山と山をつなぎ、川を横断するように張られたロープが、吊された、鯉を模した幟の重さに軋む。
掲げられると、吹き抜ける風を呑み込んで千を超える鯉幟達は一斉に膨らんだ。
壮観。
その一言に尽きると、幼い油女シノは思った。
見た目では判らないが、感激したといってもよかった。
そして秘かに、だが固い決意を胸に抱く。
『これを守る。それが自分の役目』と。
風の中、悠然と泳ぐ大きな鯉幟を、小さなシノは一心に仰いでいた。
風鯉の志
ザザザザザッと木の葉が鳴る。
枝の間から飛び出できたのは、うずまきナルト。
死角から襲いかかってきた手裏剣を一つクナイで弾き、残りの二つを避ける。
空中から地面に降り立った瞬間、「隙あり!」と敵が背後から現れた。
カキンッ。
クナイとクナイがぶつかって火花が散る。
ナルトが睨み付けた先には、自分と同じ青い瞳と、金色の髪があった。
「へへっ、さすがオレ! なかなかやるじゃねーの!」
本体であるナルトが、影分身のナルトと小競り合いながらにやりと口角を上げて言う。
「「「らあぁぁぁ!!」」」
その瞬間、頭上から残りの影分身が次々と降っきた。
本体のナルトが競り合っていたクナイを押し切り、まずは一人を煙にかえす。
そのままの勢いで振り返り、残りの影分身にも向かうナルト。
ボンッ、ボンッ、と幾つもの白い煙が現れては消えていった。
後に残ったナルトは、すうっと息を吸い込み、
「ん~、やっぱ自分相手だと、修行になんねーんだよな~」
と脱力したように言った。それとタイミングを合わせるように、グウゥゥと腹が鳴る。
「………腹減ったし。飯にっすか」
いつもの通り一楽に行こうと考えたナルトだったが、その前に顔を洗っていこうと、近くにあった川へ向かった。
「ぷはあぁぁぁ」
ザァザァというせせらぎを聞きながらザブザブと顔を洗ったナルトは、スッキリした顔で頭を振って、水飛沫を飛ばした。
吹き抜ける風が滴る水を冷やしていく。火照った顔に心地良い。
ふうぅと息を吐き、さて一楽だと思った時。
ナルトは、上流の方に何か飛んでいるのを見つけた。
「ん…? 何だあれ」
目を細め、よくよく見てみると、それは鯉幟だった。
「なんで、こいのぼりがこんなとこに……? しかもあんなたくさん…」
ナルトは、んんん?と首を傾げた。
近付いてみれば、やはり鯉幟が群れを成して空を泳いでいた。
川の向こうとこちら側に渡されたロープに、連なっている。
数は五十程だろうか。
「はぁぁ。すっげー」
ナルトは鯉幟の群れを見上げて、感嘆を漏らした。
鯉幟も、これだけ集まると圧倒されるものだ。
「こういうのって、何て言うんだっけかな。えぇ~っと…せいかん…だっけか?」
「それを言うなら、『そうかん』だ」
不意に予期せぬ訂正をされて、ナルトが驚いて振り返る。
するとそこには、思い掛けない人物が立っていた。
「シノ! お前、こんなとこでなにやってんだ?」
「………お前こそ、何をしている」
目を丸くするナルトに、シノが眉を寄せて応える。
ナルトははたと思い出して、鯉幟を指差した。
「そうだ! これ見ろってばよ! 鯉幟がこんなとこに、しかもこんないっぱいあがってんだ!」
すっげーよなぁ!と興奮して言うナルト。しかし、
「いったい、誰があげたんだろ?」
と漸くその疑問に至ったらしく、腕を組んで首を傾げ、シノを振り返って「なぁ?」と問うた。
その問いに対し、シノは眉間に皺を寄せたままぼそりと答えた。
「俺だ」
「へ……?」
「ちなみに、あげたのではなく、作ったのだ」
「つく……え…??」
淡々と告げられる意外な事実に、ナルトは困惑しっぱなし。
だが、シノが無造作に放った蟲が小さな鯉幟を形どり、鯉幟の列に加わるのを目の当たりにして、その言葉を理解した。
「……お前が作ったのか…」
「そうだ」
「……なんでまた、そんなことしてんだってばよ」
意外性No1といわれるナルトだが、ナルトにしてみれば、この油女シノの方がずっと意に外れた存在である。
その意外な存在は、ナルトの訝しげな眼差しを受けて押し黙った。
聞いちゃいけなかったんだろうかと、鈍いナルトでさえちょっと不安を覚えた頃、漸くシノは口を開いた。
「決意を新たにするためだ」
どうやら適当な言葉を考えていたらしい。
「決意…?」
きょとんとしたナルトに、シノは「昔、火の国のはずれにある渓谷で鯉幟の祭を見た」ことを語った。
「一般的に、鯉幟が何を表しているか、知っているか」
「何って……親子だろ? 父ちゃんと、母ちゃんと、子ども…」
答えて、ナルトは昔その鯉幟がひどく羨ましかったことを思い出した。
人の家にあがった鯉幟を、朝から陽が暮れるまで、ずっと見上げていた。
夕陽に染まった茜色の空を鯉幟の親子が泳ぐ光景は、今でもはっきりと目に焼き付いている。
「その渓谷の鯉幟は、そこに住む人々を表していた」
少し寂しくなったナルトだったが、相変わらず淡々としたシノの解説調の声に、引き戻された。
シノを見れば、真っ直ぐ鯉幟を見上げている。ナルトも、同じように見上げてみると。
「あぁぁあ!!」
唐突に、この鯉幟の群れがその祭りの再現であることに気付いて、思わず叫び声を上げた。
否。実際には再現と言うより、シノ流の祭というべきか。
昔シノが見た渓谷の鯉幟は、そこの住人を表していた。
そして今、シノが作り出した鯉幟は、明らかにシノの知人たちを表している。
その証拠に。
「わかったってばよ!! あれ! あれ! キバだろ!? キバだよなっ!?」
喜々としてナルトが指した先には、特徴的な逆三角のペイントが施された赤い鯉幟。
見るからにキバっぽい。しかもその隣には小さな白い鯉もくっついている。赤丸だ。
「あれ、そうだろ!? なあ!!」
ナルトが興奮して問い詰めると、シノは煩そうにしながらもそうだと答えた。
「じゃあお前、仲間表した鯉幟あげてんだ」
「……あげているのではなく、作った」
「細かいことはいいってばよ。で、何でそんなことしてんだ?」
「…………」
「なあなあ!」
さっき、シノが「決意を新たにするため」と言ったことをすっかり忘れてナルトはしつこく問い質す。
二度は言いたくなかったが、説明不足でもあったので、仕方なくシノはもう一度言った。
「決意を新たにするためだ」
続いて、説明を補足する。
「昔、渓谷の鯉幟を見た時に思ったのだ。『これを守る。それが自分の役目だ』と」
『これ』というのは、渓谷の鯉幟が表す人々もそうだが、それ以上に、仲間のことだと幼いシノは思っていた。
何故かわからないが、そう、強く思ったのだ。
だからそれ以来、この時期にはこの辺りに来て、鯉幟を作るようになった。
初めは家族一族を表した鯉ばかりだったが、成長するにつれ、アカデミー生から忍になるにつれ、知人の数が多くなっていった。
それが嬉しくて。また、決意も強くなった。
『これを守る。それが、自分の役目』。
こうしてシノは、決意を新たにしてきた。
「………へぇ~…」
ナルトは、意外そうにシノを見ながら感心とも放心ともつかない声を出した。
普段あれだけ仲間に固執しているのだから、意外でもない気がするが、しかし矢張り
こんな風に鯉幟に仲間の姿を重ねて決意をしていると聞くと、意外に思う。
案外、子どもっぽい。
それに…と、ナルトは夕焼けの鯉幟を再び思い出す。
自分が鯉幟に家族を重ねている時、シノは鯉幟に仲間を重ねていたのだと思うと、不思議な気分だった。
シノから鯉幟に視線を移せば、幼いシノが鯉幟の群れを見上げる、後ろ姿の光景が目に浮かぶ。
今なら、その幼いシノと同じことを感じられると、ナルトは思った。
『これを守るのが、自分の役目』。
そんな時、ナルトの目に、ふとキバの隣を泳ぐ薄紫の鯉が留まった。
もしかすると、あれは……。
「なあ、シノ。あれ。キバの隣のやつ、もしかしてヒナタか?」
ナルトが指差して問えば、シノもそちらを見遣って、「そのつもりだ」と答えた。
「やっぱり! けっこう、判るモンだな! なんかおもしれー」
直感が当たった事に喜び、ナルトが楽しげに笑う。
その笑顔を横目に見ながら、シノは言った。
「お前もいる」
「え、オレも!? マジ!? どこ!」
「……ヒナタの向こうだ」
「え?!」
そんな近くにあったのかと再び鯉幟を凝視するナルト。
目に留まった薄紫のヒナタの鯉幟の向こうにあったのは、金と橙の鯉幟だった。
「あれがオレかぁ~!」
蟲で出来ているとは思えないほど、その鯉は悠然と泳いでいる。
「シカマルとか、チョウジとかもいんのか?!」
「………ああ」
ナルトは、シノの返答も聞かぬ内にどれだどれだと探し始めた。
そんなはしゃぐナルトを見て、シノが低く呼びかける。
「……ナルト」
「あ?」
「言っておくが、この事は誰にも言うなよ」
突然の口止めに、ナルトは驚いたようにシノを見た。
「何で? こんなにすげーのに、もったいねーじゃん! 他の連中にも見せて…」
「駄目だ。これは、俺の個人的な満足のためのものだ。誰にも見せるつもりはない。知らせるつもりもない。だから、黙っていろ」
それに帰る時には消す…と言うシノに、ナルトは不満そうに唇を尖らせた。
「………ナルト。わかったな」
「………」
「………ナルト」
「わ…わかっ、た…てばよ」
どんどん低くなるシノの声と、怖ろしくなる威圧感に、ナルトは身の危険を感じてしぶしぶ承諾した。
それを聞くとシノはそれで良いというように一つ頷き、鯉幟に視線を戻す。
ナルトは未だ不満たらたらで、まるでお前のせいだと言わんばかりに自分を表す鯉を睨み付けた。
だがその時、ぱっと閃いた事に、不満が吹き飛んだ。
「なあシノ!!」
一変したナルトに、シノが僅かぎょっとして振り向く。
「見てろってばよ!!」
ナルトはそんなシノに喜々とした顔を向けると、気合いを入れて印を組む。そして、意気込んで術を発動した。
「多重、影分身の術!!!」
ボボボボボボンッと、次々にナルトの分身が現れる。
一体何をする気だと、困惑気味なシノを尻目に、分身達は連なっていく。
「続いてぇ! 変化の術!!」
ナルトの印と掛け声により、煙と共に次々と姿を変えていくナルトの分身。
そこで漸く、シノはナルトのしようとしていることが解った。
「ど~だ!!! これがオレの、鯉幟だってばよ!!」
ナルトが作り出したのは、シノのよりも多い、鯉幟の群れ。
数の多さは、シノに対する嫌味ではなく、単純にナルトの方が大切に想う知人が多いだけだ。
それは、一目でシノにもわかった。
だから、その事については何も言わなかったのだが。
「……チャクラの無駄遣いだ」
と、シノの口からは辛口の批評が飛び出した。
「な、なんだとぉ!?」
折角の閃きで気分最高潮だったナルトが、水を差されて激昂する。
だが次の瞬間、緩んだシノの空気に、ぱたりと怒りを鎮めた。
「だが、相変わらずお前の術は『壮観』だな」
『ソウカン』という響きが、ナルトの心を奮わせる。
「へへへへっ」
くしゃりと顔を歪ませて、ナルトはこの上ない喜びを噛み締めた。
ソウカン…なんて気持ちの良い響きだろう。
「シノ! お前の鯉幟もあるんだぜ!!」
ナルトはそう言って自分の作った鯉幟の方を指差したが、生憎とごちゃごちゃし過ぎていて見つけられない。
「あれ…? ど、どこだ…?!」
急に焦りだしたナルトに、シノは秘かに笑いながら、それでも飽くまで淡々と言った。
「見つからないなら、別にいい」
だが、すぐにナルトに却下される。
「よくねぇってばよ! だって、お前の鯉幟には、お前いねーだろ!?」
「…………」
ナルトの言葉に、シノは驚いた。
ナルトは、真剣な眼差しでシノに宣言する。
「お前が、オレを含めた仲間を守んなら、オレは、シノもひっくるめたみんなを守る!」
川面がさざなむ。
「それが、火影になる、オレの役目だってばよ!」
風が吹き抜け、二本の鯉幟の群が一層その身を膨らませた。
壮観。
その一言に尽きると、シノは思った。
決意を新たにするために作ってきた、鯉幟達。
だが、その数が増えれば増えるほど、大切になればなるほど、心が固くなっていくような気がした。
壮観。
その一言が、出てこなくなっていた。
けれど、今。
「………ナルト」
固まっていた心に、一陣の風が吹いた。
「帰るぞ」
ボロボロと、シノの作った鯉幟達が蟲に還っていく。
「え、あ、おい! シノ!?」
突然踵を返したシノに、ナルトが慌てふためく。
「ちょ…ちょと待てってばよ~!!」
情け無い言葉を後ろに聞きながら、シノは歩を進め、空を仰いだ。
風が、心地良く吹いている。
その風に乗って、鯉幟から還ってきた蟲達がシノのもとへ帰って来る。
「これを守る。それが、俺の役目……」
一人でしてきた、自分だけの決意。
しかし。
「シノ!」
追いかけてきたナルトを振り向き、シノは襟の下で秘かに微笑みを浮かべた。
いくら守ったところで、風がなければ鯉幟は泳げない。
「……ナルト」
「ん?」
それは、こいつの役目なのだろうか。
「もう一度言っておく。今日のことは、他言無用だぞ」
風の子は、渋い顔をすると同時に、グウゥゥと腹を鳴らした。
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あとがき
思い付きだけで推し進めました…
なので、かなり強引な展開となってしまい…。
ナルシノなんだかなんなんだか……(汗)
取り留め無さ過ぎてしまいました…。
が、取り敢えず、一応ナルシノのこどもの日企画で御座います。
鯉幟がたくさん泳いでいるのは、正に壮観ですよね~。
あれは家族というよりは、地域の人々、仲間って感じでしょう。多分。
超大家族でなければ(笑)
鯉幟の期間はけっこう短いですが、その間、風に吹かれて悠然と泳いでいてほしいものです。
(08/5/5)