※裏ではない。 …と、言い張ります。
温薫ノ眠リ(オンクンノネムリ)
馴染んだ温もり 浸みた薫り
いつまでもこの中に居たいと――――。
「おい、シノ!」
思うのに…。
ガバッと布団を剥がされ、心地の良い時間と空間を一気に奪われたシノは、その眩しさと不機嫌さとで顔を顰めて、そこに居る人物を睨み付けた。
ただ、目つきの悪さはシノを起こした者の方が上であり…。
「いい加減起きろよ。……つーか、メンドクセェけど、母ちゃんが『今日は天気が良いから布団干す』っつってんだ。布団、持ってくぞ。いいな?」
「…………」
そう言ったシカマルに、シノはますます顔を顰めて、シーツを引っ張り抱き締めた。
「………シーツは洗うんだよ…」
だが、敢え無くシカマルに没収されてしまう。
布団を追われ、ベッドから降りさせられたシノは、仕方なくベッドの縁に背を預けて座り込んだ。
「お前、案外朝起きれねーよな。低血圧っつっても、それほどでもねーんだろ? 任務の時とかは普通に起きるし」
ぼうっと座り込んでいるシノに、シカマルが布団を畳みながら言う。
シノは、確かに若干低血圧気味ではあるが、朝が苦手と言う程ではない。
普段はどちらかと言うと、寝起きは良い方だ。
ではどうして今、こんな風なのかと言えば……。
「…………お前のせいだ…」
シノは、目つきの悪いシカマルを、再度睨んだ。
「ああ? 俺のせい……って、何だよ」
「説明はしない。何故なら、面倒臭いからだ」
「……そりゃ俺の口癖だろーが」
訝しみながら、シカマルが布団を持ち上げる。と、その時。
「!」
窓辺に一羽の鳥が止まり、火影から掛かった呼び出しを報せてきた。
「おいシノ…」
あれお前にじゃ…と言い掛けたシカマルが、口を噤んで目を丸くする。
つい先程まで人のせいにしてウダウダとしていたシノが、いつの間にか着替えまで済ませて、準備万端、いつでも出発可能な状態になっていたからだ。
最早条件反射。
光速なみの切り替えの速さである。
「…………」
「……行ってくる」
「………お…おぅ…」
一言言って、窓から颯爽と出ていくシノを、布団を抱えたまま呆然と見送るシカマル。
しかし我に帰ると、ふっと笑みを零した。
「やっぱ、シノはシノ……だな」
窓の外、空は快晴。またとない、洗濯日和。
「さて、持ってくか」
よっ、と、シカマルは布団を抱え直した。
シカマルがシノと親しくなったのは、はじめての中忍試験を受けてから。
そして特別な関係になったのは、サスケ奪還任務を終えてからだ。
特別な関係……と言っても、色っぽい事は何も無く。
ただお互いに意識し始め、時々互いの家に泊まっては一緒に眠ったりを繰り返して、一年近くが経っている。
その間、通常なら行われる中忍試験は、木ノ葉崩しの影響を受けて開催を見送られ、シノも含めて、シカマル以外はまだ下忍のままだった。
だが風の噂に寄れば、シノの任務にはDやCランク任務の他に、ランク外の、特殊なものもあるらしい。
「……今日もその、特殊な任務ってわけか?」
「ああ、多分な」
ジュウジュウと肉の焼ける音と匂いの中、シカマルがその『風の噂』の元であるキバに尋ねれば、キバは焼き肉に手を伸ばしながら答えた。
それはそうなんだろうな、とシカマルも思う。
今日はシカマルといのの誕生日祝いと言うことで、10班だけでなく、7班や8班、そしてどういう訳かガイ班まで、いつもの焼き肉屋に集められていたのである。
シカマルもいのも、10班のいつもの会合だとしか思っていなかったため、驚いた。
サプライズ企画は見事成功というわけだ。
このパーティーに居ないのは今朝出掛けていったシノだけで、キバやヒナタ、紅も居るのだから、当然シノの任務は8班の任務ではない…ということになる。
「よおおおし!! では、みんなで二人のお誕生日をお祝いする、歌を歌いましょう!」
唐突に、リーが立ち上がって叫んだ。
上座に座らされたシカマルといのが、ビクリとして目を瞠る。
「いや、いいから! 止めろって…!」
「そうはいきませんよ! お誕生日に、お誕生日の歌は欠かせませんっ!」
「そうだ! よく言ったぞリーよ!」
シカマルが止めようとしたがリーの意気込みに跳ね返され、更にその師匠まで出張ってきたものだから、もうどうしようもない。
「わたしも心を込めて、青春熱血フルパワーで歌わせてもらおう!!」
「おお、さすがガイ先生!! ボクも負けません! さあ皆さんもご一緒に!!」
「誰か止めろ! あの二人! ―――っ、ネジ…!!」
シカマルは、もう自分の手には負えないと判断してネジに救いを求めたが、ネジは深々と溜め息を吐いただけだった。
「ちょ…、テンテンさん! 何とかしてくださいよ!!」
いのも顔を赤くしてテンテンに助けを求めたが、テンテンもまた、あははと曖昧な苦笑いを浮かべただけで、抑止力にはなってくれなかった。
二人が熱唱し始めると、「俺も!」とナルトが入ろうとしたがサクラが力ずくで押さえ込み、他の者は耳を塞ぐやら頭を抱えるやら、
無意味と解っていても、できるだけ他人のフリをしようとする。
シカマルといのに至っては、もう、恥ずかしくて恥ずかしくて、ガイ班に声を掛けた奴を八つ裂きにしてやりたい気持ちで一杯だった。
それでも何とかその地獄を乗り切り、昼過ぎになる頃にはパーティーもお開きとなって、無事解散を迎える。
支払いは全てアスマに回されたらしく、「何で俺が…」と悲嘆に暮れるアスマを、紅やカカシが「当然でしょ」「ま、人徳だな」という、
実に情け深い慰めの言葉で励ましているのを、シカマルは聞いた。
その後は、諦めをつけたアスマの家で10班のミーティングを行い、それから今度は内輪だけでのこぢんまりとした誕生日会を行った。
「シカマル…」
その帰り道。
いのを送り、プレゼントの詰まった袋を引っ提げてチョウジと帰路についていたシカマルは、不意に言われた。
「シノ、残念だったね」
シカマルとシノの仲を知っているのは、チョウジだけだ。
いのは勘付いているのかも知れないが、言われた事は無かった。
「シノにもパーティのこと、知らせたんだけど…」
「………別に。アイツ、誕生日とかそういうの興味なさそうだし」
シカマルがそう応えると、チョウジは「そうかなぁ…」と言って首を傾げた。
「シノってそういうの、気にしそうな気がするけど……」
「……そうかぁ?」
チョウジとシカマルでは、シノに対するイメージが少し違うようだ。
シカマルは黄昏に染まる空を見上げ、陰る雲を見つめた。
シノについて知らないことはまだ多く、よく解っていない。
全てを知る必要も、無いとは思うが。
シノと共にする布団の温もりと薫りを思い出す。
干され、太陽の光をいっぱいに浴びたであろうその布団は、今頃はもう取り込まれてベッドの上に戻されていることだろう。
シノはきっと、まだ帰ってきていないだろうが…。
シカマルは少しだけ寂しい気持ちになり、荷物を持ち直して、言った。
「帰ってきたら、聞いてみるよ……」
しかし数日後。
そのことが、策士シカマルの予想を超えて、波乱を生むこととなる。
「………誕生日…?」
帰還し、シカマルの家にやってきたシノにシカマルがそれとなく誕生日の焼き肉パーティの話を持ち出してみると、シノは意外な反応を見せた。
「…………聞いていない」
そう言って、シカマルといのの誕生日であったことも、ましてや誕生日のパーティをしたなんて、初耳だと言う。
「え…いや、でも、チョウジはお前にも知らせたって…」
「聞いていないものは聞いていない」
シノは眉間の皺を深め、低い声を更に低くして言った。
どうやら、本当に寝耳に水だったらしい。
へぇ、なんでだろ…と首を傾げたシカマルだったが、まあ、きっとどこかで擦れ違いがあったのだろうと思う。
「……でも、まあ、いいじゃねーか。どうせ来られなかったんだし」
聞いていようがいまいが、どのみちシノは里に居なかったのだから同じこと。
そう思い、気にすんな、というつもりで言ったのだが、何故かシノに睨まれてしまった。
「………良いということは無い…」
そう唸り、来たばかりなのに出ていこうとする。
「お…おい、どこ行くんだよ」
「チョウジを問い質す」
「え…?!」
シカマルが驚く間もなく、シノはふっと姿を消してしまった。
どうやら誕生日会の知らせが無かったということに、ひどく御立腹したらしい。
気になることはとことん追求する奴だ。問い質すと言った以上、どういうことだとチョウジに詰め寄るつもりだろう。
これは予想外だと、シカマルは頭を掻いた。
「メンドクセェことになったぜ…」
とは言え、親友がシノに問い詰められるのを黙って見過ごすわけにもいかない。
シカマルは一つ溜め息を吐くと、急いでシノの後を追い掛けていった。
不意に背後に現れた気配に、チョウジはポテチの袋に手を突っ込んだまま振り返った。
そこには先日任務に出掛けたというシノが立っていて、相変わらず、見えない顔の眉間に皺を寄せている。
それを恐いと言う人もいるが、チョウジは鈍感さ故か、さほど思ったことがない。変わっているとは思うが……。
「あれ? シノ、帰って…」
きたんだ、と言い掛けた時、一歩踏み出したシノの肩に手が置かれた。
足を止めたシノが振り返る。
するとそこには、シカマルが立っていた。
「間に合ったみてぇだな…」
「シカマル?」
「チョウジ、ちょっと待ってろ」
不思議そうなチョウジに、シカマルはたんまを掛けると、シノの肩に腕を回し無理矢理後ろを向かせて、何やらごにょごにょと耳打ちを始めた。
「シノ…、俺が訊くからお前は黙ってろ」
「だが…」
「いいから。お前の場合、ただの質問が尋問みてーになっちまうだろうが」
「そんなことは…」
「あるんだよ。いいから、俺に任せろ」
「………」
シノは未だ不満そうであったが、取り敢えずシカマルの言うことを聞く気になってくれたしい。
シカマルはよし、と言うようにポンッとシノの頭に手を置くと、チョウジを振り返った。
「悪ぃ、お待たせ」
「うん。…なぁに?」
「ああ、いや…。実はさ、この前の誕生日会のことなんだけどよ。あれ、シノは知らなかったっつーんだ。お前、ホントに知らせたのか?」
「うん、知らせたよ。キバに」
「は……?」
「だって、キバに知らせたらシノにも伝わるでしょ?」
擦れ違いはソコだったのか……とシカマルは脱力しそうになった。
要するにチョウジは、キバに話せば自然とシノにも情報が行くと思い込んでいたが、期待は外れ、シノには伝えられなかった。
ヒナタや紅には、キバが言ったか、もしくはアスマから紅に伝わり、そこからヒナタに行ったのかもしれない。
ともかく、不幸な擦れ違いの結果、たまたまシノにだけ知らせが届かなかったのだ。
シカマルは溜め息を吐いた。
だが、不意に嫌な予感を覚え、咄嗟に振り返ってシノの腕を掴まえる。
予感通り、シノはまたどこかへ行こうとしていたようだ。
「今更キバに文句言ったって、どうにもなんねぇぞ。つーか、アイツだって悪気があったわけじゃねーんだ」
そう言えば図星だったらしく、シノは不服そうな顔をしたが、黙しただけだった。
チョウジに軽く謝ってから、シノを宥めすかして連れ戻す。
気分転換にでもなるかと庭の見える部屋に通したが、シノの機嫌はなかなか直らなかった。
「………ったく、メンドクセェなぁ…」
仕方なく庭と空を眺めていたシカマルが、後ろで、卓上に出した栗羊羹をじっと睨み付けているシノに、もういい加減にしろと声を上げた。
「終わったこといつまで気にしてんだよ。一人だけ知らなかったからって、それはたまたまで…」
「そういうことではない」
「じゃあ、一人だけ参加できなかったことか? しょうがねぇじゃねーか、任務だったんだから」
「そういうことでもない」
「じゃあ何だよ…!」
シカマルは珍しく声を荒げた。
シノの考えていることが読めない。シノのことが解らない。
そのことに酷くイライラして、腹が立った。
シノは、そんなシカマルを振り返り、肩越しにじっと見つめていたが、不意に立ち上がるとシカマルの背後に立った。
見下ろしてくるシノを、目つきの悪いシカマルが睨み上げる。
だが。
すっと身を屈め、後ろから抱き締めてきたシノに、怒りが消えて動揺が生まれる。
「…………何故言わなかった」
「え…あ…? 何で…って、だから、俺もパーティのことは知らなかったんだって…」
「そうではない」
「じゃあ……」
シカマルはシノの答えに、チョウジの言うことが正しかったのだと、悟った。
「何故、誕生日だと言わなかった」
シノはチョウジのイメージ通り、誕生日を気にするタイプだったらしい。
「お前…そういうの興味ねぇかと思って……」
「何故そう思う」
「何故って…」
そう言われても…とシカマルが口籠もると、シノはシカマルを捕らえていた腕を解き、シカマルの目を見つめた。
「………俺は普段、寝起きが良いのではなく、眠りが浅いんだ」
「……え…?」
唐突な話に、シカマルは目を瞠った。しかしシノはその目から目を離さず、じっと見つめたまま続ける。
「蟲達の営みは昼夜問わず行われ、その音も気配も、絶えることがない。それに何事かあれば蟲達はすぐに警戒信号を発し、
真夜中であろうと俺を起こす。何故なら、それが奴等の仕事だからだ」
「…………」
「だが、お前と共に眠る時は、どういうわけかよく眠れる。起きた時、目覚めたくなかったと……いつまでも寝ていたいと思うほど、安眠できる」
「………ああ…」
だから。
だから、朝起きれないのは俺のせい……というわけか。
シカマルは、ようやく納得がいった。
「シカマル……。お前は俺にとって、特別だ」
シノと色っぽいことは何も無く、『好きだ』と言ったことも、言われたことも無い。
『特別』という言葉さえ、二人の間に今、始めて出てきたくらいだ。
「その特別なお前の誕生日が、どうでもいいわけは無い」
シノの手が、シカマルの頬を包み込む。
「少し、遅くなったが……。お前の誕生日を祝いたい」
お前は、何が欲しい―――。
そう、問われて。
シカマルは初めて気が付いた。
今まで色っぽいことが何もなかったのは、互いにどこか遠慮していて、避けてきたからだ。
けれど本当は。
馴染んだ温もりと浸みた薫りの中で、触れるその手を握りたくて。
すぐ傍らにあるその体を、抱き締めたくて―――。
シカマルはその想いを伝えたくて、口を開くと同時に体の向きを変えようとした。
正面を向いて、シノと向き合って言いたかったのだ。
しかしこういう時に限って格好良くいかないもので……。
「シノ―――っ、おわ!?」
体勢を変えようとした途端に床が滑って、気が付くと、シカマルはシノを押し倒していた。
「う…わ、わ、悪ぃ!」
「…………いや…」
シノはシカマルの下敷きになっても顔色一つ変えなかったが、慌てるシカマルの様子が可笑しかったのか、暫しじっと見つめた後、ふっと笑みを漏らした。
「…………っ、」
人生に何度笑うのかもわからないシノに笑われ、シカマルは頬を赤く染めたが、次第に自分も可笑しくなってきて、クックと肩を竦めて笑いを零す。
けれど、二人ともすぐに笑いを収め、じっと互いに見つめ合った。
水に溢れ、鹿威し(ししおどし)が音を奏でる。
シカマルの手が、そっとシノの頬に触れ、撫でた。
「何が欲しい―――って…」
眉を寄せ、じっと見上げてくるシノに、目つきの悪いシカマルが優しく笑む。
「メンドクセェ……。んなこと、言わせんなよ…」
解って……るんだろう?
微笑みながら、シカマルはゆっくりと身を沈め、色の薄い唇に、そっと口付けた。
馴染んだ温もり
浸みた薫り
永久を願いながら、瞬く間の時を抱き締めて。
日だまりのようなその中で、二人は微笑み、眠りに就いた―――…。
が、その前に。
「………そう言えば…」
「うん?」
「いのも誕生日だったのだな…」
「ああ…俺の次の日」
「何をやったら、アイツは喜ぶ?」
「う~~~~ん…。そうだなぁ……」
暫し唸り、考えた末、シカマルは言った。
「……取り敢えず、虫ネタはやめた方が良いと思う」
了
(09/9/22)