甘さは控えめに
朝早くから台所に詰め、すでに6時間が過ぎていた。そろそろ正午だが、立ち込める甘い香りに食欲も湧いてこない。
そんなところに、一匹の蟲が訪問者を告げにやって来た。
「よぉ。こんち、は……」
「…ああ…シカマル、とアスマ先生…」
シノが出迎えると、シカマルとアスマが揃って居た。
別段おかしな組合せではないし、蟲の報告で知ってもいたので驚かない。
が、揃って訪ねてきたことは今までなかったので、少々違和感があった。
しかし、より強い違和感を感じていたのは、シカマルたちの方だった。
割烹着とほっかむり姿のシノ。
なんと言ったらいいのかわからず、固まる。
「……何の用だ」
「あ…あ、あああ!! こ、こないだ借りた本、返しに来たんだ!」
いつまでも何も言わない二人にしびれを切らせて、シノが問うと、シカマルがはっとして素っ頓狂な声を上げた。
慌てて差し出されたのは、確かに3日前に貸した暗号解読の本。
専門書ではなくお遊び感覚のものだが、頭の軟らかさが問われる難問もいくつかあった。
シノ自身は全て解くのに5日かかったのだが、3日で返しに来るとは、さすが天才軍師と言うべきか。
「ああ」
シノは密やかに感心しつつ本を受け取り、次はアスマに顔を向けた。
「お…俺はつきそい」
「……そうですか」
本を返すのに付き添いもなにもないだろう、と心の中でシノは思ったが、わざわざ突っ込むことでもない。
そんな時、やっと決心のついたシカマルが、恐る恐るシノに尋ねた。
「シノ…お前、その格好…何だ…?」
「………格好…?」
引きつった顔で問われて、訝しみながら自身を見れば、ああ、とシノは納得した。
「菓子を作っているところだった」
シノは簡潔に、さらりと答えたが、二人の衝撃は増大しただけだ。
「菓子……!?」
「お前が……!?」
見事な連携で吃驚するアスマとシカマルに、シノは流石師弟、と少々ズレたところに感心した。
そして、ふと思いつく。
「丁度いい。先程試作品ができたところだ。良ければ試食を頼みたい」
台所へと通されたシカマルとアスマは、シノが作ったという試作品に、絶句した。
「これ、シノが作ったのか…?」
「ああ」
「買ってきたんじゃねーんだな…?」
「ええ」
一体何をそんなに驚いているのかと、シノは首を傾げた。
台所に設置されたテーブルにちょこんと置かれた豪華なミルフィーユ。
しっかり赤い苺と白い生クリームに彩られた、本格的なミルフィーユだ。
家庭で作られた物とは思えない、見事な出来映え。
シノの割烹着にほっかむり姿と洋菓子が非常にミスマッチだが、それはこの際不問にしておこう。
「まるでプロが作ったみてーだな」
シカマルが言うと、シノはそうか?と言う。自覚はないらしい。
「でも、なんで菓子だ…? まさか趣味じゃねぇだろ」
アスマが、どこか救いを求めるような眼差しでシノに聞いた。
里でも怖れられる蟲使い油女一族、の末裔の趣味がお菓子作りなんて、勘弁して欲しい。
シノ自身に可愛らしいところがあるのは認めるが、やはりそんな趣味は似合わないのも事実だ。
しかしそんな心配は要らなかったようで、シノはこくんと頷き、言った。
「明日は母の日だろう」
確かに、明日は母の日だ。だが、それだけでは二人が納得するには不足だった。
「だから、なんだよ」
「母の日って言やぁ、カーネーションだろ?」
シカマルとアスマの反応に説明不足だったと気付いて補足する。
「ウチでは、母の日にはカーネーションと菓子を贈ることになっている。母が大の菓子好きなのでな。それで、毎年希望を聞いて作っているんだ」
それで、今年はミルフィーユ。手作りなのは感謝をこめて。
「そりゃ、なんとも親孝行なこった。シカマル、お前も少しは見習ったらどうだ?」
「ぁあ…? めんどくせぇよ」
にやにやと笑ってシカマルに言うアスマだが、冗談なのは明らかだ。
シカマルも、予想通りの返事を返してやった。
とにかく勘弁して欲しい事柄は回避されたので、二人はそれぞれフォークをもらって試作品のミルフィーユを遠慮無くいただいた。
見た目に負けず劣らず、味も絶品だ。これなら、売ってもいいくらいだ。
美味い、と評する二人に対して、自分も口にしたシノは眉を寄せた。
「………少し、甘すぎたな…」
「そうか…?」
「こんなもんだろ…」
「否」
問題ないという二人に、シノは首を振った。そして、小さく溜め息を吐く。
「母上は、殊菓子の味には煩いのだ。種類によって甘めの方が好きだったり、控えめな方が好きだったり、
柔らかいのが良かったり、硬めのが良かったり……そのくせマニアックな注文をしてくるので毎年難儀をする」
「そりゃあ…大変そうだな……」
シカマルの言葉に、シノは真剣に頷いた。
「昨年など、シュトルーデルだった。初めはそれがなんなのかもわからず、せめてオーソドックスなものにしてほしいと心底思ったものだ」
「シュトルーデル……?」
「ナッツやレーズンの入った…まあ、パンケーキのようなものです」
アスマの声に、シノは昨年学んだことを告げた。
その他にも、パルフェやらヌガーやらフランベやらクラフティーやらシャルロットやら、聞いたことのない菓子の名前をシノは次々に挙げ、
おまけに団子やふ菓子といった和菓子まで作ったことを告げた。それも、本に書いてあるレシピ通りではダメなのだ。
母の好みに合わせて味を調節しなければならないのだから、大変。
「これも、実は3作目だ…」
「「3作!?」」
「うむ。まずはレシピ通りに作り、次に砂糖の量を減らして、これも更に少なくしたのだが……。もう5g程減らした方が良かったか」
半分以上減った3度目の正直にならなかった試作品を見ながら、シノは真剣に言った。
その様子に、シカマルは感心するべきか呆れるべきか困り、息を吐いた。
メンドクセェ奴……。
結局呆れることにした。
シノを見ると、味をもう一度確認すべくもう一口食べた口元に、生クリームがついたことに気付く。
教えてやろうかと思った時、ふいに思い至った。
「…あ、ああ、俺、この本部屋に戻してくるわ」
唐突に、シカマルが言った。
「……後で持っていくが…」
「いや、良いって。ほら、甘い匂い移っちまうし」
いつもの面倒くさがりはどこへやら、そそくさと台所を抜け出していくシカマル。
シノは不思議そうにしながらも「虫に気を付けろ」と注意を促した。
それでもやはり不思議なのか、生クリームをつけたまま、小首を傾げる。
その様子に、アスマはどうしたものかと思考した。
シカマルの配慮…もといお節介に気付かないわけもない。
やれやれと、どこまでも天然なシノにか、それとも自分の煩悩にか、アスマは苦笑した。
「シノ…」
「はい」
徐に歩み寄り、なんでしょうかと見上げてくるシノに屈んで顔を近付かせる。
「………!?」
ぺろりと口元を舐められた感触に、シノは硬直した。そして、顔がどんどん熱くなっていく。
すぐに離れて、何事もなかったかのように、明後日の方を向いてアスマは言った。
「………やっぱ、ちょっと甘過ぎだな……」
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あとがき
うわ。甘…っ! これが第一の感想でした。
アスシノで甘いのはちょっと…考え物だな、と……。
母の日企画(厳密に言えば前日の話ですが、そこは寛大な心で見て下さい)
母のために腕を磨くシノです。
シノはきっと、父以上に母には感謝と尊敬の念をもっているだろうと思います。
それが(当サイトで)『親父』と『母上』の差。
シノは割烹着との主張が多い(?)ようなので乗っかってみました。
シビさんは、とってもチャーミングな割烹着orエプロン着用を希望。
母の日企画だというのに……なんでこうなったんだろう…。
あ、お母上のお菓子好き設定等は、もちろんただの妄想です。
(07/5/13)