差し出された、赤いハート形の物に、シカマルはどうしたものかと頭を掻いた。
バレンタインデーなど面倒臭い行事を一体誰が考えたのか。
もらって喜ぶ野郎も多いが、シカマルにとっては貰ってもホワイトデーで(俗説では3倍)返さなければならないし、
断るにしても面倒以外の何物でもない。義理ならともかく、本命となれば尚更だ。
本命だとまるわかりのチョコレートを差し出している女子は、まあ可愛くないわけではないのだが…。
「悪ぃけど、俺、付き合ってる奴いるから…」
そう言うと、真剣な眼差しが涙目に変わる。
これだから女ってのは……と心の中で舌打ちしたシカマルだったが、流石に面には出さない。
めんどくせぇなぁと現実逃避に空を見れば、長閑な雲がぽっかりと浮かんでいた。
秘められた想い
賑やかな商店街を歩いていくと、バレンタインの商品が最後の追い上げとばかり華やかに売り出されている。
そんな中を、シノは我関せずと歩いていた。
「シノ~!!」
だが、不意に名を呼ばれて立ち止まり、振り返ると、花屋の前でいのが手を振っているのが見えた。
山中花店は生憎とチョコに客を持っていかれているようで、お客は一人もいない。
いのも暇を持て余していたらしく、シノが寄っていくと、その鬱憤を晴らす勢いでしゃべりだした。
「まったくもお、やんなっちゃうわよ! せっかくのバレンタインデーに店番なんてさぁ!
ま、シカマルとチョウジとアスマ先生の義理チョコは昨日渡したんだけどね。
あ、そーだ! シノ、あんたにもあげる! はい! 有り難く思いなさいよ~?」
「…………ああ…」
シノが、いのに差し出された一個の義理チョコを受け取ると、それを満足そうに見届けてからいのは再び話し始めた。
「そう言えば、あんたもシカマルにもうあげたの?」
「…………俺が…シカマルに…? 何故」
「なぜって……あげないの?」
「バレンタインのチョコレートは、男が男に渡す物ではないだろう」
「え~。そーゆーもん? それって、シカマル可哀想じゃない?」
「否。それはない。何故なら、以前シカマル自身が『バレンタインなんてメンドーなだけだ』と言っていたからだ。貰うにしても断るにしても、面倒臭いそうだ」
「なによそれ~」
非難しながらも、いのはシカマルらしいとケラケラ笑った。
いのと別れて、シノは再び街を歩きシカマルの家へと向かう。
先程、いのとの会話では省略したが、シカマルがバレンタインを面倒だと思うのは、その日によくチョコを貰うからだ。
貰えない人間ならば、強がり以外で「面倒」などとは思わない。
シカマルは、あれでけっこうモテるのである。
やる気なさげな態度とは裏腹に実は頭のキレる天才、というギャップが受けるのか。
はたまたちょっと柄の悪い顔が良いのか。
詳しくは知らないが、とにかくけっこうモテるのだ。
シノがシカマルと付き合いだしてまだそう長くないが、その内、シノが知る限りでも既に3度は告白なり手紙なりを受けている。
その都度、シカマルは必ず「メンドクセー」とぼやきながらもしぶしぶ対応していた。
もう少し誠意を持って対応しろと言いたくなるほどテキトーな態度に、されど立場的に言うのもどうかと思って、シノは全てをただ黙って静観した。
だが、シカマルの家に到着し部屋に足を踏み入れ、既に居座っていたチョウジがパリパリと食しているチョコレートを見て、嫌な予感を覚えた。
床に落ちたそのチョコの包装と思われる物は、義理にしてはしっかりし過ぎている…。
「………チョウジ…それは…」
「んん? これ? シカマルに貰ったんだ~。シノも食べる~?」
ほくほくと嬉しそうに応えるチョウジに、シノは頭を抱えたくなった。
「どうかしたか?」
部屋のストーブをいじっていたシカマルが、背後から声を掛けてくると、シノは睨み付ける様に振り返り確かめる。
「今チョウジが食っているチョコは、お前が貰った物か」
「ぁあ…? そーだけど…?」
「………お前が貰った物を、何故チョウジが食っている」
「何故って……俺食わねーから、チョウジに食ってもらってんだけど…?」
「何故お前が食わない」
「何怒ってんだよ?」
最後の言葉は見事に重なり、二人とも口を噤んだ。
妙に重苦しい沈黙の中、パリポリとチョウジがチョコを囓る音だけが響く。
「…………お前は、あれに込められた女性の気持ちが、わからないのか」
漸く、シノが発した声は普段にも増して低く、静かな憤りが伝わってきた。
それに対しシカマルは眉を顰めて、答える。
「女心なんて、男の俺にゃわかんねーよ」
「この扱いは、女心を解していないというより、人の心を踏みにじる行為だ」
シカマルの回答を予測していた様な、間髪入れない言葉がシノから返され、シカマルは益々眉間の皺を深めた。
しかもその言葉が無慈悲なまでに率直で的を射ていたため、思わずムッとして
「俺が貰ったんだから、どーしようと俺の勝手だろうが」
と言い返してしまった。
火に油を注ぐ自身の言葉に、しまったと咄嗟に口を噤むも、時既に遅し。
「……………………そうか…。お前の考えは、よく解った」
怒りとも諦めともつかない、静かな静かな声がシノから発せられると、引き止める間もなく部屋を出て行く。
「…………」
「…………最後のは、ちょっとマズかったね」
シノのあまりにあっさりした引き際に、シカマルは暫し呆けていたが、ずばり心理を見抜かれて漸く我に返ると、チョウジに気まずげな視線を送った。
ポリポリと相変わらずチョコを囓るチョウジが、にこやかにその視線を返す。
「早めにお願いね」
「………ったく、メンドクセェ…」
シカマルは舌打ちをすると、シノの後を追いかけた。
シノの言いたいことは、解る。
シカマルとてそこまで不人情ではないし、バレンタインのチョコレートが如何に大事な意味合いを持っているかも知っている。
だが、こっちにはこっちの言い分がある。
「シノ、待て!」
けっこう行った所で漸くシノを見つけたシカマルが呼びかけるも、シノはそれを無視してスタスタと行ってしまう。
「おい! 待てっつってんだろーが!」
二度目の呼びかけでやっと足を止めたシノが、ぎこちなく振り返ると、シカマルは印を組んだ手を放してゆっくりと歩を進めた。
二人の間をつなぐ影が、少しずつ縮まっていく。
「俺の話、聞けよ」
「………」
「まず、あれは義理だ。本命だったけど、『義理でいいから』って言われて渡されたヤツだ」
「………だからといって、他者にやって良い物ではない」
「ああ、解ってる」
「では、何故あんな非道いことをする」
「じゃあ、お前は、俺に元々本命だったチョコを食えって言うのかよ」
「………」
シカマルの言葉に、はっとしてシノは口を噤んだ。
義理として貰ったと言っても、矢張りそれは本命チョコに他ならない。
それを口にするということは、即ち相手の気持ちを受け入れる事になる。
「……お前は、それでも良いのか?」
続くシカマルの言葉に、シノは押し黙った。
良いはずは、無い。
今まで黙って静観してこられたのは、シカマルが他者からの申し入れを、少しも揺るがず断固とした態度で受け入れなかったからだ。
というか、端から相手にしていなかった。
それを知っていたから、シノは安心して静観していられたのだ。
「…………」
「………解ったんなら、帰るぞ。チョウジが見つけたって言う美味い団子屋、早く行かねーと売り切れちまうらしいし。そうなると、彼奴うるせーから」
術が解かれると今度は手首を捕まえられて、来た道を引き戻される。
シノは、ズンズンと進んでいくシカマルに、大人しく従った。
自分とは、無縁な浮き世のバレンタインデー。
けれど、大切な人にチョコレートを贈る気持ちは、わかるから…。
だからシカマルの諸行を見て、居ても立ってもいられなくなったのだ。
「……シカマル…」
「ん?」
振り向いたシカマルに、唐突にキスをする。
吃驚して目を丸くしたシカマルを見つめながら、シノはぼそりと呟いた。
「……チョコの代わりだ。お返しはいらないから、受け取っておけ」
シカマルは驚きながらも「…お…おぅ…」と応え、強く掴んでいたシノの手首をそっと放すと、照れた様にその手をポケットへと突っ込んだ。
そして、チョウジのために急ぎながら、それでも少しゆっくりめに。浮かれた街並みの中を、二人は並んで歩いていく。
空を仰げばぽっかりと浮かんだ長閑な雲。
シカマルは、バレンタインもそう悪いもんじゃないなと、密かに思うのだった。
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あとがき
シカマルは、カッコイイと思うんです。
だからきっと、モテる!
けれどシノ以外眼中にないので、他の人に対しては非道いぐらいが良いなぁと妄想するわけです。。
そんなシカマルに安心しながらも、注意すべきかどうか迷う複雑な心境のシノ…。
そして、そんな二人を見守りながらお菓子を頬張るチョウジ!(笑)
こんなスリーマンセルも悪くないかもしれない…かも?
(08/2/14)