家にたどり着いたシノは、服を脱がされた。
アスマより少し遅れただけだが、多少、雨に濡れてしまったのだ。
洗う必要はないが、干しておいた方が良いだろうと言われて。
そして。
「手、出せ。左手」
と要求された。
掌を上にして出してみれば、棘は抜けているものの、指先には血が滲んでいた。
そういえばバラの棘を刺したのだったなと、シノはそれを見て思い出した。
絆創膏でも貼ってくれるのかと思っていると、手を取られる。
「………」
銜えられた。
「舐めときゃ治るだろ」
「……舐めなくとも治ると思うが」
「あ?……お前、何赤くなってんだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……」
「え…ぁ…いや、ちょっとま…、」





        *





行為の途中、彼は思いついたように「白いバラなら、供えても良いぞ」と言った。
カーネーション(愛)ではなく、白バラ(尊敬)なら良いらしい。
けれど、それはこちらから断った。
「尊敬してないのか」と言われ、
「してないこともないが、それほどでもない」
と答えたら、微妙な顔をされた。

白いバラを供えたくない理由…。
それは、花言葉は色々なものがあり、一つではないからだ。
白いバラには、自分が知る限りでも他に、二つある。
一つは、『純潔』。
心に穢れがなく、清らかなこと。邪念や欲念がなく、潔白なこと。
そして性的に、無垢なこと。
………絶対違う。
それに清廉潔白な人間などいないと、俺は思う。
誰しも何かしらの欲を持って生きている。
あれをしたい、これをしたい、
あれになりたい、これになりたい、
無垢な赤ん坊だって、食欲と睡眠欲の塊で、生きたいと叫んでいる。
愛したい、愛されたいと、人は欲望する。
何が穢れで、何が清いのか、判らない。
純潔など、生命には向かない言葉だと思う。
自分も、自分を抱くこの人も、決して純潔ではあり得ない。
純潔であってほしいとも思わない。望まない。

そしてもう一つは、『私はあなたにふさわしい』だ。
それは…………傲慢だろう。
俺がこの人に相応しいとか、この人が俺に相応しいとか。
そういうことでは、ないだろう。そんなのは願い下げだ。
だから、絶対に。
白いバラは、一輪だって贈らない。
贈られてほしくもない。
たとえ…。
たとえ、それが子どもからの、父への感謝の表れであろうとも。
不幸中の幸いに、俺はあなたが好きだから。
尊敬も、純潔も、相応も。
あなたには面倒臭がってほしいと思う。


「俺は三代目を尊敬しているし、感謝している」
そう言えば、驚いたような顔をした。
嘘ではない。
里の父親として尊敬し。
あなたの父であることに感謝する。
俺は、薄く微笑った。
血の止まった小さな刺し傷が、仄かに熱を帯びている。
恥じることも、照れることも、無駄なことだ。
そして無駄は、省くに限る。

「俺にとっても、父のようなものだからな」


この親不孝者の代わりに。




ありがとうございます、お父さん。












(09/6/21)