帰り道

それは、春になる前に訪れた、ぽかぽか陽気の帰り道だった。
道端で見知った人物が踞っているのを見つけてしまい、シカマルはどうしようかと考えた。
その人物は、アカデミーの同級生ではあるが大して親しいというわけではない。
話した事も一度や二度。
クラスの中でも影の様な存在で、基本的に目立たないが、その不気味な風体と雰囲気によってある意味浮き立っている。
正直、あまり関わりたくない奴。
名は油女シノ。
だが、一応声ぐらいは掛けておいた方がいいかと、シカマルはその人物に呼び掛けた。
「おい」
呼ぶと、シノがゆっくりと振り向く。
ぽかぽか陽気の日光が丸いサングラスに鈍く反射し、陽気に似つかわしくない怪しさを感じさせる。
「……どうかしたのか?」
怪しい気配に若干気圧されながらもシカマルは歩み寄り、尋ねた。
具合が悪いなら、大人を呼ぶなり病院に連れて行かなければいけないだろう。
というシカマルの親切心だったのだが、シノはそれを裏切って、唐突にシカマルの踏み出そうとしていた足下目掛けて小石を投げ付けてきた。
それも冗談では無いほどのキレとスピードで。
「ぅおっ?!……っ、てめ、なにす…」
「ふむな」
「ぁあ?」
文句を言おうとするシカマルに対し、シノは全く動じることなくゆっくりと立ち上がって、簡潔な一言を発する。
シカマルが憤りながらもどういう意味だと足下を見れば、そこにはよたよたと動く小さな何か。
「…………アリ…?」
よくよく見れば、蟻がビスケットの破片を運んでいるらしい。
体より大きいそれに、かなりよろよろしているが、それでもえっちらおっちら懸命に前進していく。
その先の道端には、仲間なのであろう、蟻の行列が成っている。
「……足下には、気をつけろ」
静かな声に顔を上げれば、シノは既に踵を返していた。
どうやら、シノが踞っていたのは具合が悪かったからではなく、蟻の行列を観察していたかららしい。
前を歩くシノを見れば、時々道端に視線を向けていて、行列を確かめている様だ。
「…………」
別に、ついてくる必要は無かったのだが。
蟻の行列について行くシノに、シカマルもなんとなくついて来ていた。
何故ついてくるのかという質問もしてこず、会話も何も無い。
ただ、黙々と歩いて行く。
特にやる事もないので前人に習って蟻の行列を見下ろして歩けば、それまで目の端にも留めなかった雑草や石が普段より鮮やかに見えてきた。
いつも通っているはずの道が、何だか全く違う道に思えてくる。
取るに足らない小さな小さな砂粒が、蟻にとっては大きな障害となって立ちはだかり、だがそれにもめげず愚痴もこぼさず、どこまでもどこまでも続いていく蟻の行列。
マイペースに流れ行く雲を眺めるのにも似た感覚を覚えて、シカマルは意外と面白いもんだなとつい楽しくなった。
いつもの帰り道では素通りしている角を曲がり、滅多に来ない道に入り込む。
蟻の行列の向かう方へ、方へ、蟻たちを追い掛ける。
シカマルが意外と楽しいこの追跡に思わず熱中する中、前を歩いていたシノが突然足を止めたものだから、シカマルはその背中にばっちりぶつかってしまった。
ゆっっくりと歩いていたので痛くはなかったが、シノが立ち止まった事に全く気付かない程夢中になっていた自分に気付かされて、少し恥ずかしくなる。
「……きゅ…急にとまんなよ…」
僅か頬を染め気まずそうに文句を言うシカマルに、だがシノは相変わらずマイペースで
「とぎれた…」
と呟いた。
「あ?」
シカマルが道端の前方を見ると、そこまで連なっている蟻の行列が忽然と姿を消している。
二人揃ってしゃがみ込み、よくよく窺えば、蟻の行列は木造りの塀の僅かな隙間に忍び込んでいた。
これでは、後を追い掛ける事は出来ない。
「……どうする?」
シカマルがシノを見て問えば、シノは眉を寄せて黙り込んだ。
だが、暫く見ていると不意に立ち上がって、「こっちだ」と言ってスタスタ歩き出す。
そして塀伝いに曲がり、一軒二軒と通り越して、納屋の前で立ち止まった。
「このあたりのはずだ」
と草の根を掻き分け始めるシノに、シカマルも
「ほんとかよ…」
と訝しみながらも探し始める。
すると、本当にいた。
今度は僅かに崩れた土壁の隙間から、ちろちろと黒いのが出てきている。
「おい、こっから出てるぞ」
シノがシカマルの声を聞いてやって来た。
だが、じっと見つめるだけで何も言わないため、もしかして別の行列と疑っているんじゃないかと思って、シカマルは言った。
「こいつが運んでんの、ビスケットだろ。さっきのやつもおんなじの運んでたし、まちがいねーだろ?」
するとシノは、ひたすら蟻に向けていた視線をシカマルに移して、今度はシカマルの顔をじっと見つめる。
サングラス越しの視線では判断がつかなかったが、睨まれているような気がしてシカマルは口を噤んだ。
だが、別に怒ったわけではなかったらしく、
「……ああ、まちがいない。お手柄だ、シカマル」
とシノは頷いてみせたうえ、シカマルを褒めた。
「………べ…べつに…」
褒められてしまったシカマルは、妙な照れ臭さにそっぽを向く。
しかも何気に名前を呼ばれたのも初めてな事に気が付き、更に気恥ずかしくなって、小さく小さく「めんどくせー」と呟いた。
シカマルのそんな呟きに、シノは小首を傾げ、
「何がめんどくさいんだ?」
と問うたが、何やら慌てた様子で追跡を再開しようと捲し立てるシカマルから、結局はっきりとした回答は得られなかった。


前後の順序を入れ替え、シカマルが先陣を切って再開された蟻の行列の追跡。
蟻たちはどんどん人里を離れて森の方へ進行していき、とうとう人気の無いところまできてしまった。
流石に疲れてきたし、陽も暮れだしている。
「なあ、そろそろ帰った方がいいんじゃねぇか? 陽も暮れだしたし、森の奥に入るのはヤベーんじゃねえ?」
シカマルは立ち止まり、後ろを振り向いてシノに言った。
だがシノは暫く沈黙した後に「問題ない」と返答し、シカマルを追い越して再び進み始める。
「お、おい…」
シカマルは「問題ないって、ほんとかよ…」と不審がりながらも、その後に続いた。
そして、それは本当だった。
そこから十数メートル歩いたところで、とうとう終着点に辿り着いたのである。
「ここが終点か…」
「……ああ」
樹の根元に幾つもあいた1㎝程の穴を、しゃがんで覗き込むシノとシカマル。
二人が付いてきた蟻たちは暗い穴の中へ潜り込んでいき、たまに中から出てくる蟻と正面衝突したりなんだり、穴の周りはごった返していた。
「……おまえ、ここに巣があること知ってたのか?」
「ああ」
「なんで?」
「………」
「………」
しゃがみ込み顔を付き合わせた状態で、二人は黙って互いをじっと見つめた。
だが今度は、サングラス越しの視線を受けても、シカマルは睨まれているとは感じなかった。
ぎゅっと眉を寄せた表情は、なんだか困っている様だ。
「…………ヒミツだ…」
これが、漸く口を開いたシノの答え。
だがそんな答えで納得できるわけもないシカマルは、不満げにシノを睨み付ける。
それでも、困っているようなシノを詰問する事はできず、妥協策としてこう言った。
「じゃ、ヒントくれ」
「………ヒント…?」
今までこんな切り返しをされたことがなかったのだろう。
シノはちょっと驚いたような顔をしてシカマルを見、それから徐に「ヒント…」と小さく呟いて思案し始めた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………む…ムシ…」
「………虫?」
ぽつりと零されたヒントらしき言葉に、シカマルが眉を寄せて思考する。
アリは虫だけど、それと関係あるんだろうか……?
だが、考えてもさっぱり解らない。とはいえ、またヒントを寄越せとは言えない。
シノは暫くシカマルが頭を捻る様をじっと眺めていたが、どうやら解らないらしいと見ると安堵して、ポケットの中から袋を取り出した。
「……なんだ?」
「砂とうだ」
「さとう…?」
「しゃ礼だ」
そう言うと、シノは蟻の巣から少し離れた所へ砂糖を一つまみ落とした。
蟻たちは早速その謝礼に気が付いて、群がってくる。
「なんの礼だよ?」
シカマルが訊くと、シノはシカマルに向いて小首を傾げ、
「楽しかっただろう?」
と問い返した。
この問い掛けに、シカマルははっとして、ふと苦笑を浮かべた。
「………まあな」
笑うシカマルの顔。
それをじっと見てから、シノは徐に立ち上がり、空を仰いだ。
もう陽も大分落ちてしまい、森には闇が迫っている。
「寄り道はこれまでだ。俺達も、帰るぞ」
「あ…、おぅ。そーだな」
シノの言葉に、シカマルも立ち上がる。
結局シノの秘密は解らなかったが、もう考えるのもめんどくさいから。
「シノ」
「?」
「おまえの秘密、いつかは教えてくれるか?」
「…………」
シカマルの言葉に、シノは黙ってシカマルを見た。そして少し考えてから、微かに頷く。
「おまえが、忍になれたらな」
思わぬ条件付きの約束に、シカマルは「マジかよ…」と顔をしかめ、心底からの言葉を吐いた。
「………メンドクセー……」


その日、暗くなってから帰ったシカマルは母親に叱られ、事情を説明したら父親に笑われたという。




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あとがき
最近のシカシノは裏とかイチャイチャしたのが多かったので、初心に還ってさっぱりしたものを。
アカデミーの中学年位の時期設定です。
蟻の行列を追っていくのは、けっこう楽しくて、はまるんですよね。道路でやるときは車に要注意ですが。
シノは多分、子ども時代こうした事をよくやっていたのではないかと思います。
蟻の行列についていったり、蝶々を追いかけていったり…。
どこまでも執念深く突き詰めていく性格が、こうして培われていったのだと(笑)
厳格な割にけっこう自由奔放に育てられてそうな気がします。
自由だけど、己に厳しく育った感じ。
シカマルは、のんびりゆったり自由気ままに……そのまんま育った感じで。

それにしてもヒントが虫って……もう答えじゃないか、シノ(笑)



私信:まうぃ様へ(以下反転)
お誕生日、おめでとうございます!(昨年いただいたメッセージに御座いましたので…)
まうぃ様には、サイト開始当初からご贔屓にしていいただき、本当に感謝しております。
今回は、お誕生日祝いという程のものではありませんが、『鹿蟲』という言葉を教えていただいたので、このようなシカシノの話を書かせてもらいました。
なぜ蟻なのかとかは気にしないで下さい(汗)まったく無関係に思いついただけですので…!
こんな行き当たりばったりの駄文(とちょっと駄絵)サイトで御座いますが、
来て頂けることを心の支えに、少しでも満足してもらえるようこれからも頑張っていく所存です。
なので、少しでもお祝いになれば、幸いで御座います……。。
まうぃ様にとって、この日が良い日となりますように!
                                 ミオ
(08/2/8)