Scene5.キバの迷い
「………………………………」
川沿いの土手を押し黙ったままズンズンと進んでいくキバの後ろを、付かず離れず、赤丸もまた黙って付いて行く。
不安げに見上げてみれば顔は見えずとも、その背中から空気から、チャクラからも、キバが怒っている事がビリビリと感じられて、赤丸は首を垂らしてクゥンと喉を鳴らした。
キバは元来短気な性分のため、怒ったり不機嫌になる事はままあるが、やっぱり短気なためにあまり長続きはしない。
大抵は怒鳴って喚いて叫んでしまえば、もうすっきりすっかり忘れてしまう。
単純馬鹿と言ってしまえば身も蓋も無いが、そうしたさっぱりした気性がキバの良いところでもあるだろう。
だがそれは鬱憤を爆発的に晴らす事ができた場合であって、それが叶わなかった時はそうもいかない。
シノを殴り損ねた拳が再びきつく握り締められ、傍から見ても分かる程にギリギリと爪を立てているのは、
一度ヒナタの暴挙によって不発に終わり、引いていた憤りがじわじわとその熱を取り戻している証だろう。
怒りを抱いたキバの沈黙は、嵐の前の静けさ、はたまた噴火する火山の前の静寂が如き怖ろしさを秘めている。
赤丸はそんなキバの怒気を感じながら、どうしようかと困惑しながらも、付かず離れずにキバを追っていた。
キバは赤丸の主人だが、それに止まらず友だちでもあり、相棒でもある。
戦友であり、兄弟であり、家族であり……だから、キバの怒りも痛みも苦しみも、赤丸にとっては他人事では無い。
シノの事も心配だが、やはりそれ以上にキバが傷付くのは嫌だし、キバが辛いのは自分も辛い。
いっそのことシノと決闘でもできればいいのだが、さすがに病人相手にそれはできないし、かといってこの問題はシノと対決しない限り終わりは無い。
せめて『関係無い』などと言った事だけでも取り消させなければ、キバの腹の虫は収まらないだろう。
あるいは他に、何かキバの怒りを発散させる方法は無いだろうか…。
と、そんな事を思っていると、不意に水面を滑った風がよく知る匂いを運んできた。
「ワンッ」
赤丸は一声吠えるとトットッとキバに歩み寄り、頭からキバの力んだ腕と胴の間に割って入る。
「お、わ、何だ」
憤然とした怒りを燻らせ、だんまりを決め込んでいたキバが、突然背後から割り込んできた相方に驚き僅かに怯んだ。
驚いた拍子に握られていた拳も綻び、険悪であっただろう顔も普段の表情を取り戻したらしい。
キバの腕をくぐった赤丸はそんな顔を見上げると、ヘッヘと舌を出しながらシッポを振って、誘うようにキバの脇をすり抜けた。
「おい、赤丸…!」
唐突な赤丸の行動に戸惑ったようなキバだったが、我に返った鼻がようやく馴染みのある匂いを感知し、その意図に気付く。
「これは……お前‥」
「ワンッ!」
キバが驚いて見れば、赤丸は数歩先で立ち止まり、シッポを揺らしながら振り返って一声鳴いた。
「はぁぁぁあ!!」
シュルシュルと解かれた巻物が帯のように弧を描き空を舞う。
そして術式により出現したクナイが瞬時に標的を定め、一斉に放たれた。
「木ノ葉、大・回転旋風!!!」
対する者もそれに応じて強力な蹴りを繰り出す。
それはただの回し蹴りなのだが、その一蹴りの威力に周囲の空気が巻き込まれ、起こった小さな竜巻のような風にクナイが吹き飛ぶ。
蹴りの風圧だけで、文字通り一蹴したのだ。
「ここ!」
しかしクナイを弾かれた方も次の手を打っていたらしい。
蹴りの回転が止まる時、最も無防備かつ次の動きへと転じるのに一瞬の隙が生まれるその瞬間を狙って死角から鎖分銅が回り込んでくる。
「!」
だが間一髪のところで飛んで避けると、空中で体制を整えつつ、川の上に緑のスーツに身を包んだ青年は着地した。
「惜しいですね、テンテン。ですがまだまだ、スピードが足りません」
汗を掻き僅かに呼吸を乱しながらも、姿勢良く構えを取り直したロック・リーが生き生きとした表情でそう告げる。
「さあ、もう一度やりましょう!」
しかし一方のテンテンは膝に手を付きながらゲンナリとした様子でリーを見据え、
「もー、いい加減に、してよ…」
と息も絶え絶えに抗議した。
「一体何時からぶっ続けてると思ってんの?!」
「何時……そう言えば、ずいぶん陽が昇りましたね」
「もうお昼よ、お昼! お腹も空いたし、疲れたし…私もぉぉお無理!」
無理、と言いながらも立ち続け声を張り上げる元気があるのは流石だが、それでも矢張りへとへとであるのに違いは無いらしい。
なかなか収まらない呼吸を整えながら気怠げに辺りを見て、一つ大きく息を吸うと、溜め息を吐いた。
「それに、そろそろクナイも回収しなきゃ。ここ水気あるから、錆びちゃう」
「そうか、それはイケマセンね。しかし…」
リーは改めて周囲を見渡し、その光景に感嘆の声を漏らした。
「いつもながらこの数、クールダウンには丁度いいですよね」
川原一帯を埋め尽くすほどのクナイが、地面に突き刺さり、石を割り、折れ、転がっている。
それらを回収するのは、テンテンとの修行の際には必ず行う習慣なのだが、拾う、という単純な作業ながらも数が数だけに毎回それなりに骨が折れるのだ。
テンテンでさえ面倒と思っているその作業は、しかしリーにとってはそれさえも修行の一環になってしまうらしい。
確かに酷使した身体を鎮めるのに、丁度いいと言えば丁度いいが、お得意の自分ルールで何分で終らせると制限を付けハイスピードで回収してまわるそれは、果たしてクールダウンになっているのか甚だ疑問でもある。
「ところでテンテン。回収した後はどうしますか」
「えー、お昼ご飯でしょ?」
「しかし、ガイ先生がお昼頃来るから一緒にと…」
「あ~……」
そういえばそんな話だったわね…と、テンテンは頭を巡らせた。
約束を思い出すと同時に、お腹の減り具合と財布の減り具合を天秤にかけ、ガイ先生を待たずにお腹を満たすか、多少我慢してでもガイ先生に奢ってもうが得かを勘定する。
「僕は、できればガイ先生が来るまで修行を続けたいのですが…」
「えーそれは無理よ~」
ようやく呼吸の整ったテンテンは、ゆっくり腰を落としてしゃがみ込んだ。
「疲れたし…それにもうクナイも残り少ないもの」
そもそも、今日テンテンは修行をする予定ではなかったのだ。
昨夜は忍具の買い替えや補充をしに行くという胸躍る予定を抱いて眠りに就いたのに、早朝ガイ先生に呼び出されたと思ったらリーの修行の相手を頼まれてしまった。
何でもガイ先生に、急な所用が入ったらしい。
もちろん渋りはしたが、昼には戻ってくるという事と昼食の奢り、そしてその後は忍具の買い出しに付き合ってくれるというので、了承した。
まあ修行自体は嫌ではないし、それなりに充実した時間も過ごせたが、やはり当初の予定が狂った事はテンテンのやる気を多少なりとも削いでいるようだ。
とはいえ一度引き受けたのだし、やる気が出ないからといってこのままリーを放っぽり出すわけにもいかない。
「…………しょうがないわね、少し休憩したら組み手でも…」
「なら、俺が相手してやろうか?」
「!」
溜め息を交じらせながらもやる気を出そうとしたテンテンだったが、しかしその言葉は、聞き覚えのある声によって不意に遮られ、掻き消された。
「キバ…!」
振り向けばクナイを手にしたキバと、こちらもこちらで口に銜えた赤丸が、土手を下りたところに立っていた。
川原の砂利道に、所々突き刺さったクナイも軽くかわしてやってきたキバは、テンテンの傍に着くと「ほらよ」と手にしていたクナイを持ち替えて持ち手の方を差し出してくる。
どうやら土手の方まで飛んでいたテンテンのクナイを拾ってきてくれたらしい。
「あっ、ありがとー」
そして赤丸も銜えてきたクナイを足元に置いてくれたので、テンテンはその白い毛を撫で、再びお礼を言って受け取った。
「キバ君も、修行ですか?」
「いや、俺ぁ…赤丸と散歩中」
思い掛けない修行相手の立候補者に、嬉々としたリーが川の上から川原に上がってくる。
キバは一瞬言葉を濁したが、普段と変わらない口調で答えていた。
「でも修行相手が要るってんなら、やってやんぜ?」
ニヤリと鋭い犬歯を覗かせて挑戦的な笑みを漏らすキバに、リーも俄然闘志が湧いたらしい。
「望むところです。是非お願いします」
再び構えを取り直すと、木ノ葉の碧き野獣の名に相応しい好戦的な笑みを以って返す。
そんな今にも攻防を始めてしまいそうな二人を横目に、テンテンは赤丸の頭を一撫ですると立ち上がり、その場を仕切り直すようにパンパンと手を叩いた。
「はーい、その前に、クナイ回収するの手伝ってよね!」
テンテンの指揮の下拾い終えた大量のクナイが、ポンという音と共に巻物に仕舞われていく。
その作業を何とはなしに見遣っていたキバがふと気になって、巻物ごと店に回収してもらうのかと尋ねると、製鉄所に持って行って直に買い取ってもらうのよとテンテンは事も無げに答えた。
消耗品となるクナイは通常、破損状況に関わらず、入手した販売店や取り扱っている店で引き取ってもらうのが常であり、そこから流れて再利用される資源ごみである。
基本的に買い取りシステムではなく、持ち込んだ量によっては割引券がもらえたりある程度お得になったりもするが、キバはほとんどゴミ出し感覚でただ引き取ってもらっていた。
任務中に使ったクナイは当然そのまま放置だし、回収できるとすれば修行に使った分くらいだが、ここ暫くはそんな修行もしていない。
しかし武器を大量に使用するテンテンにしてみれば、確かに、クナイ一本の費用もバカにならないのだろう。
実際、戦場などでそうした武器の残骸を拾い集めて小銭を稼ぐ者もいるくらいだ。
ならばタダ同然で回収する小売店ではなく、製造元に買い取ってもらった方が遥かに経済的に違いない。
テンテンによれば、けっこう前に開拓した独自の売買ルートがあるらしく、それでやっとこ遣り繰りしているのだそうだ。
以前から思っていたが、経済観念といい、がさつに見えて実は結構しっかりしてるんだよなテンテンって…と、キバは心の内で感嘆した。
そして、資源ごみかぁ…と、思い当たりたくないものにも見事に引っ掛かってしまった。
(そういやぁシノと片付けた資源ごみの束、まだ収納んトコに押し込んだままだ)
クナイを拾い集める作業中もシノの事はキバの頭の中で警鐘の様に鳴り続け意識を掻き乱していたが、押し合いへしあい何とか追い遣っていた。
しかしふとするといつの間にかズルズル引き込まれ、思考の迷宮に陥ってしまう。
シノの言動、態度、自身の不甲斐無さにそれら全てを巻き込んだ荒だたしい苛立ち。
「…バくん。キバくん!」
思考の闇に取り込まれかけたキバを、呼ぶ声が引き戻した。
はっと我にかえればリーが両拳を握り締め、やる気満々といった体でキバに呼び掛けている。
「どうしました? 手合わせ願いたいのですが」
「あ…お、おう」
少し面食らったキバだったが、そういえば修行の相手を買って出たのだと思い出し、知らず固くなっていた拳を一度緩めると再びギュッと握り締めて不敵に応えて見せた。
「手加減は無し、でな」
そんなキバの言葉にリーの目が輝く。修行で本当の本気を出すわけにはいかないが、冗談混じりの軽い挑発にも心は浮き立つ。
「お手柔らかにお願いしますよ」
拳と拳を交え切磋琢磨できる高揚感を抑えるようにそう言いながら、リーもまた口の端に笑みを湛え、受けて立った。
テンテンが巻物を仕舞い終え土手の方へ移動を始めると、トコトコと赤丸が付いてきたので「アンタはやらないの?」と尋ねれば「いいの」と言うようにテンテンを見上げて尻尾を揺らす。
「んじゃ、ガイ先生が来るまで…」
「お互い、全力を尽くしましょう!」
テンテン達の退避が済むと共に、キバとリーの一騎打ち修行は始まった。
相対するのがこの二人であること、そして赤丸の不参加により必然的に体術勝負となるわけだが、
体術と一口に言っても、柔拳、剛拳、拳法並びに流派が違えば攻撃防御の仕方も変わり、構えなどの型も違ってくる。
忍を目指す者の場合、アカデミーで多種類の体術を一通り習った上で、極めんとする者は入門したりするが、多くの者は道場には通わない。
それは、体術を使うとしても忍術と併せて用いたりする場合が多く、併用する忍術によって仕様が変わるためで、詰まる所忍の体術というのは一般的に普及しているもの以上に種々雑多…バラバラなのだ。
キバにとっては獣の姿勢を模した‘擬獣忍法’がそれに当たり、体術とは言えほぼ忍術と同化していて一般的なものとは型を異にしている。
対するリーは、また特殊な系統と言えるだろう。
体術の基礎的な型を網羅し、マスターして完全に使いこなしたうえで独自のスタイルを作り上げている。
強いて挙げるならば“ガイ流”に傾倒しているとは言えるだろうが、それからして“努力・根性”といった“熱血術”であり、さして決まった型があるわけではない。
つまりリーの体術は、既存の体術をマルチに取り入れたオールマイティな総合体術と言える。木ノ葉の体術使い、体術のスペシャリストと称されているのは、伊達ではないのだ。
「ゥオラ!!」
威勢、威力共に申し分ないキバの蹴りをギリギリの距離でかわしたリーが、一歩大きく踏み込んで拳を繰り出す。
身をひねりそれを避けたキバは飛び上がって再び蹴りを入れるも腕でガードされ、次の攻撃が来る前にと反動を利用して一度距離を取った。
そもそも、その系統の違いから比較される事は滅多に無いが、キバとリーの戦い方は根本的には似通ったものだ。
スピードと技、威力をもって相手を打ち負かす。
ただ、勢いと破壊力ではキバが上回り、小回りの利くフットワークとスピードそして正確さにおいてはリーの方が上回っている。
キバの場合はそこに赤丸との連携やコンビ技、嗅覚を用いた探索感知などが加わるため幅は広くなるが、一対一の単純な組手となると、体術のみに磨きをかけてきたリーに軍配が上がるだろう。
この場で対等な勝負になっているのは、リーが長時間の修行後だからというのと、勝負とはいえ修行の為の組手であるため、互いに相応の加減をしているからだ。
(……やっぱただの接近戦じゃ分が悪いな)
距離を取ったキバは両手を地に付け、四肢の獣の如き姿勢を取った。
二足二手、身体の隅々まで張り巡らせたチャクラを活性化させるとビリビリと電流のような刺激が走り、奮い立つように総毛立つ。
牙は鋭く爪も伸び、その様はまさに獣を模った‘擬獣’。
五感、六感までも研ぎ澄まされていく感覚は、視野が狭まり窮屈なような、それでいて後ろにも目ができたような、不思議な感覚だが、キバは嫌いではなかった。
余計な思考や雑念は払拭されて、ただ獲物を狩る―――そのためだけに意識が集中すると共に、無意識下の五感も鋭くなり目視せずとも感じ取れるのだ。
いつもなら。
そうなる、はず………なのだが。
『お前達には、関係の無いことだ』
「―――――――っ!」
頭から離れない言動が集中を乱す。
言葉が、声が、鮮明に思い起こされ、それに伴う憤怒が激しく湧き起こってくる。
(人を騙しといて、何が関係無いだ)
『心配してくれと頼んだ覚えは無い』
(心配なんて、頼まれてするモンじゃねぇだろうが)
『お前達が勝手にしているだけだろう!』
(勝手で………、
悪ぃか!!)
頭の中で木霊するシノの文句に反撃しつつ、キバは苛立ちに任せて力一杯地を蹴った。
集中力を欠いているとはいえ体躯に染みついた動きは殆ど自動で行われ、リーとの攻防は一進一退、突進を主軸とするキバの戦闘方のためか、その様は闘牛を彷彿とさせる。
しかしその実、キバは専念できているとは言えなかった。
思考がどうしても余計な方に向いてしまい、意識が定まらない。
集中力も注意力も散漫となり、勢いで押しているように見えても、攻撃・防御共に鈍っている事は誰よりもキバ自身が気付いていた。
「チッ」
キバは小さく舌打ちをした。
いつもなら。
母のツメと喧嘩しただとか姉のハナに叱られただとか、ちょっとしたミスくらいならば、身体を動かしていれば自然と忘れてしまえるのに。
寧ろもっと気にしろ、悩め、考えろ、とそれこそシノに説教されて、その説教された事ですら数時間後には記憶の彼方という始末だったはずなのに。
どうしてこんなにも邪魔な雑念を払えない。
赤丸が怪我や病気をした時も、修行どころではなくなるが、そんな時は考える間もなく付きっきりで看病するし、すぐ治るものなら赤丸の分もと奮起する。
思い通りに行かない事だってそれなりにあったが、こんなにもモヤモヤとした気持ちが晴れないのは初めてだ。
執念深くて――ねちっこい―――シノじゃあるまいし。
「クソッ!」
ヒナタも交えて飲んだ時か、それとも誕生日の時か……ロウソクの紅い灯にぼんやりと照らされたシノの姿が脳裏に蘇える。
この時には既に隠していたのだと思った瞬間、爆発したようにキバの怒りが一気に頂点を超えた。
「ァァァアアアアアアア――――――――!!!!!!!」
握り締め、振り翳した拳は、リーに向けるものではないと解っていても、他に行き場も無い。
急に加速したキバにリーの反応が僅かに遅れる。その隙にねじ込むようにしてリーの懐に入ったキバが、拳を叩きこむ―――直前。
「よおぉし!! そこまで!!」
パアァン!と鳴り響いた音と共に一際大きな声で制されて、キバのみならずリーまでもがその動きをピタっと止める。
「っ、ガイ先生!」
そしてパッと顔を上げたリーの先には、手を叩いたのだろう、掌を合わせた格好でテンテンの横に立つマイト・ガイの姿があった。
ジュウジュウと焼ける香ばしい肉の匂いに、知らず腹が鳴りつばを呑む。
2月末、まだ幾分肌寒さ残る季節。
涼風吹き荒ぶ河川敷でリー、テンテン、ガイと邂逅したキバは、成り行きで時期的には少し早いバーベキューに参加する事と相成っていた。
『バーベキュー?! 奢りって、そこはせめて焼き肉屋とかでしょう?!』
というのはテンテンの悲鳴だったが、バーベキューセットの他に手作りの御重弁当や温かいお茶まで用意されては、項垂れるしかなかったようだ。
空腹に負けたところもあるのだろう。
「も~。こういうの用意してる暇があるんだったら、もっと早く来てくれれば良かったのに…」
未だぶつくさ言いながらテキパキと調理していくテンテンは、それでもどこか嬉しそうだった。
人参、キャベツ、しいたけ、エリンギ、玉ねぎ、ピーマン、じゃがいも…洗われ切られた野菜が鉄板の上に広げられている。
肉はカルビにハラミにバラにトントロ……匂いから判断するに、おそらく上物だ。
「まあ良いんじゃね? そうだったら俺達あり付けなかったし」
なあ赤丸、と相棒に尋ねれば、ワンッという咆哮が澱みなく上がった。
キバも初めはこの寒空の下で、しかもこの面子でバーベキューかと思わなくもなかったが、その辺りのツッコミはテンテンがしてくれたのでもう気にしていない。
寒かろうが予想外だろうが、肉が食えるなら万々歳だ。
生肉を赤丸に向けて放ってから、自身も程良く焼けた肉を口に入れる。
落ち着かなかったのは空腹も手伝っていたのか、胃に食べ物を送ると、現金なことに苛々も軽減したような気がした。
「ま、こっちは良いんだけどね。問題はあっちよ」
こちらも焼く作業と並行して焼けた肉と野菜を器に取ったテンテンが、微妙な顔でチラリ後ろを振り返る。
キバも釣られて振り向いて見れば、そこにはレジャーシートを敷いて座っているリーとガイ、そして中央には4段にもなる特大の重箱が開帳されていた。
「………あれ、食えるのか?」
「…ご飯系は大丈夫だと思うけど」
おにぎりは、まあ確かに――若干サイズは大きいが――普通に見える。
が。
「これは薬草入り特製苦ダンゴ、こっちは辛子と生姜と山葵の激辛餃子で、そっちのは果物と海産物の卵焼きだ! 健康を考えたスペシャルメニューだぞ! さあ、どれでも好きなだけ食え!」
色取り取りと言うべきか、味取り取りと言うべきか、何と言うべきか……。
はい! とガイお手製の料理に感激涙々返事をしたリーは、一つ食べては青くなり、も一つ食べては赤くなり、次に食べては黄色くなりと、顔色を様々変化させていく。
それでも平気…大丈夫そうなのは、慣れているからか。
「ガイ先生……料理は普通にできるのに、何でああいう余計な事しちゃうのかしら」
隣でテンテンがポツリと嘆く。
その間に今度はガイも自ら厳しい味の異色料理に挑み、顔色を変色させ始めた。
苦い辛いと命名しているのだから味覚は変ではないのだろうが、なら何故作るのか、そして食べるのか。
(健康に良さそうにも、見えねぇけどなぁ……)
そう思いながらキバはこちらにお鉢が回ってくる前に腹を満たすべく紙皿に盛った野菜と肉をかっ込んで、赤丸にも念のため急ぎめで食べるようにと指示を出した。
「よーし! お腹もいっぱいになったし!」
締めのウーロン茶を一気に飲み干したテンテンが、一段と明るい声を上げたかと思うと「買い物!付き合ってくれるんですよね!」と高揚した様子でガイ達に言った。
昼食を一緒に取る予定であったことはリーとテンテンの会話から汲み取っていたキバだったが、どうやらそういう約束もあったらしい。
「おお!もちろん!」と応えるガイに、テンテンが「やった!じゃあ、あそことあそこと…あ、あとあのお店も」など嬉しそうな顔で指折り始める。
何を買うつもりか知らないが、まあ確かに、ガイとリーならこれ以上ない荷物持ち役だろうなとキバは思い、
それからさて、自分達はどうしようか、とこちらもウーロン茶を飲み干して、片付けの準備を始めていたリーの方を向いた。
ゴミ袋を広げていたリーに近寄り紙コップを差し出すと、「あ、はい」と袋の口を向けてくれたのでぽいっと捨て、そしてそのまま袋を掴む。
「あっちは俺がやっとくからよ」
くいと親指で空のペットボトルや紙皿のある方を示せば、リーの丸い目がぱちくりと瞬き、けれどもその意を解した途端に「お願いします」と綻んだ。
爽やか眩しい笑顔と共にペットボトル用の袋も受け取り、キバは踵を返そうとしたが不意に呼び止められる。
振り返ると、リーが小首を傾げて思い掛けない事を訊いてきた。
「あの、何か気に掛かる事でもありましたか」
「は?」
「いえ、僕の気の所為ならいいんですけど。何だかあまり集中できていないようだったので」
何かあったのかなと、そんな事を素朴に尋ねられてキバは内心うろたえる。
気が散っていたのは確かだが、まさか気付かれているとは思わなかった。いや、しかし、リーならば。
相手の集中の欠落ぐらい見抜けてもおかしくはない、か。
「あーいや、まあ、ちょっと…」
真っ直ぐに見詰めてくるまん丸眼(まなこ)から瞳を逸らしつつ、言葉を濁しながら返答に窮する。
「………ウチのネコが…えっと、な、懐かなくて…」
「ウチ? ああ、動物病院の患者さん? ですか?」
「ん…まあ……」
どうにか捻り出した言葉を、リーがうまい具合に解釈してくれたようで、キバは少しほっとした。
けれどそんな内情など知る由もないリーは「それは気掛かりですね」なんて真面目に心配するものだからちょっと申し訳なくなって
「ま、懐いたところで治るワケでもねーんだけどな」
と肩を竦めて見せる。だから大した事ではないのだと、心配には及ばないのだと表したつもりだったが、
「でも」と発せられた強めの言葉に瞠目した。
「きっとそのネコさん、心細い思いをしていますよ」
「……こころぼそい?」
「ええ。だって、弱ってる時って心細いでしょう?」
「………そうか?……そうか…うん、」
実際心細いかは猫になってみなければ分からないし、猫の性格にも依るだろうが、少なくとも弱ってる事には違いない。
そして弱っている時、それを敵に悟られぬように威嚇したり身を隠す動物は少なくない。
死ぬ間際の猫が姿を晦(くら)ませる話は有名だが、あれは死を悟って居なくなるのではなくて、身を隠している間に死んでしまうのだ。
忍…いや人間とて、弱みを見せるは付け入る隙を与えるに他ならない。
「心細いか……」
しかし威嚇するにしろ身を隠すにしろ、独りという隠れ家に籠もる気分は如何様なのだろう。
「…なあ、お前ならどうする?」
「え?」
「怪我した猫が気になるのに、人を拒否ってたら」
「それなら、遠くからでも見守ります!」
少しは考えたり迷ったりするかと思ったのに、リーの答えは即座にして明快だった。
「お前…もうちょっと考えろよ」
「だって、心配じゃないですか」
キバの呆れが見て取れたのか、リーが至極当然といった顔で言う。
まあ、厚すぎる情故に時折思わぬ方向へ突き進んでしまうのは考え物だが、それでもこういう、リーの『思い込んだら一直線』なところはキバも嫌いではない。
「…………………ま、そうだな」
気を取り直すように手にしていたゴミ袋を持ち直す。
隠した緊張がそこに握り締められていたのか、些か汗ばんだ掌が触れた空気にひんやりとした。
「もう少し、様子見てみるか」
「はい、そうしてあげてください。早く元気になるといいですね、ネコさん」
キバの言葉に、極めて純粋にそう応えてリーが笑う。
その無垢な笑顔につられて、キバも口の端を上げた。
その後、ガイと共に広げていた御重や敷物を片付けに行くリーを横目で見送りつつ、さて自分もゴミ回収だと再度向かおうとしたキバだったが、今度はリーのお師匠に呼び止められてしまった。
「あれ、そんなにペットボトルありましたっけ?」
「ああ、自家製の漢方茶を持って来ていたのでな!」
ガイは空になった1リットルペットボトルを両手に10本近く持って来ており、キバがゴミ袋を広げるとボトボトと落とす。
聞いただけで顔を顰めてしまうその不穏なお茶を、一体どれだけ…しかも何種類飲んだのか。
キバは鼻が捉えた、一つ二つではない生薬の匂いに顰めた顔を更に歪めたが、ああでもこんなのをシノの口に突っ込めたらなと、なかなか楽しい妙案を思い付いて、結果苦笑いの体となった。
良薬は口に苦しだ。
とか何とか言って無理矢理にでも飲ませられたら、どんなに気が晴れることか。
匂いの強い飲食物を嫌うアイツは、さぞかし眉間の皺を深めることだろう。
当然、実行はしないし出来ないが、それでもやっぱり直接シノにやり返す方法を考えるのが、一番キバの感情を慰めた。
「そういえば、病気の猫がいるそうだな」
ところが空のペットボトルを見つめながら心持ちニヤニヤしていたキバに、ふとガイが言う。
「へ?」
一瞬ぽかんとしたキバだったが、すぐに先程のリーとの会話を聞いてたんだなと思い至り「はあ、まあ…」と曖昧な返事をして、
「なんなら今度、作って持っていってやろうか」
「え」
嬉々としてなされた申し出に一気に現実に引き戻された。
空想で楽しむのと実現させるのとでは、半端ない程の差があるだろう。
(――というか病床の猫にそんなものを飲ませようとするんじゃねぇ!)
「いやー、そ~れはちょっと…」
「はははは! 遠慮するな! 俺が考案した滋養強壮その他諸々に効くスーパーフレキシブルなブレンドがあるんだが…」
「諸々?!」
「ああ、そこがフレキシブル(柔軟)な効力で…」
「いや、いいっス! ホント全力でいいっス! いらないデス!!」
きつい言い様かもしれないが、それくらいしないとこの人には解ってもらえないのでハッキリキッパリお断りする。
するとガイは「そうか?」と眉尻を下げて残念そうな顔をしたものの、それ以上勧める事はなかった。
「……まあ、俺にできる事があったら何でも言いなさい。怪我にしろ病気にしろ、当事者でない人間にできる事は少ないからな」
その代わり、不意に落とされたトーンに訝しんで見れば、ガイの眼差しはキバより先―――リーに向いている。
(ああ……そういやアイツも)
忍を辞めて生きるか、忍として在り続けるために死ぬ可能性に挑むか、選択を余儀なくされた事があったのだ。
もう10年も前だろうか。随分と昔のように感じるが、思い出すとつい昨日のような気もする。
(今回は確率の問題ですらねぇんだっけ)
ついでに腹立たしさまで思い出してしまい、キバは内心舌打ちしてリーに視線を流しつつ目を細めた。
しかしそれも束の間、肩がぽんと叩かれはっとして顔を上げると、ガイが背を向けて軽く手を挙げていた。
「だからせめて、心は傍にいてやれ」
そう言って去っていく。
ああ、よくまあ臭い科白を恥ずかしげもなく言えるものだ。
呆れる程に純粋で、こちらが恥ずかしくなる程真っ直ぐで。
本当に、何ともよく似た師弟である。
「……俺は―――――」
すっかり高く昇った陽の光に川面が反射し、その眩輝(げんき)にキバは顔を背けた。
あなた達がしっかりしなさいという紅の言は尤もだ。けれど。
見守る? 傍にいる? 解るさ。でも。
「んな自信ねぇよ」
吐き捨てるように呟かれた声は傍らに居た赤丸の耳にだけ落ち、じんわりと照る暖かさと、冬の名残の冷たさとの間に消えた。
そういえば、リーとの話の中、例に上げたのは「怪我をした猫」だったのに
ガイは「病気の猫」と言っていなかったか、と。
彼の午前中の用事とは何だったのだろうか、と。
そんな疑問がキバの頭に浮かんだのは、バーベキューの後片付けをすっかり終え、ガイ達と別れて帰路に就いた後だった。
→Scene6へ
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人だとよく分からない事でも、動物に置き換えるとちょっと分かる気がするキバでした。
気持ちヒナタは 初め弱いけど芯の強さ(とナルトの影響)でポジティブに。
キバは強硬姿勢で噛み付くけれど、肝心なところは尻込みして保守的に。
「必要ない」と言われる事に対する免疫はヒナタの方が高いかと。
あとシノへの信頼は(無意識に)誰より強く、困惑を隠せない感じ。
シノの真意が分からなくて行動に移すのを躊躇してます。
ヒナタもキバも、方向は違えど優しいのさ。