こうしてシノは、ナルトのサバイバル特訓に付き合わされることになったのだが…。

「………おい。どこへ行く気だ」
「どこって、決まってンだろ! あそこだってばよ!」
ナルトが、目指す山の天辺を指差す。
「地図を見せろ」
シノがナルトに持たせた地図を奪い取って見れば、どう見てもナルトが進もうとしている道に、道は無い。
「……ナルト、地図の読み方は先刻説明したはずだ。ちゃんと読み、安全な道を選――」
「大丈夫だってばよ! 目的地があそこなんだから、真っ直ぐ突っ切んのが一番早い!」
その安直な考えについても先程訂正したはずなのだが、ナルトの頭からはもう消えてしまったらしい。
シノは眉間に皺を寄せると、前振り無く、前を行くナルトの襟首をひっ掴まえた。
「?!!」
「………同じことを何度も言わせるな…」
背後からナルトを締め上げ、低く低く押し殺した声で凄む。
「ぐっ…、わ…わかった…! わかった、から、は…放し――!」
「わかれば良い」
シノがぱっと放すと、ゼーハーと息を吐くナルト。
「っ、だからヤだったんだ……シノとサバイバル訓練なんて。……クソ、恨むってばよカカシ先生……」
グチグチブツブツ文句を垂れながら、ナルトが地図を広げる。
「文句を言う暇があったらさっさと方向を定めろ。日が暮れるぞ」
「うっせってばよ。ちゃんとやってらぁ!」
「口を動かしながらやるから集中力が散漫になる。一つのことにもっと専念しろ」
「だあああから! うっせーっつってんだって!! いま、もう、わかるから! わかったから! こっちだってばよ、こっちの道! ほら、行くぞ!」
地図とコンパスを両手に携え、のしのしと歩き始めるナルト。
シノはその背を見つめながら、表情を険しくした。
「………ナルト」
「ああ?! なんだってばよ! お前こそぼさっとしてねーで、行くぞ! 日が暮れちまうんだろ?!」
そう言ってずんずん行こうするナルトに、シノは言った。
「ナルト……そっちは今来た道だ」
ナルトの足がピタリと止まる。
「………へ…?」
ナルトの様子に、シノは深々と溜息を吐いた。これはどうやら、予想以上の方向音痴だ。
「…地図とコンパスを貸せ」
力量を計るために取り敢えずやらせてみていたのだが、このままでは埒があかないと、有無を言わさず奪い取る。
ナルトは何かしら言いたいことがあるようだったが、結局呑み込んだらしい。
「いいか、もう一度しか言わないからよく聞いておけ」
「一度じゃわかんねぇよ」
が、零れた文句に、シノはナルトの胸ぐらを掴んで顔をグッと引き寄せた。
「………死ぬ気で覚えろ」
「わ…わかったってばよ……」
覚えなければ殺すぞ、と言わんばかりの気迫に、ナルトが顔を引き吊らせる。
シノはナルトが了解したことを確認すると、手を放し、山の等高線から地図の読み方、そして最適なルートの算出方法をとうとうと語った。
語り終えた頃にはナルトは目を回し、頭がオーバーヒートしていたが、とりあえず地図の南北と実際の南北を合わせることは理解したらしい。
それから進むこと数時間。
どうにか危険の少ない道を選びスムーズに行くことが出来たが、前半の遅れが尾を引いて、日暮れ前の山頂到着は無理とシノは判断した。
「ナルト、陽が暮れてきた。野営する」
陽が暮れてきたところで提案するシノ。
しかしナルトは、まだ行けると食い下がった。
「せっかく調子出てきたんだから、このまま一気に行っちまおうぜ!」
「夜、無闇に動き回るのは危険だ。視界が利かなくなる上、夜行性の肉食獣だっている」
「夜行性の動物くらい、俺がぶっとばしてやるってばよ!」
そう息巻いて行こうとするナルトに、シノは溜め息を吐いた。
そして、仕方がないと、手札を切る。
「ナルト……この辺りは出るそうだぞ」
「あ? だから夜行性の動物なんて恐くな…」
「そうではなく、死霊の方だ」
「しりょう…?」
「幽霊だ」
「ゆ…ゆゆゆゆ幽霊?!」
ナルトの声が裏返る。
ナルトがその手の話を苦手としていることは、知っていた。
「そうだ。昔この辺りは墓地だった。しかし、それが大規模な土砂崩れに遭い、埋まってしまって、以後、この周辺では、
土砂に埋もれてしまった者達の霊が、夜な夜な現れては人々を迷わせ………連れて行くそうだ」
ゴクリと、ナルトの喉が鳴った。
シノはただ淡々と話していただけだが、それが逆に効果的だったらしい。
もちろん、そんな怪談話はデタラメの嘘八百…シノの作り話だ。
嘘も方便。
シノの思惑通り、ナルトの態度は明らかに萎縮して、先程までの勢いは無くなった。顔色まで青ざめている。
「……どうする」
シノが変わらぬ口調で問う。
ナルトはビクリとして、え~あ~う~と呻いた末、大人しくシノに従うことになった。



パチパチと爆ぜる火。
周囲はすっかり暗くなり、張ったテントの傍で、シノは火の具合を確かめていた。
ナルトは近くの木の幹に背を預け、ぼんやりと火を見つめている。
つい先程まで、毒草や毒キノコの種類、見分け方を叩き込まれていたために、頭がぼうっとしているのだ。
そんな様子を見、今からこんな様では先が思い遣られる……とシノは溜め息を吐いた。
「……お前は、本当に忍としてやっていく気があるのか?」
シノは、ナルトのアカデミー時代を知っている。
主要科目で最下位をとり続け、授業態度なども救いようがない、正真正銘、完璧なドベ。
演習だってまともにこなしたことはなく、ナルトがいると必ず騒動が起きていた。
そしてそれは、どうやら下忍になっても変わっていないらしい。
シノは誰であろうと嘗めたりはしない。
……しないが、やはりナルトは、忍には向いていないと思えてならなかった。
しかしナルトは、微塵もそう思っていないらしく。
「もちろんだってばよ!」
途端に目の色を変え、断言した。

「俺は火影になる! でもって、どの火影も越えてやるんだってばよ!」

「……火影を…越す?」
シノは眉を顰めた。
ナルトの表情には、一部の揺らぎもない。
火の光りを帯びた眼が、真っ直ぐに前を見据えている。
成る程…とシノは思った。
これが、ヒナタの見つめている者か――と。
しかし…。
「お前には無理だ」
シノもまた、淀みなく断言した。
「なっ――!!」
「何故なら、地図も読めない火影など、有り得ないからだ」
何だとっ! と言おうとしたらしいナルトが、しかしシノのズバリな指摘に、うっと詰まる。そんなナルトに、シノは尋ねた。

「ナルト……お前は、仲間に『死ね』と言えるか」

「え…?」
ナルトが驚いたようにな顔をする。
そんな顔を見据えながら、シノは言った。
「火影になるとはそう言うことだ。仲間を戦線に送り、仲間に前線へ出ろと命じる。どれ程辛くとも、己を殺し、里のために選択し、決断する。それが火影だ。お前にその覚悟があるか」
「…………」
「それに、お前は火影になるとほざく前に、まず忍としての覚悟をすべきだ。木ノ葉の忍なら、火影の決定に文句を付けるな。
里の忍にとって、火影の命令は絶対……それが掟だ。死ねと命ぜられたら死ぬ。殺せと命じられれば殺す。たとえそれが………仲間であろうとな」
「…………」
ナルトは押し黙り、見据えてくるシノを険しい表情で見返している。
「……………俺は…」
そして何かを耐えるように全身を強張らせ、グッと拳を握り締めて、声を絞り出す。


「俺は、そんな覚悟、ぜってーしねぇ……!」

「………」

「仲間に死ねなんて言わねぇ! たとえ命令されたって、仲間を殺したりしねぇ!!」

「………」

「火影は仲間を守るもんだ!! みんなを…仲間達を……守る火影に、俺はなるんだ!! お前の言う、それが火影だって言うんなら……忍だって言うんなら…!!」

強い意志を漲らせ、ナルトは立ち上がって意気込んだ。


「そんなのは、俺が変えてやる―――!!!」



フッと、俊敏な風が吹き。
気が付くと、顔のすぐ真横にクナイが突き立てられていた。
幹に突き刺さった刃の横で、青い目が見開かれる。
そしてその瞳を、眼前に現れた黒い眼鏡が映し出す。
シノがナルトの真横に、クナイを突き立てていた。

「…………」

ナルトの頬に、汗が伝う。
緊張に、喉が鳴った。

「……………毒蜘蛛だ…」

シノが言い、すっと身を離す。
引き抜いたクナイの先には、手の平程の蜘蛛が刺さっていた。
シノは無感情に蜘蛛を振るい捨てると、踵を返し、何事も無かったかのように元の場所に腰を下ろした。
そして、炙っていたキノコを見て、言った。

「…………少し焦げたな…」




それから暫し後。
ナルトは、テントの中で横になっていた。
シノは外で火の番をしている。
敵が居る場合は消さなければいけない火も、その心配の無い今夜は獣除けのため、絶やさない方が良いそうだ。
食事を済ませた後、ナルトが先に見張り番に就き、それからシノと交代した。
しかしナルトは、シノの話と、交代する時に聞いたセリフが頭から離れず、珍しくなかなか寝付けずにいた。
交代する際、ナルトはシノに訊いたのだ。
パチパチと爆ぜる火に照らし出された、シノの横顔に。

「なあ……シノ…。お前さ、さっき、言ってたよな。火影の命令なら、仲間も殺す……それが、忍としての覚悟だって」
「………ああ」
「じゃあさ。じゃあ……お前は、殺せんのか? 仲間を。キバや、ヒナタや、俺達を…!」
「…………」
熱さ込み上げるナルトに、シノが冷ややかな視線を向ける。
「……もちろんだ」
シノは、いつもと変わらない口調で、言った。
「命を受ければ俺は従う。火影が殺せと言うならば、それが里のためだ。たとえキバであろうと、ヒナタであろうと……ナルト、お前であろうと…俺は殺る。 何故なら、俺は木ノ葉の忍だからだ」


「…………」
ナルトは寝袋の中で、必死に思っていた。
それは違う、そんなのはダメだ――と。
シノの言うことは正論なのかもしれない。
でも。
だけど。
ダメなものは、ダメなんだ。
顔を顰め、拳を握り締める。

絶対に―――。

ナルトはそう信じて、眠り、朝を迎えた。



「よしっ!」

目覚めたナルトは、額当てをビシッと決めて気合いを入れた。
テントの外に出てみれば、新鮮な光りと朝の空気に満ちている。
焚き火は消され、黒ずんだ跡となっていた。
「………起きたか」
シノが、どこで浸けてきたのか、冷水に濡れたタオルを投げて寄越す。
「顔を拭け。テントを片付けたら出発するぞ」
相変わらず偉そうな態度はムカツクが、今朝はそれ以上に気持ちが良くて、ナルトは反発しなかった。
「おうっ!!」
元気いっぱいに応えれば、シノが訝しげに眉を寄せる。
「へへ、俺、決めたんだってばよ!」
その顰めっ面に、ナルトは笑顔を向けて言った。

「お前に、仲間は殺させねぇ! 火影が絶対って言うんなら、俺が火影になって、俺が、そんなことさせねぇ! んでもって…」

ナルトの目が、シノを真っ直ぐに捕らえる。


「俺が、誰も死なせねぇ…!!」


揺るがぬ瞳と強い意志を持ち、木ノ葉の額当てを付けた、うずまきナルト。
シノはこの時初めて、アカデミーのドベではなく、木ノ葉の忍としてのナルトを認識した。
シノとは違う、覚悟だが。
それもまた、立派な覚悟だ。
だがしかし…と、シノは黒眼鏡を押し上げて、忘れてはならない、今最も重要な点を指摘した。

「お前の覚悟は解ったが、その前にお前にはやらなければならないことがある。それは……基本を身に付ける事だ」

何事においても基本は第一。
「まずは地図を完璧に読めるようになれ」
と言うシノに、火影になると決意を新たにした少年は、朝陽の中で、悲鳴を上げた。




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