※母の日の続きです。
ホワイトローズの一輪を
「………親父」
今日の天気は曇りで、陽は一筋も射していない。
そんな中、縁側で陽向ぼっこならぬ日陰ぼっこをしている父親に、シノは声をかけた。
当然暖かくはなく、寧ろ少し寒いくらいの縁側だ。だが、じめじめした空気が外の空気に押しやられて、多少清々しくはあった。
体内の蟲は湿気にも耐性があるので別段気をつける必要はない。
換気が必要なのはどちらかといえば人体の方で、こまめに風を通さないと酷く蒸れることになる。
高温多湿は避けた方が良いということで、そのためには、日陰ぼっこも有効なのである。
「………」
シノは何も言わず、手にしていた物を父親に差し出した。
「………?」
息子の差し出してきた物を、無言でじっと見つめる父親。それは、緑色の紙だった。
一見すると七夕の短冊のように見えなくもないが、それはいくら何でも気が早すぎる。今はまだ梅雨の足下にいるのだから。
訝しげな面を上げ、息子にこれは何だと無言で問う。すると息子は、
「肩…叩き券だ」
奇妙な間を取りながら答えた。
なおも意図がつかめず首を傾げると、
「キバが、母の日にこういうものをプレゼントしたと聞き、俺も倣って作ってみた。肩を叩いてもらいたい時使用すれば良い」
と言う。
母の日と聞いて、父親はようやく息子の唐突な行動の真意が解った。
今日は、父の日だったのだ。
紙を受け取って見る。
するとそこには、「肩叩き券」と書いてあった。
要するに、父の日のプレゼントなのだろう。
「…………」
少し、考えて。
「……では」
頼む、と受け取ったばかりの券を息子に差し出した。
突っ返している様になっている事には、全く気づいていなかった。
「……………今か」
息子が顔をしかめる。
今渡して今使われたのでは、券の意味など無いに等しい。
表情を険しくした息子に、父も困ったように眉を寄せた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「………では、今はやってやるから、券は後で使え」
「………うむ」
息子の出した妥協案に、父親が頷く。
交渉が成立し、肩叩きは開始された。
「……だがやはり、券の有用性が解らないんです」
なぜ券がわざわざ要るのか、と尋ねてくるシノに、アスマはメンドクセェなぁ…と漏らした。
空を見上げれば、曇天が広がっている。それだけでも鬱々とするのに、今の話を聞いて、アスマは更に憂鬱になった。
父と子の、心温まる話のはずなのに、全然温かくならないのはなぜだろう。
微笑ましい話でなければならないのに、全然微笑えないのはどうしてだ。
「俺は、お前の親子関係が解らねぇ」
アスマはぼやいた。
自分にしても、親だ子だからといって気を遣ったことは殆どないし、淡泊な関係であったから、親子関係に熱い物を期待したりはしない。
……しないが。
シノとシビの関係は、親子関係云々以前に人間関係としてそれで成立するのかと、驚くというか、凄いと思う。
心温まるはずのシチュエーションで、表情の変化が親子そろって眉を顰めるだけ、というのはどうなのだ。
せめて微笑くらい浮かべてもらいたい。
言葉も、感情表現も、簡略化され過ぎているように思う。
「………普通です」
「一般的じゃねぇよ」
普通の基準は個人だし、一般的なのはただの多数派だから文句は無いが。
「……まあ、券の有用性の方は、なんとなく解るな」
アスマは、油女親子の逸話には口出し無用と考え、話題を変えた。
素直に、照れることなく「肩叩きしてあげる」と親に言える子供がどれくらいいるのか。
歳も考えればかなり少ないと思うし、ましてやシノの場合、大真面目に「肩叩きしてやる」だ。
それが通じる親子関係よりかは、肩叩き券の方がまだ理解し易いと思った。
「ま、解らないなら放っとけ。親孝行が日常的なのは良いことだろ」
俺は勘弁だけどと思いながら、アスマは眉間に皺を寄せているシノにそう言って、軽く頭を小突いてやった。
シノは益々皺を深めたが、目的地に到着したことで気が逸れる。
着いたのは―――――墓地だ。
わざわざ鬱々とする天気の足下に出てきたのは、シノが「父の日の墓参りに行く」と白いバラの花束引っ提げアスマの下にやって来たからだった。
心温まる微笑ましいはずの話を聞いたのは、その道中だ。
白いバラの花束は、今でもシノの腕に抱えられている。
はじめは微妙だと思ったシノとバラの組み合わせは、慣れてしまえばそうでもなくなった。
曇天の下、人気の無い墓地は薄気味悪かったが、シノもアスマも気にせずずかずかと墓場に上がり込んだ。
遠慮がないところは、二人の共通点と言えるかもしれない。
常に花が飾られている、三代目火影の墓石の前。
シノはその中に、抱えていた花束を下ろした。
色とりどりの墓前に、一束、白い彩りが加わる。
「……じゃ、帰るぞ」
シノが拝んだのを確認すると、アスマはさっさときびすを返した。
「おい」
その腕を捕まえるシノ。
振り返ったアスマと、シノの視線がぶつかった。
「何だよ」
「俺だけが拝んでも意味がない。今日は父の日だから来たのでしょう」
「お前が行くって言うから付いて来たんじゃねぇか」
「三代目は俺の父親ではない」
「火影は里のみんなの親だろう」
「それならアナタの親でもある。というか実父だろう。父の日は父親に感謝の意を表す日だ。駄々をこねていないで、ちゃんとやれ」
年上の上忍に対して、シノはきっぱり命令口調で言い切った。
「…………」
メンドクセェなぁ…。
アスマは閉口して、心の中で呟いた。
もともとけっこう使っていた言葉だが、更によく使うシカマルの影響で、最近は自分も口癖になりつつある。
「……あのな、」
アスマは身を屈めてシノに目線を合わせると、言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「親父だから、ちゃんとしたくないんだよ」
シノはアスマの言い訳に、一瞬間を空けて……眉を寄せた。
「………どういう意味だ」
「解んねぇか?」
「解らない」
「………」
そうだ、こいつには解らないんだった。
アスマは思い出した。
照れくさいという気持ちを、シノは解っていないのだ。
しかし説明するのも何か嫌だなと思い、アスマは髭を一二度撫で、思案してから言った。
「…いいんだよ、別にちゃんとしなくても。解ってるから、あの人は」
それは、間違ってはいないと思う。
父の日にここへ来た、それだけで察してくれているだろう。あの人なら。
しかしシノは、そうは思わなかったらしい。
「良くはない。なぜなら、気持ちは表さなければ伝わらないからだ」
「………それをお前が言うか」
「俺は、伝えたいことははっきり示している」
「伝えたいことが少ないのな」
「話を逸らすな」
鼻先を突き合わせ、真正面からアスマを見据えて、シノが睨みつける。
そしてふいと振り向くと、墓前に供えた白いバラを一本、手に取った。
無造作に掴んだため棘が刺さったようだが、シノは何事もなかったかのようにアスマにそれを突きつける。
「白いバラの花言葉は『尊敬』だ。そう想う気持ちがあるなら、敬意を示せ。日頃できなかったのなら、今日くらいはちゃんと表せ。そのための父の日だ」
シノは明言したように、確かに伝えたいことははっきりと示してくる。
歯に衣着せず、明確な言葉で。
表情を越えて、内からのオーラで。
何よりも克明に、意識と感覚に訴えてくる。
真面目に怒っているのだと解った。
「………解ったよ」
だからそんなに怒るなと、アスマはシノが突き出している一本の白いバラを摘み上げた。
シノの見張りの下、仕方なしに再び墓石の前に立つ。
そして手にしたバラを墓前に供え、身を屈めた。
ちらと横目でシノを窺えば、お目付け役は腕を組み、仁王立ちしてアスマをしっかり見張っている。
アスマは肩を竦め、視線を墓石に戻した。
「…………」
こういうのは、苦手だ。
口で言いにくいから、人は肩叩き券を用意したり、手紙を書いたりする。
直接は恥ずかしい、照れくさいから、できるだけ間接的に伝えようとする。
しかし、時には。シノの言うように。
一日だけ、年に一度ぐらいは直接、口に出して、言うべきなのかもしれない。
何のお節介か、父の日なんて日が設けられているのだし。
「まあ……なんて言うか…」
勇気を出して。
恥を忍んで。
「感謝…っつーか」
白いバラの花言葉。
「…尊敬、はしてるよ、今も」
ずっと
うん、
「………ありがとう」
ちっ、
やっぱ、柄じゃねぇな
内心毒突いて、空を見上げる。
鉛色の空が重く垂れ込み、ぽつりぽつりと、泣き出した。
「おい、もういいだろ。帰るぞ」
アスマはのらりと立ち上がり、同じように降り出した空を仰いでいたシノに言った。
「お前がグチグチ言ってっから、降ってきちまったじゃねーか」
そう言えば、
「アスマ先生がグズグズしてるからでしょう」
と返ってくる。
「………速く帰るぞ」
言い返すのも面倒だったので、アスマは言うや否や姿を消した。
本当に、速く、帰りたかったのだ。
「………」
シノはアスマが行ってしまった後、一度、三代目火影の墓を返り見た。
そして気持ちお辞儀をし、アスマの後を追った。
残された花々と墓石が、降り出した雨の滴を受けて水玉に染まっていく。
水の粒が、白い花びらの上に落ち、滑って―――
零れた。
※ 続きは裏っぽく、甘め。→