※裏的文ではありません。いのいちのシノ贔屓有り。元祖イノシカチョウとシビさんが仲良し設定です。




姫始め2



「おーい、そこのグラサン!」
提灯に灯りが灯りだした飲食街。
突然妙な呼び名で呼び止められた油女シビは、一瞬無視しようかとも思ったが、後でうるさいなと思い直して振り返る。
振り返ったその顔は、驚いた風でもなければ久しぶりに旧友に会った感慨も窺われない。
もともと、誰に呼び止められたかは分かっていた。
そんな呼び方をする者は、一人しかいないからだ。
「なんだ、奈良」
「これから暇か?」
「今から家に帰るところだ」
「なら暇だな」
「………」
愛想の欠片もない態度に、微塵も気にした風もなくシカクが店の方を親指でくいと指し示す。
シビとはそれ程親しい仲とは言えないが、何故か縁があり、たまに一緒に飲むこともあった。
今回も、そんな縁に含まれるだろう。一見して人付き合いが嫌いそうに見えるシビだが、これまでその縁を無闇に切られたことはなかった。
しかし、今回はいつもとは少し違い、渋い顔をされる。
「今日は、駄目だ」
「あ? 何で」
「なぜなら、新年が明けてからまだシノに会っていない。それに、寄り道は良くない」
「はぁ……?」
シカクは、シビが淀みなく言った言葉に、ぽかんとした。
「なんだ、それ」
「では、これで」
ほぼ同時に発せられた言葉は見事に重なり、シビは踵を返すとスタスタと歩き出す。
「え…お…ちょ…ちょっと待て!」
シビの颯爽とした動きに一瞬遅れて、シカクが慌てて呼び止めた。
それで待つ義理もないのだが、シビはピタと足を止めてぎこちない動作で振り返る。
「……少しくらい、付き合えって。シノの話してやるからよ」
「…………………」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべて再度誘ってくるシカクに、シビは深々と眉間に皺を刻み込んだ。
しかし結局何も言わず、ほら行くぞ!と勇んで踵を返したシカクに、大人しく付いていく。
数多ぼんやりと灯る灯火の中で、幾重にも重なり幾つも映し出された影の一つが、しっかりと繋がっていた。


シビがシカクに影しばりで連れて行かれた居酒屋では、既に秋道チョウザが6人掛けの席を一人で陣取り、宴会前の腹ごしらえをしているところだった。
「よお、早ぇな」
「おぅ。……って、油女捕まえて来たのか?」
「まあな」
「………」
シカクはチョウザに応えつつシビを奥の席へと押し入れて、自分はその隣に腰掛けた。
術が解かれ漸く自由になったシビは、無言のまま佇まいを直す。
そんなシビの様子には目も呉れず、ビールを3つと日本酒を1本注文したシカクは、店内に飾られた時計を見上げた。
「山中はどうした?彼奴が遅刻するなんて、珍しいじゃねぇか」
「さあ」
シカクの言葉にチョウザは肩を竦めただけで、すぐにとりあえずの料理を口に入れる。
そんな時、ちょうどその山中いのいちが店の暖簾をくぐってやって来た。
「悪い。遅くなっ…て、油女?」
爽やかに謝罪しながらやって来て予想外の人物に目を丸くしたいのいちに、その予想外の人物シビが会釈をした。
その下げた頭にシカクが腕を回して、
「外でうろうろしてたからよぉ、ひっ捕まえてきた」
と説明になっていない説明をすれば、
「………うろうろなどしていない…」
という静かな訂正が入る。
眉間に皺の寄ったシビの様子から、シカクが無理矢理引っ張ってきた事を察したいのいちは、
けれどまあ来たのだからとあっさり割り切って、店員に自分の分のビールを注文した。
本気で来たくなければ逃げおおせることもできたはずなのだから、特別な助け舟は要らないだろうというのが、いのいちの見解である。
「まあちょうど良かった。実は良い物持ってきたんだ」
チョウザの隣に座ったいのいちは、いの一番にこれを見せようと思っていたらしく、紙袋の中から何やらがさごそと嬉しそうに取り出し始める。
しかし頼んだビールが4つ同時に運ばれてくると、まずは乾杯だとシカクに言われてしぶしぶ後回しにした。
そして乾杯を済ませ、で、何だということになって、再び喜々として取り出して見せたのは、一つのアルバム。
「実は、今日は家で大掃除手伝わされて…」
「ああ、ウチも大掃除だった」
「…それで、これ見つけてな。遅くなった原因はこれなんだ」
お披露目の前置きに一言チョウザの言葉が割入ったが、それはさておき、いのいちは話を続けてアルバムを開いて見せる。
「………」
「………」
「………」

そこにはいのいちの溺愛するいのの、幼少時の写真が並べ奉ってあって、シカクも、チョウザも、シビも、押し黙った。
要するにいつもの愛娘自慢かと、皆が皆同じ考えに至る。
だが、その空気を察して、いのいちは「違う違う」と首を振った。
「そりゃあ、いのが可愛いのは当然だけど。今回はいのじゃなくて、こっちの子」
「ぁあ……?」
「なんだ?」
こっちと指された方に、シカクもチョウザも身を乗り出して注視する。
いのの隣にいるのは、白いワンピースを着た、可愛らしい女の子である。
「………可愛い子だけど、いのちゃんの友達?」
「これが、一体何だってンだよ?」
「……………山中…これは…」
写真を見て首を傾げるチョウザとシカクに対し、シビが珍しく少し焦った様な声を出した。
「そう! これは…」
「待て、山中」
「何だよ…? おい、いのいち。ちょっとそれ寄越せ」
「駄目だ」
「んだとぉ~?」
珍しいシビの様子に興味を擡げたシカクが、いのいちに向かって手を伸ばすと、その腕をシビが掴んで制止する。
「いいじゃないか。こんなにカワイイの、シカクたちにも見せて…」
「やめろ。こんなものを広めたら…」
「何だよ! 見せろって!」
「駄目だ」
「「あ」」
見せてやろうと言ういのいちの言葉を途中で遮り、シビが説得しようとするのを今度はシカクが遮って、わざわざ立ち上がって写真に手を伸ばす。
その魔の手からシビがアルバムを逃すと、いのいち、シカク、シビの混戦の中、ひょいとシビの正面から伸ばされた大きな手によって奪い取られた。
声をそろえて、いのいちとシカクがアルバムを手に入れたチョウザを見る。
シビも、アルバムを掴んでいた手をそのまま空中で固まらせて少し驚いた面持ちでチョウザを見ていた。
一方、注目の的となったチョウザは、皆の様子を全く意に介せず写真をしげしげと眺める。
そして、ぽつりと言った。

「………これ、もしかしてシノくんか…?」
その言葉に対する反応は三者三様。
うんうんそうなんだよと嬉しそうに頷くいのいちに、最早これまでと諦めサングラスを押し上げて座り直したシビ。
そして、チョウザの手からアルバムをひったくって、写真をまじまじと凝視したシカク。
「おい、どういうこった!? だって此奴、ワンピース着てんじゃねーか! ホントにシノか?」
アルバムを手中に収めたシカクにどうなんだと詰め寄られたシビは、マイペースにビールのジョッキを傾けて一口飲んでから、ぼそりと「そうだ」と言った。
唖然とするシカクと興味深そうなチョウザに、シビが語るには…。
「シノは幼い頃、人見知りが激しかった。だから社交的ないのちゃんと会わせれば良い影響があるかと思って、半日程山中の家に預けたのだ。
………そして迎えに行った時には、既にそういうことになっていた……」
続いて、陶酔モードに入ったいのいちが語るには。
「シノちゃん預かった時、ウチのいのがね、着せ替えごっこしようって言いだしたんだ。それで、シノちゃんに色々着せ始めてね。
それがもう可愛いのなんのって! そりゃあいのが一番だけど! その次に可愛い!! 思わずシャッター切ってたよ!」
ついにはくぅ~っと感極まった様にチョウザをきゅうと抱き締め、「シノちゃんかわい~。ほし~」と言い始める。
「………そういやぁ、あの子こういう遊び好きだったよな。シカマルも、よくリボンで髪の毛結ばれてたわ」
そんないのいちに呆れながら、シカクが思い出して言うと、いのいちに抱き付かれているチョウザも頷いた。
「チョウジに化粧してたこともあった」
「……にしてもだ。こいつぁ……なんつーか…」
人見知りの激しい時に、女装させられた上サングラスまで取られ、哀れ泣きそうな表情になっている写真の中の幼いシノは可哀想の一言に尽きる。
しかし、本人にとっては不本意だろうが、可愛いのも事実だ。
写真をまじまじと眺めながら、これはシカマルへの良い手土産になるなと、シカクは思った。
お茶目なクリスマスプレゼントで機嫌を損ねちまったしなぁ……と頭を掻いてから、
いやいや、何で俺がシカマルの機嫌を取らなきゃいけねぇんだと考え直し、
それよりも今度何かあった時に使えるかも知れないという邪な考えに及ぶ。
「なあ、いのいち。これ、焼き増ししてくれねーか?」
「ん? ああ、いいよいいよ!」
「!」
「あ、俺も欲しい」
「!?」
シカクの申し出に、最早いのシノ愛の布教活動を使命とする使徒となったいのいちが、喜んでとシカクの申し出を受け入れた。
その事にシビが驚いたのも束の間、チョウザまで申し出たものだから更に吃驚。
「秋道、お前まで…」
「シビにも前、焼き増ししてあげただろ?」
「……っ」
「何だ、お前ももらってんじゃねぇか」
「………」
絶句したシビにいのいちが追撃を加え、更にシカクがトドメを刺して、シビは沈黙した。
「……………………お前達」

暫くしてから漸く発せられた、地を這う様な低い声。
アルバムを見てわいわい騒いでいた三人がシビに目を向けると、シビは極めて真面目に、心の底から懇願する様に言った。

「………頼むから、これ以上は絶対に広めるな……」










シノといのの写真の話題も(いのいち以外)一段落して、それぞれの興に入って久しく。
「おぅ、そうだ。シビ」
日本酒を升に注いだシカクが、ふと思い出した様に言った。
そして水の入ったグラスを手にしながら何だと視線を向けるシビに、
「前に、お前に分けて貰った雌の匂い袋な。ちゃんと処分したぞ」
と赤ら顔で応えた。
以前、新薬開発のため寄壊虫の雌の匂いを提供して欲しいとシカクがシビに頼み込んだ事があり、 渋るシビに「用が済んだら完璧に処分する」という約束をしていたのだ。
「薬は出来たのか…?」
「試作品だけな。でもまぁ…上手くいかなかったみてぇだから、もういいわ。無理言ったのに、悪ぃな」
悪びれた様子もなく軽く謝罪を口にするシカクにシビは眉を寄せたが、沈黙した後、
「………一体、何の薬を作る気だったのだ…?」
と静かに問うた。
「ん~………?」
その問いに対して、シカクは勿体付けた様な間延びした声を出し、 どうすっかな~と日本酒の入った升をくるくると回しながら、ニタリと不敵な笑みを浮かべる。
「聞きてぇかぁ~??」
「……………否。いい…」
シカクのその厭らしい笑みに、嫌な予感がしたシビは硬い表情のまま辞退を表明した。
そして、不意に話題を変える。
「ところで、奈良。お前、シノの話をするとか言っていたな……」
「……あ~…」
そう言えば掴まえた時にそんなこと言ったっけ、とシカクは酔った頭でぼんやりと思い出し、
「……この前のクリスマス、ウチでもてなしたって話だよ」
と、特に何か話があったわけではなかったので、思いついた事を口にした。
その適当な話に、意外にもシビが「ああ…」と相槌を打つ。
「最近、シノがシカマル君に世話になっている様だな……」
「なんだ。お前、知ってたのか」
シカクは思わず目を瞠った。
シビの子煩悩なところを身に染みて解っているのはシノ自身だ。
だからシカマルとデキているなどとは話していないだろうと思っていたのだが、まさか交際を認めていたとは……。
と驚いたシカクだったのだが、うむと応えたシビが言うには、そういうことでは無いらしい。
「偶に、シノの蟲から奈良の家に厄介になるという連絡を受ける」
「………本人に聞いたんじゃあねーのかよ…」
「シノから直接シカマル君の話を聞く事は、あまり無い」
シビの言葉に一種呆れながらも、まあ、そうだよな……と、シカクは升に酒を注いでぐびぐびと飲んだ。
賢明な奴のことだから、時を待っているに違いない。

「あまり無いが……」
ぽつりと続けられた言葉に、升の角に口を付けたままシカクがシビに視線を向ける。
その視線をサングラス越しに返しながら、淡々と、けれど自信を持って、シビが言う。
「彼奴が彼の事をとても大事に思っていることは、判る」
シカクは、目を瞬かせた。
「……………そうか……」
そして不意にフッと口角を上げ、再び升に酒を注いでシビに向かって掲げる。
シビが何だと眉を寄せると、ニッと笑って見せてから、水のグラスに升を軽く当てて言った。
「ま、今年もよろしくってこった」

ぐびっと喉を鳴らしたシカクは、景気よくぷはぁっと飲み干して、美味い酒を再びなみなみと注いだのだった。






シビが元祖イノシカチョウトリオから解放されて帰宅したのは、夜の十時頃。
玄関では、シノが待ち構えていた。
「おかえり」
「…………ただいま……」
僅か口籠もったシビに、シノは眉を寄せ、
「…………飲んできたのか」
と静かに問い質す。
ビール一杯ではあるが飲んだ事に違いないので、
「…………少し…。奈良に捕まって……」
と、言い訳をする様にシビは答えた。
「……では、晩飯はいらないな」
「否。飯は食っていない」
「…………」
シノは父親の返答に沈黙すると、踵を返してそのまま廊下を歩き出す。
その後を追って、シビも無言で続いた。

「…………何か、食べたいものは」
部屋へ向かう途中、前を黙って歩いていたシノが漸くぽつりと問う。
シビは暫し考えた後、
「………姫飯を。今日は、姫始めの日だろう」
と何の気無しに答えた。
姫飯というのは柔らかい飯のことで、ここで言う姫始めとは、正月の強飯(固い飯、おこわ)から初めて姫飯へと移行する事である。
だが、その言葉を聞くや否や何故かシノがビクリ過剰な反応を示して、ピタリと立ち止まった。
「………どうした」
「な……何でもない…」
「だが、顔が赤…」
「親父。おかずはおせちの残りでいいか」
突然顔を赤らめ、慌てた様子で言うシノに、シビは小首を傾げながらも頷いた。
「ぞ…雑煮も作るから、部屋で待っていろ」
「………ああ…?」
捲し立てて早足で歩き出したシノを、シビが不思議そうに見送る。
だが突き当たりを曲がろうという時、不意にシノが振り返りって言った。

「それから、蜜柑もある。後で一緒に食おう」
炬燵で息子と食べた蜜柑は、美味かったそうである。





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後書き
はい、クリスマスの企画をここまで引っ張りました。
裏的ではありませんが、続きなので裏に失礼します。
シノとシカマルを参らせた薬は矢張りシカクさんが元凶で、
シノにしか効果がなかったのは、蟲の発するフェロモンを利用していたからなのでした。
ただし、薬に関する知識など持ち合わせておりませんので、
当然管理人のテキトウな設定で御座います。あしからず。
そして、漸く息子と行事を行うことができたシビさん。
シノがまるで女房の様ですが…私の中の油女親子はこんな感じ。
仕事関係以外、家庭内では息子に頭が上がらないパパ。
父親の世話をまめまめしく行うシノも良い。
シビさんはシノの事をちゃんと観ているのですが、そこはそこ。
シノも上手く隠します。
悪い事をしているつもりはないけれど、なかなか言い出せない。
シカクさんも流石。そこは告げ口したりせず、見守る大人です。
でもきっと、入手したシノの写真でまた息子をからかうのでしょう…。
それも一種の愛情でさぁ(笑)











(08/1/4)