風邪のお見舞い(上)

キバが風邪をひいた。
昨日のどが少し痛いと言っていたのだが、夜になって本格的に寝込んだらしい。
上司の紅からそのことを聞いて、シノは眉をひそめた。
その日の演習は昼には早々と切り上げられ、紅は自分の任務のためにさっさとその場からいなくなった。
残ったのは、もちろんシノとヒナタの二人だけ。
「…あ、あのね、シノくん」
「なんだ?」
ヒナタが胸の前で手をもじもじとさせながら、シノに話しかけた。
「あの、これから、キバくんのお見舞いに…行かない?その…よければ…」
シノは、そう言うヒナタをまじまじと見つめた。
キバやヒナタ、知り合いが入院した時は見舞いに行った。しかし、風邪をひいた者を見舞ったことはなかった。
………そういう友人関係を、持っていなかったから。
「ダ、ダメ…かな…」
黙ったシノを、ヒナタが不安そうに見上げた。
「いや…。行こう」
シノが頷くと、ヒナタはほっとしたように微笑み、じゃあ、果物でも買いに行こうということになった。
賑やかな商店街を歩き、リンゴを3つと蜂蜜レモンティーのパックを買い、おまけに赤丸用のビーフジャーキーも買った。
買い物を終え、キバの家へと向かう途中、シノが口を開いた。
「ヒナタは、風邪の友人を見舞ったことがあるのか?」
唐突な質問に、ヒナタはびっくりしてシノを見たが、一度こくんと頷いて答える。
「う、うん…。女の子の友達が風邪でアカデミーを休んだ時…とか。でも、男の子は、行ったことがなくって……」
ヒナタの答えに、シノはなるほどと思った。男子の家に一人で見舞いに行くのを躊躇うあたり、ヒナタらしい。
「あの……シノ君は?」
しばし間を置いて、遠慮がちにヒナタが尋ねた。
聞いて良いものかどうか迷っていたようだが、そこで聞くという選択をしたのは、彼女にしては驚くべきことだ。
「いや、俺は無い。必要以上の付き合いはしなかったからな」
淡々と話すシノを見て、ヒナタはアカデミー時代のシノを思い出す。
お互い目立つ存在ではなく、どちらかと言えば影が薄くて地味だった。
ヒナタは、一生懸命周りに合わせて振る舞い、不器用ながらもそこそこの人付き合いはあった。
今日も、これからサクラとイノと一緒に出掛ける約束をしている。
一方シノは、授業や何か必要な時は自然と協力したり積極的な言動もみせた。しかし、一度その必要が無くなると沈黙し、けして他者と交わらなかった。
例え誰かと一緒にいても独りのようにヒナタには見えたし、一人木陰でトンボを見つめる姿を見つけて、寂しくないのだろうかと思ったこともあった。
「寂しく、ないの……?」
ぽろり、と口からこぼれた。
はっとして見ると、シノが立ち止まってヒナタを見ていた。ヒナタの足もいつの間にか止まっている。
「あ、あの、ご…ごめんなさいっ!」
ヒナタは慌てて頭を下げて謝る。失礼なことを言ってしまった。やはり聞かなければよかったと後悔した時、シノがぽつりと答えた。
「寂しいと思ったことは一度もない。むしろ、なぜ必要もないのに付き合うのか、理解できない」
心底不思議そうに言うシノに、ヒナタはなぜか責任を感じて、小さな声で言った。
「……………必要だから…」
それから、一つ深呼吸をしてもう一度、今度はもう少し大きな声で言い直す。
「必要だから…だと思う。人に自分の名前を呼んでもらったり、話しかけてもらったり、笑いかけてもらったり。
自分を認めてもらうと、すごく嬉しくて、ほっとして…だから、必要なの。必要だから……ええっと、その…ご、ごめんなさい」
自分でも、何を言っているのか途中からわからなくなり、最後の方は俯いてもごもごとなぜか謝った。
「いや……ヒナタの言いたいことはわかった。俺の方こそ、変なことを聞いてすまなかった」
シノの言葉に、ヒナタは首を左右にぶんぶん振る。
「…行こう。早くしないとあいつのことだ。見舞う前に治ってしまうかもしれん」
ヒナタは、その有り得る冗談にくすりと笑い、「うん」と応えた。


キバの家に着くと、一匹の赤茶色の中型犬が「ワンッ」と一声、近所迷惑に鳴らない程度に吼えた。
そうすると、どたどたと階段を駆け下りる音がし、そしてガチャリと戸が開けられた。どうやらその犬は犬塚家のインターホン代わりらしい。
「はいはい……って、お前等…!?」
予想外の訪問者に、キバは目を丸くした。途端、ゲホゲホッと咳き込む。
「だ、大丈夫!?」
「…あ、ああ。とにかく、あがれよ」
心配そうなヒナタに応えてキバが二人をあがらせると、とことこと赤丸がやってきて、嬉しそうにしっぽを振って迎えた。
キバは二人をダイニングに案内し、椅子に座らせる。
「あの、お見舞いに来たんだけど…ごめんね。起こしちゃった?」
ヒナタが申し訳なさそうに言うと、キバは首を振った。
「いや、いいって。ちょうど起きたとこだったし」
さっきまで寝ていたのは確からしく、パジャマ姿のままで、髪には寝癖がついている。
「お家の人は…?」
「母ちゃんも姉ちゃんも、今日は夜まで帰ってこねぇんだ」
キバはそう言うと、冷蔵庫から取り出したミニパックの麦茶をごくごくと飲み干した。
奥の部屋の方から、ワンワンキャンキャンと犬たちの鳴き声が喧しく聞こえてくる。
こんな中で眠れるのかと不審に思いつつ、シノは見舞いの品が入った袋をテーブルの上に置いた。
「見舞いの品だ」
「おっ、うまそー!」
袋の中をひょいと見ると、キバは早速リンゴを手に取り「いっただっきまーす」とそのままかぶりつこうとした。それを、シノが奪い取る。
「なにすんだよ!」
「せめて洗え」
「めんどくせー。そのままだって、毒にゃなんねーだろ!」
と言いつつも、やはりいつもの元気はないのか、取り返そうとはしない。
「…わーったから、くれよ。俺、朝から何も食ってねーんだ」
そう言って腹を押さえるキバを見て、シノは小さくため息を吐いた。
「ヒナタ、確か1時から約束があるのだったな。そろそろ行かなくてもいいのか」
突然話を振られたヒナタは驚きながら時計を見ると、確かにそろそろ行かなくては間に合わない。
「う、うん…でも…」
ちらりとキバに視線を向ける。
「んあ?約束あんのか?なら行けって」
「…だそうだ。安心しろ。キバの世話は俺がする」
キバとシノの言葉に、ヒナタは躊躇いがちに頷いた。
玄関先で「ごめんね、キバくん。お大事に」と何度も頭を下げて去って行った。
ヒナタが行くと、シノはさて、とキバの方を向いた。
「キバ、体温計はどこだ」
「あ?」
「どうせ、熱を測ってもいなのだろう。お前は部屋に行って測っていろ。食い物は俺が用意する」
有無を言わさないシノの態度に、キバは素直に「はいはい」と返事をして行こうとする。それを、シノが止めた。
「待て。薬はあるのか?」
「それなら、朝、姉ちゃんが持ってきたから部屋にあるぜ」
キバの応えにシノはそうか…と呟いて、もう一つ聞く。
「お前の部屋は…どこだ?」
そう言えば初めて来たんだったなとキバは思い出し、口で説明するのも面倒なので赤丸に案内するように頼むと、赤丸は快く、アンッと一声で了承した。


台所を借りてリンゴの皮を向き、火にかけたやかんがシューシューと音を立て始めると、シノは思い出したように赤丸にビーフジャーキーをやった。
そして喜んで頂戴する赤丸の頭を撫でてから、沸いたお湯をカップに注ぎ、グラスに水を入れ、切ったリンゴを皿に移して、拝借した爪楊枝を2本刺す。
おぼんにそれらを乗せてふと見ると、ビーフジャーキーを食べ終えた赤丸が階段の下で待っていた。
シノは赤丸の案内の下、キバの部屋へと向かった。
ノックして戸を開けると、漫画やらゲームで散らかった部屋に、眉を寄せる。
「何も言うなよ。今は聞きたくねぇ」
言いたいことはわかってる、とばかりにキバが言うと、シノは何も言わずに息を吐いた。
「どうだ?」
ベットにあぐらをかいて座っているキバの傍に着くと、おぼんをベット横の棚の上に置いて聞いた。
「ん」
キバが体温計を差し出す。38度5分…高い。
「よくこの熱で普通にしていられるな」
シノが呆れて言うと、そうか?とキバは頭を掻いた。
「とにかく、食べて薬を飲んで寝た方が良い」
そう言って、シノはリンゴの皿を差し出した。
キバは、黙ってシノを見る。
結局、二度目の告白以後もシノの態度は微塵も変わらなかった。
最初はいい加減反応を示せとヤキモキしていたキバも、普段通りのシノに、いつの間にか普段のノリに戻っていた。
しかし、こうして部屋に二人きりになると鼓動が速くなる。
それに気づいた途端、体が熱くなり、寒気と目眩に襲われた。
「キバ?」
突然、ぽすん、とベッドに倒れたキバに、シノは驚く。
「………なんか、急にだるくなってきた…」
シノはキバの様子に眉を寄せ、リンゴの皿をおぼんに戻すと、ベットの隅によせられていた布団を掛けた。そして、静かに言う。
「辛くとも、今は何か食べるべきだ。でなければ薬も飲めない」
「……んじゃあ、食わして?」
冗談混じりにキバが言うと、シノは生真面目に受け取り、リンゴをキバの口元に持ってきた。
キバが驚いていると、「食え」と言ってくる。
リンゴはご丁寧に、食べやすいように一切れを更に半分にしてある。
言ってみるものだと内心妙に感心しながら、キバはそれにぱくりと食いついた。
過ぎない甘さと、過ぎない冷たさ、そして少々物足りない歯ごたえ。乾いた口と喉に水分が染みわたり、素直に「美味い」と言った。
シノは頷くと、また一つ、また一つと差し出し、キバはそれを黙って食べる。
5切れ程食べきったところで、「体を起こせるか?」とシノが言った。
キバは言われた通り、上半身だけを起こした。
「これは、蜂蜜入りのレモンティーだ。体が温まる。これを飲んだら、薬を飲んで寝ろ」
差し出されたカップには、ほのかに湯気が立った蜂蜜色のレモンティー。良い香りに、キバはほっと息をついた。
「パックで買ってきたから、まだ下に沢山ある。気に入ったら、飲んでくれ」
「……なんか、シノの眼みてぇな色だな」
一口飲んで気分が良くなったので、キバはにやっと笑って言った。
「そうか?」
「ああ……美味いし」
そう言って、またこくこくと飲む。どうやら気に入ったらしいことに、シノも少し安堵した。
「なあ、シノ」
飲み干したカップを自分でおぼんの上に戻しながら、キバが言った。
「なんだ」
「俺が眠るまで、居てくんねぇ?」
そう言って、どうせ自分の気持ちを知っているのだから、とシノの手を握った。
「…わかった。では、薬を飲め」
シノは了承すると、空いている手で水の入ったグラスを取って差し出した。
OK、とキバは一度手を放して、ベットの目覚まし時計などが置いてある棚から薬をとると、それを口に放り込んで水で流し込んだ。
ベットに再び横になると、もう一度シノの手を握る。体温の低い手が、気持ちいい。
「…冷やしたタオルを持ってくるのを忘れた」
唐突にシノが言った。
「お前の手、冷たいから、それでいい」
また冗談のつもりでいったのだが、シノはキバの言うとおり、そっと握られていない方の手をキバの額に当てた。
ヒンヤリとしたぬくもりに、キバはドキッとする。
それに反応したように、咳が発作のようにおこった。
いつまで経っても止まない咳に、咄嗟にシノの方に向けた背を丸め、胸を押さえる。その背中に、さする感触がした。
背中を向けた時に額から離れた手で、シノがキバの背をさすったのだ。キバが握っていた手で、今ではシノがキバの手を握っている。
「落ち着いたか?」
咳が収まると、シノが聞いた。
「…ん、サンキュ。もう、平気」
キバはそう言うと、背と手にあったシノの手を払う仕草をする。
「やっぱ、お前、帰れ」
突然、キバはシノを見つめて言った。
「さっきと言ってることが違う」
「さっきはさっき。今は今。今すぐ帰れ」
シノのつっこみも受け流し、キバがもう一度言うと、シノは眉間に皺を寄せた。暗になぜだと問うてくる。
「………お前に…うつるだろ」
ちょっとふてくされたように呟くと、シノは納得したような表情になった。
「では、タオルを持ってきてから、帰ろう」
そう言ってシノは立ち上がり、おぼんを持って部屋を出ようとした。
するとふと立ち止まって、言う。
「………………キバ、早く治せ」
突然なんだと思ったが、すぐに思い当たった。確か、明日は任務があったはず…。
「…ああ。任務に支障が出る、とか言うんだろ?」
キバがベッドに顔を伏せて自嘲気味に言うと、シノはああ、と頷いた。
「それもある」
(も?)
「俺は、元気なキバが好きだからな」
(……!?)
慌てて起きあがったが、ちょうど部屋の戸が閉められたところだった。
しばし呆然としていたキバだったが、ふいにぱたっとベットに倒れ込む。
「……………………3度ぐらい、熱、あがったぞ」
赤い顔を隠すように布団に潜り込み、シノが戻ってくる前に眠ってしまおうと、ぎゅっと目を閉じる。
しかし、高鳴った鼓動が余計よく聞こえて、当分眠れなさそうだと思った。





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あとがき
季節の変わり目は風邪をひきやすい時期です。お気をつけください。
でも病気、怪我ネタは好きなので、多分多くなると思います…。キバシノに限らず。
(上)と題したからには(下)も有り。
お待たせしました。風邪治っていませんが(下)を書き終えたので、どうぞ!




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