Scene0.準備
「………キバ。人を家に招く時は、事前に準備しておくものだ」
「うるせーなー。今日偶々会って、思いつきで誘ったんだから、仕方ねーだろ!」
シノとキバは、背を向けたまま散らかった床の整理に明け暮れていた。
『シノ!ヒナタがウチに来る!片付けんの手伝え!!』
シノがキバのアパートにちょくちょく厄介になるようになって暫く。
年が明けて間もないこの日も前日から泊まり込んでいて、朝早く出掛けたキバに代わって留守をしていたシノに、キバは帰ってくるなり開口一番にそう言った。
そうして、今の状態に至る。
仕事道具である忍具やら巻物の類は一応の形をもって棚に収まっていたが、衣類や漫画、新聞、
そして女子――特にヒナタのように純情可憐な――に見せてはならない雑誌の類は、なかなかな散らかり具合だった。
シノの私物もあるが、総じてもリュックに収まる程度だ。
とにかく収納スペースに押し込むためにまとめに掛かって漸く、その作業が終わろうとしている。
「ったく、お前ずっと居たんだから、少しぐらい片付けてくれてたっていいもんだろうが。
泊めてやってんだから、それぐらいしろよな~」
「…………泊めてもらっている家主の許可無く勝手に手を付けるのは無礼だろう。
片付ける代わりに夕餉の支度はしたし、出来る限りの掃除はした。文句を言われる筋合いはない」
ぎゅっと紐で雑誌を束ねながらキバがぐちぐちと言うと、シノが服をたたみながら言い返す。
実際、キバが帰って来た時部屋はきれいになっていた。
特に台所や風呂場、トイレは見違える程ピカピカ。
ただ、当人が言う様に肝心の部屋の中は少し寄せた感はあったがほぼ手付かずのままだった。
部屋も片付けようとはしたが、私物の雑誌類を見て止めておこうと思い至ったのだ。
「それにしても、何だ。この資源ゴミの量は」
衣類をダンボールに収め、一区切りを付けたシノはそれらを見渡して言う。
週刊だか月刊だか知らない漫画雑誌と、読んだんだか読んでないんだかわからない新聞・広告が量と厚みを以て自分たちを取り囲んでいる。
「仕方ねーだろ。資源ゴミの日に限って仕事だったり、忘れたりすんだよ」
ぶすっと口を尖らせて、キバは背中越しにシノに言った。
しかし、「それにこれは…」と言うシノの言葉にぎくりとして思わず振り向いて叫んだ。
「ば、バカッ!勝手に見んなっ!!」
「………」
ばっとシノの手から奪い取ったそれは、一番先、一番奥に仕舞わなければならない物。
シノがサングラス越しにも冷ややかな眼を向けてきているのがわかり、キバはばつが悪そうにそろそろと積まれたソレ系の山の上に戻した。
量は、漫画雑誌と比べて多くはない。
そんなに興味があるわけではなく、まあ、男の嗜み程度だ。
「な…なんだよ……」
まだ注がれるシノの視線をキバが睨み返すと、シノはすっと顔を元の向きに戻し、ぽつんと呟く。
「ビデオの方も一応仕舞っておいた方が良いな」
「……!?っ、おま…何で知って……!」
「やはりあるのか」
明らかな動揺を表すキバに、シノはさらりと言った。
真っ赤な顔で「はめやがったな!」と激昂するキバを尻目に、その問題の雑誌を抱え上げて収納スペースの前に持っていく。
「さっさと仕舞うぞ。ヒナタが来てしまう」
全く動じることなく言いながら雑誌を奥に押し遣るシノを見て、キバはまだ文句を言いたい気持ちを堪えて言う通りビデオの方もシノに手渡す。
見た目真っ黒なテープに目を留めることもなくシノは雑誌の上にそれを乗せ、続いて新聞を仕舞いだした。
お前だって少しは興味あんだろ、等と言葉が浮かんだが、応答に返り討ちに合う様な気がしてキバは口を噤む。
それ以上触れる気のなさそうな者相手に、わざわざ自爆しそうな話題を振ることもない。
しかし。
矢張りこのままでは負けっ放しな感じで面白くないので、他に何かシノに不利になりそうなネタはないかと頭を巡らす。
すると、一つ、あった。
収納スペースに新聞の束を押し入れるシノの顔を斜め後ろから見つめて、その唇に目を留める。
頭を巡らせ辿り着いたのは、酔ったシノを見た時に思い出した此奴のコンプレックス。
キバはにやりと不敵な笑みを浮かべ、黙々と新聞を押し遣るシノに言った。
「なあ、シノ。そういやぁお前、口笛吹けるようになったのかよ?」
ぴたりと、シノの手が止まった。
その様子にこれは的中だなと悪戯な笑みを惜しむことなく零す。
「どーしたのかな~。シノく~ん?」
「………」
ゆっくり振り向きいた、眉間に皺を寄せたシノの顔。
普段冗談や揶揄を寄せ付けないシノだが、弱いところさえ突ければ断然からかい甲斐のある奴だ。
これは久々に面白くなりそうだと、キバは内心でわくわくしていた。
「ほら、吹いてみ。それとも、まだ吹けねーの??」
「……………」
ほれほれと煽れば煽る程、シノの表情が険しくなる。
しかし、それは怒っているのではなく追いつめられているのだと、キバにはわかる。
元来負けず嫌いな性分だ。
からかわれているのだとわかっていても、受け流せない時もある。
こういう反応の時は、そういう時。
キバのにやけた顔をしばらくじっと見ていたシノだったが、不意に収納スペースの方に顔を背ける。
そして。
「………」
ふーっと、息の抜ける音が微かにした。
「………」
「………」
「………吹けねーんなら、大人しく認めろって…!」
諦めの悪いチームメイトにぷっと吹き出しつつキバが言うと、シノが再び僅かに振り向く。
他の者の目からは先程と全く変わらないように見えるだろうが、キバには恨めしげな目を向けられたことが雰囲気でわかった。
一般的な面白い態度はとらないが、こういうささやかな素振りや仕草、態度はなかなか面白い。
普通の人間にはわからない、些細な空気の変化を見抜ける者だけが楽しめる面白さだ。
「だからぁ。ほら、さ。こうやるんだって」
キバはにやけた顔をなんとか崩して、口を尖らせて軽くピュウと吹いてみせる。
再びシノに「やってみ」と促すと、少しの間眉間に皺を刻んだまま黙っていたシノだったが、
ふいに体勢を僅かにキバに向け直して、やはりできないのは気に入らないのか素直に再挑戦した。
…ものの、やはり尖らせた唇からはふーっと息が吹き出されるだけ。
ますます眉間の皺を深め、尖らせた口をむぅと噤ませたシノに、このままでは完全に機嫌を損ねるなと危険を察知したキバが、慌てて自分の口を指して言った。
「や、もっと口尖らして。こう、優しく……」
ピューと、今度は少し長めに吹いてみせる。
それを、いじける寸前のシノがじっと見つめる。
サングラス越しに、じぃっ、と。
「………っ、そ…そんなに見んなっ!」
じっと口元を見つめられて、自分で見せておきながらキバはちょっと気恥ずかしくなり、口笛を切ると赤い顔で怒鳴った。
しかし、シノはそんなキバの様子を気にすることなく、口笛の音が切れると同時に深く考え込んで
「構造上できないことはないはずなのだが…」と呟き小首を傾げる。
そして再び、ふーっと息を吹く。
「……………」
顔を赤らめたキバは、恥ずかしくなった自分を深く後悔した。
そうだ。此奴はこういう奴なんだった。
気になること興味のあることには、他に特別優先すべき事がなければとことん没頭する。
周りを頭から排除して、そっちのけで、そのことだけにひたすら夢中になって執着するのだ。
シノが口笛に意識を集中し、キバが後悔をひしひしと感じている中、時計のアラームが警告を発する。
「しまった!あと10分しかねえ!」
ヒナタに告げた時間は19時。時計の針は、18時50分を指している。
「おい、シノ!シ~ノ~!!口笛は後で教えてやっから!とにかくこれ押し込むぞ!!」
はっとして勢いよく立ち上がり、未だ座り込み口笛について考え込んでいるシノに、キバは新聞の束を上から落とした。
→朱灯に続く