「…………で」
アスマは、シノの話が終わる頃合に、口を開いた。
「ウチに来て俺の肩を揉んでやろうと思い立った……ってぇわけかい」
何だそりゃ、と、後ろに立って肩を揉んでいるシノに言う。
「……まあ、何となく。それに母の日なので」
「意味わかんねぇな。母の日だったら母ちゃんにやってやれば良いだろうが。俺はお前の母ちゃんじゃねぇぞ」
アスマの言葉に、シノは一つ間を置いてから、
「アスマ先生こそ、何もしてあげないんですか」
と言ってきた。
「生憎と俺は関係ねぇよ。お袋は親父より先に死んでる」
そう応えれば、シノはまた一つ間を置いてから、
「………俺も関係ありません」
と言った。
その言葉に、そう言えば…とアスマは気付く。
シノの母親の話は、聞いた事がない。
ちょっと迷ったが、気を使ってもしょうがないので
「死んだのか」
と単刀直入に訊けば、
「ああ」
と返ってきた。
「俺が生まれた時に。元々体が弱かったのに、無理をしたらしい」
「…………良いのかよ、俺にそんな事教えて」
「別に隠し立てすることではない」
「…………そうか」
アスマはそう言うと、よいせと立ち上がった。
肩に乗っていたシノの手が、届かなくなって離れる。
見上げてくるシノを振り返って、その肩に手を置いた。
「今度は俺の番だ」
「………俺はもういいです」
眉間に皺を寄せて警戒するシノに、アスマが呆れたような表情を浮かべる。
「俺をキバと一緒にすんなよ…」
その言葉に、シノが僅かに警戒を解いた。
その時。
「!」
不意を突いてアスマがシノを押し倒し、俯せにして背面を取る。
「―――んっ」
項にキスをされ、シノはビクリとして身を竦めた。
そんなシノの耳元で、アスマが囁く。
「だから言ったろ? 俺をキバと一緒にすんなって」
夕方。
ムスッとしたシノを横目に、アスマは煙草の箱を取り出した。
しかし中は空っぽで、顔を顰める。
「俺、ちょっと煙草買ってくるわ」
そう言って立ち上がっても、シノはそっぽを向き続けている。
やれやれと溜め息を吐いて、
「留守番してろよ」
と言い置いてから出掛けた。
茜色に染まり始めている街の中、アスマはのらくらと煙草屋を通り過ぎて歩いて行く。
シノの不機嫌が和らぐまで、時間を潰そうと考えたのだ。
ぶらぶらと歩いていくと、教え子の一人、いのの家の山中花店の前を通りかかった。
「アスマ先生!」
丁度外に出て来たいのに見つけられ、名を呼ばれる。
暇を持て余していたから丁度良いと、アスマは立ち寄った。
暇潰しだ。良い迷惑である。
だがいのは迷惑とは思っていないらしく、夕焼けの中でも映える極上の営業スマイルで、アスマを引き入れた。
捕まったのは、どちらかと言えばアスマの方だったらしい。
母の日も終わりに近いためか、いのはカーネーションの花を頻りに勧めてきた。
かなり仕入れたのだろう。まだ売れ残っている。
それでもスペースがかなり空いていて、大半は売れた事が判った。
「悪いが、俺にはもうあげる相手がいねぇよ」
アスマはそう言って断ろうとしたが、いのは
「そんなこと無いわよ」
と言って赤いカーネーションの陰に隠れていた白いカーネーションの花を手に取った。
「……もともと、母の日は、一人の女性がお母さんの命日に白いカーネーションを配ったことから始まったって言われてるの。
だからアスマ先生! もういないから、なんて言って、怠けちゃダメよ!」
「……………わ…わかったよ…」
教え子の説教に気圧されて、アスマは少し仰け反りながら応え、ちらりと、カーネーションの花々に目を遣った。
茜色に、カーネーションの色が溶け込んでいる。
白だか赤だか、判別し難い。
不意に、シノの姿が脳裏に過ぎった。
「しょうがねぇなぁ……」
アスマは、親に反発しながらもしぶしぶ言う事を聞く子どものように、目を逸らしながら応えていた。
「おい、出掛けるぞ」
アスマが帰ると、シノは全く変わらぬ姿勢と態度を守っていた。
仕方ない、と問答無用でむんずと摘み上げ、外へと連れ出す。
「一体何だ。また強引に…」
眉間に目一杯皺を寄せ、完全にアスマに対する信用を無くしたらしいシノに、アスマはガサリと花束を突き付けた。
「……白い…カーネーション…?」
シノの眉の形が微妙に変わる。
そして訝しげに見上げてくるシノに、アスマは目を逸らして告げた。
「母の日の、墓参りだ」
暮れなずむ街の、光と影の中。
墓参りを終えたアスマとシノは、並んで帰路に付いていた。
「………白いカーネーションの花言葉を知っていますか」
唐突に、シノが言った。
「ぁあ…?」
「『私の愛情は生きている』です」
「へぇ、そうなのか」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「………アスマ先生の命日にも、供えてあげますよ」
「そりゃあ…」
アスマは間を置いた。
ポケットに手を突っ込み、買ったばかりの煙草を取り出して、
―――吸う。
「……お袋さんだけにしとけ」
その特別な気持ちは
特別な人のためにだけに
捧げるべきものだから。
「………でも」
アスマは、シノの頭に手を伸ばして、軽く押すようにして撫でた。
「………ま、ありがとよ」
(09/5/10)