浜辺の太陽


「ヒャッホ~ッ!! 海だ海!!!」
上着から何から勢い良く脱ぎ捨て、パンツ一丁になって白い砂浜を駆けていく。
その後ろを、砂浜より白く映える子犬が一匹追い掛けていった。
「おいシノ!」
喜々とした表情のキバが、木陰の避暑地に避難していたシノを振り返る。
青い空、白い雲。
青い海、白い砂浜。
サンサンと降り注ぐ真夏の太陽。
その全てが、キバの背景にぴたりとはまる。
「ほら、お前も脱いで泳ごうぜ!」
開放感溢れる爽快な笑顔で、キバは言った。
が、しかし。
日陰を安住の地と定めたシノは、一向に動かなかった。
キバの爽やかな誘いをまるで無視して、本を読み始める。
「・・・・・・」
キバは笑顔のまま少し固まった後―――。
「オイ!!」
本を取り上げ、シノの前に仁王立ち。
「てめぇ、こら。ここは海だぞ、海! せっかく海に来てんのに、本読む奴があるか!」
激昂するキバに、シノは眉間に皺を寄せて顔を上げた。
「………泳ぎたければ泳げばいい。だが俺はもとから泳ぐつもりはない。何故なら、直射日光を直に浴びるのは、好ましくないからだ」
「なんだよそれ。要するに、あれか。その暑苦しい服を脱ぎたくねぇってわけか」
「………そうだ」
パンツ一丁のキバに対し、シノは完全防備である。
ハイネックの服の上に長袖のパーカー。フードを目深に被りサングラス着用で、肌が露出しているのは顔の極一部と膝下の足だけだ。
「お前、暑くねーの?」
「ない」
簡潔な答えにキバは、シノの顔の僅かな露出部分を覗き込んだ。
確かに、不思議と涼しげだ。汗の匂いも殆どしない。
キバは目を細め、ふぅん、と鼻を鳴らして取り上げた本をシノに放った。
ぞんざいに投げ返された本を受け止めるシノ。
その様子を視てからキバはちらと赤丸に目配せして、本を持ち直しているシノに再び視線を戻した。
そして、にやりと不敵に笑う。
そんなキバの様子に気付いたシノが、眉間の皺を深めた。
「……何だ」
「や、さ。お前が脱ぎたくねぇってんなら……」
ガッと、キバはいきなりシノの高い襟を鷲掴んだ。
涼しげな顔に自身の顔をギリギリまで寄せ、悪戯に挑戦的な笑みを浮かべて…。
「俺が、脱がせてやるっ!」
そう言って、両手で掴んだ衣服を力任せに引き裂く。
と同時に、ザアァァァとシノが霧散する。
蟲分身。
だがキバの笑みは絶えることなく、更に口角を上げ、
「赤丸!」
と叫んだ。
「アウゥ、アンッ!」
キバの頭上、日陰を作り出していた葉が大きく揺れ、赤丸とシノがもつれ合うように砂浜へ落下する。
しかし砂浜に着地した赤丸が捕獲していたのは、木の実だった。
変わり身の術。
くぅんと、赤丸がキバを振り返る。
キバは変わらず挑戦的な、野生染みた笑みを浮かべて、聞いているであろうシノに向かって宣言した。
「俺らから逃げられると思うなよ! まずはそのフード、取ってやるからな!!」
返事をするかのように、潮風に吹かれた葉がザアァァァと揺れた。









                *









輝く渚に、寄せては返す波の音。
絶え間なく繰り返される潮騒を聞きながら、キバはさわさわと揺れる葉を見つめた。
葉が揺れる度に木洩れ日がキラキラと光る。
陽に透けた葉は真っ青で、重なった部分の陰りと相俟ってとても色鮮やかだ。
さわりと吹く風が熱を帯びたキバの頬を撫ぜ、髪を緩やかになびいていく。
心地良い。
弾んでいた心臓が風と潮騒に同調するように落ち着いていき、穏やかになった。


ザァ…ザァ…ザァ…。


ふ、と木陰の中に影が射した。
仰向けになったまま目だけ向ければ、未だフードとサングラスで顔を隠したシノがキバを見下ろし、陰を遮っていた。
そしてシノは、無言のままキバの隣に腰を下ろした。
ザァ…ザァ…ザァ…。
波の音が聞こえる。
「……………暑い……」
ぼそりと、シノが呟いた。
キバはにやりと笑うと、
「俺の狙い通りだな」
と言った。
シノが寝たままのキバに顔を向ける。
「北風に見せかけて、実は太陽だったわけよ」
北風と太陽。旅人の衣をどちらが脱がせられるかと、北風と太陽が競う話である。
北風は強風で力任せに脱がせようとしたが失敗し、太陽はその熱で旅人自身に衣を脱がさせたのだ。
「………俺はまだ脱いでないぞ」
シノがフードの縁をぎゅっと両手で掴み、引っ張って、ガードするように更に目深くする。
「………頑固もん」
キバがつまらなそうに唇を尖らせ、非難の眼差しを送った。
「少しくらい陽に焼けた方が、健康的だぞ」
キバの言葉と眼差しを受けたシノは、す、とフードから手を離して、沈黙した。


ザァ…ザァ…ザァ…。


ザァ…ザァ…ザァ…。


ザァ…ザァ…ザァ…。


波が、風が、葉が、静かな呼吸を繰り返す。
穏やかな、夏の、海。
と。
突然。
「わぅんっ!!」
「?!」
シノの頭に、何かが背後から飛び乗ってきた。
「あ…赤丸!?」
不意を突かれたシノが、対処する間もなく。
赤丸の爪が引っ掛かったのか、ずるずるとずり落ちていく赤丸と共にフードが――。
ずり落ちて――。


―――――――取られた。


「…………」
シノが呆然とし、キバが起き上がってぽかんと赤丸を見る。
赤丸はシノの背中に小さな前足を掛け、二本足で立った姿勢でキバを見返し、「わんっ!」と誇らしげに吠えた。
そしてへっへと舌を出して、しっぽを振る。
「――――っ、」
キバは一瞬溜めた後。
「赤丸!! よくやった!!! 最っっっっ高だぜ!!!」
と誇らしげな相棒を抱き締め、抱き上げて、その功績を誉めちぎった。
そんなキバに、赤丸も大喜び。
「………………」
シノは、そんな二人を無言で眺め遣ってから、未練がましく取られてしまったフードを振り返り、不満そうに眉を寄せた。
穏やかな夏の海の音は、最早彼等の耳には届いていない。


「キバくん! シノくん!」
そんな折り、砂浜の向こうからヒナタが駆けて来た。
淡い桃色の半袖に白のパーカーを羽織っているが、フードは被っていない。
クリーム色のキュロットにビーチサンダルという、完全防備のシノと軽装過ぎるキバの、ちょうど中間のような格好だ。
「あ、あの、ごめんね。も、もうちょっと……キ…キバくん!?」
咳を切って謝罪を始めたヒナタが、キバの格好を見て声を上げた。
そして赤面して、あ、あの、ご、ごごごめんなさいっと目を瞑って顔を伏せる。
「あ?」
ヒナタの過剰な反応に、赤丸を抱き上げていたキバはぽかんとした。
赤丸もきょとんとしている。
シノはそんなヒナタと、キバと、赤丸を見回してから、
「キバ……服を着ろ」
と静かに注意した。
「あ…」
キバは、自分の姿に目を落とし、パンツ一丁であったことを思い出した。
シノは一つ息を吐いて、キバの姿を隠すようにヒナタの前に立つ。
「それで、ヒナタ。もう少し時間が要るのか」
先程ヒナタが言い掛けた事を、シノが先読みして確認する。
ヒナタは恐る恐る目を開けて安全を確かめると、その視線を上げてシノを見上げ、頷いた。
「うん……もう少し、休んだ方がいいってお医者さんが…。みんなはやっぱり海の家で時間潰すって……」
「そうか……わかった」
シノはそう応えて、海の上でサンサンと照る太陽をサングラス越しに見上げた。
夏と言えば海。
誰が言い出したかもう定かではないが、今回はそんな考えの下ルーキーが寄り集まって海水浴に来たのである。
だが、はしゃぎ過ぎた約1名が来た早々日射病で倒れ、結局水着に着替えることもないまま、三々五々、ぐだぐだと時間を潰すこととなった。
10班連中は海の家でまったりくつろいでいるし、7班はその約1名に悪態をつきながら付き合っている。
8班は、ヒナタだけは看病に加わり、シノはキバに引っ張り出されて現在に至る。
キバが海パンではなくパンツ一丁で泳ごうとしていたのは、着替える機会を失ったのと、わざわざ履き替えるのが面倒だったからだ。
「あ…あの、シノくん」
そうヒナタに呼ばれて、シノは太陽からヒナタに視線を戻した。
ヒナタは、シノの後ろを覗き込むように首を傾げて、
「フード、ほつれてるよ…?」
と教えてくれた。
赤丸の爪が引っ掛かっていた所為だろう。
シノは自身のフードを振り返り、肩越しに手繰り寄せてみた。
が、それではどこが解れているのか、よく見えない。
仕方なしにシノは上着を―――――脱いだ。


「ああああああぁぁぁぁ!!!!」


突如、絶叫が海辺に響き渡る。
ビックリするヒナタに、眉間に皺を寄せてゆっくりとそちらを振り向くシノ。
半袖短パン姿のキバが唖然としている。
そして暫く呆然とした後、ガックリと膝を落とし両手を砂浜に突いて項垂れ、
「ま…負けた……」
と打ちひしがれた。
「キ、キバくん!? ど、どうしたの!?」
キバの突然の落胆に、ヒナタがあわあわと慌てふためく。
シノは一つ、息を吐き、
「気にするな」
とヒナタに言った。


ザァ…ザァ…ザァ…と、打ち寄せる波の音が聞こえてくる。


「浜辺の太陽に、眩んだだけだ……」





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あとがき
「ほら、お前も脱いで泳ごうぜ!」
という、TOP絵から派生した思い付きのお話でした!
絵とセリフの方が先なんです。
………というか。
問題発言とも取れなくもない台詞に対する後付の言い訳って感じですね(苦笑)
「ほら、お前も泳ごうぜ!」とか
「んな暑苦しい服、脱いじまえよ!」とか
色々考えたのですが…。
どうしても「脱いで」って言葉を入れたい気分で……(遠い目)
んで、結局。
シノを脱がせたのはヒナタです(笑)
ヒナタはみんなのお日様ですもの!
キバは、陽射しが強すぎて旅人に逃げられちゃった太陽ですよ。
キバシノっぽいですが、恋愛云々ではないですねってか『8班の夏物』ですね。
思いの外、『8班の夏物』率高いんですよね。
意図してやってたわけじゃないんですが…。
どこかで8班に夏のイメージを持っているのかもしれません。
キバが影響しているのかな…。
実際、キバ=夏男の私にとっては、この時期はテンション急上昇です。。
嗚呼……夏って最高!












(08/7/14)