Scene6.油女シスイの錯迷
薄暗い世界に、最小限の音で近付く気配を感じてシノは薄っすらと目を開けた。
微睡みからの覚醒は相変わらず夢現の判断を難しくさせるが、実際、意識のある時とない時とでさほどの違いは無かった。
家族は無闇に病床へ近付かないため周囲は大抵静まり返り、動きがあるだけ夢の中の方が余程活気があるように思う。
とは言え、息をし、布団の感触や温もりを感じればやはり確固たる現実味があって、シノは安堵とも落胆とも付かない溜息を吐いた。
(ああ、そうか……)
意識を取り戻すと共に、そう言えば頬を張られたのだったと虚ろに思い起こす。
色々衝撃的ではあったのだが、その後夢現を彷徨ううちに紛れてしまって、夢か現実か判然としなくなっていた。
痛みなどとうに消えているし、寧ろヒナタに叩かれるなど夢にも思わなかった事である。
けれどもそれは紛れもない事実であり、思い出した記憶は鮮明だ。
「………」
きっと、叩かれた本人よりも気にしているのだろうな――。
夕刻頃だろうか、常に薄暗くされた部屋ではあるが、僅かな隙間から這入り込んだ光が夕焼けの色をしている。
一体今頃、何を想っているのか。
叩かれた事よりも、叩かせてしまった事が悔まれてならない。
それにきっと紅や…キバにも……複雑な想いを抱かせてしまっただろう。
しかし、これからどうするべきか――考えなければと思うのにどうにも上手く頭が回らない。
体だけでなく、いよいよ頭まで寝過ぎて呆けたか―――。
そんな事を思った時、ス、と光の入らない方向の襖が静かに滑り、音少なにやってきた気配の主がゆっくりと枕元に腰を下ろした。
静かだが遠慮は無く、それでいて負荷となる無駄も無いその動作は、振り返るまでもなくそれが誰かを明示している。
シノは考える事を止め、意識をそちらに移す。
「おかえり」
「……ああ」
眠っていると思っていたのか、少しの間を置いてからシビが応えた。
背を向けたままは悪いかと一瞬頭を掠めたが、振り向くのは億劫で、そのまま会話を続ける。
「なにか」
端的極まりないその問い掛けは、特にこの状況下では冷たく突き放す言い草に聞こえるだろう。
しかし殊この親子の間では、こうした会話が常であり、何も不自然な事では無かった。
「チームメイトが、来たそうだな」
そのため息子の不遜な問いに対して、父親の方も淡々と受け答える。
「ああ。お陰で寝床を変える羽目になった」
「ああ…、大分派手な見舞いだったようだな」
使用していた寝室の戸が無残な姿にされてしまった為にシノは別室への移動を余儀なくされたわけだが、その他の被害状況は何も聞いていなかった。
しかしシビの口調では、思った以上の大立ち回りをやってくれたらしい。
シノは一つ大きく息を落として、返事に変えた。
それから暫しの間沈黙が降り、その間に夕暮れの色は音もなく夕闇にその場を明け渡していく。
その変遷の中で、シノは何やら嫌な予感を覚えた。
父は寡黙な人間だが、無闇に不安を募らせるようなこんな沈黙をする人ではない。
気のせいかもしれないと自身を窘めるも嫌な感覚は払拭されず、落ち着かせるようにシーツを握った。その時。
「………シノ」
「…ああ」
沈黙を破ったのは非常に普段通りの、落ち着いた声だった。
しかし次のシビの言葉に、思わず息を呑む。
「一週間後、施術を行いたい」
「……」
施術する…それは蟲との契約を解くという事だ。
それ以外の治療方法が見当たらないという事も、家族の中でその見解が強まっている事も知ってはいたが、そう決断するには些か早い。…いや。
シノは思った端から自身の考えを打ち消した。
このひと月の病状の経過と検査結果は、シノ自身が誰よりも知っている。
そして一族が何を憂い、望んでいるのかも―――分かっていた。
「…そうか」
呑み込んだ息とともに静かに吐き出す。
嫌な感覚はシーツを掴んだ掌に滲み出し、上がった心拍と共に全身に拡散していく。
そうして内を巡った緊張と高揚は暫しの間居座っていたが、静かな呼吸を繰り返す中で夕焼けの後を追うように消えていった。
どうするのが最善か―――それは明白だ。
早いどころか一週間も猶予がある事の方を意外に思うべきだろう。
しかしそれは、きっと…。
「それでいいか」
確かめてくる声に、シノは漸く身動いでシビの方へ向き直った。
少し寝返っただけだというのに全身を気怠さが襲う。
その倦怠感に僅かに眉を顰めたシノだったが、暗闇に慣れた眼は傍らに座す父の姿をしかと見留めた。
風貌の類似からよく似ていると評される事も少なくないが、シノの目からすればこの父親は自分などより余程情の深い人だ。
決して表情には出さないけれど、里や家はもとより個人にとっての最善もよく考えている。
きっと、一週間の猶予はこの人が自分のために設けてくれた期間なのだろう。
眼鏡を外した自身と違い、薄暗い中でもサングラスをしたままのその顔を見つめて、シノは僅かに目を細めた。
「…ああ、それでいい」
普段通りの、簡素で簡潔な会話。
それだけで伝え、伝わる。
それが最善だ。大丈夫、貴方は正しい。
「……」
シビは少し俯き力を抜くように息を吐いて、音を立てない所作で席を外した。
「お休み」
頷くように告げられた言葉は、見送るシノの髪に触れ、頬を撫で、瞼に添えられて、静かに融けていった。
「…」
シビが去った後、シノはそのまま暫く閉ざされた襖を見つめていた。
しかしふと息を吐くと、今しがた僅かながらも興奮した所為か、瞼に重みを感じて再び眠りに落ちる事を知る。
ああさっき起きたばかりだというのにまだ眠りたいのかと、誰ともなしに心の中で問い掛ければ、意外にも蟲達が囁くような羽音をならした。
それは特に意味があるわけではなく、ただ軽く肩を叩くような、あるいは寝返りを打つ時の小さな寝言のような、そんな反応だ。
けれどそんな他愛もない、ささやかな反応が返ってきた事に、シノは思わず笑いを零してしまった。
蟲達からはそれ以降音沙汰無くなってしまったが、それでも笑ったのは久しぶりだなと、温かくどこか懐かしい気持ちに目を閉じる。
――――シノくん、いくつ持ってるの?
すると不意に思い出したのは、ヒナタの素朴な質問だった。
皆で集まった時に起きた停電の最中、シノが蝋燭を次々取り出した時の、これもまた他愛ない反応だったはずだ。
何故そんな事を思い出したのかと不思議に思うも、ああ、あの時の気持ちと似ているからかとすぐに気が付く。
温かくて、くすぐったいような、それでいて何だか寂しいような…。
そこまで思って、シノは綻んでいた表情を曇らせた。
(ああ、そうだ……)
ヒナタ達の事をどうするか考えていたのだ。
しかし今度は押し寄せる眠気までもが邪魔をしてきて、どんどん思考が鈍くなる。
唯一、朱い灯火に照らされたキバとヒナタの姿だけは鮮明に思い浮かんで頭から消えず、それだけを糸口に意識を浮上させてシノは口を開いた。
「……シスイ」
「はい」
そこに居る可能性の高い者の名をほとんど無意識に呼んでいたのだが、どうやら当たっていたらしい。
それまで物音一つさせなかった従者が、襖の向うから即座に返事を返してきた。
忍でもなく、血縁的には一族の者でもないが、油女の家で長年培ってきた振る舞いはそれに近く、寧ろ幼い頃には彼女のその所作にシノが倣ったものだ。
母や姉のように慕ってきた…と言っても間違いではないが、互いに主従の態度を崩さないためにその関係は姉弟とは程遠い、とても事務的な間柄が固持されている。
しかしそれでも、現状においてシノの世話役として当然のように指名され実質一任されているのだから、シノも含めた油女一族からの信頼は厚い。
ただ…。
「交代の時でいい。前の部屋から、シエンの蝋燭を持って来てくれ」
「…はい」
澱みない返事が僅かに遅れた。
所縁のなかったシスイを引き取った男―――油女シエンは一年程前に既に帰らぬ人となっている。
蝋燭というのは、生前彼が趣味で作っていたものをシノが形見分けとして譲り受けた物だ。
熱を避けるとはいえ明かり取り程度の火は一応許されており、まだ余力のあった頃は暇潰しにその明かりで本を読んだりもしていた。
その事はシスイも知っている。気の利く彼女のことだから、手頃な本も念のために用意してくるかもしれない。
そうした、他人の希望を叶える事を至極当然の如く、何でもない風にする人だ。
しかしよく尽くしてはいるものの、恐らくシスイの絶対的主人は飽くまでシエンであって、油女一族ではない。
故にシスイにとってこの家との繋がりは実のところもう無いのではないか、とシノは思っていた。
「…」
必要最低限の受け答えが済むと、音も止む。
しんと静まり返り、すっかり下りた夜の帳に引き摺られるようにしてまた意識がズルズルと微睡みに沈んでいく。
それを夢見心地に感じながら、シノは思っていた。
それでも、再び目覚めたら、きっと蝋燭はこの部屋にあるのだろう―――と。
繋がりが無くなっても尚、きっと彼女は持って来る。
最善だ 大丈夫 それが正しい 。
そうだ 過去そうしたように 彼女に倣え
シスイは――いや シエンだって―――蟲使いでは なかったのだから――――。
途切れた思考が音無しの世界にその先を紡ぐ事は無く、意識ともども束の間の安息に埋没する。
ただ、お休みなさい、と掛けられたふわとした音は、眠りの中にも幽かに聞こえた気がした。
*
*
*
「では」
何も問題無い事を伝え引き継ぎを済ませると、シスイはその足でシノの元居た部屋へ向かった。
無残に散った戸は片付けられているが、入口は塞がれることなく開いたままになっている。
暗闇に慣れた瞳には不要なため電気は点けず、入ると迷うことなく押入れの戸を滑らせて、布団の入った下段と違い殆ど空っぽの上段に一つだけ置かれたブリキの缶を両手で取った。
すると自身の手と同じくらいの側面積の、立方体に近い形をしたその缶は酷く冷たく、シスイの手を指先から凍えさせる。
簡単な留め具の付いたチャチな宝箱のようなそれは、確かフタに草花の紋様が軽くあしらわれていたはずだが、薄暗い中では流石によく見えない。
「……」
シスイはつと目を細めると、落とす事の無いよう缶を抱え直し、押入れの戸を閉めて部屋を後にした。
自室で書類に目を通していたシビをシスイが訪ねたのは、それから少し経ってからの事である。
「どうした」
「いえ、買い物に出ますので、何か御入用の物は」
「買い物…?」
障子戸を必要分だけ開け、畏まって尋ねてきた家人にシビは僅かに瞠目した。
まだ店はやっている時間だが、外は既に陽が落ちている。
普段から出来る事は日中に済ませてしまう彼女にしては珍しいと思いながらも、何か急に要り様になったのだろうと、シビは否と答えた。
対するシスイも了承の意を示し、それではと障子戸に手を掛ける。
しかしそれを、思い出したようにシビが制止した。
「ああ、シスイ」
「はい」
下げていた頭を上げ、こちらの意図を覗うように上目遣いに見遣ってくる。それは彼女がよくする、癖のような仕草だ。
実際、灰の色をしたその瞳はこちらの真意を汲み取る為にどんな些細な事も逃すまいとしているのだろう。
「……シノは」
だからこそこんな端的な問い掛けにも即座に返答する事が出来る。
「また眠った様です。特に問題はありません」
「…そうか」
シビは呟くようにそう言うと再びシスイに意識を向けて、気を付けて行って来るようにと送り出す。
シスイは一礼をして出掛けて行ったが、シビはまだ少し、閉められた障子戸を見つめていた。
もともと家人には、たとえ使用人であっても外出時に伺いを立てなければならないという決まりは無く、必要であれば各自の判断で、としている。
その為以前はシスイがシビのもとを訪れるなど殆ど無かったが、シノの世話役を仰せつかってからは先のように、一言告げて出る様になった。
自分の居所を明確にしておく為であろうし、それは構わないのだけれど……どうにも昔からシビにはシスイがよく解らない。
寡黙無愛想な油女一族内において、シスイは寧ろ柔和で穏やかな表情と話し方をする方だ。
にも関わらず、どうしてかずっと――出会った当初からずっと、心の奥底に巣食った不信感が拭えないでいる。
それは恐らく、シスイが油女に引き取られて来た当時を知っているから、だろう。
シスイの存在は、その曰くを身を以って知る者達にとっては非常に微妙なものなのである。
勿論、シノの事を任せているのだからその言動に不信な点など無いし、シノを含めた若い衆からの信頼は確かだ。
しかし実のところ、彼女が指名されたのは信頼感からだけではない。
蟲に造詣が深く、そのうえで、蟲使いではなかったからだ。
「…」
シビは気を取り直すように一度瞬きをして、見ていた書類に目を落とした。
シノの施術を行うに伴い必要となる、諸々の事項が記された巻物だ。
シノの異状が発覚すると、油女一族では早い段階から寄壊蟲の問題を危惧していた。
その為、他の蟲達への影響も考慮して、蟲使いでない者を主立った世話役として選んだのだ。
そう―――、一族が最も憂慮しているのは、寄壊蟲の暴走。蟲のコントロールを失う事態は、何としても避けなければならない。
蟲達との対話に支障をきたしているシノの状況はその前兆とも取れ、邸内には密やかな怖れが蔓延している。
そしてその怖れを、シノも分かっているのだ。
だが…。
「シエンが居ればな……」
もう少し信用出来たかもしれないと、シビは嘆息した。
蟲に造詣が深いということはその危険性も重々知っているということだ。しかも忍でない身は万が一に対処する術も無い。
しかし面に出さずとも他の者には少なからず感じるその恐れが、何故かシスイには感じられないのだ。
怯えていないというよりももっと、様子を覗うような……そう、上目遣いに見遣る彼女の癖のように、まるで何かを、探っているような…。
「……考え過ぎか」
真意などそうそう知れるものではない。
彼女は――シスイには、どれ程の心意が見得ているのか。
「………」
書かれた文字の羅列を見つめながら巻物に置いた手に力を込め拳を握ると、体内の蟲達が羽音を震わせさざめきを起こす。
――――ああ、分かっている
シビはその声に答え、拳を緩めて指を組んだ。
――――我々の盟約は、決して揺らがぬ
―――決して
油女と寄壊蟲が長きに亘り培ってきた関係に、これ以上傷を付ける訳にはいかない。
その為にも、不穏分子は駆除しなければ。なのに。
『…ああ、それでいい』
全てを肯定したシノの答えは、しかしそれでも、拭い切れない何かを残す。
それが最善…?
本当に、正しいのか…?
蠱動の音を聴きながら、シビは苦虫を噛み潰したような顰めっ面を、更に渋くした。
一方、その頃。
細々とした仕事を済ませた紅は、灯りの燈った提灯連なる飲屋街にやって来ていた。
昼過ぎには一度ヒナタ達の家を訪れ、ヒナタは…まあ大丈夫そうだったがキバはまだ帰っておらず、シノの家にも様子だけ伺いに行き、落ち着いているという事は門前で聞いた。
対応に出た者は中へ通そうとしてくれたが、その場でと紅が頼んだのだ。
キバ達の心境は、まだ紅にも解らなくはない。しかしシノの心は、察するに余りある。
また会ったとして、一体どんな言葉を掛けるというのか…。
紅がシノ達の事を思い出し歩みを止めた時、近くで店の戸がガラガラと開いて数人の客が笑い声と共に外へ出て来た。
思わずそちらを向いた紅は、どこか見覚えのある姿を見付け目を瞠る。
意気揚々とした酔っ払い達の横を、そして賑わう人波の中を、気配も無く影のように擦り抜けて来る―――女性?
一瞬シノかと思ったが近付いて来たその容姿は別人で、けれどもやはり見覚えがある。
(確か……油女の家で会った…)
そう、昨日シノの検査結果を見せて貰いに行った際、紅を邸内に迎え入れた、彼女だ。
「――――っ、あの!!」
反射的に駆け寄り声を掛けると、驚いたらしくビクリと肩を竦めて目を見開く。
突然目の前に現れた人間にいきなり両肩を掴まれたのだから、ビックリ眼をぱちくりとしている様はとてつもなく普通の反応だが、
「……はい、何でしょう。紅上忍」
と律義に返してきた声は、流石というべきか平静を保っていた。
寧ろ紅の方が『上忍』という呼ばれ方に我を取り戻し、慌てて手を放す。
「あ……ええと、突然ごめんなさい」
「…いえ」
紅がお手上げの形で詫びると、緊張が解けたのか肩から力を抜いて、改めるように佇まいを直した。
黒髪の短髪に浅黒い肌、そしてこちらを上目遣いに視てくる仕草は間違いない、昨日の人だ。
紅よりも一回り小柄な体躯にシノがよく着ていたような服を纏っているが、細身の為か嵩(かさ)は無い。
しかし控え目ながら整った顔立ちと姿勢の良さから、凛とした空気が感じられた。
「……あの、それで…」
私に何か御用でしょうか、と戸惑いながらも礼儀正しく再度尋ねられて、紅は女性の様相に行っていた意識を引き戻した。
「あ、あぁ…えっと、油女の家の人…よね?」
「はい」
一応、念のために確認を取れば明瞭な答えが返り、次に告げられるであろう用件を待つようにじっと見つめられる。
その真っ直ぐな視線に紅は微妙な笑みを返しながら、しまったどうしよう、と今更ながら思案した。
思わず声を掛けてしまっただけで特に用がある訳ではないのだ。が、掴みかかる勢いで押し止めておいて、それはちょっと…あんまりだろう。
そもそも自分は何故彼女に声を掛けたのか。確かシノの事を考えていた時にちょうど通り掛かって…ああ、そうだ、自分とこの人との接点はシノなのだ。
そしてここは飲屋街で、酒を飲む処………。
一頻り思考を巡らせた紅はこれしかないと拳を握り、じっと待っている油女の女性に申し出る。
「良かったら、一緒に飲まない?」
「……はい?」
すると思いがけない紅の誘いに戸惑ったらしく、僅かながら困惑の表情を浮かべていた。
それはまあ、そうだろう。紅の場合一人で飲みたい時はそうするが、時と気分によっては見ず知らずの人間と飲み明かす
――といっても里内の飲み屋では殆どが常連の顔馴染みなのだが――事もある。
しかし彼女は同じ里内に住む者とはいえ昨日今日会ったばかりの人間と、喜んで酒を酌み交わすタイプにはとても見えない。
「ああ、無理にとは言わないんだけど。でも今日、貴重なのが入って…」
「あ、あの、すみません。私はお酒を飲みに来たわけではないんです。この先の商店に用がありまして」
「………え?」
それでもと言い募ろうとした紅は、不意に遮られ、その科白に目を丸くする。
けれども考えてみれば確かに、飲屋街に居るからと言ってそこに用があるとは限らないのだ。
ああしまった、と紅は内心で舌を打った。自分が酒を飲む気だったものだから、ついこの人もそうなのだと思ってしまった。
「そ…そうだったの、邪魔してごめんなさい」
「いえ…」
紅が過ちに気付いて提案を引っ込めると、姿勢を崩さないまでも上目遣いの眼差しが気遣わしげになり、申し訳なさそうな影を落とす。
しかしそのままそこに居ても悪いと思ったのか、一礼をして紅の横を通り過ぎていった。
「……」
いや、まあ、もともと彼女に用があって声を掛けたわけではなかったのだから、これでも問題は無いのだけれど、
ただできればもう少し、詳しいシノの状態を聞き出せはしないかという打算も無くはなかったのだ。
彼女がどれ程シノと親しいかは判らないが、少なくとも今の自分よりは近い場所に居る。
だから何か…、何か、シノとの向き合い方のヒントでも…と。
紅は小さく息を吐き、肩に入っていた力を抜いた。
ところが立ち去ろうとしていた足音がふと止まり「あの」と躊躇いがちに声を掛けられ、振り向いて見ると、ついさっきまで自身を見つめていた瞳と、目が合った。
半身振り返った姿勢は変わらず密やかで、けれどもその眼差しは先のものよりも真っ直ぐに感じられる。そして
「あの、用事はすぐに済みますので、その後でもよろしければ御一緒出来ますが…」
どうでしょうと尋ねられて、紅は驚いた。まさか向こうから積極的な提案をしてくるとは思わなかった。
しかし折角の申し出だ、断る理由は無い、だろうが。
「いいの…?」
「はい。少しの間待っていただければ」
「そう…」
紅が確認すると、再度正面を向けて明瞭に答えられる。思いの外気軽な調子に面食らいつつも、それならと、紅もまた少し砕けて言った。
「なら、先に料理だけ頼んでおこうかしら。何か、好きな物はある?」
予想外に進んだ話は初めの気まずさを払拭し、待ち合わせの場を決めた二人は穏やかな空気で一度別れることとなった。
ただ別れ際、急ぐためか歩きではなく瞬間的に消えた姿に、忍かどうか、更には名前すら聞き忘れた事に気が付いて、自身の不甲斐無さを強か嘆いた紅だった。
「申し遅れました、私は油女一族にお仕えしております、シスイと申します」
言葉通り間もなく戻って来た彼女は、座敷に落ち着いたところで切り出した紅に、そうでしたと改めて自己紹介をしてくれた。
話に依ると油女一族の血縁ではないが幼い頃に引き取ってもらい、一応扱いは家族であるらしい。
…が本人の言い方からすると、基本は主従関係に近いようだ。
忍ではないものの単純なチャクラコントロールや護身術程度はできるのだそうで、別れ際の動きは成る程納得がいった。
そんな話をしていると先に注文していた品を店主が持ってきてテーブルに並べていく。
普段は一階のカウンターで顔を突き合わせている店主は、珍しく二階の個室を選んだ紅に「寂しいから顔を見に来た」などと軽口を叩いていたが、本題は酒の話に違いない。
「そしてこれが大本命」
そう言って最後に出してきたのは桐箱で、蓋を外すと小さめの瓶が3本、仕切り越しに並んでいる。
「雪月花!」
待ってましたとばかりに喜びの声を上げてしまった紅に、シスイが目を瞬かせる。
それに気付いてとても貴重なお酒で滅多にお目に掛かれないのだと説明すると、物珍しげな視線を3本の酒に向けた。
加えて店主も紅に同調し、嬉々として酒の説明を継ぐ。
純米大吟醸の『雪』、本格焼酎の『月』、そして15年古酒(クース)泡盛の『花』。
その上質な味わいは酒好きの間で一時評判になったが、限定品の為あまり出回らず、今回は再出品にあたりようやく入荷できたのだと言う。
店主と紅の話を要約するとそんなところだが、その三種の酒がどれ程貴重であるかは二人の嬉しそうな様子が何より雄弁に物語っていた。
そして酒仲間の話を一通り終えると店主はごゆっくりと言い残して戻って行き、頬を仄かに紅潮させた紅はこちらだけ盛り上がってしまった事を詫びて、箸を渡しながら食べ物の方もシスイに勧めた。
「ここは料理も美味しいのよ。お刺身も、遠慮しないで食べてね」
「……はい」
先に聞いた好物に、サラダや煮付けなど適当に頼んだものがテーブルには並べられている。
しかしシスイは箸を受け取ったまま手元のお通しをじっと見つめているので、紅も自分の小皿を見てみれば、これは、菜の花のお浸しだろうか。
「ああ…もしかして、菜の花嫌い?」
「え…あ、いえ」
紅が何気なく尋ねると、シスイは我に返ったようにはっとして僅かに目を泳がせたが、特に躊躇う様子も無く口に運んだので食べられない訳ではないようだ。
不思議に思いながらもお酒はと訊けば少しならと答えるので、ならばと大本命の一つを開けた。
そして、トクトクと透いた美酒をグラスに注ぐ。
小瓶のためいつもの様になみなみ注げないのは残念だが、清んだ水面が揺れる様子は変わらず美しく、その香気に思わず安堵してしまう。
「…本当は」
その所為だろう、不意に吐いて出た呟きにはたと口を噤む。
目を上げると例の上目遣いな眼差しとかち合ったが、紅が誤魔化すよりも先に「ありがとうございます」とシスイが手を伸ばし、紅の注いだグラスを取った。
聞こえなかったのか、あるいは聞き違えたのか。追及されはしなかったものの、かち合った視線に一瞬ドキリとしてしまった。
――本当は。
酒を飲んでいる場合ではないのだ。
けれど、シノの状態を知る前に予約してしまったものだから…。
――いや、やはりこれはただの言い訳だろう。
どんな理由であれ、酒など飲んでいて良い訳は無い。
「………」
紅は、紛らわせるように自分用のグラスを揺らめかせながら、もう一度ちらりとシスイに目を向けた。
シスイは姿勢良くグラスを持ち、嬉しいような哀しいような、何とも言えない表情で酒面を見詰めている。
教え子が大変な時に酒の席になど誘った上司の事を、一体どう思っているのか…。
表面上は、怒りや嫌悪などの感情は見られないが、シノに似てあまり変化しない表情からでは実のところは判らない。
(………似ている?)
そこでふと、紅は気が付いた。
明かりの下でよく見てみれば、黒だと思っていた服は紫がかっており、更に上着の灰と同じ色の瞳をしている。
髪型も違えば身長体格も、子どもの時分ならともかく今のシノとは似つかない。
最初に見つけた時シノかと思ったのは、服装を含めた姿形が似ているのだと思っていたが、差異が明らかになっても尚重なるのは―――その仕草か。
そう、大したことの無い些細な、歩く、立つ、座る、話すなど、そうした根本の動作仕草が、シノのそれと重なるのだ。
(血筋? いや、血は繋がっていないんだったか)
「それは」
不意に、盗み見ていた紅をシスイが捉えて口を開いた。
灰の瞳が上目ながら真っ直ぐに、緋の目を瞠った紅を見据え――。
「幼少期、少しの間ですが、私がシノの世話をお仰せつかっていたからだと思います」
と、『答えた』。
「―――え…?」
紅は瞬きをして、シスイを凝視した。今の科白は、受け答え…だった。間違いなく。
(どういう事? 私が声に出していた? ――いや、そんなはずは…)
「…確か紅上忍は、幻術使いでいらっしゃいましたね」
「え、ええ…」
内心混乱する紅に対し、シスイは飽くまで落ち着き払った態度のまま淡々と言葉を続け、手にしていたグラスを静かに置くと、
「幻術は、相手の精神に影響を及ぼす術ですから。それを得意とする方には、無意識下においても他者に干渉しやすい性質を持つ方が多いのです。
対して私は…厳密に言えば私の眼は、そうした干渉を受けやすい――例えるならば、電波の受信機のようなものなので、そうした事を総合し安直な言い方をすると、」
まるで他人事のようにつらつらと説明して、こう言った。
「私は、人の心が読めると言うことになります」
予想外の結論に、紅は一瞬言葉を失った。
が、伊達に忍として生きてきたわけではない。
常識外れな能力もあまた見てきたし、そういう能力が存在しても、まあおかしくは無いだろう。
紅はそう考え、気を取り直して、その「受信機」と表された灰色の瞳を見据え返す。
「そして幻術使いの方は、先の理由から、特に読みやすいのです。……お分かりいただけたでしょうか」
自身の事を打ち明けているにも関わらず、少しも臆した様子は無い。
それは虚勢でも、無感情というのでもない、まるで紅を信じきっているような、それを打ち明けても決して悪いようにはしないと自信を持っているような――――シノのような態度だと、紅は思った。
「…それは」
それでも、心を読むなどという能力の前で簡単に気を許すわけにも行かず、紅は警戒心を抱きつつも、飽くまで世間話の体で尋ねてみた。
「血継限界? それとも…」
「能力自体は血継限界ですが、私は違います」
「どういうこと?」
シスイの返答に訝しげな顔をすると、シスイは再び、事も無げに言う。
「はたけ上忍と同じですよ。血継限界の者の眼を移植したのです。私は、大蛇丸先生の実験体の一人でしたから」
「え?!」
平静を保とうとしていた紅だったが、今度はつい、驚きの声を上げてしまった。
先程から思わぬ方向へ進んでいく話に驚かされてばかりだが、しかし、これは…。
「とは言っても、一時です。油女一族に、シエンという研究者がおりまして、先生とも、少しですが交流があったのです。その縁で私とも知り合い、程なくして引き取って頂きました。ああ、」
紅の様子も意に介さず話を続けていたシスイが、思い出したように説明を付け足す。
「本来この血継限界は、眼だけで成るものではありません。私はほんの一部を移したに過ぎないので、心が読めると言っても、少しだけ。それも、自分の意思で選ぶことも、拒むこともできません」
「それって、つまり…」
「はい。術としては使い物になりません」
成る程。だから大蛇丸は簡単に手放したのか。そして彼女もそれを術として使おうとしなかった為、拡く知られることは無かったのだろう。
それにしても、と紅は半ば呆れて思った。随分あっさりと話すものだ。
こういう事は、自身の中に秘めておく類の話ではないだろうか。一体どういうつもりで、私にこの話を打ち明けて――いや、シスイの様子はそんな重苦しいものですらない。
これはまるで。
「身の上話のつもりですが」
「!」
紅は一瞬また驚いてしまったが、そうだ、心が読めるのだった。に、しても…。
「身の上話…?」
「はい。私は紅上忍の情報を多少なりとも持っていますが、紅上忍は私の事を御存知無いと思いまして。ですから、身の上話を。お酒の席ではこうした雑談をするのではないのですか…?」
「ざ、雑談…」
そうか。何かおかしいと思ったら、彼女にとっては自己紹介の延長だったのか。
「それに」
紅が何か色々衝撃を受けていると、ふとシスイが目を細め、柔らかな表情を紅に向けて言った。
「私は紅上忍の事を信頼しております。そして少しでも、私の方も信用していただけたらと。その方が、シノの話もしやすいでしょう」
「…」
ああ、そうか。
その表情を見て、紅は腑に落ちた。
何故、シスイが自分の誘いに乗ってくれたのか。
確か…確か、あの時、彼女が断り去ろうとした時、シノの情報を、話を、と考えた。
その考えを、思いを、シスイは受けたのだ。
「………そう…」
紅は呟いて、静かに、表情を緩ませた。
思考が読まれてしまうのは、まああまり良い気はしないが、それもまた彼女の言うところの"信用"なのだろう。
たとえどのような心持ちを知ったとしても、決して悪いようにはしない、と。
シスイが紅を、信じているように…。
「そう、ね。確かにその方が、助かるわ。話してくれてありがとう」
心から信頼するにはまだ至らないが、それでも、何も知らないよりはずっと良いように思う。
素性を知らずともシノの話は出来たかもしれないけれど、こうしてシスイの身の上を知れた事は、驚きも動揺もあったが、やはりどこか安心したのも確かだった。
それに全て…ではないにしろ、大方こちらの望みが分かっているのなら、話も早い。
そこでふと、シノの事を思い起こした為か気になる事が浮かぶ。
「……ところで油女の…シノ達も知っているの?その、貴方の…」
「ええ。もちろん。シノはその上で"察しが良い"という事で片付けているようですが」
尋ねてみれば、紅の警戒が和らいだ事を知ってか知らずか、シスイは再びグラスを手にしながら少々気の抜けたように答えた。
「察しが良い」とはこれまた随分簡潔な解釈だが、何ともシノらしいというか。
それに先程のシスイの説明からすると、あながち的外れな表現でも無いような気がする。
(でも…そうか、油女一族も知ったうえで受け入れているのね……)
シスイを疑うわけではないが、やはり信じるにはそれに足るものが有るに越した事は無い。
そして『油女』が彼女に信頼を寄せているのなら……。
「…あともう一つ、聞いても良いかしら」
「はい、何でしょう」
紅が言うと、シスイが聞き返す。
その様子は純粋に質問を待っているようで、当人の言う通り、全てが分かるわけではないらしい。
「ちょっと気になったんだけど、さっきの『先生』って」
「…ああ」
それでも流石、それだけで言わんとすることを察したらしく、シスイは「すみません」と言った。
「一応、恩もあるのでそう呼んでいるのですが…そうですね、あまり好ましくありませんでした」
「恩?」
紅が気になったのは大蛇丸に対する敬称だったのだが、シスイに特別な意図は無かったようだ。
しかし込み入った事情でもあるのか、シスイは少し考えるように間をおいてから、徐に答えた。
「目が見えなくなる病だったのを、一応、治していただきました」
「……ああ、そういうこと…」
つまり血継限界の眼の移植は、シスイの方にも益があった。
シスイに行われた実験の数は知れないが、少なくともその件に関しては、利害が一致していたという事か。
『先生』という呼び方は、医師、あるいは研究者としての敬称だった訳だ。
「ですが…」
紅が納得していると、シスイが続けるので何かと思えば、
「呼び捨てには出来ませんが、様を付ける気にはなりませんね」
としみじみ言うものだから、つい吹き出してしまった。
「そ、そう…っ」
内容というよりもその言い方が何だかとても可笑しくて、笑ってしまう。
しかし言った本人は笑うでもなく、そんな紅をただしげしげと眺めているので、ああ笑うところでは無かったかと笑みを引っ込めた。
「ごめんなさい笑ったりして」
「いえ。……それで良いと思います」
「え?」
ところが紅の様子を見つめていたシスイは、再び優しい表情をして
「紅上忍は何も悪くないのですから。お酒を飲んで、笑って…普段通りで良いと……シノも思っています」
と、穏やかに、それでいて確固に言う。
「…」
ああその確信めいた言葉は、きっと真実なのだろう。情報を得た今ならば、これ程信憑性の高い言葉は無いと判る。
けれどこんなにも…自分の欲しかった言葉を掛けてもらってしまって、良いのだろうか?
「…そう……かしら」
「ええ」
シスイは相変わらず綺麗な所作でグラスに口を付けて一口飲むと、どこか嬉しそうに続けた。
「紅上忍は、充分にすべき事をして下さっています。貴方が必要以上に思い詰める事は、シノも望んではおりません」
―――できる限り、普段通りで良いのです
―――朝、おはようと言い、夜、お休みと眠るように
「……」
ゆらゆら揺れる酒面に、照明の影もまた変わらず揺らめいている。
欲し望んだ答えはそこにあるのに、躊躇われるのは、きっとそれが唯一の方法と、認められない部分があるからだろう。
何かまだあるのではないか、出来るのではないか、と。――しかし。
紅は弄んでいたグラスに口を付け、その芳しい香酒をぐいと飲んだ。
それが確かな最善ならば、自分のやるべき事はそれしか無いのだ。
「……でもそうなると、やっぱり困ったわ」
「はい?」
グラスの中身を飲み干した紅は、幾分か砕けた様子でシスイに向かって苦笑を浮かべた。
「実は普段から仕事の話以外、大してしてなかったのよね」
不仲という訳ではなく、ただ思い返してみればシノとのコミュニケーションはそれで事足りていたなと思う。
するとシスイは紅の科白に頷き、考えを巡らすように首を傾げてから「それでは」と口を開いた。
* * *
それから暫く、二人はシノの話をはじめ他愛ない雑談にも興じ、宴を終える頃には程良く打ち解けていた。
そしてそろそろお開きにしようと会計を済ませ外へ出ると、まだ冷たさの残る風に身震いする。
「夜はまだ冷え込みますね」
「ええ…でも大分暖かくなったわ」
今はお酒も入っているから火照った頬には丁度いいくらいだと思うと、「そうですね」と返事が返り、紅は笑って「でしょう?」と更に返した。
こんなやり取りにも慣れてしまって、違和感も無い。
それはシスイが返答するものを選んでいるからかもしれないと途中で気が付いたが、それはそれで、彼女の配慮に感じられた。
「それじゃあ…今日は付き合ってくれてありがとう。色々、助かったわ」
「いえ、こちらこそ」
親しくはなったもののシスイの態度は崩れる事なく、飽くまでも礼儀正しい姿勢を貫いている。
どうやらこれが素であるらしく、誰に対しても変わらないらしい。
行儀良く揃えられた手には最初会った時には無かった薄い黄色の袋が提げられていて、これが先の用事だったのだろう。
「シノと…それから、シビさんにも…」
「はい。心得ています」
紅が皆まで言う前に、シスイが頷き了承の意を示す。
気を付けてあげてほしいと、自分が言うのも何だけれど、と、そういったものを全て掬い上げて受けてくれたようで、紅はもう一度ありがとうと微笑み、シスイに一旦の別れを告げた。
一度だけ振り返って見れば、急ぎでないと瞬身は使わないのか気配少なに歩いて行く後姿があり、それはやはり、どこかシノを彷彿とさせるものだった。
(そう言えばあの袋、この先の雑貨屋のものだったわね)
そして再び家路に就くと、紅は先程見たシスイの袋からか子どもが大きめの水筒が欲しいと言っていた事を思い出し、今度買いに行こうかと思う。
確かその店は食器類からコスメ、アロマ用品にインテリア用の小物など、雑多に置いていたはずだ。
(……シスイは何を買ったのかしら)
それまであまり気にならなかったが、ふとそんな疑問が浮かぶ。
しかし今更訊きに戻る程の事でもなし、きっと要り様になった何かなのだろう。
紅は冷えた空気を吸い、吐き出した。
昨晩から大変な一日ではあったが、それでも今日は話ができて良かった。
シノとも、そして――シスイとも。
大丈夫だ。
できる事も、できない事も、見極めは付いた。
もう、迷う必要は無い。
提灯の明かりに照らされた喧騒から離れていくと、それに代わって夜に点る家々の明かりが紅の行く道を標(しる)してくれる。
その点燈の下、紅は落ち着いた足取りでしっかりと歩を進め、自身の居るべき場所へと戻って行った。
宵も深く、すっかり静まり返った邸内に帰り着いたシスイは、自室へ戻ると押入れを開けた。
雑多な荷物の中、先程置いたばかりのブリキの小箱に、目を細める。
「これで、少しは元気になると良いのですが…」
憂いを帯びた声音と共に、手にした袋がカサリと揺れた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
息子大好きな親バカ設定のせいかもしれませんが、シビさんはシノより情に厚いイメージがあります。
シノの優しさは"優しくあるべき"といった義務的な要素もあってより機械的で、シビさんの方が純粋な慈愛に近い感じ。まぁ父の愛は偉大ってことで。
そうした性質を総合的に見てみると、あれだけ似てる父子なのに実は母親似っていうのが私的好み妄想デス。
また紅先生とシノは、任務の話くらいしか普段しないけど、それで十分信頼関係は築けているんではないかなと。
シスイとの話が弾んだのは酒の席の勢いもあり。お酒の力は偉大…かもしれない。
(あ、お酒の話はデタラメです。雪月花とかありません。ただ古酒泡盛は、花酒とも呼ばれる…らしいです)
そして何だかんだ皆、結局は出来る事、やれる事をやるしかないんですが、その前にぐるぐる迷走して考えて悩む事って、私は大事なんじゃないかなぁと思います。
結果は見えていても。無駄っちゃ無駄なんですけども。
考える事、思う事、それ自体が大事な気が……するんですけどどうなんでしょうw