※公認設定、二十歳頃のお話です。
変わらぬ想い
「…………来ねぇ……」
昼時。屋根の上に出て寝転がりながら、呟いた。
今日は久々の休日。
ここ一月はAランクやらSランクやら、面倒な任務が立て続けに舞い込んで多忙を極めた。そして漸くもらえた休暇だ。
しかも自分の誕生日。
来いと言わずとも来るだろう…と、思っていたのに。
シノが来る気配は、微塵もなかった。
「奴も任務は無いはずなんだがなぁ……」
呟くと、隣に寝転がっている猫がにゃあと鳴いた。
視線を向ければ耳をピクリと動かしたが、起きたわけではないらしい。
眠り猫は相も変わらず眠り続けている。
さっきのは寝言か。
猫の癖に。
と、心の中で猫に八つ当たりする。
これでは昨日何のために、任務後の疲弊した体を引きずってシノを訪ねたのかわからない。
今日自分が休みだと知らせ、シノの体が空いている事を確認するためではなかったか。
否。知らせたし、確認したのだ。
それは間違いない。その点で抜かりはない。ただ……。
特別、今日来るように言ったわけでも、逢う約束をしたわけでもなかった。
その点は手抜かりだったかもしれないな、と、ごろんと転がって体ごと眠り猫の方を向いた。
擡げた頭を手と腕で支える。
手抜かりではあったが。
来いと言わずとも来るだろう…と、思っていたのだ。
シノとの付き合いはかれこれ7,8年になる。
ただの付き合いがではない。特別な関係としてのお付き合いが、だ。
当初の事はあまりにも恥ずかしいので思い出したくないが、今思えばませガキだった。
付き合い始めたのがサスケ奪還任務の後で、シノが中忍に昇格する前までには初めてを済ませていたから、ませガキもませガキである。
まあそれはともかく。以来の、長くも深い付き合いなのだ。
だから。
来いと言わずとも来ると思ったのだ。
実際、普段から察しの良いシノは、言わずとも意図を汲んでくれる。
チョウジとの違いは、汲んだ意図に従うか否かだ。
チョウジは大抵信頼して従ってくれるが、シノは従うこともあれば反論したり注意を促したりもしてくる。
その辺りはチョウジと違って面倒だが、正論だったり貴重な示唆だったりするので、参考にはなる。面倒なだけだ。
まあそんなわけで、察しの良さに申し分はない。
だから、昨日訪れた時点で今日の話をしているのだと、勘付いていておかしくないのである。気付かない方がおかしい。
シノが誕生日を忘れるとは思えないし、他に予定を入れるとも思えない。もし入れていても、それなら昨日の内に伝えてきただろう。
―――――何かあったか。
すやすやと眠る眠り猫を見つめながら思った。
シカマルが人で賑わう商店街を歩いていると、聞き慣れた、テンションの高い声に呼び止められた。
見れば、馴染みの花屋の前でいのがおーい、と手を振っている。
「なに、どうしたの。シノは?」
寄っていくと、開口一番喜々としてそんなことを訊いてくる。
「………今から迎えに行くとこだよ」
シカマルは無愛想にそう答えた。
するといのはケタケタと笑って、
「何よ、約束すっぽかされたみたいな顔して! 誕生日忘れられたんじゃないんだから!」
と、物の見事に図星のど真ん中を貫いた。
勿論いのは冗談で言ったのだが、押し黙り恨めしげな眼差しを送ってくるシカマルに、はたと笑うのを止める。
「え…なに。まさか…そうなの?!」
「……いいじゃねぇか、どうでも」
投げ遣りに応えるシカマルに、いのは「よくないわよ!」と激昂する。
「何でお前が怒るんだよ」
「そりゃ怒るわよ!! だって、アンタの誕生日忘れたってことは、アタシの誕生日も忘れたってことでしょうがっ!!」
「…………そっちかよ……」
いのの誕生日は、シカマルの次の日だ。
自己愛に満ちたいのの激昂にシカマルは溜め息を吐き、
「ま、つーわけで、俺今暇じゃねーから…」
とその場から逃げようとしたが、ちょっと待ちなさい、といのに襟首を捕まえられる。
何だよ……と目一杯嫌そうな顔で振り向いたシカマルに、いのは花のような満面の笑みで言った。
「せっかく寄ったんだからさ! 何か買ってきなさいよ!」
そんなわけでシカマルは、のろのろと歩を進めながらぶつぶつと悪態を吐いていた。
「――――ったく。何で俺が、自分の誕生日に、花買って行かなきゃなんねーんだよ……」
仕方なしに買ったは買ったが、納得出来ない。
まるで、食虫植物に誘われて捕まった虫みたいだ。
と、シカマルは手に握った花を見て、溜め息を吐いた。
買った(買わせられた)のは桔梗の花。
花言葉は『変わらぬ愛、誠実、従順』………だ、そうだ。
シノにあげればきっと喜ぶわよ~、といのは楽しげに言っていたが、シカマルにはそうは思えなかった。
有り難く受け取りはするだろうし、本当に有り難いと思うのだろうが、喜ぶ…とは思えない。
なんたって、最後に喜ぶシノを見たのはいつだろうかと考えれば、3年ぐらい遡れるのだ。
しかもシカマルが喜ばせたのではなく、確かあれは散歩してる途中、蝉の抜け殻を見つけた時だったはず。
3年前といば17,8。蝉の抜け殻如きで喜ぶ歳でもなかろうに、シノはやけに嬉しそうだった。
またこの時期が来たのだな、と、夏の訪れを喜んでいたのだ。
シノを喜ばせるためには虫ネタは最低限。
しかし虫だからといって、喜ぶとは限らない。
奴の基準は、奴にしか判らないのだ。
と。そんなことを悶々と考えている間にシカマルは、油女家の前に辿り着いていた。
厳つい門の前に怠そうに立ち、シノが出てくるのを待つ。
だが、シノは出てこなかった。
代わりに出てきたのは父親で、シカマルは驚き、慌てて桔梗を背中に隠して背筋を伸ばした。
「あ…ど、ども。…………えっと……」
シカマルが頭を下げると、シビも無言で会釈を返してきた。
そして「シノは」と尋ねると、「出掛けている」という返事が返ってくる。
「どこに行ったか、わかりませんか」
と続けて問えば、
「……どこかへ行ったかはわからない。だが、犬塚君と修行だと言っていたから、恐らく西の森だろう」
と答えられた。
キバと修行……?
シカマルは訝しく思ったが、この場はシビに礼を言ってそそくさと退場した。
どうにも、シノの父親、一族には未だに慣れないのだ。
シノと格好も雰囲気も非常によく似ているし、性格もほとんど変わらない。
だが、何というか……。会うと、とても居心地が悪い。
シノと一緒に居る時は極々自然体でいられるのに、何故か彼の家族相手だとぎこちなくなってしまう。
理由は………多分、罪悪感。
油女一族の大事な跡継ぎに手を出しているという、罪悪感だと思われる。
「…………」
余計、シノに会いたくなった。
自然歩みが速くなり、その内駆け出して、シカマルは西の森へと飛んで行った。
ザワザワと木々がなびく。
枯れ始めた木の葉が、ぱらぱらとシノの周囲を舞った。
張り詰めた空気の中、集中力が極まる。
ガサッ、と、音がしたかと思うと、高速回転した物体がシノ目掛けて突撃してきた。
だが、ぶつかると同時にシノは霧散し、ちりぢりになる。
地面に激突した物体は、岩を砕き地を剔り土を蹴散らして止まった。
えぐった地面の上に、黒衣の忍犬使いが眼光鋭く立ち上がる。
だがすぐに野性染みた笑みをニヤリと浮かべ、
「逃がしゃしねえ」
と、愉しくて愉しくて仕方がないという気持ちを押し殺した様な声で呟いた。
ガサガサガサッと、頭上の枝葉が大きな音を立てる。
落ちてきたのは、シノを捕らえた赤丸だった。
ドッ、と地面に落下したシノは、赤丸の巨体の下敷きになっている。
その光景に、キバは更に口角を上げた。
「昔は、てめぇと蟲分身の区別がつかなかったが、今はもう誤魔化されねーぜ。
俺も赤丸も、蟲じゃない、お前の匂いを嗅ぎ分けられる。観念しな」
「くっ―――!」
シノは藻掻くが、赤丸の体や前脚に押さえ込まれ、逃れる事が出来ない。
暫く藻掻いた後、観念したように大人しくなる。
だが、次の瞬間。
そのシノもまたザワザワと形を崩し、赤丸の下から霧散していった。
「な…バカなっ!」
これも分身であったことに驚き、キバが駆け寄る。
クゥン、とキバを振り返る赤丸の下には、ただ緑色の上着が残されていた。
「分身に上着を――――?!」
着せやがったのか、と最後まで言い終わらぬ内に、キバと赤丸は危険を察知して飛び退いた。
クナイが元居た場所にドスドスと刺さり、そしてキバと赤丸を囲むようにして次々に地に突き刺さった。
「赤丸」
キバはクナイに囲まれたのを見るや赤丸の横に膝を付き、身を寄せ合うようにして次の指示を出した。
湿った地面を確かめる。
と同時に、囲んでいたクナイが霧散して蟲の姿を取り戻し、二人を取り囲んだ。
完全包囲。
上にも横にも逃げ道はない。
静かな緊張感が辺りを包み込む。
空中を漂う蟲達に、指一本動かす事すら、刺激を与えてしまいそうで出来ない。
ここはもう、蟲の縄張りだ。
羽音が聴覚を支配し狂わせる。
だが、その音がふと―――止んだ。
―――――来る!
直感するのと同時、蟲達はキバに、一斉に襲いかかった。
一糸乱れぬ統率で、あっと言う間にキバと赤丸を覆い隠す。
ザワザワと鳴る木の葉の中、シノは遠巻きにその様子を窺っていた。
「……………」
緊張を解くことなく、蟲達と自身を同調させてその動きを漏らさず感じ取る。
勿論、チャクラを吸い取りすぎないよう制御する必要もあった。
だが、どうやらその気遣いは無用のようだ。
蟲は確かにキバと赤丸に取り付いた……かのように見えたが、実体でないことはすぐ判った。
その内に、蟲達の中で分身が煙に帰す。
「……………何処へ行った……?」
逃げ道は無かったはずだ。
それに取り付いてしまえば、瞬身でも通牙でも、逃れる事は出来ない。
蟲たちは、逃しはしない。
考えられるとすれば、取り付く前に脱出したとしか………。
「!」
「もらったあああぁぁぁあぁ!!!!」
上。
しかも後ろから、キバがシノ目掛けて突っ込んできた。
振り向くシノ。
だが、対処する暇は無い。
キバが振り上げた拳を固める。
勝負あり――――とキバは確信した。が。
スカッ。
と、キバの拳は空を掠め、体は宙に浮いた。
「な―――?!」
んで…と驚くキバの目に、枝の上のシノが霧散しているのが映る。
そして、木の幹に擬態していた蟲達が剥がれ、その中からシノの姿が現れるのを見た。
身を蟲に覆わせることで、自分の匂いを誤魔化していたのだ。
キバはチッ、と舌打ちし、空中で体を捻って体勢を立て直した。
だが。
「へっ? お…わ…わわわわわっ」
着くや否や、足場に選んだ枝が途端バキッと折れて―――キバは落ちた。
「勝負……ありだ」
ひっくり返ったキバの額あてをポンと叩いて、シノは言った。
「…………」
物凄く不服そうな顔で、キバが見上げる。
そしてよっ、と体を起こすと、矢っ張り不服だったらしく、
「偶々だ! 偶々っ!!」
とシノに噛み付いた。
「最後にあの枝が折れさえしなけりゃなあ! その顔に一発叩き込んで―――」
だが、勢い込んでの負け犬の遠吠えは、ぐうぅぅ、というキバの腹の虫によって遮られてしまった。
「…………」
「…………飯にするか」
顔を赤くしたキバに、シノが涼しげに言った。
ピチチチと、鳥たちが戯れている。
二人が座る倒木の上には蟻が這い、足下では落ち葉が土に紛れて微生物に分解されつつある。
そんな景色を眺めながら、もっくもっくと握り飯を頬張るキバの隣で、シノはズズズとお茶を啜った。
「んなあ……」
不意にキバに呼びかけられ振り向くと、キバは頬に付いた米粒を親指で取りぺろっと食べてから、
「シカマルと喧嘩でもしたのか?」
と問うてきた。
シノは、眉を寄せた。
「急に何だ」
「だってよ、今日って、シカマルの誕生日だろ? あいつ今里に居るはずだし。一緒に居てやんなくていいのかな~…って」
キバはシノに向かってそう言うと、シノが飲んでいたお茶に目を付けて「あ、俺にもくれ」と手を出してきた。
シノが水筒とコップ兼用のフタを渡すと、コポコポと注いで飲む。
「………それに、お前から修行誘ってくんのも珍しいしよ」
キュッ、と水筒のフタを締めると、それをシノに返しがてらキバは再びシノの方を向いた。
「何かあったかと、思うだろ普通」
キバに見つめられ、シノも見つめ返す。
「……………何も……」
ブブブと翅を鳴らして、トンボが赤丸の鼻先に現れた。
「何もない。喧嘩など、していない」
「じゃあ―――」
「キバ」
「…………」
言葉を遮られ、キバが口を閉ざす。
それ以上何も訊くな――と言われたのだと思ったからだ。
だが違った。
シノは水筒を両手に挟み、それを見つめながら俯き加減でぽつぽつと話し始めた。
「キバ…。お前は、今のシカマルを見てどう思う」
「どう……って?」
「変わったと思うか」
「そりゃ、多少は変わってんじゃねーの? 昔よりはマジメになったみてーだし」
キバはシノが何を言いたのかさっぱり解らないまま応えた。
シノは矢張り水筒を見続けている。
「そうだな…昔、彼奴は将来について『テキトーに忍者をやる』などと呆れるような事を言っていたが、
中忍になってからは多少心を入れ替えたらしい。最近では後輩や将来を担う子供たちのことも真剣に考えているようだ」
「………ふ~ん…」
まだ、キバにはシノの言いたい事が判らない。だんだん焦れったくなってきて、ついには口調を強めて追求した。
「で? 一体、何が言いてーんだよ?」
「……………」
黙ってしまったシノに、キバはタイミングを誤ったかと後悔する。
だが、そうではなかったらしい。
シノは水筒を傍らに置いて立ち上がると、正面に居る赤丸に歩み寄り、徐に人差し指を差し出した。
赤丸の周辺を飛び回っていたトンボが、その指に留まる。
そのトンボをみつめながら、シノは、赤丸に語りかけるように静かに続けた。
「人は変わる。成長し、大人になっていく……否、ならねばならない。今はその段階にあり、そしてこれからは、
より先の将来を見据えなければならない。アイツは里を担い、家を継ぎ、弟子を持ち、立派な忍になる。だから」
初秋の風が吹き、木の葉が舞う。
「………時期が来たのだ」
はらはらと舞い散る木の葉の中、佇むシノの背中を、キバは困惑したような表情で見つめた。そして、頭を掻きながら言い難そうに言う。
「……難しいこたぁよく解らねーが……。お前……シカマルと別れる気か?」
振り返ったシノは、少し寂しそうに……微笑っていた…。
口を噤むしかなかった。
なんと言ったらいいのか判らない。
そんな気遣いなど、欲しくないかもしれない。
そもそも、キバは今シノのした話をちゃんと理解出来ていないのだ。
「……………」
「キバ」
押し黙ったキバにシノが呼びかける。
表情は、無表情に戻っていた。
「ところで……一つ訊きたいのだが」
「ん…? な、何だ…?」
無表情というか、ちょっと怒っているような…。
「お前、蟲に取り囲まれた状態からどうやって脱出した」
「は……?」
問われて、キバははっとし、微妙に頬を引きつらせながら応える。
「あ……ああ…それは、地面に穴掘って…。ほら、昨日の雨で地面柔らかくなってたから」
「ほう…。それにしては汚れていないな」
矢っ張り。とキバは確信した。
間違いなく、怒ってる。
「そ…それは……その…」
「この、赤丸が隠しているのは何だ」
「……………」
困ったような顔で主人であるキバを見つめる赤丸。
その腹の下から見えるのは、緑色の上着。しかも、端だけ見ても汚れて泥だらけだ。
キバは、上も横もダメなら下からだと、地面に潜って脱出していたのだ。
そしてその際、シノの上着を泥除けに使ったのである。
大量の蟲が湧き、犬使いの悲鳴が響く中、トンボが一匹空へと飛んでいった。
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