蝶々奇譚


「シカマル、まだかなぁ……」
流れゆく雲を見つめながら、パリパリのポテトチップスをバリバリと頬張るチョウジが、寂しそうに呟いた。
実際、寂しいのはお腹である。
この日チョウジは、シカマルと焼き肉の食べ放題に行く約束をしていた。
いつもアスマに奢って貰っている焼き肉Qとは別の、新装開店したばかりの店に殴り込みを掛けようというハラである。
その店には冥福を祈るが、それはこの際置いておいて、ともかくチョウジはシカマルが来るのを腹を空かせて待っていた。
そんな時。
眺めていた青い空の中に、突然ひらりと蝶が一匹舞い込んできた。
空よりも深く、どちらかと言えば海の色に近い、青い蝶々。
「チョウジ」
頭上をひらひらと舞う青い蝶を目で追っていたチョウジが、呼ばれて視線を落とす。
屋上の階段を上ったところに立っていたのは、シカマルではなく、油女シノだった。
「シカマルから伝言を預かってきた。野暮用で少し遅れるそうだ」
「えぇ~!?」
淡々と事務的に告げるシノにチョウジは悲痛な声を上げて、しょんぼりと項垂れ空腹を押さえて呻いた。
「お腹空いて、もう待てないよぉ…」
そして、パリッと噛み砕かれるポテトチップス。
「………」
シノは、そんなチョウジの矛盾した言動に訝しそうに眉を寄せたが、沈黙を守った。
矛盾を指摘したところで、根本的にシノとチョウジでは食に対する基準が違うのだから意味がない。
チョウジの中では、その言動に矛盾は無く、いたって自然な発言と行動なのである。
「……それで、野暮用って何なの?」
暫しシカマルの遅刻を知って落ち込んでいたチョウジが、気を取り直してシノに訊く。
シノは変わらない距離と態度で返答した。
「サクラに渡す物があったらしい。本当はもっと早い時間に渡しに行くつもりだったようだが、寝坊してしまった」
まるで寝坊したその場に居合わせたかのような話……否…寝坊して時間が無いはずの状況で伝言を託されたということは、
偶然出会したのでなければ、その場に居たはずである。
しかしチョウジの頭の中では焼き肉が最重要事項であり、シノが何故シカマルの寝坊現場に…ということまでは考えが及ばなかった。
なのでチョウジはシノからわけを聞くと、「ふ~ん、そっか」と案外あっさりした相槌を打った。
取り敢えず、焼き肉食べ放題は暫しの間おあずけになったのだ。
「では、伝言は確かに伝えた」
シノはチョウジが了解したのを見て、踵を返した。
だが、踏み出そうとした足をふと止めて、徐に振り返る。
「?」
どうしたのだろうときょとんとしたチョウジだったが、何か睨まれているように感じて困惑した。
何か、怒らせるようなことをしただろうか……?
チョウジが内心で冷や汗を掻いていると、シノが再びチョウジの方を向いて歩み寄ってきた。
「な、なに」
驚いていると、シノは椅子に座っているチョウジの前に立ち、眉を寄せて言った。
「言う事を聞かない」
「は…?」
「帰りたくないらしい」
「な…何が…?」
シノの言葉は、ことごとくチョウジに通じなかった。
シノはつと指を上げ、チョウジの腕を指す。
「其奴だ」
「え…?」
チョウジが慌てて腕を見る。
そして漸く、シノの言わんとする事が解った。
シノの指すチョウジの二の腕に、翅を閉じて留まっている青い蝶々。
「お前を気に入ったようだ」
青い蝶は、一度ゆっくりと翅をひろげ、またゆっくりと閉じた。
チョウジはそんな蝶々をまじまじと見つめていたが、不意にシノが動くのを感じて振り向く。
するとシノはチョウジの前を通り過ぎ、回り込んで隣に腰を下ろした。
「シカマルが来るまで、居させて貰う」
「ああ……うん…いいけど…」
チョウジは、未だにシノのテンポがつかめていない。
「………」
「………」
沈黙するシノに、チョウジも押し黙る。
ポテチを口に運んでみるものの、居心地の悪さにどうも美味しく感じられない。
虚しく、パリポリという音だけが響く。
蝶々が再び、呼吸をするように翅を広げた。
「………シノは、焼き肉行かないの?」
沈黙に堪えきれず、チョウジがぽつりと言った。
シノの方を見ればシノはシカマルのように空を見上げていたが、シカマルのようなぼけ~っとした顔ではなく、眉間に皺を寄せた顔だった。
その表情のまま、シノがチョウジの方へ視線を下ろし、答える。
「……行かない。肉はあまり好きではない。誘うなら、キバを誘え」
その冷淡ともいえる返答に、チョウジはちょっとムッとして、意味もなくムキになって言い返した。
「でも、食べられるんでしょ?」
「食べる事はできる」
「じゃ、どの部分が好き?」
「……………どの部分…?」
鶏肉や牛肉といった種類をすっ飛ばしたチョウジの問いに、シノは虚を突かれたらしく、暫し間を空けてから僅かに驚いた調子で呟いた。
それから、顎に手を当てて考え込む。
眉間の皺が増え、深くなっている。
そんなに難しい質問だったかなぁ…とチョウジは気分を害したことを忘れ、少し悪い事をした気分になった。
その罪滅ぼしのつもりで、口を開く。
「ぼくはね、やっぱりカルビかな。特に特上。ああでも、ロースもいいなぁ……ああ、ハラミも………」
途中、ジューシーな肉の味を思い出したのかじゅるりとよだれが垂れ、空腹も甦ってきてグウゥゥと腹の虫が鳴いた。
「……お前は、何でも良いのだろう」
チョウジの極上の夢を見るような表情と、活発な腹の虫に、シノが静かな突っ込みを入れる。
チョウジは、照れたようにヘヘヘと笑って腹をさすった。
シノが突っ込んでくれたということもなんとなく嬉しくて、昂揚した気分で話を続ける。
「ちなみにシカマルは、けっこうタンが好きだよ」
「……そうなのか…?」
「うん。塩とかレモン汁つけて食べてる。いのはロースかな。アスマ先生はカルビと…あとホルモンよく食べてる」
「………ほぅ」
「8班は、一緒に食べに行ったりとかしないの?」
「……たまに、居酒屋に連れて行かれることはある。だがキバは、焼き肉の方が良いと陰で文句を言っている」
「へぇ…」
その時、チョウジはさっきシノが「誘うならキバを誘え」と言っていた事を思い出し、あれは厚意を無視したのではなくて、
本当にキバのためだったのかもしれないと思いついた。しかし確かめはせず、そのままシノの話が続く。
「俺やヒナタは、そこの料理で満足しているが……」
「が……?」
「酔った先生の相手をするのは、少々面倒だ」
そう言って僅かに空を仰ぎ、小さく息を吐くシノに、チョウジは思わず笑った。
いつもは凛々しい紅が酔うとどうなるのか。想像もつかないが、シノが自分相手に陰口を言うほどだから、相当なのだろう。
そんなことを思いながら、チョウジはポテトチップを一枚取って食べた。
「………ところで」
サングラスが再び、ゆっくりとチョウジに向けられる。
チョウジはもぐもぐと口を動かしながら何事かと思ったが、シノは口火を切っておいて何も言い出さない。
「?」
不思議に思っていると、ヒラヒラとした青色が視界の端を過ぎった。
チョウジの元を離れて、シノの肩に留まる蝶々。
チョウジはごくりと喉を鳴らしてポテチの成れの果てを呑み込んだ。
シノがその蝶々を見遣ってから漸く、続きを口にする。
「……お前は、シカマルの事をよく知っているな」
「え…?」
「タンの話だ」
「たん…?」
と、チョウジはシノの言葉を一瞬理解出来なかったが、すぐに肉のタンであることに気が付いた。
「ああ、タンね。タン」
「そうだ」
タンは解ったのだが、シノの言いたい事は一向に解らない。それがどうしたのかと思っていると、シノが言った。
「……もし」
低い良く通る声で、はっきりと。

「シカマルが『大丈夫』だと言ったら、その言葉、信用出来るか」

あまりに唐突で予想外の問いに、チョウジは暫しぽかんとした。
シノは、そんな間の抜けたチョウジの顔を、眉を寄せてじっと見つめている。
サングラスに映り込む自身の影。
チョウジはそれにじっと見つめられて、ぼんやりと思った。
もしかして。
もしかしてシノは、それが訊きたくてここに残ったんじゃないかと。
空腹と焼き肉に負けて身を潜めていた寝坊の話が甦ってくる。
シノと何があったかは知らないが、そもそもシカマルが寝坊するというのは珍しいことだ。
寝る事は好きだが、大抵ギリギリには起きる。それがシカマルだ。
彼が寝坊したということは、何かあったのかもしれない。けれどシカマルは『大丈夫だ』と言ったのだろう。
そしてシノは、その言葉を信用出来るかどうか、確かめたいのだ。
寄った眉が、今は何だか不安そうに見えて、チョウジは細い目を更に細めた。

「大丈夫」
チョウジは、ほんわりとした笑みを浮かべ、
「シカマルが大丈夫って言ったら、大丈夫だよ」
と自信をもって答えた。
「………そうか」
しかしチョウジの答えを聞いても、シノの眉間の皺は解けなかった。
代わりにシノの肩に留まっていた青い蝶がその身を解き放ち、空へと翅をはためかせた。
チョウジもシノもその蝶を追って空を仰ぐと、青い空の中を白い雲がゆったりと自由に流れている。

「………俺は、お前が羨ましい……」

シノが、聞き取れないほど小さな声で呟いた。
「え、何?」
チョウジは聞き返したが、ふと階段から上ってきた人の気配に二人ともそちらを向く。
「よぉ、何だ。シノもいたのか」
さっさと帰ったと思ってた。と、呑気なシカマルが階段から現れる。
「シカマル」
チョウジはシカマルを見て焼き肉のことと空腹を一気に思い出したらしく、
「遅いよ。ぼくもう、お腹ペコペコ……」
と情けない声を出した。
「あぁ~、悪ぃ悪ぃ」
飢えたチョウジの声に、シカマルは頭を掻き掻き心の籠もらない謝罪をする。
シノはそんなシカマルの様子を黙って見つめていたが、不意に立ち上がった。
「シノ」
と、シカマルが声を掛ける。だがシノは無視してチョウジに向かって言った。
「今日はお前の誕生日だったな」
「え…? ああ、うん。そうだけど……」
いきなり言われてきょとんとしたチョウジの、言葉が途切れる。
身を屈めたシノの唇がチョウジの口の端に触れていた。
つまり、キス……。
「?!?!?」
「なっ!?」
目をまん丸に見開いて硬直するチョウジと、絶句するシカマル。
そんな二人に対し、涼しい顔で姿勢を戻したシノは、ポテトチップスのせいで脂っこかったのかちろりと舌で自分の唇を舐め、
そしてちらりとシカマルに視線を遣った後、再びチョウジに戻して言った。
「食べ放題でも、ほどほどにしておけ。お前のためにも、店のためにもな」
そうして、ふっと姿を消してしまった。


シノが居なくなった後も、暫く呆然としていたシカマルとチョウジ。だが暫くしてから、シカマルが言った。
「……………なんだよ……さっきの…」
怒っているわけではなく。
本当に、何がどうなっているのかさっぱり解らないというように。
「―――――し…っ」
チョウジは思い出したように顔を真っ赤にして、ぶんぶんと頭を振り。
「しし知らないよ!ぼぼくだって!」
一生懸命、弁解を始めた。

青い蝶々が、そんな二人を観察するようにひらひらと旋回していたが、ついには悪戯な主を追って姿をくらました。







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あとがき
シノとチョウジ、やっぱり好きですね~。。
いまいちチョウジの性格がつかめていないけれど…。
以前はアスシノでシノとチョウジのやりとりを書きましたが、今回はシカシノです。
シカマルに全幅の信頼を寄せるチョウジに対し、シノは心配を拭えきれないのではないかと。
面には出さないけど、『大丈夫』といわれても信じ切れない。
だから、シカマルの言葉をまるごと信用出来るチョウジに、ちょっと焼き餅を焼きました。
最後のキスは、そんなチョウジに対する悪戯…というか嫌がらせ。
勿論、シカマルに対する当て付けでもあります(笑)
まあ取り敢えず。
祝ってるかどうかはおいといて。 。
一日遅れてしまいましたが!チョウジ、誕生日おめでとう!












(08/5/2)