Scene1.
その翌日。快眠から目覚めた蒼眼の青年は、快晴の下鉢巻きの如く額当てを締め、気合いも新たに街へと飛び出す。
「よっしゃ! 今日も張り切っていくってばよ!」
うずまきナルトは、朝っぱらから元気であった。
対して、朝も早よから難しい顔をしているのは、奈良シカマルその人だ。
昨夜サクラに渡されたシノの検査結果報告書を徹夜で読み、あれこれ考えていたらもう朝である。
しかもそれを返すため、今日の昼に会う約束まで取り付けられているのだから何かもう……まあいいのだが。
サクラもサクラで、殆ど暗記したと言うのだから流石というか、相変わらずの記憶力だ。
しかしそれでも、手元に置いておきたいのだろう。綱手は綱手で一部持っているらしいが、そうそうコピーしていいものでもないし、
サクラにとっては自身で所持できる貴重な資料だ。
それが当然のように自分に回ってくるのもおかしな話だが、まあ、事情を知ったからには手伝えという事だろう。
(……面倒っちゃ面倒だけど、放っておくワケにはいかないしなぁ)
足を投げ出しゴロンと仰向けに寝転がれば、ベッド越しに見えるカーテンの隙間から射し込む日差しが鬱陶しい程眩しくて渋面を作る。
昨夜来たサクラの話では、検査結果を踏まえシビさんとも話し合い、一週間後に寄壊蟲との契約を解除する術を行うと決定したという。
一年近い経過から見て不安定さは拭えず、これといった打開策も見付からない現状に加え油女一族の意向もあって、その判断は妥当と言わざるを得ない。
シカマルにしても、一昨日の深夜に父親伝手で蟲が原因らしいと聞くより以前から、それが最もベストな方法になるのではないかと予想はしていたが、
実際そうなってしまうと、やはり良い心地はしなかった。
それに――――。
サクラの言葉を思い出す。
『蟲との契約を解いたら、日常生活にも支障を来す程の後遺症が残るの。シノは―――忍ではいられない』
その結果は、予想していたよりずっと、酷なものだった。
しかもその上で、その方法では根本的な原因も解決法も何も分からないまま、正体不明の不安感だけが残ってしまう。
(………まだ何か、あるはずだ)
見落としている何か。見逃している何か。決定したとは言えまだ時間はあるのだ。悪足掻きになったとしても、何もしないよりはマシだろう。
そう思い報告書の内容を思い返しては頭を巡らせるものの、中途半端な眠気と怠惰が邪魔をする。
ちょっと寝るかどうするか考えた末に、シカマルは折角天気も良さそうだしと、サクラとの待ち合わせ場所である屋上へ行くことにした。
時間にはだいぶ早いが、寝られる所もあるし、部屋の中で悶々としているよりは外で空でも眺めながらの方が良い考えが浮かびそうだ。
そもそもサクラとの会合を屋上にしたのも、そうした理由からである。
どうせ会ったら報告書の返却だけでなく、そのまま話し合いになるのだろうからと、陰気な室内は止めにした。
話を聞かれるリスクは室内でも大差はないし、寧ろ開けっ広げな屋外は人が居れば気付きやすく見付けやすい。
何よりシノの事は、公にしていないだけで隠さなければいけないという訳ではないのだ。
最低限の配慮は必要だが、あまり秘匿し過ぎるのもあらぬ憶測を呼びかねないし、
どう転んでもシノや油女の不調はその内知られることになるのだから、あまり気を揉んでも仕方ないだろう。
ただ検査結果の資料については、寄壊蟲に関する機密事項等もあるため気を付けなければならないだろうが……。
(やっぱ、そこがネックだよなぁ…)
シカマルは屋上へ向かう道中、心中でぼやいた。
実はサクラに渡された資料は全部ではなく、そうした機密事項に触れる頁を除いた、一部分なのである。
まあ、当然と言えば当然だろう。本来ならば一族以外の者が目にするなどまず有り得ない、門外不出のデータだ。
いくら事情を知り協力する立場にあるとは言え、シカマルに見せる訳にはいくまい。
それに関しては昨晩サクラも謝っていたが、その分サクラが読み込んでくるのだから、分担したと思えば良い。それを示し合わせるための話し合いだ。
――――――と、言ったものの。
やはり情報が欠けているのは、痛手だった。
話し合いで情報を合わせたとしても、あまり詳細を聞くわけにはいかないし。
(寄壊蟲に問題がありそうだしなぁ……まあ、シノの方にある可能性も捨て切れねぇけど)
シカマルに渡された分の報告書には、病状とその経過、データは抜かれていたもののそれを基にしたらしい考察等が事細かに書かれていた。
それを読むに油女一族の方でも、シノの症状は蟲の異変により引き起こされているものと見ているようだ。
しかしそれは、飽くまで認識している症状…低体温や睡眠障害の原因であって、その蟲の異変の根本原因がどこにあるのか…シノか、蟲か、はたまた別の何かかは、分かっていない。
(確か蟲の方の異状は、熱に対する過剰反応と言語障害、だったか。……蟲の言語ってなんだよ。ん?)
そんな事をつらつら考えながら目的地に向かい階段を上っていくと、そこには既に先客が居て思わず足を止める。
すると先方もシカマルの気配に気付いたらしく、まだ朝の清々しさ残る空を仰いでいた顔をシカマルに向けた。
「あら、どうしたの? 約束の時間にはまだ早いわよ?」
「よお…お前こそ、早いじゃねぇか、サクラ」
そこに居たのは、昼にここで落ち合うはずのサクラであった。
聞けばシカマルと同じような理由で、良い陽気だから気分転換も兼ねて来たらしい。
「あんたの言う通り、やっぱり外の方がマシね。部屋だと気が滅入っちゃって」
そう言って肩を竦めてみせるサクラは、流石女性と言うべきか、シャワーだけざっと浴びて出て来たシカマルの大雑把な身支度と違って、髪も服もずっときちんとしている。
それでも、その顔には多少の疲れの色が覗えた。
「…だよな」
シカマルが歩み寄るとサクラが座る位置をずらし場所を開けてくれたので、そこに腰掛ける。
そこから見える風景は、子どもの頃に見ていた景色から随分変わってしまったけれども、里は里のまま、その色合いは不思議と変わっていない。
木の葉が散ろうと、森が森であるように。積み重なった落ち葉が、森を森として生かし続けている――。
「「で、どうだった?」」
互いの言葉が重なって、同時に目を瞠る。そしてどちらともなく笑を漏らして、少しばかり気を緩めた。
「こっちは、特には何も。検査内容にもその結果データにも、問題は無かったし」
シカマルがゴロンと寝転がったのを見て、サクラの方が口火を切る。サクラの簡単な考察は昨晩既に述べられていたが、詳細な部分の把握には至っていなかった。
中でも秘伝に関する部分については、隠蔽工作は無いにせよ、何かしら誤魔化されているかもしれないと懸念していたものの、どうやらそうした意図も見受けられなかったらしい。
「情報開示をけっこう渋ってたからどうなるかと思ったけど、文句の付けようも無かったわ」
「…ま、油女だしなぁ」
「それは、そうなんだけどね」
本気で隠そうと思えば隠せるのだろうが、火影にも見せる報告書だ、小細工をするとは思えない。
サクラとしても、注意するに越した事は無いというだけで、本気で疑っていた訳ではないだろう。
油女というのは、それだけの信頼を築いてきた一族だ。
「でも結局、これといった手掛かりは無し。データはかなり詳細だったんだけど……あとそれから、ここに来る前に、紅先生の所へ行ってきたわ」
一週間後…正確には6日後に施術する事を伝えて来たと、サクラは言った。
昨夜も尋ねたらしいが居なかったらしく、また明日行ってみると言っていたが……そうか、とシカマルは寝転がったまま視線だけサクラに向ける。
「何だって?」
「分かった、て。それでどうなるかもシビさんに聞いて知ってて、思ったよりずっと、落ち着いてた。キバ達にも折を見て話すって」
「…………そうか」
サクラの返事に応えを返して、シカマルは再び空に目を遣った。
紅先生が大丈夫そうなのは、良かった。キバ達の均衡がどれ程崩れるかは判らないが、あの人が鎹(かすがい)になるなら心配要らないだろう。
なら今はそれよりも。
「こっちもイマイチだ。一応二三、手は考えてみたけどな」
「本当?!」
「まあ、一応な。でもまずは、状況の確認と整理をしようぜ」
シカマルが言うとサクラは頷き、横に置いていた鞄からファイルを取り出す。
予定より早い展開に眠る流れではなくなってしまったが、どうやら眠気も収まったらしいのでシカマルの方も起き上がり、書類の入った封筒をサクラに返した。
「まず第一の課題は、蟲の異変の原因を突き止める事だ。これが分からない以上、対処の仕様がねぇ」
シカマルの言葉にサクラも同意を示して、話を継ぐ。
「その蟲の異変の一つが、熱に対する過剰反応。熱の過剰摂取を、蟲達は有益と捉え実行しているのに、実際は低体温症等の弊害を起こしている…」
「そして言語障害……シノとの意思疎通がうまくいかなくなっている、か」
「ええ、大きく分けてその二つ。シノの低体温なんかの症状が出始めたのが去年の1月頃だから、蟲の方もその頃から異常をきたしていたと考えられるけど」
「一ヶ月前…精密検査する前まで、お前の方では原因不明だったよな?」
俺が偶然知っちまった時、と言えばサクラは少し微妙な面持ちで言葉を濁した。
「そう…。一応ね、蟲に原因がある可能性はもちろん、考えてはいたんだけど、それは専門の油女一族に任せてたの。まあ…その報告がなかなか来なかったワケなんだけどね」
借りた資料の中には、一ヶ月間の検査結果とは別にまとめられた書類も有り、それは主にサクラが診てきた一年に亘るシノの体調の経過を記したものであったが、
どうやら同じように寄壊蟲の状態を記録したものもあるらしく、それは当然、油女の方で書かれたのだろう。
つまり油女一族は蟲の、サクラはそれ以外の原因を、それぞれの方向から約一年かけて探ってきたという事だ。
「でも報告が無かったのは、報告するだけのデータが得られなかったからみたい。見たところ、蟲が原因と言い切れるような変動は、今年に入ってから顕著になったようだし」
「症状が現れ始めたのも1月だよな、何かあんのか…? まあ、とにかくシノの症状の原因が蟲にあるのは違いねぇ。
で、その蟲の異状だが、確か正常な蟲を入れても数日で同じようになっちまうんだよな?」
「そう。だから、シノに問題があるとも…思われるんだけど、蟲の仕業で起きている症状以外には、特に異常は見られないのよ」
「そこで詰まる…か。見つけられていない問題がシノにあるのか、それともまた別のところにあるのか…」
うーんと唸ってシカマルはサクラの手元にある資料を見、目を細める。
そこには確かに多くの検査と考査によって得られた膨大な情報があり、考察する為には間違いなく必要なデータではあるが、それでもまだ『欠け』があるような気がしてならない。
自分たちが見落としているというよりも、肝心な部分をまだ見付けられていないのだ。何か、まだ、目に見えない部分。データとして、文字にも数値にも、表せない部分に――。
「ねえ、それで、」
「サクラちゃん! シカマル!」
難しい顔をしたシカマルにサクラが何か言いかけたが、その時、それを遮って遠くから無駄に元気な声が掛けられた。
「二人して何してんだってばよ。まさかデー」
「違うに決まってるでしょ、バカナルト!」
離れたところからシカマル達を見付けやってきたのは、ナルトであった。
あっと言う間に二人のいる屋上に到着すると何やら慌てふためいたように言いかけたが、今度はサクラによってピシャリと遮られる。
「……なんか前にもこんな遣り取り無かったか」
シカマルはシカマルで、突如として現れたナルトの騒々しさに気の抜けたような声を上げた。本当に、良くも悪くも空気をぶち壊してくれる奴だ。
しかも「患者の事で相談してただけだから、あんたは帰んなさい」とナルトを追い払おうとするサクラの言葉に、「患者?」と小首を傾げると、何を思い付いたのか「おお!」と言ってポンと手を打つ。
一体何だとサクラとシカマルが見遣る先で、ナルトはあっけらかんとして言った。
「サクラちゃん達に相談すればいいんじゃねーか」
「何? 具合でも悪いの?」
「いや俺じゃなくて、シノがさ…」
「「え?」」
思い掛けないナルトの言葉に、シカマルとサクラは再び同時に、声を発していた。
サラサラと梳く櫛を通した髪を整えて、寝癖などが残っていないか鏡台を覗きこんで確認すると、日向ヒナタはほぅと一つ息を吐く。
昨日の騒動が夢のような良い日和に、一体何の悪戯か、憧れの人と会う事になっているのだ。
その理由は決して喜べたものではないが、それでもこの僥倖(ぎょうこう)に浮かれる胸は止まず、どうにも複雑な心境にまた一つ零れる溜息。
(ああ、ダメ。しっかりしなきゃ)
そんな自身の頬をぺしぺしと叩いて、姿を映し出す鏡に向かってヒナタは気を引き締めた。
結局一晩経った今も、自分がシノに出来る事は見当たらず、事態を好転させるような案も無い。
ナルトが一緒に考えようと言ってくれたのは純粋に想っての事なのだから、私がこんな様では寝癖などよりずっと合わせる顔が無いではないか。
そんな風にヒナタが自身を叱責していると、微かにこちらへやって来る気配があり、障子戸に薄い影が差す。
「ヒナタ様」
と掛けられた声はネジのもので、慌てて返事をして向かうと、失礼しますという言葉と共に戸が開かれた。
「…お出掛けですか。任務‥ではない様ですが」
「は、はい」
すると、座して出迎えたヒナタに落ち着かない様子を見て取ったのか、訝しげな面持ちで尋ねられ、ヒナタは思わず居住まいを正す。
自分が一見して判るほど挙動不審だったかもしれないと思うと気恥ずかしく、僅かに目を伏せながら、それにしても相変わらず聡い人だと心中で感嘆する。
ネジ兄さんならば何か良い案を思い付くのではとふと思い、けれどシノの事を話すべきか躊躇した末に、ヒナタは結局たどたどしく――挙動不審と言えなくもない様子で――尋ねてみた。
「ヒナタさ」
「あ…あの、例えばなんですが」
「え? はい」
言いかけた声を勢い余って遮った唐突なヒナタの言葉に、少しばかり驚いたらしくネジが目を瞠る。
しかしヒナタは気が付かなかったらしく、熱心に言葉を紡いで話を続けた。
「友達と喧嘩してしまって、でも、なかなか会いには行き辛くて…、会えたとしてもこう、うまく話せないような……。そんな時、どうしたら良いかな、と」
「………つまり、直接会わず、且つより正確に思っている事を伝えたい…と言うことですか」
「ええと…そう、ですね」
覚束ない話をネジが簡潔にまとめてみれば、随分と都合の良い望みに聞こえてヒナタは若干後悔した。
シノの病の方は自分ではどうにか出来そうもないし、ネジだって専門外だろうからせめて余計な仲違いは解消できないかと思ったのだが、それもなかなかに難しい気がしてくる。
しかしそんなヒナタの心痛をよそに、「それなら、こういった方法はどうでしょう」とネジは冷静に言うとスッと何かを差し出してきた。
「これは……手紙?」
「ハナビ様からです。俺はこれを届けに来たんですよ」
「あ。…ごめんなさい、ありがとうございます」
差し出されたのは白い封筒で、受け取って見れば確かにハナビからの手紙であった。
ハナビは現在、家人の用事の付き添いで遠方に赴いており、内容は用事が済んだので帰る旨とヒナタ達の無事を伺う簡素なものだったが、
封書には出掛け先で摘んだのだろう、黄色い花の押し花が添えられていた。
それは何より雄弁にハナビの心を表しているようで、ヒナタは顔を綻ばせる。
(ハナビ、元気そうで良かった。それに…そうか、こういう伝え方もあるんだ)
そう思うと一層嬉しくなって、「ありがとうございます」と再びネジにお礼を言うと、「いえ…」と慎みつつもヒナタのそのあからさまな様子にちょっと微笑った。
それにはにかみながら微笑み返し、帰ってきたらハナビにもお礼をしなければと思う。
きっと訳が分からないと不思議そうな顔をするのだろうけれど、それはそれで想像すると心温まる、何とも素朴で幸せな光景だ。
ハナビが帰ってくる頃どんな状況になっているかは予想できないが、出来るだけ、そんな幸せを享受できるように。
少しでも、良いと思える方向へ―――。
「では、俺はこれで、」
『ヒぃ~ナタぁ~~~!!!』
穏やかな空気の中、そろそろと場を辞そうとしたネジの言葉が、突如聞こえてきた大きく無遠慮な呼び声に遮られる。
ヒナタは驚いて声のした門の方を見遣ると、まさかの声の主の名を口にしていた。
「な…ナルト君?!」
その時同じように声の方を向いていたネジの顔が顰められたことは、知る由もない。
「ナルト」
「おう、ネジ。それにヒナタも」
邸内から出て来たネジとヒナタに、やはり思った通りのナルトが明るく軽く挨拶をする。
その態度にネジが小さく息を吐いて、
「おうじゃない。お前、もう少し静かに来れないのか。何だあの呼び出し方は」
と苦言を呈すも、ナルトはどこ吹く風。
「えー? いいじゃねぇか。呼べば聞こえんだから。なぁ」
別にいいよな?とヒナタに同意を求めるものだから困ったものだ。
「あ…う、うん…。あのえっと、それより、どうしたのナルト君。………その、」
唐突に話を振られたヒナタは頷きながらも、場の空気から何とか話題を変えようとしたもののネジの手前「約束」だの「待ち合わせ」と言うのは憚られて、結局尻すぼみ濁してしまう。
ナルトとは昨日の川辺で落ち合う事になっていたはずなのに、家に来るなんて(嬉しいけれど)どうしたと言うのか。と、聞きたかったのだけれど…。
しかしそんな意図は伝わったのか、そうそうとナルトが自ら本題に入ってくれた。
「それがさ。さっきサクラちゃんとシカマルに遇って、あの事聞いたら知っててよ。どうせなら一緒に考えようって」
「え…サクラちゃんとシカマル君が?」
「おう。で、ヒナタとキバ呼びに来たんだってばよ」
だがその本題が意外なもので、ヒナタは目を丸くする。
昨日の紅の話には二人の名前は出てこなかったはずだけれど…と思ったヒナタだったが、しかし昨日は色々あったし、考えてみれば要件のみで詳しい話は聞いていなかったのだ。
それとも、紅先生も知らないのだろうか…?
それに今、確かにキバと。
「キバくんも呼びに?」
「ん、だからこれからキバんトコにも寄って…」
「キバなら居なかったわよ」
不安と期待をもって確かめてみれば、ナルトより先に答える声があり、そちらを見ればそこには先程思い浮かべた紅その人が立っていた。
「紅先生…!」
「おはようヒナタ。それにあなた達も」
驚いた様子のヒナタとは対称的に、落ち着いた様子でやって来た紅は、ヒナタに挨拶するとナルトとネジにも声を掛ける。
そしてどこから聞いていたのか、「キバは居なかった」と話を続けた。
「さっき家にもアパートにも様子を見に行ったんだけど、居なかったわ」
「えー、どこ行ったんだってばよ、あいつ」
「さぁ…散歩かしら」
「あ…あの、」
口を尖らせ不満そうに漏らすナルトに、紅は小首を傾げて見せる。
その所作は昨日と比べると幾分軽やかで表情も穏やかに見えたが、ヒナタはそれが逆に心配になって、申し出た。
「私、探しましょうか」
キバがどうしているかはヒナタも気に掛かる事であるし、もし紅が無理に平静を装っているのであればと思ったのだが、そんなヒナタの想いに応えるように紅は微笑んで言った。
「大丈夫よ」
その眼差しはとても無理をしているようには見えず、ヒナタは口を噤む。
「キバだって、あれでそれなりにしっかりしてるんだから」
大丈夫、と繰り返した紅に、それは褒めているんだろうかと思いながら、ヒナタもちょっと微笑み返した。
どうやら紅はキバを信じる事にしたようだし、気掛かりではあるが、暫くキバの好きにさせた方が良いのかもしれない。
「ところで、サクラとシカマルがキバを呼んでたの?」
「ああ。俺、昨日ヒナタにシノの事聞いて、それでさっきサクラちゃん達に遇ってさ」
紅の質問にナルトがあーでこーでと説明すると、紅はふぅんと口元に手を当てる。
「サクラちゃん達の事、御存知でした?」
そうだとヒナタも次いで尋ねれば、一つ頷いて紅は答えた。
「サクラはシノの主治医なのよ。昨日は言い損ねてしまってごめんなさい。でも、シカマルの方は初耳ね」
「主治医…」
「シカマルは、偶然知っちまっただけだって言ってたぞ?」
「偶然ね…。まあ、シカマルなら問題無いでしょう。……ナルトは少し心配だけど。あまり言い触らさないでよ?」
「…しねぇってばよ。ってかそれサクラちゃんにも言われたし」
「ふふ、そう。なら良かった。それから……あなたもね」
サクラがシノの主治医と聞いたヒナタは驚きを隠せず二三度瞬きをしたが、ナルトと紅の会話の先に思わず意識が向く。
皆の視線が集まったのは、それまで黙って成り行きを見ていた、ネジだった。
「…俺は何も知らないぞ」
「今までの話で察したでしょう。頼んだわよ」
「…」
詳しい事はともかく大まかな事情は実際察する事ができたのか、ネジは小さく肩を竦めて了承の意を示す。
「それで? サクラ達に呼ばれているんじゃないのか」
そして言外にいつまでここでのんびりしているつもりだと急かされ、ああそうだとナルトもヒナタも顔を見合わせた。
「紅先生は…」
「私はこれから仕事だから、あなた達だけで行ってらっしゃい。……本当はあなたに話があって来たんだけど、そういう事なら今ここで言うより、サクラから聞いた方が良いわ」
「え?」
「私も少し前に、サクラから聞いた話だから」
「それって…シノくんの事ですか?」
紅の言葉に、サクラがシノの主治医であるという事も合わせて、ヒナタの頭に良い事と悪い事の両方が浮かぶ。
しかし紅の何とも言えない表情を見て、後者なのだと、気付いてしまった。
「ヒナタ」
そんな様子を察したのか、紅が改めて名前を呼ぶ。戸惑い不安気な視線を向けると、温かな眼差しで返された。
「大丈夫。私も、皆だって居る」
「……」
「それに何より、あなたが居る」
そうでしょう?と首を傾げる紅は、ヒナタ自身よりもヒナタの事を熟知している。
紅だけではない。ナルトも、キバも、ネジだって。自分が思う以上に信頼してくれている事を、ヒナタはもう知っている。そう――シノも。
「、はい」
そしてヒナタは、その信頼に応えたいと思い、応えられると、信じてくれている皆を信じられる。
不安な影を払拭し、しっかりと肯(うなず)いたヒナタに、紅は口元の笑みを深めた。
そうしてサクラとシカマルによろしく、と見送られ、それじゃあとヒナタ達はその場を後にする。
「なんか分かったら、知らせるってばよ!」
そう言って手を振るナルトの陰でヒナタは身支度の最終確認をしていたが、ナルトに呼び出された時点で持ち物も持って来ていた為、
そのまま二人で駆けて行った。
残ったネジは二人の姿が見えなくなると、小さな溜息を吐いて踵を返す。
「……よくは分からないが、まあ、何かあったらガイにでも言えばいい。協力できる事はする」
「え…ええ」
さり気に気遣いの言葉を掛けていったネジに、紅は少し意外に思ったもののすぐにふっと表情を和らげた。
去っていくネジの後姿も見送り、一人残った紅もまたその場から離れようとしたが、数歩歩を進めたところで立ち止まる。
振り返ってみればネジの姿は既に無く、門の瓦屋根に降り立った小鳥が羽を震わせているのみだ。
(――今、視線を感じた気がしたんだけど。……気のせい、か?)
周囲を見回しても特に妙な気配は感じられず、小鳥が不思議そうに小首を傾げる。
紅も不思議に思いながら、目覚め始めた里の空を仰ぎ見た。
よく晴れた空は雲一つ無く、ただただ、青く澄み渡っていた。
「来た来た、おはようヒナタ」
ナルトに連れられて行った先では、サクラがひらひらと手を振ってヒナタを迎える。
シカマルの方は椅子に寝そべっていたらしく、少し間を置いてからむくりと起き上がった。
「…はよ」
「シカマル君眠そう…大丈夫?」
「ああ。今ちょっと寝たから」
へーき、と手を上げてヒナタの声に応え、シカマルは欠伸を一つ漏らすと「キバは?」と首を回す。
ナルトが紅と会った事や聞いた事を伝えれば、ふぅんと気怠そうに鼻を鳴らした。
一度収まったと思った眠気は、再び寝転がると共にシカマルを強烈に襲い、ほんの数分ではあるが熟睡していたらしい。
そのお陰で目が覚めた瞬間は非常に眠かったが、少し経つと頭はすっきりとしてきた。
「…じゃ、始めっか」
そしてヒナタがサクラの隣、ナルトがシカマルの横に腰掛けたのを見て、自分も含めた全員に、声を掛ける。
「―――っても、俺、あんま詳しい事は知らねぇんだけど」
「あ、あの、私も、具体的な事は…。紅先生も、さっき言ったようにサクラちゃんに聞いた方が良いってことだったし」
しかしその前にとナルトから待ったが掛かり、シカマルとサクラは顔を見合わせて、ヒナタ達に概要を説明する事から始めることとなった。
一年程前から起こり始めた異変、体温の低下や睡眠障害。
またその原因として判明した、蟲による熱の過剰摂取と、最近になって顕著になった言語(?)障害。
結局のところ根本的な原因は不明なままであること。そして。
タイムリミットが一週間を切っていることを伝えた。
「…………」
「……そっか」
一週間後――正確にはそれよりも早く、シノが蟲使いでも忍でもなくなる。
「紅先生がサクラちゃんから聞いた話って、この事だったんだ…」
何か、良くない事があったのだとは予想していたが、事態は思ったよりも深刻且つ急を要するものであったことに、ヒナタは秘かに唇を噛んだ。
そして覚悟有っても尚速くなる動悸を静めるために握っていた手を入れ替える。
さざなむ心は不安や恐怖を揺すり起こすが、それでも動揺を抑えられたのは、紅の言葉とナルト達の存在のお陰だろう。
「ヒナタ、大丈夫?」
隣から声を掛けられ、サクラに心配そうに覗き込まれる。
「うん、大丈夫。ありがとうサクラちゃん」
そんな気遣いにヒナタが微笑んで見せると、サクラも安心したのか微笑み返してくれた。
「………ん~~~、で、何か対策あんのか?」
一方、それまで黙っていたナルトは少し取っつき難そうにそう口にする。
ただでさえ踏み込み難い話題に加えて、基本明るい質のナルトには特に苦手な分野なのかもしれない。
「そうだ、私もそれ聞こうと思ってて! シカマル、さっき言ってた『一応考えた手』って何?」
「手?」
「そうよ、さっき聞こうとして…あんたに邪魔されたのよ、ナルト!」
「え、ぇええぇぇ~」
しかしサクラの一声二声で、一転していつもの調子に戻ったようだ。
シカマルの陰に隠れながら手を合わせ、悪かったってばよと平謝り。
その様子にヒナタはふふと笑いを零し、シカマルも気の抜けたような溜息を洩らした。
「ほら、話戻すぞ。で、その『手』なんだけどよ」
けれどまあちょっとしたこじゃれあいだったのだろう、二人を宥めながらシカマルが軌道修正しつつ話を進めると、二人とも大人しく口を噤む。
それを確認し、ヒナタもしっかり聞く態勢であるのを見て取ってから、シカマルは続けた。
「俺は、ここにある情報だけじゃあ、まだ足りないんじゃねぇかと思うんだ。そこで、」
「「そこで?」」
「いのに視てもらえないか考えてる」
「「いの??」」
ナルトとサクラが息ピッタリに相槌を打ち、同時に首を傾げて顔を見合わせる。
「いのちゃんに視てもらう…って、どういう事? シカマル君」
ヒナタもまた小首を傾げて、シカマルに尋ねずにはいられない。どうしてここでいのが出てくるのだろうか?
そんな三人にシカマルは頷きを返して、手を組み直す。
「これは、飽くまで一案だけどな。これだけ検査と診察をして原因が分からないのは、そもそもの切り口が違うのかもしれない……
つまり、目に見える要因ではない…心因性の可能性だ」
「心因性…って、精神的な問題ってこと? でも」
「もちろん、心理的な事がどこまで蟲に影響するかは判らねぇ。が、精神的な面に対するアプローチが甘いのは事実だろ」
「それは……、確かに」
寄壊蟲を調べていた油女も、シノを調べていたサクラも、異常が起きているのはそのどちらかの内外にあると診ていた為、シカマルの指摘通り
精神面への考察はあまり行っていなかった。
それと言うのも、シノ自身に心因性を疑う余地が見られなかったからだ。
多少、性格上の難はあるものの、シノのメンタルの強さは周知のものである。
本人への問答でも特に引っかかる事は無く、心因性の可能性は早々に薄れていたのだが…。
「本人が気付いていない、深層部分に何かあるかもしれないだろう?」
「……うん、可能性は、無いとは言えないわね」
「それで、いのちゃん…」
「ああ。いのなら、それを確かめる事が出来る。…それからもう一つ、これも飽くまで可能性の一つだが」
「勿体ぶらずに早く言えってばよ!」
「急かすな、デリケートな話なんだよ。特に、お前の為に、前置きしてんだからちゃんと聞け」
サクラとヒナタが得心に至っている横で、シカマルが難癖を付けてきたナルトの頭を軽く叩く。
だがナルトの言い分もあながち的外れでもなく、シカマルの歯切れは実に悪く、非常に言い難そうに言葉を続けた。
「いいか、もう一つ考え得る可能性は、外的要因…もっと言えば、人的要因だ」
「じんてきよういん?」
「それって、任務での外傷とか? けどそれなら、最初に確認したけど毒なんかの検出も何も…」
「じゃなくて、もっと単純な考え方があるじゃねーか」
「単純って…」
シカマルの言わんとすることが解らず、サクラとナルトが再び顔を見合わせる。
しかしヒナタにはその意図するところが、ふと、解ってしまった。
「もしかして、シノ君の身近な人が…って言うこと?」
「え…」
その言葉にナルトが驚いたような声を出し、青い瞳をヒナタに向けて、更に答えを仰ぐようにシカマルを見た。
シカマルもまたナルトを見返し、ヒナタ達にも頷いて見せる。
「そう考えれば、辻褄が合うっちゃあ合う。内部犯ならシノに何かするのも、データの改ざんも、容易に…かは分からねぇが、出来ない事もねぇだろ」
「…家族が、シノ病気にして、バレないように隠蔽工作してるって?」
「…一族っつっても、一枚岩とは限らねぇ。そうだろう?」
「………」
シカマルの言葉に、ナルトは惜しげもなく不満顔を作り、ヒナタも複雑な表情を浮かべ視線を落とす。
「…データの改ざんって言ったけど、何か見付けたの?」
快晴の下に不似合いな空気が流れる中、不意に、サクラがぽつりと尋ねた。
「いや。そういうわけじゃない。お前が見た限り怪しい点が無かったなら、無いのかもしれないが、
検査した奴ならそもそも、改ざん以前に、どうにでも出来るって話だ」
「……」
「でもだからって、家族の中に犯人がいるってのは、」
「もしも原因が人為的なものなら」
食い下がろうとするナルトに、シカマルが宥めるように、それでいてしっかりと言い聞かせるように、言う。
「そいつはゆっくりと、一年以上の時間をかけて、シノの症状を進行させている。部外者にそんなマネできると思うか?」
「う~~~」
シカマルの問い掛けに唸るナルト。しかしその様子にシカマルは肩を竦め、
「さっきも言ったが、これは飽くまで考えられる可能性の一つだ。前置き、ちゃんと聞いたろ」
「むぅ」
先程注意した点を蒸し返せば、ナルトは口を尖らせ返答の代わりか短く唸った。
「…えっと、つまりまとめると、今やれる事はいのに視てもらうのと…シノの周辺調査?」
「そういう事だな。いのの件は、シビさんに許可取ってからいのに説明しねぇとなんねぇが」
「でも、シノ君の周辺調査は…どうしよう?」
できるかなぁ、と自信なさげにヒナタが言うのは、そうした内部調査の類は基本的に暗部の担う所であり、易々と出来る事でも、して良い事でもないからだろう。
また、油女一族は木ノ葉の中でも特に秘密主義のきらいがある為、その点からも難しいように思われた。
「そうなんだよなぁ。それもやっぱ、火影様に相談してみねぇと…」
「ん~? でもそれ、あいつなら知ってる…かも?」
「うん?」
ところが渋面を作るシカマルに、サクラが思わせ振りに言ってナルトに目配せをする。
その振りに一時目をぱちくりとさせたナルトだったが、すぐに言わんとする事に気が付いたのか、「あ、あー」と素っ頓狂な声を発してきょろきょろと首を回した。
「ナルト君?」
「何だ?」
サクラとナルトの素振りに訝しんでいたヒナタ達も、それを切欠に感付いたらしく意識を外へと向ける。
それは秘かに、けれど少し気を付ければ分かる程度の気配。
「そういう訳なんだけど、あんた何か知ってる?」
サクラがそう声を掛けると、呼応するようにパタパタと降り立ったのは、小さな一羽の鳥だった。
どこにでも居るような見慣れた小鳥は、しかしよくよく見てみれば明らかに異質で、色形陰影毛並み、細部に至るまで絵の具のようなもので彩られ表現されている。
それに気付きさえすれば、知る者にとってそれが誰の仕業かは、火を見るよりも明らかだ。
そしてサクラの呼び掛けにそれ程の間を置かず姿を現したのは、その場に居る誰もが予想した通り――サイであった。
「お前いい加減止めろってばよ、その悪趣味な暇潰し」
「ええ、いいじゃないか。噂話は三度の飯より美味しいって言うし」
「…言わないわよ」
ナルトとサクラの呆れたような様子にもサイは笑みを崩さず、飄々とした体で軽く手を前に出せば小鳥が飛び乗り、そのまま軽快に腕を伝って肩まで移動する。
そんな、まるで生きているような鳥を撫でるサイを見ながら、今度はシカマルが口を開いた。
「つーか、何だよその鳥? が、悪趣味な暇潰しで…シノの事と関係あんのか?」
とは言いつつも何となく解ってしまったのか、ナルト達に説明を求める表情は困惑というより面倒臭そうだ。
普通に困惑の表情を浮かべるヒナタも居るので、サクラが掻い摘んで説明して曰く。
「写実した小動物を使って情報収集してるのよ。暇潰しに」
「一応修行も兼ねてるよ。ほら、すごくリアルだろう?」
そう言って再び手に乗せて差し出して見せるソレは、確かに一見しただけでは真偽の判別は難しい。
画力もさることながらそれを本物に見せかけるだけの動作を繰るのは、修行にもなるだろう。
……プライバシーや守秘義務や、基本的人権等々の問題はともかく。
「それで…情報収集してるから、シノ君の事も知ってるかも。ってこと?」
「まあね。それ以外にも、結構知ってるのよ。表立っては聞こえてこないあれやこれやを。昔取った杵柄ってやつかしら」
「ああ、うん、……シノの周辺の事だっけ?」
サクラの話からヒナタがまとめてみると、そうそうと頷きながらサクラがサイを手招きする。
サイの方も事情を把握しているのか、それに応じて招かれるまま、サクラとシカマルの間に自然と収まった。
席を空ける為端に寄ったナルトが「一体いつから盗み聞いてたんだよ」と愚痴れば、「最初にナルト達を見つけたのは日向邸の前だよ」と言うので思わずヒナタと見合わせる。
「それで、シノがどうの言ってたからちょっと気になってね」
「そういやお前ら意外と仲良いんだよな」
「変人同士気が合うんだろ」
「変人はともかく、気は合うかな。でも気になったのはそういう理由だけじゃなくて」
「友達だから以外に理由があるの?」
サイの科白にシカマルが思い出し、ナルトが違った角度から追従すれば、サイは少し思案気にして顎に手を当てた。
その様子にサクラが首を傾げると、徐に話し始める。
「これがサクラ達の知りたい情報かは判らないけど…取り敢えず僕の知っている事を話すと、
実は、油女の誰かが病気らしいって事は噂で知ってたんだ。所謂、裏の方でね。シノの事とまでは特定されていなかったけど。
ただ、油女はそれ以前にけっこう大きなニュースがあったから、病気の件はその影響で噂されてる感じだったな」
「大きなニュース? そんなのあったか?」
「裏の方で、だよ。知る人ぞ知る、有名な人が亡くなったんだ。表立ってはそれ程でもない…というか、逆に知られないように情報規制されているかな。
とにかく、『そういう人』が亡くなったんだ」
「そういう…って、何したんだってばよソイツ」
余計な合いの手を入れない面々の中で、ナルトだけが話の腰を折りつつ相槌を打つ。
それに特に気分を害した様子も無く、サイは淡々と続けた。
「名前は油女シエン。……その昔、大蛇丸の研究に協力していた人だよ」
――大蛇丸。
その名前に、話を聞いていた全員が息を呑む。
過去の事――と言えばそれまでだが、その場に居るサイを除く4名にとっては、忍に成りたての頃、初めての中忍試験を襲った名であり、
その他にも多くの傷を生み残した存在として強烈に記憶に刻まれている。
「…とは言っても」
サイはそんな皆の様子を覗いながら、変わらぬ調子で話を進める。
「名が知られているのは、それ以上に、『大蛇丸を売った人物』とされているからさ」
「大蛇丸を……売った?」
「三代目火影が、暗部を動かしても中々シッポを掴めなかった大蛇丸を、どうして追い詰める事ができたのか。
それは、大蛇丸の協力者であった油女シエンが、情報を三代目に流したからじゃないかと言われているんだ。もちろん、これは飽くまで噂だよ。確証は無い。
ただ、シエンが一時的にでも大蛇丸と協力関係にあって、それにも関わらず大した圧力も処罰も受けなかった事は、事実として認識されているよ。
障害があって忍ではなかったけどその筋では研究者としての名も通っているみたいだし、良くも悪くも『疑惑の人』だね。
そういう人が、去年の初めかな、亡くなったんだよ。しかも自然火災に巻き込まれての事故死」
「……自然火災?」
それまで黙って聞いていたシカマルが、ここで初めて口を挟んだ。
「そう。確か…風の国方面の、火の国の国境付近にある、農村の火事じゃなかったかな。三つ葉村だっけ…菜の花畑があるところ?」
「あ、それ知ってる。ていうか、そこってあそこでしょ」
「どこだってばよ」
「もう、ほら、雪絵さんに依頼されて、前に『雪の国』に届けたじゃない。寒さに強い菜の花って」
「…ああ!」
菜の花と聞いてサクラが言うと、ナルトは一瞬ぽかんとしたが、すぐに思い出したらしくポンと手を打つ。
「確かそれって、雪の国に花畑作るとかで…で、菜の国のハルナの姉ちゃんに訊いたら火の国にあるって聞いて……あれ? その村にあるって言ったのシノだったっけ?」
「何言ってんの。あるもなにも、その種を取り寄せてくれたのがシノじゃない。『知り合いが居るんだって』って私に説明したのあんたでしょうが」
「そ、そうだっけ…??」
しかしいまいち記憶が朧げらしい。
サクラの話を基にまとめると、下忍時代、ナルトが修行に旅立つ前、細々と任務をこなしていた頃に、雪の国が自国に花畑を作る計画を立てて木ノ葉に依頼…というか相談を持ちかけた。
結果、寒さに強い花を、という希望を念頭に情報を集める事となり、その際に綱手とも縁深く友好関係にある菜の国にも伺うことになったそうだ。
雪の国とも菜の国とも関わりのあったナルトはその任を与えられ、火の国に「寒さに強く11月に花を咲かせる菜の花」があるらしいという情報を得た。
そこから更に調べていく中で、予想外にも近く、シノから吉報がもたらされ、それが昨年火災に見舞われた農村地帯、三つ葉村のものであったらしい。
シノが入手したそれをナルトとサクラが雪の国に届けた為、ナルト達自身はその菜の花の地を直接訪れた事はないのだという話だった。
「へえ、そうだったんだ。じゃあ、シエンと村は全くの無関係じゃなかったんだね。疑惑の人が不審な死を遂げたから色々憶測が飛んでたけど、やっぱり不運な事故だったのかな」
説明を受け、サイが知らなかったと呟くとヒナタとサクラも、曖昧ながら賛同を示す。
「シノ君の知り合いっていう事は、その、シエンさんも知っている人で、会いに行った時に…とか?」
「まあ、そう考えると、辻褄は合いそうね」
「………」
「シカマル?」
一方、再び黙り込み考え込んでいるようなシカマルに、ナルトが声を掛けた。
「…ああ…いや、そういや俺も、火事の事は聞き覚えがあるなと思ってよ。母ちゃんがそれで野菜や菜種油だとかの値段が高ぇとか言ってた気がする」
「そー言えば、一楽のおっちゃんも言ってたなぁ。でも高くても野菜は食えって、イルカ先生が追加して…」
「ああ、お前イルカ先生と食いに行ってたもんな」
あれは丁度、ひと月前のシノの誕生日だったか。思えばあの時もっと踏み込んでいれば今の状況も違ったかもしれないが、実際のところシカマルは飽くまで第三者でしかない。
今は主治医のサクラが居るから良いものの、許可や要請無くしては深く立ち入ることは出来ないのだ。……若干一名、そんな事はお構いなしに突っ込んで行きそうな輩も居るが。
そんな事を頭の端で思いながらナルトを見、そして思い直すようにサイへと視線を移した。
「んで? その、シエンとか言う奴とシノの…血縁って事以外の関係は? 一番重要なのはそこなんだが」
油女シエンの死というニュースもあってサイの気を引いた事は解ったが、結局肝心な所はどうしたと問えば、サイはああそうだったねと話を戻す。
「シノ個人との関わりは分からないんだけど、そもそもシエンは一族と反りが合わなかったらしいんだ。
さっきもちらっと言ったと思うけど、油女一族に生まれたのに、忍ではなかったんだよ。生まれつき障害があって……右だったかな? 半身が不自由だったらしくて。
それに加えて大蛇丸との話だからね、表立っての事は無いにしても、居心地は悪かったんじゃないかなぁ」
最後の方は随分ざっくりと纏められたが、その話からすると、シカマルの言うように一族と言えど一枚岩ではなかった…という事だろう。
「じゃ、じゃあやっぱそいつが犯人か!?」
「バカね。もう亡くなってるんだから違うに決まってるでしょ! さっきシカマルが言ってたじゃない、
もしも原因が人為的なものなら、そいつは一年以上の時間をかけてシノの症状を進行させてる、って。
一年前に死んだ人に出来るわけないじゃない、幽霊の仕業じゃあるまいし」
「ユーレイ…! そ、そそそうだよなっ! そんな訳ある訳ないってばよ!!」
サクラの返答にナルトがはっとし、慌ててうんうんと否定に回る。
そのあからさまな動揺に呆れや憐憫や愉楽の眼差しが三者三様に向けられた。
「まあ……確かにシノの異変が始まったのとほぼ同時期ってのは気になるし、怪しいっちゃ怪しいが……まだ何とも言えねぇな。
村に共通の知人が居たとしても、それだけじゃシノとシエンの関係性は判断できねぇ。…ちなみに研究者って、何の研究してたんだ?」
「えっと、確か虫の知覚とか五感とか、だったかな…? 大蛇丸に協力していたのは細胞の活性化や再生の分野だったみたいだけど、その手の論文は無かったよ」
「無かったよ、って、調べたの?」
「大蛇丸の情報を漁ってた時にちょっとだけ。今思うと、反りが合わないって言っても虫の研究してる辺り油女一族だよね」
シカマルの質問に対し見てきたように言うので、サクラがサイに尋ねると、サイは鳥を乗せた肩をちょっと竦めて答えた。
今思うと、と言うのは、当時は事務的に見ただけで特に感想を持つ事が無かったからだろう。
「…もしかしたら、細胞なんかの分野も隠れて研究してたのかもな。大蛇丸が素人に協力させるとは思えない」
「何で隠れてやる必要があるんだってばよ」
「それは……」
「…多分、自分の身体を治す事が目的だったから…じゃ、ない…かな。もし不自由な身体にコンプレックスがあったなら、それを治そうとしている事も、人に知られたくなったかもしれないし…」
な、何となく思うだけだけど…と、言葉に詰まったシカマルに替わり答えたのは、ヒナタだった。
計らずも皆からの視線が集まり尻すぼんでいくヒナタの声だったが、サクラもまた同意を示した事でほっと安堵の表情を浮かべる。
「私もヒナタの意見に賛成。患者さんにたまに居るもの。特に男の人! 変なとこで見栄っ張りなんだから」
ねえ、とヒナタに振られたのは、おそらくシノの事も含まれているからであろう。
「……まあ、取り敢えず、今のところ僕の知っている事はこのぐらいかな。役に立ったかな?」
サクラの言う男連中は少しばかり複雑そうな顔をしたが、その中のサイがその話題を迂回するように話に戻った。
「必要ならもう少し探ってみようか。論文見たのは随分前だし、メインで調べた訳じゃなかったからね、新しく何か見つかるかもしれない」
「あ…ああ、そうだな、じゃあ、頼む。……シエンの事だけでなく、その他にもシノの件と関係ありそうな奴がいないか…可能な奴でな」
サイの提案にシカマルが頷き、ナルトもそれにうんうん肯いて追従したが、最後に付け足した言葉が暗に"油女一族の関係者に絞って"という意味である事は、サイにだけ伝わったようで。
「…分かった。虫取り網で蟲の巣をつついてみるよ」
と、少々物騒な言い回しで返事が返って来た。
何で急に虫取りの話になるんだってばよ、と言うナルトと、それに対し大丈夫ちゃんと虫籠も持っていくからとわざと解らないように答え楽しむサイを横目に、
それじゃあとシカマルが今後の動きについての話に移る。
「まず俺とサクラでシノん家行って、いのに視てもらう方法を説明してくるが、ヒナタはどうする? 一緒に行くか?」
「あれ俺は?」
「お前は来ても外で待機だ。騒々しくなるし、どうせシノん家苦手だろお前」
「う…」
ナルトとて静かにする事くらいは出来るが、矢張り得意ではないし、何よりシノ――ひいては油女一族に対する苦手意識は健在である。
油女邸を拝し「薄気味悪くてお化け屋敷みたいだ」とだいぶ失礼な感想を述べた事もあったし、実は今もその印象は拭えていない。
「あ、あの、私は…ちょっとシノ君に渡したい物があって…。そんなに時間は掛からないと思うけど、用意しに一度家に戻りたい、かな」
そして問われたヒナタは、遠慮がちにしながらもそう答える。それを受けたシカマルは、何をとは訊かず分かったとだけ応えた。
「ならヒナタは用意できたら来てくれ。んでナルトは……どうすっかな。俺達と来て外で待ってるか、ヒナタと行って外で待ってるか」
「何で外で待ってる以外の選択肢が無いんだってば」
「サイと一緒に調べに行っても、うるさいって外に追い出されそうよね」
「サクラちゃんまでっ!」
後半の半分冗談半分本気の戯言に、ナルトが口を尖らせ抗議すると、シカマルが少し笑いながら一応のフォローを入れる。
「…まあ正直、ナルトは好きにしていいぜ。今回はやれること自体少ねぇし、お前は勝手に動いた方が何か見つかる気がするしな」
「ああ、『犬も歩けば棒に当たる』ってやつだね」
が、しかしそれもサイの言葉で消え失せてしまう。しかも本人に悪意は全く無いのだから仕様も無い。
不満気に唸りながらそれならキバにやらせろよ!と息巻くナルトに、あいつはもう勝手にしてるだろと返すシカマル。
そんな遣り取りを眺めながら、
(そう言えばキバくん…今頃どうしてるかな……)
とヒナタはぼんやりと思っていた。ものの。
「じゃあ俺はヒナタと行動するってばよ。そもそも俺はヒナタに協力する約束だしよ」
と言うナルトのセリフが耳に入るや否や、そんな思いも吹っ飛んでしまう。
なぁ、と同意を求められ、ついついうん!と力いっぱい答えてしまってからはっとして、小さな声で言い直した。
「う…ぅん、ありがとぅ…。お願ぃします……」
「じゃ、決まりだな。俺とサクラはシノの家に行って承諾を得次第いのを連れて行く。
ヒナタとナルトは用意が出来次第合流、サイは調査の進み具合にも依るが、取り敢えず夕方までには一度報告しに来てくれ」
ヒナタの答えを受けて、シカマルが今後の行動をまとめて確認する。
それに皆が頷くのを見てからシカマル自身も一度頷いて、立ち上がった。
「それじゃあ行くか。まあ、俺達は昼までにはいのを連れて行けりゃ良いな」
そしてサクラに向かって確認すると、サクラもそうねと立ち上がり、サイもヒナタもそれぞれ行動を開始しようと動き出す。
ところが。
「…………………昼?」
ただ一人、ナルトは何か引っ掛かったのか、ひるひるひる…と呟きながら頭を捻り出し、そして唐突に叫び声を上げた。
「あ! あああぁぁああああああ!!!」
「やっべぇ俺カカシ先生に今日の昼までに報告書出せって言われてたんだった!!」
「なに…あんたまた報告書忘れたの」
「どうしようサクラちゃん! 間に合わなかったら罰として倉庫掃除だって!」
あわあわと慌ててサクラに助けを求めるナルトだったが、サクラははあぁぁと大きな溜め息を吐くとバッサリ言い切った。
「自業自得でしょ。どうせ決まった役割無いんだし、しっかりやってらっしゃい」
「そ…、そんなあぁぁぁ……!」
青く晴れた空に、ナルトの情けない声が吸い込まれていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ネジ達ガイ班の出番はおしまい、代わりにサイの登場です。
私は現在NARUTO読んでも観てもいないので、感情が希薄な彼しか存じ上げないですが、
物凄い私的イメージだと「暇潰しに情報収集」とかしてそうな気がします。
人への興味関心が強く、そういうの知るのが好きそうというか。ゴシップを至極真面目に収集してそう。
あとカラーの絵も頑張れば実体化出来るんじゃないかな。という飽くまで妄想、です。
そう言えば以前YouTubeでNARUTOゲームの友好イベント動画(?)を見付けて観たら、
サイとシノが沈黙連盟なるものを結成していて大爆笑しました。
気が合いそうだな~仲良くなりそうだな~とは思っていましたがまさか公式になっていたとは思わなかった(笑)
動画はまだあるんじゃないでしょうかね。
この二人はこのテンポのままの変人でいてほしいなぁw
雪絵さんは映画一作目の小雪姫(君主で女優さんの人)、
ハルナさんはアニメオリジナルシリーズ(ナルト・ヒナタ・チョウジが寄せ集められた回)に出て来た菜の国のお姫様
ですが、寒さに強い花の依頼云々&三つ葉村あれこれは、ここだけのねつ造です。
でも雪の国と菜の国が木ノ葉(ナルト)を通じて友好を深めたりしたら、素敵だと思います。
元気なナルトから始まり、元気な(?)ナルトで締め。次
Scene2に移ります