雪降る頃に(下)

「シカマル」
書き終えた報告書を手元に散らかして窓際で気怠げに寝転がるシカマルに、串団子を頬張りながらチョウジが言った。
「雪は夜にならないと降らないよ?」
「…………わかってる…」
シカマルは、不機嫌な声で応えた。
すでに初雪は2週間も前に降り、今は少し溶けたが、道端に汚れた雪が固まっている。
雪が降る頃には帰るというシノのメモが、雪が降る時期になると、待ち遠しい気持ちを更に膨張させシカマルを苛立たせていた。
まだ先だと思えれば我慢も出来るが、明日か今日か、半日か一時間後か、もうすぐか今か。
期待が混じっては裏切られる連続で、相当イライラが募っている。
気を紛らわすために雲を眺めてみても、あの雲から雪が降ってくれば…、なんて淡い期待が生まれるばかりで、全く気休めにならない。
そんな心中を、全てではないもののチョウジには大分わかる。
しかし励ましたところで、大した励ましにならないこともわかるため、特別何も言ったりはしない。
「ねえ、シカマル」
食べ終えた団子の串の山をゴミ箱に流し入れ、重たい体を軽々持ち上げて、チョウジはシカマルの顔を上から覗き込んだ。
眉間に皺を寄せた親友の顔に、ほんわりとした笑顔を向ける。
そしてシカマルの頭をひょいと持ち上げると、胡座を掻いてふくよかな腹にぽてんと乗っけた。
「いい枕だ」
「でしょ?」
漸く笑みを零したシカマルに、更に笑みを深める。
「シカマル、口開けて」
「あ?」
ぽかんと開いた口に、チョウジはホワイトチョコを一切れ落とした。
「イライラには、甘い物だよ」
「ん……サンキュ」
口の中に広がるチョコの味に、とげとげしていた気持ちも少しとろける。
チョウジが食べ物を分けてくれるのは珍しいが、最近はたまにあった。
それが自分の気持ちを酌んでのことだということはシカマルも重々承知していて、その時ばかりは
どんなに苛ついていても、チョウジの厚意を素直に有り難くいただくことにしている。
このところずっとぴりぴりしているため、友人達や先輩達まであまり近付きたがらない。
それはそれで面倒臭くなくていいのだが、よそよそしい態度にはいい加減嫌気が差してきていた。
そんな中、チョウジだけはずっと変わらない。
暇さえあればどちらかの家でくつろいだり、ダベったり、お菓子を食べたり。
チョウジといる時だけは、少し気分が和むのだ。
「やっぱ、お前良い奴だよな~」
独り言のように呟くと、チョウジはにこにこ顔で応えた。
「シカマルもね」
シカマルは微笑み返し、そっと目を閉じた。
チョウジの腹はとても居心地が良い。
とくとくと穏やかに鳴る鼓動とチクタクと時を刻む時計の音だけが頭に響き、催眠術と同じ効果があるのか、眠気を誘う。
昨夜、遅くまで残業していたせいもあるだろう。
必要以上に気を張り詰めていたせいかもしれない。
シカマルは、時計の音をそれ程多く聞かないうちに、眠りに落ちた。


ふと目が覚めると、まずは天井が見え、次に視線を下げると毛布が、上げるとチョウジが舟を漕いでいる姿が目に入った。
窓の外は既に薄暗い。うたた寝にしては、随分長く寝入ってしまっていたようだ。
時間の感覚がぼんやりとしたままで、自分の顔の上でこくりこくりと落ちては上がるチョウジの頭を眺めると、その間の抜けた様子にシカマルは思わず苦笑する。
毛布は、チョウジが掛けてくれたのだろうか。
チョウジ自身は、丸めた背に布団を被っている。
小さなストーブが部屋の隅で頑張っているが、それだけでは肌寒いのが実状で、ぬくぬく毛布から出るのが惜しいと口元まで引っ張り上げた。
再び窓の外に目を向けると、濃紺のなかにちらちらと白いものが見える。
雪か。
シカマルは、眠ったお陰か随分落ち着いてそう思った。
街頭の灯りもぼんやりと見える。
その灯りは毎年見る冬の風景を思い起こさせ、なんとなく、眠っている間に街が白い雪に覆われたのではないかと思えた。
寒いのは、あまり好きではないが。
それ以上に懐かしい感じに惹かれて、シカマルは名残惜しくも毛布からそっと抜け出した。
チョウジを起こさぬようにしたつもりはなかったが、起き上がってもチョウジは舟を漕ぎ続けている。
お前、ほんとに呑気だよな。チョウジを見下ろして呟くと、むにゃむにゃと声が漏れ、起きたかと思えば
「もう食べられないよ…」なんてお決まりな寝言が聞こえた。
吹き出しそうになり、慌ててシカマルは口を押さえて声は抑えたが笑いが止まらず、暫く肩を震わせた。
(ほんと、最高…!)
今にも再発しそうなのを堪えてなんとか上着を着込み、苦笑した顔のまま音もなく部屋を出る。
家族に見られてもなんら問題ないが、今の閑静な心持ちを壊したくなかったので裏口からこっそり外に出ると、冷たい空気に思わず身を震わせた。
見上げると、濃紺の空から雪がちらちらと降り注いでくる。しかし地面には思った程積もっておらず、うっすらと覆っているだけだ。
踏めば、跡形もなくなってしまう程、うっすらと。
シカマルはアテもなく歩き出し、薄い雪路に足跡を付けながら、ゆっくりと息を吸い、吐いた。
冷たい空気が口、喉、肺を冷やし、代わりに温かな息が空気を白く揺らめかせる。
行く道には誰もいない。
ただただ静かだ。
揺らめく白い影を追うと、絶ち消えるところに月が輝いていた。
まだ少し満たない様だが、あと三日もすればきっと立派な満月になるだろう。
シカマルは、足を止めてそんな月に見入った。
凛と澄んだ空気と厚い雲の影が、月の輝きをより美しく見せる。
いつまで見ていても、飽きない。
いつまでも見ていたいと、思ってしまう。
「このまま、時が止まればいいのにな…」
時が止まれば、誰のせいで苦しむこともない。
「そうなったら、お前は永遠この寒空の下にいることになるぞ」
「……………え…」
誰も居ないはずの夜道で、趣もなにもぶち壊す超現実的な指摘をされた。
しかもその声は、淡々とした、静かで深い、聞き慣れた声。
振り向くと、その人が、いつものように佇んでいた。
「………シノ…お前…………帰ってたのか…」
「先程。今は、報告書を提出してきたところだ」
「あ……。あ、そぉ…」
一年近く離れ離れで、会いたくて、待ち遠しくて堪らなかったはずなのに、目の前に平然と現れてしまえば懐かしさも感激も無い。
まるで、つい昨日会ったような感覚だ。
「………どうした?」
「……や、なんでもねぇ…」
ずっとイライラピリピリしていた自分が物凄く馬鹿に思えて、シカマルが堪らずしゃがみ込むと、シノが問う。
そんなやりとりも悲しくなるくらいいつもと同じで、益々やりきれない。
頭を抱えこの一年の自分の苦悩はなんだったんだと嘆くシカマル。
そんなシカマルを、ふわりと何かが覆った。
「風邪をひく。帰るぞ」
シノの上着が、掛けられている。
それ程厚手ではないが、大きいためか温かい。
シカマルはキバのような嗅覚を持っていないが、それでも身を包む衣服からはシノの匂いがして、なんだか切なくなった。
「……シノ」
「何だ」
女のようにコロコロ気持ちが変わるのは癪だが、前言を撤回せねばなるまい。
時が止まってしまうのは、やはり嫌だ。
会えれば大した感動もないが、会えないのは嫌だ。
シノと時を過ごせないのは、嫌だ。
雲は自由に流れていくのが良いのだ。止まっていては、詰まらない。
「………………おかえり」
「………ああ。ただいま」


その頃、チョウジは。
「シカマル、遅いなぁ~」
大きな布団の抜け殻を残し、部屋の端のストーブでスルメを焼いていた。
『散歩に行ってくる』と走り書きされたシカマルのメモは見たが、この寒い中の散歩にしては遅い。
まあ、いつ出て行ったのかは知らないのだが。
窓の方を見やり、しかし覗きには行かずにスルメの焼き具合をチェックする。
カーテンを閉めた時に、雪が降っているのは見た。
そろそろ、シノも帰って来ていい頃だ。
もしかしたら、散歩の途中でばったり会っているかもしれない。
そう思うと、ふふと笑みが零れた。
「今日はもう、帰った方が良いかな…」
スルメから香ばしい匂いが漂ってくる。
今が食べ時だと、五本同時に噛み付いた。





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あとがき
チョウジ――――!!!
やはり良いですね。シカマルとチョウジのコンビは最高です!!
ここでは、ある意味シノとシカマルよりも親密な関係。
シノが恋人でも、一番和むのはチョウジと一緒の時だろうな~。
親友というのは、何より大切ですよ。
それにシノが、自分でも気付かないうちに嫉妬してたら可愛いな~。
なんて。
『雪振る頃に』の続きで、シノが帰ってきました。
会った時、色々な反応あるけれど、シカマルとシノだとこうなりました。
キバなら間違いなく飛び付いてるとこですね。
かなり時季外れですが、冬のしんとした空気が好き。
中忍もの、また書きたいです…。












(07/4/25)