※誕生日ネタですが、病気ネタでシリアスです。




夜の帷が降りた頃、普段は寝静まったように静かな邸内に、大きな産声が弾けた。
極力明かりの入らないよう施された暗い室内で、誕生したばかりの赤子を取り囲む術式が、四辺に置かれた行灯の灯に浮かび上がる。
その炎影に映しだされた大きな影の手が、唯一無二の印を組む。
そして人差し指と中指が泣き叫ぶ赤子の胸に当てられると、術式が蜷局を巻いてその指下にずるずると這い上がっていく。
痛みを伴うのか、赤子の泣き声が火の点いた様に一際大きくなった。
術式が完全に指下に潜り込めば、一瞬式が浮かび上がった後、跡形もなく消えていく。
術者は必死に泣き喚く赤子を抱き抱えると、静かに、されど深い響きをもって告げた。
「シノ…。お前は、蟲使い油女一族の末裔、油女シノだ」
赤子の胸元から這い出してきた数匹の蟲の影が、行灯の陽炎にゆらめいた。


朱灯

Scene1.冷たい夜と、その朝

はっと目を覚まし起き上がったシノは、ひんやりと冷たい空気と寝静まった世界に一時呆けた。
瞬きを繰り返し徐に視線を彷徨わせれば、ベッドですやすやと寝入るキバの姿を上の方に見つけ、
ビデオデッキに表示されるデジタル時計に目を向ければ、丁度0:00と点いていて、ああ夢かと、漸く現実味を取り戻した。
はあ…と詰めていた息を吐き、片手で頭を押さえる。
妙にリアルは夢ではあったが、自身の記憶であるはずはない。
とは言えあんな夢を見る理由は火を見るよりも明らかで、気が滅入った。
頭皮や顔に触れるひどく冷たいであろう手に、しかしそうとは感じない。
そっと離して見つめた先には、暗闇に浮かぶ青白いいつも通りの手があるだけだ。
暫し目を閉じて気を落ち着かせたシノは、うっすらと開いた目を眇めて、再びベッドの上に見えるキバの寝顔を見た。
ヒナタを招いての宴から半月程が経った今も、シノはこうして度々キバの部屋に厄介になっている。
しかし、ベッドを共有したのは酔った二度の時だけで、その他は床で寝ていた。
一緒に寝る事に対して別に気にしないとキバは言っていたが、やはり二人では狭いし、シノにとっては都合が悪かったからだ。
そして薄手の敷き布団と毛布を貸してもらったが、ついでに湯たんぽも貸してやるよという申し出は断った。
再び視線を下ろし、自身の手を見る。湯たんぽなど、最早熱すぎて触れられはしない。
昨年の今頃から兆候が現れ始めた、この異変。
症状は、慢性の低体温症。それ程大した病ではなさそうだが、シノの場合、低体温の上に僅かな発熱も蟲に奪われてしまう。
また、熱はエネルギーであり、チャクラの源でもあって、それが減少するということは、チャクラを蟲に与え続ける契約をしている
シノにとっては致命傷と成り得るという、特異体質による不具合が生じていた。
とは言っても当初は、すぐに治るものと思った。
事実、普通ならば自律神経のはたらきにより自然に治る程度のものである。
しかし、症状は治るどころか悪化の一途を辿っている。
昨年の春には体重の著しい減少、不眠症などが併発し、8班の同窓会を堺に体温も更に低下し始め、
今ではお茶の茶碗を素手で持てば火傷する程だ。飲むなど、言語道断。
同窓会の夜は気付かれなかった様だが、今介抱などされたら確実に気付かれてしまうだろう。
見合いの話を持ち出されるようになったのは夏頃の事で、突っぱねはしたが、年寄り達の意向が解らないわけではなかった。
油女一族は、跡継ぎに困窮している。
理由は、言うまでもなく蟲であろう。
忌み嫌われる蟲や虫に囲まれて生活したいと思う人間はやたらといるわけではないし、
子供にその蟲を寄生させるとなるとますます希。しかも女性となれば、尚のこと。
だから、待望の末子である自分が生命の危機に瀕す前にと考えるのは、当然だ。
けれど、いくら一族のためとは言え、そう易々と受けるわけにはいかない。
相手に対しても、そして、生まれる子供に対しても、責任は重大。
焦りは禁物であるし、父親もその必要はまだ無いと進言してくれた。
……だが、焦りを感じないわけではない。
あの日。キバと、夜街で出会したあの日。
ついに綱手からの辞令がサクラによって届けられた。
戦闘において、蟲を使ってはならないという禁止辞令。
情報収集や偵察はまだ許されているが、チャクラ消費の激しい戦闘で蟲を使う事を禁じられた。
蟲に戦闘の殆どを委ねる蟲使いとして、その辞令は流石のシノにとっても酷だった。
その日の任務は、蟲を使っていれば浴びることのない返り血を多少浴びてしまったくらいで特に問題は無かったが。焦るなという方が無理な話である。
「…………そろそろ、潮時……か…」
そう呟いて、僅かに眉を寄せたシノは、その手で胸倉を握り締めた。
結局、その後一睡もできなかった。



「んじゃ、いってくるわ」
「ああ」
サンダルをきっちり履き込み、軽やかに立ち上がったキバがノリ良くシノを振り返って言った。
シノがキバの部屋を使う様になってから、このように一方が一方を見送ることがままあり、この日はキバの早朝出勤をシノが送り出す番であった。
だがキバの任務内容はシノの知るところではないし、尋ねる事でもない。
「尽力してこい」
とだけいつものように偉そうに激励するシノに、キバは苦笑を浮かべた。
いつもはその激励を受けたら出掛けるのだが、この日は苦笑を浮かべた後、
「お前は、明日からだっけ?」
と話を続ける。
シノが明日から任務に出る事は、いつだったか聞いた覚えがあった。
「そうだ」
「じゃあ、今日中に帰って来なきゃな」
「……?」
キバの台詞に、不思議そうに眉を寄せるシノ。
そんなシノにニッと笑顔を向けたキバは言った。
「だって今日、お前の誕生日だろ?」
「………覚えていたのか…」
「当たり前だろ。祝杯あげようぜ、酒盛り酒盛り!」
「………いらん」
ますます眉を寄せたシノに、キバは「冗談冗談」と笑って「じゃ、行ってくる」とドアを開けて出掛けていった。
赤丸を呼ぶ声と掛け声が遠くに聞こえて、だがそれもすぐになくなった。
「………誕生日か……」
それも今朝の夢の原因であろうか。
そんな事を思いつつ、シノは踵を返して、自分も出掛ける支度を始めた。




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