月明かりに滑らかな光沢を帯びる、項垂れた頭と白い項。
はだけた浴衣を手繰り寄せる指は戸惑いがちで、熱に熟れた頬と瞳は物憂げに彷徨う。
顎をそっと持ち上げて面を向けさせれば、躊躇いながら伏し目を擡げる。
交じり合い絡み合う視線、夢現の狭間に堕ち行く影。
秋の虫の奏が麗々と誘う長夜の調べは、唯二人のためだけに、紡がれていく。


蜜月の契り


一泊二日の新婚旅行。
そう銘打ってキバがシノを口説き落としたのは、一昨日だった。
籍を入れないまでも結婚を明言して既に三月が経つが、蜜月を迎えるのにこれ程遅延したのは、急な長期任務の所為である。
性急ながらも昨日休暇届を火影に突き付け、キャンセルも覚悟した上で一月ほど前に予約した旅館へ念願叶って到着したのは、今日の昼過ぎだった。

少々遠いが人里離れた山奥の旅館を選んだのは、任務や仕事絡みをできれば一切忘れるため。
だからキバは赤丸に留守番を任せてきたし、忍具も忍服も額当てさえも置いてきた。
そこのところシノにもよく言って聞かせていたため、シノもまた同様に私服であり、見たところ忍具も置いてきたらしい。
ただ、蟲はどうしても無理だそうで、妥協策として眠らせてきたとの事。
キバとしては真の水入らずを望みたいところだが、いたしかたあるまい。
言葉の通り一心同体の彼等に羨望や嫉妬心を抱いても、不毛なだけだ。
と、至極当然の悟りに至ったのは極最近のこと。
けれどもキバは諦めてはおらず、それなら自分は一蓮托生を目指すと、勝手に意を固めている。
一蓮托生というか、まさに地獄の果てまで付いていくといった決意である。

さて、旅館に到着した二人は篠の間という部屋へと案内され、閑静な和室に身を落ち着けた。
当然、この部屋を選んだのはキバだ。
篠という名に相応しく西の窓の外には細い竹が群生し、その合間合間から陽が零れてきらきらと光っている。
室内は至って簡素な書院造りで、雰囲気は油女邸のシノの部屋とほとんど変わらない。
それは意識したわけではなかったが、元々油女邸が御立派なので、和風な旅館なら似たり寄ったりになるのは仕方ないだろう。
南向きの障子戸を開けると露天風呂があり、その向こうには橋の架かった小川と矢張り竹藪が整備されていた。

「シノ。腹減ったろ? 何か食いに行こうぜ」
「………ああ」

一通り部屋を鑑賞し終えキバが提案すると、障子窓を開けて竹林を仰いでいたシノが振り返る。
心なしかぎこちない動作に、キバは苦笑を浮かべた。
蟲を眠らせたうえ忍具が手元にない状態で、手持ち無沙汰と不安を隠せないのだろう。
最近ワーカホリック(仕事中毒)気味なシノには良い薬になる、と言ったのは、キバではなく綱手だった。
だからこそ、こんな忙しない休暇届が受理されたのだ。

散歩道を紅葉を楽しみながら行く。
こんなことも、キバは赤丸と共に散歩が日課なため珍しくもないが、シノにとっては随分久しぶりに違いない。
新婚旅行兼、骨休めである。
がむしゃらに元気だった頃はのんびり歩く散歩など退屈でしかなかったが、年を重ね、落ち着きを得た今に至っては、シノに合わせて歩を進める事も苦ではない。
しげしげと紅葉を眺めてその影を黒い眼鏡に映すシノの姿を見ながら、キバは微笑んだ。

仲居に紹介されたのは、猪鍋の店で、散歩道を下っていくと有るらしい。
いのに怒られるかな、なんて冗談を言いながらゆったり歩いて30分。
麓の家の屋根瓦が見えてくると道幅が狭くなって、キバが先に、シノがその後ろに続くかたちになった。

多少歩きにくさはあるが、人の手が加えられた遊歩道である。
よほど油断しない限り、全く問題の無い道だった。
しかし、丸太で舗装された、幅が狭く急な階段に差し掛かった時、ひらりと上から降ってきた紅葉に、それまで足下にあったシノの注意が上に向いた。
それと同時に丸太に付いていた泥が滑り、バランスを崩す。



「おい、大丈夫か?」


一瞬の後。

風が吹いたのか、はらはらと紅葉舞い散る景色の中で、シノはキバに抱き留められていた。
仕事の忙しさとキバの忍耐力強化のため、こんな風に抱かれるのは久しぶりで、加えて以前より厚くなった胸板と広い肩。
シノは思わずびくりとして、ぱっと身を離した。

「……大丈夫か? 気を付けろよ。ここら辺ぬかるんでるから…」
俯き加減のシノの顔を覗き込みながら、真面目な顔で言うキバ。
「な…っ?!」
だが、改めて一歩踏み出した途端、自分で言った傍から泥濘に足を取られずるりと滑ってしまって、形無しとなる。
一瞬沈黙した後、体勢を立て直してシノを振り返ったキバは、へへへと笑って頭を掻いた。

「……気を付けような」

照れたように言うキバに、シノの口元がふと綻ぶ。
だが、ふいに手を差し伸べられ、きょとんした表情に変わった。
小首を傾げてキバを見ると、キバはその手を伸ばしシノの右手を下から持ち上げて、どこでそんな作法を覚えたのかその甲にそっと唇を落とす。
それからきゅっとシノの手を握り締めて、爽やかな笑顔と共に顔を上げて言った。

「手、繋いでこうぜ」

その時、シノの顔が紅葉に負けないくらい真っ赤に染まっていた事は、キバのために誇張しておこう。



猪鍋を堪能した後は、土産物屋を覗いたり名所に足を伸ばしたりして、宿に戻ったのは日も暮れる頃。
別室に用意された、旅館ご自慢の旬の料理を御馳走様して部屋へ戻ると、御丁寧に二組の布団が敷かれていた。

「………シノ。ちょい休憩したら、温泉いこうぜ。温泉。疲労回復とか、冷え性とかに効くんだってよ。あ、あと美肌効果もあるってさ」
布団を目にして、部屋の入口で一瞬動きを止めた二人だったが、キバが何事もなかったかの様にそう言って笑ったことで、空気が和む。
シノもまたそれに同調して、微かに雰囲気を和ませた。

それから暫く、歯を磨いたり土産の分類に勤しんだりしてから、二人は温泉へと足を運んだ。
流石に紅葉盛りのこの時期、貸し切りとはいかなかったが、それにしては先客も少なく、広々ゆったりと浸かりくつろぐ事ができた。
風呂上がりに浴衣に着替え、再び部屋に戻った頃には、外はすっかり闇。

窓の外では秋の虫の大合唱が凛々と響き渡っていた。