※あまり裏的文章ではない上にやたら長いです。渇望、終いの続き。シリアスを書くのも苦手だと、御了承下さい…。




パンドラ


布団の中がひどく冷たい。
時期的には寒くないはずだが、あの質の異なる熱を知ってしまったからだ。
ベッドも広く感じる。
物足りない。
また抱きたいなどと思う自分が、虚しい。
自分で幕を下ろしたのだ。二度と彼に触れることはできない。
そもそも、幕開けが酷すぎた。
あれで良い結果を望めるはずもない。
そして幕引きも最悪。
狙い通りにはなったが、やはり良い気はしない。
『自業自得』
シカマルに言われた痛烈な一言が、いまだに胸に突き刺さっている。
偶々会った時、社交辞令の挨拶はしたが、視線は合わせられなかった。
「これでいいんだ」
自分に言い聞かせるが、効果は薄い。
『これでいいのか!? なんの解決にもなっていないじゃないか!!』
『なら、他にどうすれば良かったと言うんだ! 俺が近くにいれば、彼女を傷つけてしまう!!』
目を閉じれば二人の男のやりとりが頭の中で鮮明に再生される。
やはり演劇の舞台など見に行かなければ良かったと、深く後悔する。
いのにせがまれて仕方なく出向いたが、最悪のタイミングだった。
よりによって 『~君が好きだから、さようなら…~』 なんて副題の劇…。
最終的にはなんだかんだでハッピーエンドだったが、途中生きた心地がしなかった。
見ていられず眠ってしまおうと目を瞑っていたのが逆効果で、頭の中に台詞が擦り込まれてしまったらしい。
そもそもあんな劇を見た所為で、柄にもなく感傷に浸ることになったのだ。
「恨むぞ、いの……」
とは言うものの、いのが悪いわけではない。
悪いのは自分だ。わかっている。
「くそ……寒ぃ…」
無理矢理引っ張り上げた布団で、頭まで全部覆い隠した。





最近、寝付きが悪い。
理由は、考えるまでもなく、アスマ先生との性交だろう。
この前はつい頭に来て思い切り膝で蹴り上げた挙げ句逃げ出してしまったが。
元を質せば、はじめての要求を受け入れた自分が原因だ。
シカマルの話を聞いた時は、流石に少し驚いたが、そういうものなんだと納得した。
性欲処理について詳しくは知らなかったが、自分は適任だとも思った。
感情を排除する癖は、物心着いた時にはもう会得していたから。
後腐れ無く済ませられる、そう、思っていた。
あの言葉があるまでは、事実なんとか我慢出来ていた。
『お前を、犯したいと思ったからだろうな』
低い声を思い出し、体を縮める。
怖ろしかった。
言う通り、やることは同じはずなのに、大義名分が違うだけで一変した。
ただの処理役ならば、他の誰でもいいこと。
自分はただ、誰かの中で偶々その役を任されただけでよかった。
それが、自分でなければ意味がなくなった。
途端、怖ろしくなった。
理性の糸が切れたような気がする。
引きずり出された欲に呑まれて、為されるがまま、乱れた…。
全てを支配され暴かれ奪われる感覚と感触を思い出し、縮めた体を更に縮める。
体が、覚えているのだ。そして、求めている。
だが頭は頑なに拒絶している。
理性と本能のせめぎ合いに、おかしくなりそうだ。
苦しい。
目を閉じて、布団の中に、顔を埋めた。






寝不足で迎えた担当上忍不在の任務は、与えられたCランクを上回る内容だった。
仕事配分のミスは考えにくいため、恐らく依頼人の過失だろう。
無数の死体が転がる中で、敵の気配が無くなったことを確認し、力を抜く。
ばらばらになったキバとヒナタは、無事だろうかと思い意識を少し遠方に向けた時、突然足を掴まれた。
反射的にクナイを抜き、掴む腕に突き立てる。
しかしすでに死んでいるようで、硬直した手は足を掴んだまま。
仕方なしに、無理矢理はずそうと手を掛けた時、薬指にはめられた銀の指輪が目に入った。
ピタと手が止まる。
同情も後悔も湧かない。
幼い頃から覚悟していたことで、初めの頃のヒナタやキバのように殺すことを躊躇うこともなかった。
心が動いたことなど、無かった。
この時初めて、胸の奥がぎしりと軋んだ。
聞こえてきたキバと赤丸の声に、止めた手を再び動かし指を引き剥がす。
少し跡が残ったが、大したことではない。
だが、呑み込みきれない得体の知れない疼きが、喉の奥に宿っていた。
キバも赤丸もヒナタも無事で、雨を感知したため急いで帰路につく。
日向の門前に辿り着く頃には、すでに本降りになっていた。
「おい、シノ。ウチ寄ってくか?」
雨の中、走りながらキバが言う。
確かに、キバの家の方が近く、雨宿りしていくのも良いかも知れない。
しかし、そんな気分ではなかった。
できれば、一人になりたい。
「否。いい」
「あっそ」
別れ道で、お互い大した挨拶もせずに別れる。
と、いきなり呼び止められた。振り返ると、雨の中でキバがこちらを向いている。
「なんかあったら、言えよ!? てめーはヒナタ以上にわかりづれーんだからな!!!」
そう怒鳴ると、驚く俺の返事も聞かず踵を返して駆けていく。
ザアザアと益々大きくなる雨の中、立ちすくんだ。
キバやヒナタに話したら、楽になるかも知れない。
しかし、話せない。
正直、心情を暴露する程の仲だと思っていないのだ。
そんな仲の者は、誰一人としていない。
誰にも、頼りたくなどない。
今までも、誰にも頼らず一人で抱えて解決してきた。
それでも。
改めて、仲間を信頼しきれていない自身を思い知り、疼きが増す。
疼きは痛みに変わり、喉の奥を締め付ける。
苦しい。
逃れるように雨のシャワーを仰ぐと、上も下も右も左も無い感覚に目眩がした。
揺れる意識に、銀の指輪がぼんやりと浮かぶ。
(誰か、大切な人がいたのだろうか。心の底から信頼する、誰かが)
必死に張っていた意地が、ぷつんと切れる。
頼れる人などいなかったはずが。
一人の姿が、頭を過ぎった。 






雨にびしょ濡れになったお前の前で、俺は固まった。
10班連中の修行を、雨が降るからと早々に切り上げて帰宅して。
お前のことを考えていたら、現れやがった。
何で、お前がここに来る?
怒ってたじゃねーか。あんなことをしたんだ。嫌気が差しただろう?
お前が離れるように、逃げ出すように、やったんだ。
俺はお前を傷付けちまうから。
壊したい、と。
滅茶苦茶にしたい、と望んでしまうから。
それなのに…。
どうして、縋りついてくる…?
何も言わず。けれど求めて。
わけがわからない。
わからないが……それでも。
お前が望むなら。
「加減は、できねーぞ」





(誰か、大切な人がいたのだろうか。心の底から信頼する、誰かが)
そんな考えが、鍵となった。
一度零れてしまえば、止める術もなく次々と溢れてくる、禁断の思い。
決して口に出してはいけない。
決して表に出してはいけない。
疑問。葛藤。不満。後悔。同情。躊躇い。感情と、欲望の数々。
人を殺めたこと。
蟲の命を奪うこと。
人を傷つけたこと。
傷つけられたこと。
溜め込んでいたものが、溢れていく。
今、こうしていることも。
頼ってしまったことも。
利用していることも…。
全てが止め処なく。
あまりに多くの思いの渦に、表す言葉が見つからない。
やっと零れ落ちたのは、たったひとこと。
「ごめんなさい…」





自分から来ておいて、顔を背けて。
その表情が苦しそうで、堪らない。
何があったか知らないが、俺を頼って来たんだろう。
だったら。
俺が全部奪ってやるさ。
壊して。滅茶苦茶にして、何もかも。
忘れさせてやる。
それが、俺がお前にしてやれる、唯一のこと。






アスマが気が付いた時、腕の中を見ると、シノが眠っていた。
その表情が穏やかなのが見て取れて、思わず安堵する。
どうやら昨晩のことは夢ではないらしい。
その証拠に、脱ぎ散らかした衣服の中に、シノのぐっしょり濡れたままの服も混じっている。
シノを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、新しい服を着てから、雨の水をたんと吸い込んだ服を摘み上げた。
残念ながら、この家に乾燥機は無い。
取り敢えず新聞紙を敷いてハンガーにかけてみたが、乾くには相当時間が掛かりそうだ。
「ドライヤーで乾くか…?」
とにかくやってみよう、とアスマは試みた。





ブゥゥゥゥという乾いたドライヤー風の音が、寝室にもドアの隙間から小さく届く。
目を覚ましたシノは、無意識にいつもの癖でサングラスに手を伸ばした。
が、間取りが全く違い、置き場所も違う。
伸びた先は空中で、しかも身を乗り出してしまったものだから、当然の如く、頭から落ちた。
ドテッ、という音が、うるさいドライヤーの音の中にも微かに聞こえ、アスマは何事かとドライヤーをストップさせる。
寝室に入ると、シノがベッドから半身だけ落ちていた。
「…………なにしてんだ…?」
「…ぅ…あ……いや…その…………起きれなくて…」
体を起こそうと腕を立てようとするが、どうやら力が入らないらしい。
というか、腰を中心に痛そうだ。
不謹慎だが、そのイメージぶち壊しの間抜けな格好に、アスマは思わず苦笑する。
苦笑しながら、「ほらよ」と介助してやった。
両脇を掴み一度足先まで全部持ち上げて、ベッドに座らせる。
すると、正面から捉えたシノの目が腫れているのに気が付いた。
泣かせた所為もあるだろうが、それ以上に、泣いていた所為だろう。
そう、泣いていた…。
雨の滴る顔で、紛れて分かり難かったが、間違いない。
だが、だからといって問い質せる立場ではないし、問うべきでもないだろう。
「ん? どうした?」
不意にシノがきょろきょろと辺りを見回すので、思わず聞いてしまう。
「あの、サングラスを…っ!」
クシュンッと一つ、大きなくしゃみ。
「グラサンの前に、服着ろ、服! 今、用意してやっから」
ただでさえ、風呂にも入れず、濡れて冷えたままでやってしまったのだから、風邪をひきやすい状態だ。
アスマは服の棚から幾つか引っ張り出し、シノに投げて寄越した。
「でかいのは、我慢しろよ」
案の定でかすぎで、シノが着るとぶかぶかだった。
思わず、笑い声を上げる。
そんなアスマに、シノはむすっと顔をしかめた。
だが、ふっとその顔に影を落とす。
アスマも、笑うのを止めた。
「すみませんでした」
またか、とアスマは思った。
「俺は、先生を利用した……」
ただ、溢れ出る感情の波に呑まれて。
それを堪え忍ぶため。あわよくば、救い出してもらうため。
こんな理由、犯したいからの方がまだマシだ。
「ご迷惑をおかけしました。すぐに帰…」
「駄目だ」
アスマはシノの額に手を置き、そのままベッドに押しつける。
体が軋み、痛みが走って、シノは堪らず呻いた。
「動けねーなら、大人しくしてろ」
アスマは額から手を離し、はみ出していたシノの両足もベッドに収めた。
「お前、今日の予定は…?」
「特に…なにも…」
「そら良かった」
布団を無造作に被せて、ぽふぽふと布団の上から顔の辺りを叩く。
「俺はこれから愛弟子達と任務なんでな。帰ってくるまで、布団温めてろ」
「!??」
「じゃあな」
布団から漸く顔を出せたシノは、既に踵を返したアスマの背に、困惑の表情を向けた。
アスマの意図が、よくわからない。
シノの困惑を余所に、アスマは上機嫌で「そうだ」と振り向き、口角を上げて言う。
「利用したけりゃ、いつでもどーぞ。俺ぁ大歓迎だ」
真っ赤になったシノを残し、バタンと戸を閉め寝室を後にする。
ハッピーエンドとまでは行かないが、微妙なわだかまりが解消しただけでも十分な進展だ。
これからは、もう少しマシな付き合いができるだろう。
劇ではどんな展開があったっけか、と現金にも考える。
「そういや、あの劇、なんて題名だっけ…?」
サンダルを履きながら頭を捻る。
玄関の戸を開けたところで、思い出した。
「ああ、そうだ。 『パンドラ』 だ」











(07/4/19)