外に出さなければいけない。
気休め程度ではあるが、家の中に置いておくよりはマシだ。特に今のこの時期は尚更気を付けなければ、家中から文句を言われる事になる。
キバは台所の戸を開け勝手口に回ろうとした。が、不意に目に入った光景に唖然とし、足を止めた。
そこには、綺麗に洗われたらしいビールの缶が、水切り籠一杯に入れられていたのである。
1ダース…12本はあるだろうか。
ここにはツメもいたが数分だったし、任務の途中に酒は飲まないだろう。
あと、ここに長居していたのは………一人しかいない。
「おい、シノ!!」
キバは気まずかったことなどすっかり忘れて、大声でシノを呼んだ。
しかし、返事は返ってこない。
キバは舌打ちをすると、勝手口からゴミ袋を外に放り投げて大股で部屋へと戻った。
「おいシノ!」
戸を開けると同時に、声を張り上げる。
シノは眉間に皺を寄せて、何だとキバを見た。
念入りに片付けたらしく、部屋は床も、机の上も、宴会を始める前より綺麗になっていた。
この状況を見る限りシノが酔っているとは思えないが、しかし。
部屋に充満していた酒の匂いが、開け放ってある窓によって薄れた今、キバには判った。
シノからもしっかり酒の匂いがする。
「台所のビール、あれお前が飲んだのか?」
「それがどうした」
「どうしたって、お前…」
確かめれば、シノは尊大な態度で応える。そんな態度はいつものことだが、今日は何だか、開き直っているように見えた。
シノは酒を飲まないわけではないが、それ程飲む奴でもない。二本かそこらでやめてしまうのが常だ。
それが今日は1ダース。しかも一人台所でだ。尋常ではない。
キバは、シカマルの言っていた事を思い出した。
戻ってきたシカマルは、キバに「シノが寂しがってるぞ」と小声で言ってきた。
キバにはその意味がよく解なかった。
「寂しいならこっち来れば良いじゃねーか」
そう言うと「来ても寂しいんだと」と言う。
は? と顔を顰めたキバにシカマルは、「メンドクセェんだよ、色々」と溜め息を吐いて、
「とにかく、宴会が終わったらシノをデートでもベッドでも良いから誘え」とキバに促してきた。
わけが分からない。
その後、母が何やら台所でシノと一緒にいたようだったから、もう少し詳しいことが解るかも知れないと思ったのだが、それも叶わず。
シカマルにしても母にしても、言うだけ言って、核心を何も教えてくれないから酷いものだ。
キバはぶすっと顔を顰めた。
「あのな、」
シカマルは穏便に解決させようとしたらしいし、母は大事にしろと言った。
しかし、それではダメなのだ。
機嫌を窺ってはいたが、コイツの相手はそれでは務まらないし、性にも合わなかった。
「言いたい事があるならはっきり言え。誕生日会開いておいて参加しねぇわ、酒大量に飲むわ、わけわかんねぇんだよ。
お前は俺に、どうして欲しいんだ!」
キバの率直な憤りがシノに伝わる。
怒りは伝染し、シノは眉間の皺を深めた。
どうして欲しい…?
シノの目に、窓辺に飾られた七夕飾りが写る。皆が飾っていったものだ。
願い事が書かれた短冊が結ばれ、湿った風に微かに揺れている。
どうして欲しい、どうしたい、こうしたい、こうなりたい、ああなりたい、
あれがほしい、これがほしい………。
願いなど―――
もう、タクサンだ。
欲すれば欲するほど、欲は飽きず尽きず深みにはまる。
もっともっとと求めていくほど、本当に望むものから離れていって、追い掛けても追い掛けても追いつけない。
満たされない。
「俺は――――」
シノは睨んだままキバに歩み寄った。
鼻先が付くほどの距離に立ち、対峙する。
真っ直ぐ見つめてくる目と目を合わせる。
自分を真っ直ぐ見てくれる。
ひたすら真っ直ぐ、自分の存在を認めてくれる。
その眼差しが、他の者に向けられるのが嫌だ。
この目が、自分以外を見るのが嫌だ。
徐に、そっと。
キバに寄り掛かるようにして、シノはキバを抱き締めていた。
大好きな、温かい、匂いと感触。大好きで大好きで大好きで堪らない存在。
「お前を幸せにしたい」
それだけなのに。
キバが幸せになることが自分の望みで。
でも、自分以外がキバを幸せにするのが辛くて。
キバが幸せなのに、望みが叶って、苦しくなる。
矛盾している。
それはキラキラとした望みではなく。
ただの独占欲と、我が侭と、自分勝手な欲求だ。
「え…と、よ…よく分かんねぇんだけど……」
突然のシノの抱擁に、流石のキバも動揺する。
シノの扱い難さはよく知っていて、慣れているが、扱いに困ることは未だに多い。
やっぱり酔っ払ってんのかと、キバは思った。
寂しがり屋がわざわざ一人で自棄酒を飲んだ理由は、さっぱり分からないが。
取り敢えず、甘えてくるのは可愛いので、怒りは引っ込んでいた。
シカマルの言葉を思い出す。
『宴会が終わったらシノをデートでもベッドでも良いから誘え』。
癪ではあるが、結局、シカマルの言う通りにするのが一番良いらしい。
本心は、後で聞き出せば良いのだし―――。
そう考え。
キバは、ぎゅうっと抱き付いてくるシノの体を押してちょっと離させ、その固く閉ざされた唇に口付けた。
数日前、冗談で言った事をふと思い出す。
いつもとは違う事を、今日ならやってくれそうな気がするが。
まあ、それは後で考えれば良いかと、キバはそっと、シノを抱き締め返してやった。
翌朝。
「……ん…」
キバは、カーテンの隙間から差し込む光に起こされた。
うっすらと目を開けてみれば、窓を開けっ放しにしていたために、カーテンが風に揺れていた。
朝か、と思ったキバは、しかし何かが物足りない気がして振り返る。
隣に寝ていたはずのシノが、いなくなっていた。
「アイツ、どこ行きやがった…」
まだ、昨日のよく分からない言動の真意を聞いていない。
と、いうか。それよりも。
俺まだアイツにおめでとうって言われてねぇ…。
と気が付き、顔を顰める。
が、まあどうせ、シノとはすぐ顔を合わせることになるんだからと、気にしないことにした。
一晩で随分寛容になれるものである。
気分良く起き上がって伸びをしたキバがカーテンを開ければ、昨日は曇りだった空も晴れ、眩しい朝陽が輝いている。
キバが窓から外を眺めていると、ワンッと窓の下に赤丸がやって来た。
「おう、赤丸。おはよう」
シッポを振ってやって来た赤丸は、その口に何かを銜えている。
「何だ? それ」
よく見れば、それは笹の枝だった。
揺れる数枚の葉の中に、蒼い短冊も揺れている。
キバは、昨日皆で飾った笹飾りを見た。
窓辺に飾った笹の一部が無くなっている。
では短冊は昨日の余りかと部屋を振り返ってみると、ふと、机の上に赤い物が置いてあるのに気が付いた。
そこは昨日シノが完璧に綺麗にしていた所で、昨夜は何も無かったはずだ。
ということは…と、キバは机に向かい、それを手に取った。
矢張り昨日余った短冊だ。
そしてその、願いを記すための場所には…。
『おめでとう』
の一言が書かれていた。
やぱっり、アレはよく解らねぇな…とキバは難解な相方を想う。
しかし。
おめでとう―――。
その一言に、キバの心は満たされていった…。
(09/7/7)