碁盤の駒
パチッと指された桂馬に、シノは眉を潜めた。
腕を組みあの手この手を考えてみるが――駄目だ。
これは完全に詰まれている。
それでも暫く考え込み無駄な抵抗を試みてみたが、やはり駄目なものは駄目だった。
「………参った」
不承不承そう告げて、睨むように視線を上げれば、それまで真剣な面持ちだった勝負の相手はへらりと表情を崩した。
「んじゃ、昆布と鮭のおにぎり。あとポテチの梅しそ味と、酢こんぶよろしく」
「飲み物は」
「お茶ならなんでもいいよ」
言いながら、シカマルは機嫌良く座を立ち大きく伸びをしてベッドに向かった。
その背中を見送り、シノは完全に手詰まり状態の将棋盤に視線を戻してから、再びシカマルを見た。
シカマルはベッドに寝転がり意気揚々と昼寝する体勢に入っている。
シノはもう一度将棋盤に目を落として、
「何故俺はお前に勝てんのだ…」
と呟いた。
そんなシノの呟きに、シカマルは寝たまま応える。
「お前の打ち方ははよ…なんつーか…回りくどいんだよ。周囲を固めすぎるっつーか、歩や香や金やらを完璧に
押さえようとするから肝心の玉までが長くなる。じっくり時間を掛けんのは悪くねーが、俺は待ってらんねーから
お前が仕掛け終える前にさっさと王手を打ちに行く。……そうだな」
ひょいと上体を起こしてシノを見て。
「お前の戦法は、将棋より囲碁向きなんだろうな。こう…じわじわ囲い込んで行って相手の逃げ道を塞ぐ感じ。それも、悪くはねぇが……」
「決め手に欠けるか」
「まあ、そうだな」
シカマルが肩を竦めて言うと、シノは将棋盤を見ながら囲碁か…と呟き、顎に手を当てて考えるように小首を傾げた。
そして、独り言のように言った。
「………囲碁は、頭取りでなく陣取りだろう……」
そりゃそうだとシカマルは思ったが、シノの思考回路がどうはたらいているのか見当が付かなかったので黙っていた。
シノの思考・言動は大抵理路整然として筋が通っているが、省略しすぎて解らないこともあるし、通った筋そのものがズレていることもある。
例えば綿飴みたいな雲が浮かんでいて「美味そうだ」と言ったら、「水分の味しかしないと思うが」と真面目に返してきたり。
鶏を見て遺伝子の謎について話始めたり、各国の情勢を話している時にいきなりオオルリタテハの動向を持ち出したりする。
よくよく聞けば筋は通っているのだが、突拍子も無いこと甚だしい。
要するに、しっかりとした天然なのだ。
だからこの度も、どんな筋が通るかシカマルとて読めたものではない。
シノは一頻り考えた後、シカマルに向いて言った。
「オセロでは駄目なのか?」
「………」
突拍子も脈絡も無さすぎてさっぱり解らなかった。垂直降下並の省略である。
将棋や考え方は回りくどい癖に、言葉にするとどうしてここまで端的になるのか。
「あ~……シノ。悪ぃけど全然解んねぇ…。何が訊きてぇんだ? オセロが何で出てくんだよ」
問われた方のシカマルが逆に質すと、シノは省略し過ぎた事に気付いたらしく、ああ…と言って説明を付け加えた。
「囲碁は陣取りゲームだろう。陣取りなら、オセロもそうだ。だから囲碁ではなくオセロでもいいのではないかと」
省略には気付いたらしいが、自身の思考回路がズレていることには全く気付いていないらしい。
間違った筋道ではないにしろ、普通は囲碁から陣取り、オセロと連想することはまず無い。
それがなんの抵抗もなく繋がるのだから、解らない。
そもそも囲碁は比喩――例えとして使ったのだから、オセロでいいも悪いも無い。
そうしたければそうすればいい。
囲碁でもオセロでもどっちでもいいさとシカマルは投げ遣りに思ったが、どこか違和感を覚えたので心の中に留めた。
どっちでもいい、のだが。
「いや……」
何となく、シノはオセロのイメージではなかった。
「お前は――囲碁だろ」
「何故」
「なんでって……」
イメージ。
としか答えようが無かったが、それではシノは納得しないだろうと思って止めた。
そして必死に頭を捻り、ついには定跡を諦めてシカマルもまた逸脱した筋を通ることにした。
「オセロは――ナルトだろ」
「ナルト……?」
シカマルの突拍子もない返答にシノが訝しげに眉を潜めて首を傾げる。悪い気はしなかった。
シカマルは口の端に笑みを浮かべて説明する。
「ほら、あいつ。戦った相手を自分の色に染めて仲間にしちまうだろ?」
全ての人間が当てはまるわけではないが、確かにナルトはそういう力を持っている。
戦った相手だけでなく、ナルトという渦に巻き込まれた者は何かしらの影響を受けるのだ。
日向ヒナタに、ネジ。砂隠れの我愛羅が思い浮かぶ。
シカマル自身はナルトと戦った事はないが、その渦に片足を突っ込んだことはあった。
その一件で、まあ劇的とは言わないが多少の影響は受けた。
シノを見れば、シカマル同様に誰かしらを思い浮かべたのか、成る程オセロか、と納得げに呟いている。
そう言えば、キバもナルトに影響を受けた一人のはずだ。
シノは、なんだかんだでナルトの色に染められた連中の直中にいるわけだ。
そう考えて、シカマルは思わず笑った。
「何だ」
急に笑い出したシカマルに、シノが眉を寄せる。
シノにしてみれば、シカマルは実に突拍子も無いことだろう。
「いや。やっぱお前は碁だなと思って」
「ご……囲碁か」
そうそう、とシカマルは笑いながら頷いた。
「だって、お前ぜってーナルトの影響なんか受けねぇじゃん。オセロと碁じゃ噛み合わねーはずだよ」
シカマルはそこで言葉を切り、一旦落ち着いてからそれでもにやけた顔でシノに向かって言った。
「碁石はひっくり返しても、変わらねーからよ」
碁石をひっくり返したところで黒は黒、白は白だ。だからシノは、変わらない。
「では―――」
シノはすっと立ち上がってベッドの上に座っているシカマルの顔を無表情で覗き込んだ。
「将棋のお前は、ひっくり返せば『成る』わけか」
歩兵はときんに。香車は成香に。そして桂馬は成桂に。
「さあな」
シカマルは皮肉っぽい笑みを浮かべて、シノの片頬に手を添えた。
「試してみるか?」
そうして徐に顔を寄せる。
だが、つ、と額に手を当てられたと思ったらぐっと押し返され、勢い余ってベッドにひっくり返った。
シノが立ち去っていくのが気配でわかる。
「一つ、言っておくが」
ドアの近くから静かな声が聞こえる。
のっそりと、いかにも面倒そうに頭を起こしてシカマルはドアの方向を見た。
シノが振り返り、不敵な笑みを浮かべて言う。
「碁石は、取っても手駒にはできんぞ」
そして、部屋から出ていった。
パタンとドアが閉まる音と共に、シカマルもパタンとベッドに転げた。
「俺、囲われてんなぁ……完璧に」
呟いて暫く動かなかったが―――唐突に、ガバッと起き上がった。
「手駒にできねぇ…っつったか…?」
と、言う事は……。
シカマルは慌ててベッドから飛び降り、窓から顔を出してシノの姿を認めると、
「待て、シノ! 俺も行く!」
と叫んだ。
何を買ってくるか、わかったものではない。
否。買った物に、何をするかわからない。
シノが振り返りシカマルを仰ぎ見る。
普段と何等変わらない、涼しげな顔だ。
シカマルはそれを確認すると、ぱっと身を翻した。
将棋を指せばシノには勝てる。だが。
碁盤の上で将棋をしたって、勝ち目は無いのだ。
「ったく、厄介な奴…!」
そんな、面倒を通り越した彼を、シカマルは追っていった。
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あとがき
シカマルを将棋に、シノを囲碁に、ナルトをオセロに例えてみました。……が。
私は将棋も囲碁もできない(オセロは辛うじて可能)ので、信用には足りません。まあ、イメージです、イメージ。
因みにシカマルが桂馬なら、シノは黒の碁石で、ナルトはオセロの白い方でしょうか。
シノが黒なのは、黒の碁石が蟲に見えるからです。
でも、結局は最強のシノを書きたかったわけで(笑)
ナルトの影響力などには目も呉れず、策士シカマルすら手玉に取る。
じわじわ囲い込まれ、気付いた時にはもう遅い。
私は多分、シノに魔性を求めているのだと……思います…。
(08/6/30)