幸福の可能性
「なあ、ひな祭りの雛壇ってよぉ」
背中合わせに座っていたキバが、唐突に言った。
まだまだ肌寒いが、障子紙に透ける陽射しは、確かに柔らかく温かくなっている。
シノは、透けてきた白い光りが反射する書面を見つめたまま、次の言葉を待った。
「結婚式の場面なんだってな?」
だが、次の訝しい問いに、僅かに首を回した。
「……何が言いたい?」
背中に寄り掛かってくるキバの、髪とファーが頬と耳に触れる。
「いやぁ、さ。お内裏様とお雛様の結婚式なんだろ? スゲーゴージャスな結婚式だよなぁ…と思ってよ」
「………貴族の結納だ。あのくらいの豪華さは普通だろう」
「ふ~ん……」
自分から話題を振っておいて、キバの返事は生返事だった。
背いているキバの表情は窺えない。
暫くの沈黙。
だが不意に、ぼそりと
「…………いいよなぁ……」
という呟きが、黒毛が当たってくすぐったい耳に聞こえて来て、シノは僅かに体を起こした。
それに従い、シノの背中に体重を預けているキバの体が僅かに傾く。
「…………お前は、あんな風な結婚式を望んでいるのか……?」
その声は、シノにしては珍しく驚いたような調子だ。
「なんだよ。いいじゃんか」
「……別に悪いとは言っていないが…」
ふて腐れた様なキバの声に、シノは気を取り直す様に起こした身を再び沈め、キバとの均衡を取り戻した。
「………良いっつっても、別にゴージャスなのが良いってわけじゃねーよ。……ただ」
「ただ……?」
「あーゆー風にみんなに祝福されて、好きな人と結ばれて~な~。ってハナシ」
「…………」
シノはどう応えるべきか思案すべく、眩しく光る書面に再び視線を落とした。
白い光りに包まれた本のページは、黒い文字と式が光りに眩んでよく見えない。
だが、交尾やら種やら保身のための共存関係やら、祝福や愛情とは程遠い類の記述がされている事は知っていたため、シノは僅かに眉を寄せ、ぱたんと本を閉じた。
「なぁ…お雛様が男でも、あんな風になれんのかなぁ?」
シノが沈黙していると、キバが口を開いた。
だが生憎とそれは更に返答に窮する問い掛けで、シノは口を閉ざしたまま、閉じた本を傍らに置く。
「…………其奴の女装が完璧なら、見た目は変わらんだろうな……」
暫く考えた後、シノは冗談か否かきわどい応えを返した。
「……トボケてんなよ。俺は見た目のハナシしてんじゃねーぞ」
キバの肘が、シノの脇腹を軽く小突いた。
「………では、内裏雛が二人並んでいるのが良いのか」
「…………いや……。…それは……ちょっと嫌かも……」
まだ話を逸らすシノに、だが今度はキバもはたとして考え込む様に頭を下げた。
懐に踞る赤丸を上から眺め、その白い背中のキャンパスに、ゴージャスな雛壇と雛人形達を想像する。
お雛様の代わりにお内裏様を置いてみたが、何だかしっくりこなかった。
それどころか、せっかくの華やかさが失われて、少しガッカリした。
背後でキバが落胆している事など露知らず、漸く答えを編み出したシノが、淡々と話し出す。
「お前の問いに答えるなら、答えは「判らない」だ。なぜなら、可能か不可能かは、やってみなければ判らないものだからだ。
今の段階では、可能性もあるが不可能性も同等にある」
シノの論理は、キバの求める返事とは違った。
だが、どんな答えを望んでいたのかと言われればコレと断言できないので、キバは黙ったまま赤丸の背中を見続けた。
せめて何故なら以後が無ければ、もう少ししっくりきたかもしれない。
と思い至った時には、シノが再び話し出していた。
「お前は、皆に祝福されてと言ったが、内裏と雛二人だけの雛人形もあるし、何も皆に祝福される事が、唯一の幸福ではない。……俺はそう思う」
赤丸の白い背中に、お内裏様とお雛様だけの雛人形が浮かび上がる。
ちょっとお雛様に席を外して貰って、どこかから別のお内裏様を持ってきて乗せてみると、違和感はあるものの、さっきよりは調和がとれているような気がした。
キバは、全体的なバランスの問題かなぁと首を傾げたが、よく解らなかった。
シノの話は、続いている。
「逆に、皆に祝福された結婚式をしたとしても、それが幸福とは限らない。華やかな裏では、その実愛憎渦巻いているかもしれないし、
そもそも、雛人形とは嫁入りの際自らの財力権力を顕示するために用いられた物で、虚栄心の権化だ」
「………なんだよ、それ。雛祭りのイメージ台無しじゃねーか」
そんな話聞きたくなかった、と想像の中の仲睦まじげな二人の内裏雛に気を取り直していたキバが、再び気を沈ませるようなシノの発言に、怨めしげな視線を向けて言った。
「昔の話だ。今の雛人形は、お前のイメージ通り、祝福され幸福に満ちている。だが、それは飽くまでも幸福の一例でしかない、と言っているのだ」
「じゃあ、皆に反対されて結婚できなくても、幸せだってのかよ」
「幸せになる、というのは、確かに周囲とも深く関係している。認められないというのは寂しいものだ…。
だが、例え周囲に認められずとも、結婚という公式なものを得られずとも、幸せになることは「可能」だ。なぜなら」
シノも僅かに振り向くと、キバと視線が交わった。
「認め合う相手が、すぐ傍らに居るからだ」
キバの鋭い目が丸くなり、二度三度瞬きをする。
シノはその目を見ると、すぐに視線を正面に戻した。
「だが、これもまた幸福の一例に過ぎない。しかもかなり内向的且つ二人よがりな幸せだ」
それはまるで、自身を諌めるような口調だった。
キバは、暫くそんなシノの項を見つめていた。
シノの論理では、「可能」か「不可能」かは、やってみなければ「判らない」はずではなかったか?
それなのに、今、確かに「可能」だと断言していた。
それはつまり、シノはもうやってみた事があり、その結果「可能」だったという事になるのだろうか……。
キバはそこまで考えると、ふいと正面に向き直り、重点を後ろに移してシノの背にぐっと体重を掛けた。
「………ま、要するに、幸せの可能性は無限ってこったな」
「………」
「良い事言うじゃねーの。俺も同感」
どこかニヤけている様なキバに、シノは沈黙し、キバは更に微笑った。
隙間から忍び込んだ春風が、赤丸の白い毛をそよがせる。
「…………」
「…………」
キバは、シノに背を預けたまま目を閉じた。
桃か何か、甘やかな香りがする。
頬を撫でるそよ風と、温かな日溜まりがじんわりと冬の終わりを囁いてくる。
そして、背中に感じるその存在。
「なぁ、シノ…」
「………」
「俺、今、幸せかも」
遠くで、鶯が鳴いた。
「………その可能性は、高いだろうな」
その可笑しな応えにキバは微笑い、頭を反らせて天上を仰ぐ。
「………素直に自分も幸せって言えよ」
コツンと、キバの頭のてっぺんが、シノの頭の後ろを小突いた。
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あとがき
一日遅れてしまいましたが、一応雛祭り企画です。
最近、梅の花が咲きました。
肌寒さは残っていますが、もう春ですね(遠い目)。
春眠暁を覚えず、と言いますが、その所為かどうも最近はうとうとだらだらしてしまいます…。
頭の中ではシノ達の妄想が留まらないのですが、どうにも集中力が続かず形にできない…。
いい加減しゃきっとしなければ!
と思って何とか書いたのがコレっ…なんですが。
どこがしゃきっとなんだか(苦笑)
しかも最近、京極先生の本を読み始めまして。
読んだ事のある方はお解りと思いますが、かなり理屈っぽいんです(感激する程)!
その影響を見事に受けて、今回、こんなに理屈っぽくなった訳です。
でも矢張り、付け焼き刃では論理は破綻してしまいますね…(涙)
でもでも。
シノは矢っ張り論理的なのが良いです!
動揺とか、感情すら論理で表現するのが、逆に幼い子どもが無理矢理言い訳するみたいで、キバに笑われてれば良い。
感情は感情のままで良いんだって。
幸せなら幸せと言えば良い、とキバに諭される不器用なシノ。
……でも、マジで感情表現の域で競ったら、多分キバの方が拙くて、シノが勝ちそうだ(笑)
キバは率直過ぎるから。しかも感情的であるが故に、肝心なところで言えなかったりつっかえたりして。
シノに諭されれば良いさ。。
(08/3/4)