日直当番
シノは、書き終えた日誌をパタンと閉じた。
そして、唯一教室に残っているナルトに視線を向ける。
自分より三つ前の席に座り、睨み付けている窓の外をつられて見れば、広がる曇天。
五月晴れが昨日まで数日続いていたが、今日は朝から霧が出て、霧が晴れても尚灰色の雲が空を覆っている。
再びナルトに視線を戻すと、段差のため、そのやる気なさげな背中の向こうにイルカ先生に課せられた「算数ドリル」が垣間見えた。
一体何をしでかしたかは、シノの知るところではない。
シノはそんなナルトを残して、無言のまま教室を出て行った。
出た後で、ナルトが「やっと行ったってばよ…」と気まずかった空気が無くなったことに胸を撫で下ろしたことも、シノの知らぬことだった。
妙に重苦しい電灯の下、廊下を歩いていった先は職員室。
しかし、日誌を届けなければならないイルカは席に居なかったので、机の上に置いて行こうとした時、
昨日は無かった花瓶に程々の豪華さの花が飾られているのに目を留めた。
今日、何か祝い事でもあったのだろうかと首を傾げる。
「イルカに用事か?」
丁度その時隣の席に戻ってきた教員が、シノに声を掛けた。
「日誌を届けに」
「なら、置いていきな。イルカは校庭脇の花壇に居たから、一言言っていくといい」
そう言って、にっと口の端を上げて笑顔で付け足す。
「それから、今日あいつの誕生日だから、おめでとうの一言も言ってやれ。きっと喜ぶ」
「……はい」
その言葉に、ああこの花はそう言う意味かと内心で納得し、シノは日誌を机上に置いてから教員に向かって一礼した。
「失礼します」
職員室を出て行く、子供らしくない生徒を見送って、教員はしみじみと言った。
「相変わらず、無愛想なガキ…」
花壇へ向かう前に、黒板消しを教壇に置きっぱなしだと思い出してシノは教室に戻った。
しかし、戸を開けようとした手をピタリと止める。
僅かに開いた戸。
その隙間にもしやと上を見上げれば、案の定置きっぱなしにしたはずの黒板消しが仕掛けられている。
先程きれいにしたばかりなので粉が付いてない分良心的だが、間違いなくイルカに対してナルトが仕掛けたものだろう。
よくやるなと呆れながらシノは小さく溜め息を吐き、戸の手前に踏み止まったまま戸を開けて落ちてきた黒板消しをキャッチする。
そして一歩教室に踏み居ると、ぎょっとしたような表情のナルトと目が合った。
「お、おまえ、帰ったんじゃなかったのかよ…!?」
「………」
「なんとか言えってばよっ!!」
おっかなびっくりで言うナルトに何も返さず、シノが黒板消しを黒板下の置き場所へと戻すと、無視されたことに腹を立ててナルトが怒鳴った。
「………これを戻しに来た」
黒板消しを定位置に戻すと、用は済んだとシノはナルトを一瞥しそれだけ言って踵を返す。
そんなムカツク態度にナルトがシノの背中にあっかんべーをした時、突然シノが振り返ったため、その顔のままシノと対峙することに。
空気が、凍った。
ナルトは顔を戻すに戻せず、シノはシノで表情を変えない。
「…………」
「…………」
しばらくこう着状態が続いたが、先に沈黙を破ったのはシノだった。
「……今日はイルカ先生の誕生日だそうだ。悪戯をする暇があるなら、せめて課題ぐらい、終わらせろ」
そう言うだけ言って、戸の向こうに姿を消す。
ナルトはその後もしばらくあっかんべー顔のままで固まっていたが、徐々に目を細め口を閉じていった。
眉を寄せて目を線のようにし口をへの字に曲げて、両腕を前に垂らして、不服そうにシノが閉めた戸をじっと見つめる。
「………やっぱ、俺あいつ苦手だ…」
ぼそりと、呟いた。
そんな時、再び戸ががらりと開き、思わずびくりとする。
「あ? どうした、ナルト」
しかし今度入ってきたのはシノでも、イルカでもなく、シカマルとチョウジだった。
シノが花壇の所へ行くと、イルカはしゃがんで何かを地面に刺し立てているところだった。
「イルカ先生」
「ん? ああ、シノ」
作業中のイルカの背に声をかければ、曇天の下に不似合いな晴れやかな表情で振り返る。
そんな担任に感心しながら、シノは報告を述べた。
「日誌は職員室の机に置いておきました」
「そうか。わかった。わざわざ報告しに来てくれたのか?」
イルカの言葉に頷けば、「そうか、悪かったな」とすまなそうな笑顔を返される。
この人は本当にいい人だと改めて思いながら、シノは気にしていないという意味を込めて首を左右に振った。
そして、誕生日だと聞いたと言う。
「おめでとうございます」
「ああ、いや…ありがとう」
シノが祝辞を述べれば、イルカは照れたように鼻の頭を掻く。
嬉しそうな様子にシノの方も微かに気分が明るくなった。
「何をしているんですか?」
「ん?……ああ、これか。今夜大雨が降るらしいからその対策だ。折角いのが丹精込めて世話してくれているからな、そのぐらいやらないと」
シノの問いにふいと花壇に視線を戻して、イルカは答えた。
植えられているのはパンジーとマリーゴールド。
全体的に黄色いそれは、灰色の薄暗い中で少々色褪せて見える。
花壇の四隅に立てられた支柱と花壇横に準備されたビニールシートを見て、次の作業を予測したシノは、これぐらいは手伝おうと鞄を下ろした。
「手伝います」
「え…だが……」
「誕生日ですから」
いいと言われる前に多少強引に理由をこじつけ、しかし至極真面目にシノが言うと、イルカは苦笑を浮かべた。
「じゃあ、頼む」
雨が降り出す前に作業を終え、イルカは妙に味のある電灯の色合いの下、教室に向かって歩いて行く。
不意に先程見送った生徒のことを思い出し、思わず苦笑が漏れた。
相変わらず子供らしくなく、愛想がない。
それがあいつの長所でもあり短所だなと考えて、一度で良いから笑顔を見てみたいという好奇心も湧く。
無理にさせる気はないが、頼めばやってくれなくもないかもしれない。
無愛想だが、いい奴だ。
イルカが教室に辿り着き戸に手を掛けた時、ナルトは大人しく課題をやっているだろうかと一抹の不安が過ぎった。
教室で日誌を書いていただろうから、シノに様子を聞いておけばよかったと思いながら、がらりと戸を開ける。
しかし中には誰も居ない。
ナルトの奴逃げたかと思った矢先、教壇にドリルが置いてあるのに気が付いた。
見ると、課題だ。中を捲れば、当っているかはともかく、やってはある。
そしてふと視線を上げ、黒板を見て、目を瞠った。
『 ハッピーバースデー!!イルカ先生!!』
と色チョークで派手にでかでかと書かれている。
そして『課題やったぜ!俺はスゴイ!』という殴り書きと、その下にはうずまき模様と奈良と秋道の家紋が描かれている。
どういう訳か知らないが、シカマルとチョウジも居たらしい。
「ったく、あいつらは…!」
イルカは、明日の朝には消さなきゃいけないじゃないかと呆れ、しかし嬉しさを堪えきれず、くしゃりと笑みを浮かべた。
黒板をきれいにした日直の努力が、無駄になった日であった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
イルカ先生!お誕生日おめでとうございます!!
アカデミー時代の話で、日直は大変だねというお話(あれ?)でした。
曇りの日は、何だか気が滅入りますが、嫌いではありません。それはそれで良い雰囲気があると思います。
何気に全員登場の10班は流石。
シカマルとチョウジがなぜ残っていたかは謎ですが、キバがいないのは赤丸の散歩のためにさっさと帰ったからです。
ナルトとシノのコンビは、シノの天然を全力突っ込みのナルトが際立たせるので面白くて好きです。
ナルトも天然だと思いますけどね。
書いていて、イルカ先生やっぱりいい人だと思いました。
(07/5/26)