―――――――聞こえてしまった。

『……難しいこたぁよく解らねーが……。お前……シカマルと別れる気か?』

一体、何だというんだ。
変わる……? 成長……? 大人……?
確かに、自分の考え方は忍になった頃から随分変わった。
中忍になって初めて任された任務に失敗して、色んな面倒臭い仕事を押し付けられて、中忍試験の試験管させられて、
………アスマが死んで………。
俺の人生観は大きく変わった。
カッコイイ大人になりたいとも言った。
ガキ共の教育に興味も持った。
でも。
だからって。
変わらないものだってあるだろ?
めんどくさがりだって、口の悪さだって、趣味だって、嫌いなもんだって、好きなもんだって、何にも変わっちゃいない。
それなのにどうして。

――――別れる気か?

どうして………そうなるんだ……。



シカマルは、ベッドにもたれたまま数時間、同じ事を煩悶した。
開け放した窓から風が吹き込み、カーテンが翻る。外は既に夜。
何度も何度も繰り返し考えている内に何を考えているのかもわからなくなって、気が付くと放心したようにじっとしていた。
電気も点けていない部屋の中、薄ぼんやりとした視界に将棋盤が見える。
よく、将棋を指した。
シノに勝てるものといったら将棋ぐらいしかなくて、事ある毎に誘った。
真剣に悩む顔を見るのが楽しくて。
負けた時の、ふて腐れたような顔に心が浮き立って。
――――でも、シノはきっと面白くなかったろうな。と思う。
負けるのは愉快じゃないだろうし、それがいつもじゃ不愉快だろう。
シノが将棋を指して笑ったことは一度も無かった。
楽しそうに……嬉しそうに……笑ったのは、矢っ張り3年ぐらい前の、あの蝉の抜け殻だ。
この時期が来たのだな、と言って喜んでいた。

――――時期が来たのだ…。

シノの声がふと甦ってきた。
同じ「時期が来た」と言うのに、全然違う。
違うのだろうか?
蝉が脱皮して成虫になるのと、自分たちが大人になるとのは、そんなに違う事なんだろうか?
いや、違うんだろうが……それにしたって、どっちも喜んではいけないのか?
大人になって、強くなって、そうしたら大切な人を守れるようになる。
受け継いだ、火の意志を、もっとちゃんと貫く事ができる。
大人になるということは、そういうことではないのか?
ナルトじゃないが……大人というのは、決して何かを犠牲にしてなるものではないと思う。
きれい事だろうが何だろうが、そう思う。思いたい。
自分は、シノと別れなくったって大人になれる。
シノに至っては、自分などより既によっぽど大人じゃないか。


―――――別れる必要なんて…。

「シカマル」


一瞬。
心臓が止まった。
ゆっくりと振り向く。
居て欲しいのか居て欲しくないのか、判らなかった。けれど。
シノは――矢張りそこにいた。
夜が見える窓に。翻るカーテンの、中に。
シノが居た。

「今日は、すまない」
聞きたくない。
「色々と、考えたい事があって」
聞きたくない。
「シカマル。俺は――」
窓辺に居るシノの腕を取り、部屋に引きずり込んで布団に押し倒した。
それ以上しゃべらせないように口を塞ぐ。
聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくな―――。
「っ、シカマル!」
押さえ付けてくるシカマルをシノが引き剥がし、一喝する。
その声に触発されて、ついにシカマルは叫んだ。
「うるせえ! 俺はぜってー別れたりしねぇぞ!!」
シノが驚いたように息を呑む。
「………お前……」
その反応に、シカマルははっと我に返って力を抜いた。
頭に上っていた血が一気に下がる。
そして、悲しくなった。
いっそ「何を言っている」とバカにされ、嘲笑ってもらった方がどんなに良かったか。
しかしシノの反応は、シカマルの勘違いでないことを決定付けるものでしかなかった。
シノが静かに、ゆっくりと息を吐く。
何か言う前触れだと直感し、防ごうと思ったがダメだった。
きっと情け無い顔をしていたに違いない。
顔を優しく掌で包まれて…。

「知っているなら、話は早い。シカマル……本当に申し訳ないと思うが……別れてほしい」

淡々と、はっきりと、シノは言った。
「わけわかんねーよ……そんな必要、ねーだろ…。ねぇよ。俺は、お前と一緒にいる将来を考えてんだ。
お前と一緒に里を担って、家も継いで、弟子育てて、カッコイイ大人になる。できるさ。できるだろ? 別れる必要なんてどこにもねぇ…」
シカマルは食い下がったが、シノに「ある」と断言されて黙った。
シノは、下からシカマルを仰ぎながら、シカマルの頬を撫で、辛そうな顔をして言った。
「………お前には、無いのかもしれない…。だが、俺にはある」
「……何…」
「……………子どもが……必要だ」
「………え…?」
シノの言葉に、シカマルが言葉を失う。
「なん……」
「知っているだろう。油女一族の秘伝は、『子が生まれなければ伝えられない』んだ」
何を……言っているんだ。何を今更。
そんなことは。
「そんなこたぁ、最初っからわかってたことじゃねーか!!」
シカマルは叫んだ。叫んで、気付いた。
そうだ。最初からわかっていたことだ。
わかっていたことじゃないか……。
それなのに、考えなかった。考えたくなかったからだ。
「シカマル……わかったろう。俺はお前の将来のために別れよう、などと殊勝な事を言っているのではない。
俺は、俺の将来のために言っている」
声は冷静だが、そう告げるシノは本当に辛そうだった。
自分のことで一杯だった頭から、どんどんと傲慢な自分が抜けていく。
シノにはシノの、生き方があるのだ。
そして自分は、その生き方に力を貸す事ができないのだ。
シノは、大人になろうとしているのだ。
大人になるということはどういうことだった?
大切なものを守れるようになることだ。受け継いだ意志を貫けるようになることだ。
シノにはシノの守りたいものがあって、受け継いだ意志があるんだ。
そのためには…………犠牲にしなければ、いけないのか…。

ふわり、と抱き締められる。そしてぎゅっと、抱き締められた。
「俺は、お前がどんどん成長して、大人になっていくことに不安を抱き、焦りを覚えた。
自分はこのままでいいのか。自分のすべき事は何なのか。お前は大人になっていく。だから……俺も…」
「もう………いいよ…シノ。……もう」
わかったから。
「…………」
すまない、とシノは言ったようだった。
でも声にならず、ただきつく抱き締めてくる。
最後の夜。
俺は、そんなシノを、いつもより少しだけ、強く抱いた。






目が覚めると、トンボが飛んでいた。まだ陽は高いが、初秋の風は少し肌寒い。
それにしては温かいなと思えば、それは人の体温だった。
「起きたか、シカマル」
「???」
自分の状況がつかめなくて暫く呆ける。そして状況を知って、呆然とした。
俺は、シノの膝を枕にして寝ていた。しかも上着を被せられている。
これは、何なのだろう。
現実?
では、さっきのは夢ということになるのか。
夢……?
そう言えば、自分は何を見ていたのだろう?
「何だ……怖い夢でも見たのか…?」
シノが真顔でそんなことを訊いてきて、俺の頭を撫でる。
夢……。
そう…。
怖い………夢だったのだ。

俺は、シノの懐に顔を埋めて抱き付いた。
「ああ…。すげー怖い夢だった。…………お前、来るの遅すぎ」
子どものように懐く俺を、シノがあやしながら応える。
「すまん。来る途中で紅先生に遭ってな。子どもの相手をさせられた」
「……断れよ」
「アンコさんと仕事の話があったのだ。断れん」
「…………」
そうだ。シノは絶対仕事を優先させる人間だ。
忍という生業に全てを賭け、捧げている。
シノは死ぬまで忍を辞めないんだろう。
油女一族は忍として生まれ、忍として死ぬ。
それを誇りにしている。
だから、シノが油女一族を辞めることも無い。
親父はシノを嫁に…なんて巫山戯た事をぬかしていたが、それは有り得ないだろう。
有り得ない……んだろうな。

「なあシノ」
何故か急に、不安になった。
ん?と俺の頭を撫でながら、シノが首を傾げて俺を見る。
俺は上体を起こし捻って、上目遣いに見遣りながら訊いた。

「お前、この先もずっと………一緒に居てくれるか…?」
きっと、情け無い顔をしていたに違いない。
頬を優しく掌で包まれて…。
低く、優しいその声で、シノは言った。

「俺は、お前のためなら命を賭してもかまわない。この身を捧げることも厭わない。誇りすら、惜しくはない。
お前がそれを望むのなら………ずっと傍にいてやる」


「―――――っ、」
お前それ反則……と俺が熱くなった顔で呻くと、シノはフッと微笑って…。
「そして、お前が老衰で逝くのを見届けてやろう」
と言った。
ああ…こんな風に笑ってくれるんだ。
そんな事を思いながらも、俺はまだ不安で、確かめるように再びシノの懐に顔を埋めた。
温かい。
シノの温もりが伝わってくる。
多分、外で寝ていたため体が冷えていたんだろう。
厚手の衣が柔らかくて心地良い。
足先で何かもぞもぞすると思ったら、掛けられたシノの上着の下から、大欠伸をする猫が出てきた。
いつの間に移動したのか、潜り込んでいたのだ。
どんなだったか忘れたが、あんな夢を見たのはきっとコイツのせいだろう。
と、猫に責任を押し付けてみる。そうしたら不思議と不安が薄れた。
でもまだだ。
一緒に居てくれるという保証が欲しい。
幸運な事に今日は誕生日だ。
いっそ誓約書でも書かせるか。
「今日はやけに甘えてくるな……そんなに怖い夢だったのか?」
シノが、再び頭を撫でてくる。
昔結んでやったミサンガは大分前に切れてしまって、もうその腕には無かった。
自分のも同じ。そうだろう。どんな物でもいつかは壊れる。
お揃いの物が欲しいと言うシノに贈った物だった。そう言えばその時、考えたが結局贈れなかったものがある。
―――――指輪。
誓約書よりは幾分も良い。
でも矢っ張り………。

「シカマル」

悶々と考えていると、シノが呼んだ。
そして「これはプレゼントではなく、遅れた侘びだが…」と言って、生けてあったのだろう、
部屋の中から一本の花を蟲に取ってこさせ、俺の前に差し出した。

ああ……。
「来る途中いのの店に寄ってな」
仄かな笑みを浮かべて、シノが差し出してきたのは…

桔梗だった。
「花言葉は―――」
「………知ってる」
シノの科白を遮って、俺は言った。
桔梗の花言葉は、従順。誠実。そして。…………変わらぬ愛、だ。

「シノ……」
「ん?」
「これからも、よろしくな」
「…………ああ…」

大人になっても。


ずっと。






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あとがき
シカマル!ハッピーバースディ!!
夢オチ多くてゴメンナサイ!
でもね、最近成長目覚ましい君を見てると、どうにも不安になるのです。
大人になっていくんだな……どんどん変わっていっちゃうんだな…って。
でも、シカマルはシカマルであってほしいし、そうなんだろうなとも思うのです。
みんな色んな事が変わっていくけれど、変わらないものもあるのだと…。
思いたいんです!
そんな私的な感情と希望をぎゅうぎゅうと押し込んでみたら、こんなことになりました(笑)
無意味に長い…。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
でも多分、一番書きたかったのは「…お前がそれを望むのなら………ずっと傍にいてやる」
と、決め台詞を吐くシノです…!

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みんなシノの虜になればいいさ!












(08/9/22)