WHITE DAY
少し力んだ足下で、パキッと木の皮が割れる音がして、キバは息を詰めた。
反射的に耳をそばだてるが、鳥の羽ばたき一つせず、安堵の溜め息を吐く。
足下を見たついでに木の上を這い回る蟻を見つけて、ふと、「けいちつ」という音を思い出した。
「啓蟄」とは越冬している虫が出てくる季節のことだと、チームメイトの虫オタクが語ったのは、十日程前の事だ。
だがそんな啓蟄を過ぎ、春分に近付いても、キバは未だ冬ごもりから抜け出した虫にお目に掛かっていなかった。
空を仰げば、青く晴れ渡っている。
春は近い。
いつまで冬眠してんだよ!と叩き起こしたくなるほど、今日は良い陽気だった。
将棋や昼寝が好きな友人に言わせれば、それこそ眠りたくなる陽気でもあるが…。
「でもやっぱ、籠もってるにはもったいねぇよな」
にやりと笑みを零し、鼻の頭に皺を寄せる。
『キバ、いったぞ!』
機械越しの合図が聞こえ、キバはますます野性的な笑みを深めた。
「わかってるって…!」
バサバサと木々の間から獲物が飛び出してくる。
かなりのスピードだが、逃しはしない。
「いくぞ! 赤丸!」
キバは、相棒と共に滑空するその白い獲物に飛び掛かった。
「体の色、特徴……間違いないな」
鳥籠の中で小首を傾げる白い鳩を覗き込みながら、紅が写真と見比べて頷いた。
今回、8班の任務は迷い鳩「ユキちゃん」の捜索及び捕獲。
親子3人家族のペットなのだが、飼い主と共に引っ越した先で行方不明となっていた。
状況から考えるに、原因は恐らく、
「元の家に帰ろうとしたのかな…」
とヒナタの言う通り。
まず間違いなく、帰巣本能のためだろう。
「でも、迷ってちゃ世話ねーよなぁ」
呆れ調子のキバの声に、ユキちゃんがちょっと俯いて小さく鳴いた。
「……仕方がないだろう。帰巣本能といえど完璧ではないし、個体によって向き不向きもある。
伝書鳩でもレース用の鳩でもないのだから、迷ってしまうのも無理はない」
シノが淡々と迷子になった鳩を擁護する。それに続いて紅が、
「まあ、怪我とかしてないみたいだし。取り敢えず良かったわ」
と締め括った。
任務を終え、ヒナタと別れた後。
キバとシノは春間近のうららかな帰り道を歩いていた。
赤丸は二人より前を走り、立ち止まったり戻って来たりまた走って行ったりと忙しなく動き回っている。
「………なあ、シノ。虫にも帰巣本能ってあんのか?」
赤丸の元気に走り回る姿から眺めながら、キバが不意にそんな質問をした。
犬の帰巣本能が強いことでも思い出したのだろうか。
と思いながら、シノも赤丸を見たまま答えた。
「……巣を持つ虫には、持つものもいる」
「蟻とか?」
「そうだ。だが蟻の場合、動物の方向感覚ではなく固有のフェロモンに頼っている。蟻が行列を成すのは、その匂いに連なっているからだ」
「ふ~ん…マーキングみてーなもんか」
「縄張りの主張が目的ではないがな」
キバはそれを聞くと、不意に立ち止まった。
シノも足を止め、キバを見ると、何を思ったのか目を閉じている。キバの不可解な行動に訝しみながらも、
シノが無言で眺めていると、キバは目を閉じたままふと眉を寄せ、首を傾げてう~んと唸った。
「……どうした」
「ん~…ちょっと…」
納得いかない様子で目を開けたキバが、突然、強引にシノの高い襟をひっつかんだ。
そして無遠慮にシノの首筋に顔を近づけると、くんくんと鼻をならす。
「な、なんだ」
さすがに驚き、ぱっとキバから身を引き離すシノ。
そんなシノにキバはきょとんとして、
「いや…。お前の蟲は、どんな匂いを頼って帰ってくんのかな~っと思って」
と答えた。
「………」
キバの中では、蟻と寄壊虫は同類らしい。
「…………寄壊虫は、蟻ではない。こいつらは匂いではなく、俺のチャクラを感知して戻ってくる」
「なんだ、そうなのか」
つまんねーの。と言って、キバが再び歩き出す。
何がつまらないのか、キバの思考回路が全く解らず、シノは唖然としてその背中を見つめた。
突っ立ったままのシノに、キバがこちらも不可解そうな顔で振り返る。
「何やってんだよ…? さっさと帰んぞ」
「……ああ…」
さっぱり解らないが。
とにかく、シノは再びキバに並んだ。
二人が別れる岐路に着く。
「んじゃ、また明日な」
「ああ」
「鳩みてーに迷うなよ」
にやにやと笑って冗談を言うキバに、シノが無言を返す。
その無言の返事に更に笑って、キバは踵を返した。
シノもそれを見て、ゆっくりと方向転換をする。
真逆の方へ帰って行く、キバとシノ。
「おい、シノ!」
だが不意に後ろから名を叫ばれて、シノは振り返った。
その途端、突然視界に飛び込んできた何かを、反射的に受け止める。
手を開いて見ると、飴が一つ。
「俺は、貰う日に貰ったもんにはきちんと返す、義理がてぇー男だ!」
キバに同調するように、赤丸がキバの足下で飛び跳ねて吠える。
シノが顔を上げると、キバはシノに向かって軽く片手を上げてから、再び背を向けた。
春のうららかな陽気の中を、楽しげに駆け去って行くキバと赤丸。
さわりと、冷たさと温かさの入り交じった風がシノの頬を掠める。
掌の飴玉に視線を落とせば、真っ白い乳白色の包み紙は、ミルク味を表しているのだろうか。
「………………義理、か…」
そう呟いて、白い飴を掌に握り込める。
それをポケットに仕舞い、シノも踵を返して、再びキバとは正反対の方へ歩き出した。
迷わず。
真っ直ぐ。
しかし、シノは知っていた。
人間にとって、帰るべき場所は住処だけでないことを。
人間の帰巣本能が目指すのは…。
空を仰げば、白い太陽が麗らかに輝いてる。
自分が帰るべきは、この、陽射しのような……仲間の居る場所。
今日は温かな、ホワイトデーだった。
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あとがき
バレンタインに引き続き、シノの片想い続行中のホワイトデーです。
啓蟄は3月5日だったのですが、書きたいな~と思いつつ書けなかったのでこちらに無理矢理盛り込みました。
だって、冬眠していた虫が出てくる日なんですよ!
シノが喜ばないわけないじゃありませんか!(笑)
そして今回は帰巣本能というものを軸にしてみたのですが…。
ダメですね…勉強不足で……。いつものことながら、専門的な事は信用しないよう、お願い致します
(今度ファーブル昆虫記を読もうと、マジで思いました……)。
しかし、まあ、去り際に飴を寄越して颯爽と去っていく、爽やかなキバが書けたので良かったです。うん。
(08/3/14)