チョコにマシュマロ、クッキー、ビスケット、アメに、その他諸々。
ホワイトデーのために設けられたコーナーは、まるでお菓子の集会場の様だった。
綺麗に包装され、上品さが演出されているもの。
明らかに子ども向けと思えるもの。
小さな笑いが起こるような、冗談めかしたもの。
女性が喜びそうな煌びやかなもの。
そんな集会場を、ウロウロすること小一時間。
キバは、未だ決めかねていた。
一応義理として、母親の分と姉の分、そしてヒナタとサクラといの、バレンタインにもらってないけど紅先生の分は、カゴの中に入れてある。
残るは唯一つ―――彼の分だけだった。
飾り気のない飴の箱を手に取ってみたものの、やぱっり…と戻してしまう。
彼は―――シノは、甘い物が嫌いなわけではないから、きっと何をあげてももらってはくれるだろう。
ただ、問題なのは、バレンタインのお返しとしてシノが受け取ってくれるかどうか―――。
キバは、僅かに眉根を寄せた。
バレンタインに、確かにチョコレートはもらった(非常食用の板チョコだったけど)。
告白めいたことも言った(伝わっててほしいのかほしくないのか、よく判らないけど…)。
反応は―――無かった。
果たして、あれはバレンタインチョコレートと呼べる物だったのだろうか。
自分はバレンタインチョコをもらったと、言えるのだろうか?
ホワイトデーに渡した品物は、お返しになるのだろうか?
シノはどんな顔をするだろう――――?
とキバは想像してみたが、結局例のちょっと眉を寄せたしかめっ面しか思いつかなかった。
多分、そうなるだろう。
喜んでも迷惑に思っても、どちらにせよ面はほとんど変わらないんだろう。
あとは何を言うか。ありがとうか、悪い、すまない、か、それとも何も言わないか。
それだけの違いだ、きっと。
そう思いながらも、キバはやはり決めかねた。
集会場に集っているものたちの中には、どうもピンと来るものが無い。
特別コレが良いというものも無いのだが、どうにも違う気がしてならなかった。
――――そういや、和菓子はねぇんだな。
そう思い至ったのは、ホワイトデーコーナーをうろついて二時間程経った頃だった。
――――あいつ、和菓子の方が好きかも。
キバはそう考え、漸くお菓子の集会場から抜け出すことにした。
向かった先は和菓子のコーナー。
だったが、その一つ手前で、キバは足を止めた。
そこには、処分品として半額の値札が貼られた、雛祭り用の品があった。
その中に。
キバの心を惹くものが一つ――――あった。



ももいろこんぺいとう



ホワイトデーの今日、シノの家に行くことは伝えてあった。
借りていた本を返すという名目ではあったが、シノはもしかしたら勘付いているかもしれない。
かもしれないが―――まあ、色好い反応は何にせよ望めないだろう。
いいさ別に、と、キバは半ば自棄になって思った。
それでも誤魔化しきれない、どうしようもない不安感を振り払うかのように、足下に転がっていた石を蹴り飛ばす。
手に持った紙袋の中で、本がゴトンと動いた。
蹴飛ばした石っころは遠くに飛びすぎて、どこに落ちたかも判らなかった。
悲鳴は聞こえて来なかったから、誰かに当たったということはなさそうだ。
と言っても、当たる人は誰もいないのだが。
キバは、人っ子ひとりいない林の中を歩いていた。
林道は整備されているし、林自体も手入れが行き届いているらしく、薄暗さはない。しかし不思議と、人の気配は感じられなかった。
シノの家へと向かう道。
聞いた話では、この林を管理しているのは油女一族らしい。所有地では無いらしいが、家も近いし、多くの虫が生息しているからだ
とか何とかシノが言っていたのを、キバは朧気に覚えていた。
ざわざわと、整然とした木々が揺れる。
キバは、何だか自分の訪れについて、木々がひそひそと囁き合っているような気がした。
歓迎されているようには思えない。かといって、邪険に追い返されることも無い。
――――まるでシノみてぇなトコだな。
ひそひそ話をする林に挑むかのように睨みを利かせ、キバはズンズンと、奥へと進んでいった。


シノの家に着くと、シノはやはりいつもの態度としかめっ面でキバを迎えた。
本を返すだけなら玄関で済ませられるのだが、どちらが言い出したわけでもないのに自然と、キバは家に上がることになった。
それが、つい癖で靴を脱いでしまっていたからだと気付いたのは、シノの先導で廊下を歩いている時だった。
ポーチに仕込んできた、バレンタインのお返しを意識する。
靴を脱いだのは無意識だったが、お陰で渡しやすくなったなと、キバは自分の考えるより先に動く質を讃えた。
そして、この調子で渡せればいいんだけど…と思う。
しかし、一度意識してしまうと、気にしないようにするのはなかなか難しく、意識するなと思えば思うほど意識してしまって、
渡せるかどうかという自信はどんどんしぼんでいった。
と、そんな時。
不意にシノが立ち止まったものだから、キバはその背中に顔面からぶつかってしまった。
「―――っ?! あ? な、なんだよいきなり! 急に立ち止まんじゃ…!!」
キバは思わず怒鳴っていたが、ねえ! という最後の怒声は、ふと目を遣った先の物に、一気に引っ込んだ。
そこにはなんと――――雛壇があったのである。
開いた口が、塞がらなかった。
廊下に面したその一室は、障子戸が開け放たれていて、中に飾られた立派な雛壇の姿を惜しげもなく通行人に晒している。
しかも雛壇以外の家具や調度品は一切無く、まるで雛壇を飾るためだけに設けられた部屋の様だ。
「あ…れ…ひな……え??」
驚いて雛壇とシノを交互に見、キバは惜しげもなく混乱した。
―――――なんで、まだ飾ってあるんだ?
―――――いやそもそもなぜ、こんなところに雛人形が?
「あ…えと…お前ンち、女の子いた…っけ…?」
いたという記憶は、無かった。
案の定、シノは否いないと応えた。
やっぱりそうだよな…と思う反面、では何で、どうして雛人形が飾ってあるのだという疑問は更に深まる。
それに、雛祭りはもう十日も前に終わっているのだ。なぜ未だに、これ程堂々と健在しているのだろう?
キバの記憶では、雛人形というのは出したらさっさと仕舞う物だったはずだ。
あまり長々と飾っていると婚期が遅くなるのだと、聞いた事がある。
「女児がいないのに雛壇を飾っているのは―――」
キバが混乱と困惑を極めていると、シノがそれを見透かしたかのように説明を始めた。
「親父の趣味だからだ」
「お…親父さんの…?」
うむ、とシノが微かに頷く。
「故に、毎年親父の気が済むまで飾ってある」
大体四月の上旬ぐらいまでは飾ってあるな、と、シノは表情を変えずに淡々と語った。
そしてするりと部屋の中に入ると、雛壇の後ろに置いてあったらしいはたきを取り出して、五人囃子の段をそっと撫でる。
どうやら、埃が目に付いたらしかった。
キバも、シノの後から部屋に入り、雛壇を仰いで見た。
全てが揃っている雛人形を見る事は、あまり無い。
キバの家にも、姉のハナがいるため雛人形はあるのだが、生憎とお雛様と内裏雛しかいないし、それも犬たちに壊されないよう――
または親子喧嘩、姉弟喧嘩の際に被害が及ばないよう――高いところに設置するため、これ程間近で眺めたことは無かった。
ヒナタの家にも同じくらい立派な雛壇があったが、遠目に見たことがあるだけだ。
「……そんなに珍しいか」
雛壇を眺めていると、不意にシノが言った。
はっと我に帰ってみれば、どうやら思った以上に凝視していたらしい。
「べ…別に」
慌てて誤魔化したものの、上手くはいかなかった。
別に、見惚れていたわけではない。
ただ、少し――。ちょっとだけ、運命というか、縁があるのかと思っていただけだった。
ポーチの中の品物の存在感が、一気に戻ってくる。
時季はずれの、雛祭り用の、半額シールの貼られた、ホワイトデーのプレゼント。
半額シールは、わざと貼ったままにしてあった。
シノの『非常食用』チョコレートに対抗しようというささやかな挑戦のつもりだったのだが、
今にして思えば吉と出るか凶と出るか、綱渡り的な賭けだなと、今更ながら戦く。
失敗だったかもしれない。
そう思うと、先程しぼんだ自信が枯れ果てたような気持ちになった。
「……キバ」
そんなキバの様子に気付いたのか、シノが眉間の皺を深めた。
「何かあったのか」
「え…あ、いや、別に」
「では、何故そんな顔をする」
「そ…そんな顔って…! ど、どんな…っ」
「それに、来た時も不機嫌そうだった」
「ふ…不機嫌なんかじゃ…!」
「キバ」
動揺甚だしいキバに、シノが有無を言わさぬ態度で詰め寄る。
その物凄い威圧感にキバは圧倒され、有無を言えなくなった。
黒眼鏡の底からじぃっと差し向けられる眼差しに、釘付けにされる。
金縛りにあったかのように、動けなくなった。
沈黙の重圧と無言の責め苦に、汗が噴き出す。
ごくりと、喉が鳴った。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………っ、」
耐えきれなかった。
キバはポーチの中に手を突っ込むと、もうどうにでもなれとばかりに例の、半額シール付きの、ホワイトデーのプレゼントを取り出して、シノの眼前に突き出した。
「…………?」
シノがちょっと引いて、突き出されたそれを見つめる。
小瓶だった。
握り締めるキバの手の隙間からは、淡い桃色の、星の粒のような物が窺える。
「………金平糖…?」
それは、こんぺいとうの小瓶だった。
「………チョコ…」
キバが、ぼそりと呟いた。
「もらったから…よ」
徐に上げられたキバの視線に、一瞬、シノがたじろいだ様に見えた。
しかしほんの一瞬で、本当にそうだったか疑わしい。見間違いかもしれなかった。
キバが上目遣いにしっかりとシノを見据えた時には、シノはもう、いつも通りだった。
眉間に皺を寄せ、口を固く閉ざし、微動だにせずじっとキバを見つめている。

―――――ほら、面じゃわかんねぇんだよ。

キバは負けじと睨み返した。

―――――何か言え。

しかし、シノは沈黙を守っている。

―――――何か言えよ。

寄せられた眉が、どこか困っている様で、キバは…。

「何か言えっつってんだろーがっ!!!」

思わず怒鳴っていた。体中の血液が沸騰したようだった。
見透かされているのが悔しくて。
何も見通せないのが悔しくて。
その悔しさに任せ、握った小瓶を振り上げてシノに投げ付ける。
もしシノが避けていたら雛壇に命中していたところだが、そうはならなかった。
白い手で受け止められた小瓶の中で、桃色の金平糖がシャラシャラと鳴り、止まる。
「………キバ」
静かな、声が。
キバに呼吸を取り戻させた。
「……悪ぃ」
息を吐き出しながら、小さく言った。
そして息を吸い、顔を上げる。
まっすぐ、ただひたすら、ひたむきにシノを見据えて。
「……それ…もらってくれるか…?」

俺のこんな気持ちはいいから

このももいろのこんぺいとうだけでも

お前のものに――――。



「……いいだろう」
キバは息を呑んだ。
シノは手の中の小瓶を軽く転がしながら、ほんの少し、微笑ったような声で言った。


「半値ぐらいなら、受け取ってやる」


ささやかな、春の風が吹き込んできた。












(09/3/14)