チリチリと、火の点いた煙草から煙が立ち上る。
カチリとライターを閉めて、細く、ユラユラと上っていく白い煙を、シノは見つめた。
「………あなたの弟子は、よく頑張った」
シノの呼気に、煙が揺らぐ。
シノはポケットから赤いリンゴを取り出して、煙草の横に置いた。
不和と後悔の林檎の果実。
このぐらいは肩代わりしてやってほしいと、心の中で言う。
立ち上がると、その空気の揺れに煙が散った。
預かったライターと、買った煙草をポケットに入れ、黙礼をして、シノはその場を後にした。
「なあ、オビト……」
慰霊碑に刻まれた名を見つめ、カカシがその、親友の名を呟く。
お前が死んで、皆死んで…。
それでも生きてきたら、沢山の出会いがあって、繋がりができた。
そしてそのつながりは、まだ俺を、そっちには行かせてくれないらしい…。
風が吹く。
腰元に付けた鈴が揺れ、音が鳴る。
「……幸せ者だな、俺は」
悲しげで、寂しげで、けれど嬉しそうに、カカシは笑った。
「ん…?」
帰り道、カカシは階段を下りてくる人影に気付いて顔を上げた。
一瞬、数日前の情景と重なり、シカマルかと思えたが……違った。
「シノ…」
それは、油女シノだった。
「誰かの墓参りか?」
「……はい」
階段を下りた所で尋ねれば、一言返事が返ってくる。
誰の墓参りとは、訊かなかった。
何となく立ち話を始めたものの、シノの方から話し掛けてくる素振りも無いので、カカシが「そう言えば」と口を開く。
シノが、何ですかと言うようにカカシを見た。
「男同士云々のことだけど……あれ、みんなまだ誤解してるってこと、無いよな…?」
実は誰かに確かめたくて仕方なかったのだが、無闇に訊けるものでもない。
こんな心配事を真面目に聞き、尚かつ巫山戯ずに答えてくれそうなのと言えば、事情を知る中ではシノぐらいなものだ。
ここで遇ったが何かの縁。と、カカシは訊いた。
シノの表情は眼鏡と服のせいでほとんど見えないが、それでも何となくは反応を読むことができる。
シノは驚いたような顔をして、それから少し考えるように首を傾げてから、
「さあ…」
と言った。
「皆がどう考えているか、それは判りません。なぜなら、それは本人にしか解らない事だからです」
「……まぁ、それはそうなんだけど…。じゃあ、シノは? まさかお前はそんなこと真に受けてないだろ?」
カカシが、心なしか懇願するように尋ねる。
するとシノは、カカシの予想を上回る回答を返してきた。
「俺は、カカシ先生にどのような性的指向があろうと、あまり興味がありません」
「…………」
異性愛者だろうが、同性愛者だろうが、何だろうが、関係無し。
それは最早、誤解するしないの問題ではない。
誤解されて嫌煙されるのも嫌だが、無関心はもっと酷いものだ。
「それはそれで、傷付くなぁ……」
カカシは困ったような笑みを浮かべて、ははははと乾いた笑いを零した。
そして、はぁ…と溜め息を吐く。
「………しかし…」
そんなカカシの様子を見ていたシノが、今度は自分から言った。
「恋愛感情かどうかはともかく、カカシ先生がナルトに特別な想いを抱く事は、何もおかしな事では無いでしょう。
何故なら、カカシ先生とナルトは師弟であり、そこに特別な絆が生まれる事は、有って然るべきだからです」
「………」
やはりシノに訊いて良かったと、カカシは思った。
こんなに見事なフォローは、他の者ならしてくれなかっただろう。
先程貫かれた傷は、今の言葉で十二分に癒えた。
「……シノはやっぱり、良い奴だな」
思わず笑顔になってカカシが言う。
するとシノは、訝しげに眉を顰めた。
それを見たカカシはまた変な誤解を与えてしまったかと一瞬焦ったが、どうもそうでは無かったらしい。
「やっぱり……とは?」
と、気になったのはそこだったようだ。
『やっぱり』と言うからには以前から『良い奴だ』と思っていたと言うことだが、シノにはそう思われる心当たりが無かったのである。
忍者としての高評価以外、人格的に褒められた経験は、皆無に等しかった。
「ん…?」
カカシは予想外の追求に困ってしまったが、『やっぱり』と言ったのは言葉のあやでは無い。昔から良い奴だと思っていたのは本当だ。
それは何故かと言えば……多分、きっかけはアレかなと、カカシは記憶を呼び起こした。
「それは……ほら、前に…下忍になったばかりの頃、一度ナルトの修行に付き合ってくれた事があったろ?」
あれは、まだサスケも居た頃。本当に忍になりたてで、ナルトなんかはチームの足手まといでしかなった。アカデミーの成績の悪さはダテではない。
忍術・体術・幻術、そうした技能以前に、忍には絶対不可欠な、食糧確保や野営の仕方、動植物に関する知識など、基礎的な事がまるでなっていなかったのだ。
本来なら、チームメイトであるサスケやサクラが実践の中で教えるべきなのだが、ナルトのあまりの出来の悪さにサスケやサクラでは手に負えず、
もうナルトには何もやらせない方が良いんじゃないかと言う話まで出てきてしまっていた。
カカシは、さすがにこのままじゃマズイなと思い、何かいい手は無いかと考えた。
自分が教えるというのもアリだが、どうも効果が薄い気がしてならない。
アカデミーの現役教師であり、ナルトの恩師でもあるイルカに頼むかとも考えたが、それもまだ弱い。
一時、ナルトを一人山奥に置き去りにしてみようかという案も浮かんだが、それでは正しいサバイバル方法など身に付くはずもない。
そんなこんな考えた末、カカシは、ナルトと同期のメンバーであり、サバイバル知識を豊富に持ち、且つ、ナルトを黙らせ無理矢理にでも教え込むことの出来そうな人物に頼むことにした。
「……………それが、俺ですか…」
説明を受けた油女シノの、第一声。
紅率いる第8班は、探知探索能力に長ける者達を集めたスペシャリストチームであり、その能力を生かしたサバイバルも得意としていた。
とは言え、ヒナタをナルトと一緒にすれば、教えるどころか話すのもままならなくなるし、キバと一緒にすれば張り合いいがみ合い、ケンカになるのは目に見えている。
と、言うわけで。
「紅の許可は取ってある。頼むよ、シノ」
当時、まだ話した事も無い下忍相手に、カカシは飄々と言ってのけた。
シノがどんな人間か、個人的には知らなかったが、紅やナルト達に聞いたところでは、寡黙で厳格、
任務や上司には忠実だが本当は何を考えているか判らない、取り敢えず変な奴―――まとめると、こんな感じだ。
要するに、典型的な油女の人間なんだろう…とカカシは解釈していた。
油女一族の人間は、大抵こんな感じなのだ。
そして、だからこそ、シノはこの依頼を断らないだろうという確信がカカシにはあった。
油女一族にとって、基本的に上司命令は絶対なのである。
「………わかりました」
思った通り、シノは承諾した。が、「ただし」と続いた。
『ナルトの修行に…』と言われて、シノはああ…と思いだした。
そう言えばそんな事もあったな……と。
当時はまだ班が組まれて間もなく、キバやヒナタともそれ程親しくなっていなかった。
そんな時、『サバイバルのいろはをナルトに教えてやってほしい』と言ってきたのが、第7班の担当上忍、畑カカシ。
顔は見知っていて、凄い忍であると言うことも認識はしていたけれど、個人的な接点は全く無かった人だ。
なぜ俺が…と思いながら説明を聞くと、要するに、一番効果がありそうだから…と言う、勝手なイメージと期待によるものだった。
ナルトと同期のメンバーであり、サバイバル知識を豊富に持ち、且つ、ナルトを黙らせ無理矢理にでも教え込むことの出来そうな人物。
「……………それが、俺ですか…」
説明を受けたシノは、そう言った。
納得したわけではなかったが、カカシの考えは理解したからだ。
サスケやサクラではお手上げで、カカシやイルカでは甘えが生まれ、キバやヒナタでは問題がある。
「紅の許可は取ってある。頼むよ、シノ」
気さくと言うべきなのか、図々しいと言うべきなのか。
当時、話をしたのも初めてなのに、カカシはまるで旧知の仲でもあるような態度で言ってのけた。
シノは、その気安い態度に、いささか警戒した。
こういう掴み所のない人間には、隙を見せたくなかったからだ。
とは言えカカシは上忍で、自分の直属の上司である紅も許可していると言う。
そうなると、これは最早頼み事ではなく、シノにとっては命令に近い。
「………わかりました」
シノは仕方なく、承知した。が、これだけは断っておかねばなるまい。
「ただし。サバイバルの基礎を教えた結果、それが必ずナルトの身に付くとは約束できない。なぜなら、あいつはバカだからだ」
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