いののヴァレンタインデート計画


はいこれ、渡されたのは、やけに高級そうな紙袋だった。
片手に乗る程度の大きさで、ワインレッド色の上に金文字が施してある。どうやら菓子の名前のようだが、聞いたことの無いものだった。
ただ、菓子の種類は、ショコラとあるからチョコレートなのだろう。
持ち手部分を開いて中を覗いてみれば、これまた高級そうなしっかりとした小箱が入っていた。
常々思うのだが、この手の物はどうしてこれ程までに装飾に凝るのだろうか。
本来主役は中身のチョコレートのはずで、外側はあくまでも飾りのはずだ。
それなのに、肝心のチョコレートが二粒程入っているだけ――きっとこれもまた高級そうなチョコレートなのだろうが――
なのに、ここまで過剰に包装する意味が解らない。これでは、どちらかと言えば容れ物の方が主役に見える。
高級品やブランドの価値というのは、その物の価値に劣らず、その物に付属する物や名前の価値が重要なのだろう。
そしてそうした価値観からは、付属物から中身の価値が判断されるという逆転した物の見方が生まれてくる。
そういう見方を非難するつもりは無いが……。
それにしても……と思ってしまう。
自分ならば、30両出してコレを買うなら、もっとたくさん入った袋を買う。
チョコレートの品質や味にどれほどの差があるか知らないが、質と量で選ぶとしたら、迷わず量を取る。
しかし何より、チョコレートを贈り物とするなら、最も価値があるのはやはり「手作り」だろう。
金額の高低ではなく、その価値は「相手を想う心」にある。そしてその価値には、高低は存在しない。
手作り―――。
するべきだったのだろうか……。
そう思い至って、シノは小さく、溜め息を吐いた。
シノがいる場所は町外れにある納屋の裏。近くにある水田の仕事道具などが置かれているようだが、
この時期は作業が無いため人は来ない。街からも離れているため、静かなものだ。
そして、なぜシノがそんなところにいるかというと、事の発端――元凶ともいう――は、山中いのの「はいこれ」だった。
バレンタインデー前日に渡されたチョコレートは、しかし残念ながらいのからシノへの贈り物ではなく、
「シノからシカマルへの贈り物」だったのである。
いの曰く、「だってどうせ用意しないんでしょ。だからわざわざあたしが用意してあげたのよ」とのこと。
確かに、用意する気はなかった。
シノも、そしてシカマルも、バレンタインという行事に浮かれる性質ではない。
シカマルに寄せられた食べ物は、大半が右から左にチョウジへ流れる仕組みになっているし、
シノとしても、自分が愛を込めて贈り物をするという柄ではないことを良く知っている。
だからシカマルと、いわゆる恋人同士になってこの方、バレンタインという行事は有って無いようなものだった。
しかし、どうやらそれがいののお気に召さなかったらしい。
恋人なら恋人らしくチョコレートくらいあげなさい、と叱られ、当日はここで待つよう仰せ付けられて、シノはこんな場所に突っ立っているわけである。
シカマルはいのが呼び出すらしい。
全てが、いのの仕切りによって動かされている。
これでいいのだろうか――と、シノは思った。
どうせやるなら、手作りした方が良かったのではないだろうか。
誘い出すのだって第三者を介すよりも、自分で直接呼び出した方が良い気がする。
否そもそも、わざわざ呼び出す必要もない。直接家に行き渡せば済む事だ。
どうせならその方が良かったのでは、と思う。
他者を介入させるのは、やりやすいのかもしれないが、回りくどいやり方だ。
こうした面倒な方法はシカマルの好むところではないだろう。彼の観念的に、きっと「女」のやり方だ。
――――メンドクセェなぁ…。
いのの呼び出しに渋い顔をするシカマルが、容易に頭に浮かんできた。
口癖とはいえ、そう思われているかもしれないと考えると、胸のあたりが苦しくなりざわりと落ち着かなくなる。
呆れられたくない。
だが、今更どうしようもない。
こうなったらせめて、来たらすぐ渡してしまうのが良い。
さっさと渡して帰してしまおう。その方が時間が無駄にならない。
わざわざ来たのにそれだけかと言われるかもしれないが……文句があるならいのに言え。
別に俺が望んだわけじゃない……。
そこまで思考を巡らせて、シノははたと気が付いた。
単なる言い訳じゃないか。と。
否、確かに事実ではあるのだが…。
それにしても、チョコレートの価値への疑いも、いののお節介に対する批判も、こうしてここに突っ立ている自分の弁解であり見え透いた言い訳だ。
断らなかったのは自分だし、ここに来たのも自分の意志のはずだ。
今更ぐちぐちとケチをつけていのの所為にする方が余程女々しい…否、情け無いではないか。
ここはもう覚悟を決めて……。
と、ここで、シノは再びはっとした。
巡り巡っていた、現実逃避じみた思考が途切れる。
先程からざわざわとしている胸騒ぎは、単なる胸騒ぎではなかった。
考えることに没頭していたため気付かなかったのだが、これは蟲達のざわめきだ。
ざわざわと、人の気配を感知したことを知らせていた。
今の今まで気付かなかったなんて…と愕然とする一方、そのことを反省する余裕が急速に無くなっていのを感じる。
どくどくと鼓動が高鳴り、緊張に身体が強張った。
一体、どうしたというのだ。と、頭に残った理性で必死に考える。
ただシカマルが来るだけだろう。何を緊張する必要がある。いつもの通りにしていればいい。やるべきことはチョコを渡すだけ。1分と掛からない仕事だ。
そう、すぐに済む―――。
「よぉ、シノ」
気配を察していたにも関わらず、木陰から姿を現したシカマルに、シノはビクッとした。足を踏ん張っていなければ、飛び跳ねていた事だろう。
「…………」
「なんだよ、何か言えよ。お前が呼んだんだろうが」
シカマルの登場に思考が停止し、口が利けなくなったシノに、シカマルが訝しげな視線を向けて言った。
その言葉にシノははっとして、自身を奮い立たせて口を動かす。
「……ぁ…あぁ…」
頬が緊張していて口の動きはぎこちなかった。
こんなことは、生まれて初めてだ。
きっとヒナタの緊張状態はこんな感じなのだろうが、今のシノにはそんなことを考える余裕は無かった。
何も考えられない。喉がからからに乾き、言葉が出てこない。
「………シノ…?」
シカマルがシノの様子が変な事に気付いたのか、小首を傾げてシノを覗き込んできた。
シノは目を合わせる事ができず、思わず俯いた。
「どうした…? 大丈夫か?」
「…………」
大丈夫だ、と答えようと口を開くが、声が出てこない。
おいしっかりしろ、と再び、漸く繋がった思考回路が固まった身体に文句を送り出し始めた。
ただチョコレートを渡すだけだろう、さっさと済ましてしまえ。
一言、「やる」と言えばいい。
一挙手、持っている物を差し出せばいい。
―――――わかっている。
わかっている。そんなことは。わかっている。の、だけれど……。
身体が動いてくれないのだ。
筋肉が硬直している。神経が麻痺している。身体が、言う事を聞いてくれないのだ。
動かそうと思えば思うほど、喋ろうとすればするほど身体は頑なになり、口は閉ざされてしまう。
―――――どうしよう…。
シノが本格的に焦り始めた時。突然、ガサリと音がした。
どうやら反射神経だけは生きていたらしく、反射的にそちらを向いた。
生い茂った茂みは、しかし動く気配は無い。
風の仕業か、動物でもいたのか、いつもならその正体を見極めようとしただろうが、今のシノにはそこまですることができなかった。
とにかく、この機を逃すわけにはいかない。ぱっとシカマルを見てみればシノと同じように茂みの方を見ていた。
シノはその目と鼻の先に、勢い良く、無理矢理腕を動かして持っている物を突き出した。
もちろん、いのが用意した無駄に豪華なバレンタインのチョコレートである。
「え…なに」
突然目の前に突き出されたワインレッドの紙袋にシカマルが目を丸くする。
茂みからシノに視線を移し、シノが差し出している物を見る。
「お…俺に?」
シノは、こくっと首を縦に動かした。
心臓は落ち着いている。しかし代わりに血が上っていた。
「あ~…」
シカマルの困ったような声に、ますます顔が熱くなる。
やはり、迷惑だったのかもしれない…。呆れられたかもしれない…。しかし、その考えは間違っていた。
「……アリガト…」
チョコの紙袋を受け取りながら小さく呟かれた声は、嫌がっている様ではなかった。
シノが恐る恐る視線を上げてみれば、シカマルはそっぽを向きながら――頬を染めていた。頬のみならず、耳まで赤くなっている。
それを見て、シノは更に顔が熱くなるのを感じた。
これ以上熱くなったら、きっと顔から火が出るだろうなと、安心したためか調子を取り戻した頭が考える。
シノは、小さく息を吸って、吐いた。顔の火照りが適度に冷めるのを待つ。
そして落ち着きを取り戻したシノは顔を上げ、シカマルを見据えて思い切って口を動かした。
「シカマル。もしこれから暇なら、少し…付き合わないか」
いつもの声、態度。
一度戻ってしまえば大したことはなかった。案ずるより産むが易しだ。
実際動いてみれば、なんていうことはなく、あっさりとできてしまったりする。
全てに当てはまるとは思わないが、実体験を経て、シノはそのことわざの真意を得た気がした。
シカマルが「あ~…」と再び間延びした声を出し、頭を掻きながら「いいぜ。暇だから付き合うよ」とシノの申し出を受け入れてくれた。
あれ程頑なで強張っていた頬が、思わず弛んだ。
いのには感謝と謝罪をしなければならないな、と考えながら、シノはシカマルと共に歩き出した。





「あ~………。一時はどうなるかと思ったわ」
ガサリ、と、シノとシカマルがいなくなった納屋の裏手の茂みが鳴った。
その茂みの中、いのが盛大な溜め息を吐いていた。
その横ではチョウジが、それまで禁止されていたらしいポテチの袋を開けるべく、袋の口を両側から引っ張っていた。
ビッ、と鋭い音と共に菓子の袋が開かれる。
その中にガサガサと手を突っ込みながら、チョウジは空を仰いだ。
針葉樹の葉の向こうに伺える空は青く、小さな白い雲が一つだけ浮かんでいる。
その雲を見上げながら、チョウジはぽつりと呟いた。
「お疲れ様」
いのに対してか、シノに対してか、はたまたシカマルに対してかは判らないが。
取り敢えず、いののバレンタインデート計画は、パリッというチップスの砕かれる音と共に、無事終わりを迎えたのであった。












(09/2/14)