Scene6.暗隠の涙
結局、シノはこの日、ヒナタのところへは行かずにキバのアパートに戻ってしまった。
いつか言わなければならない事だが、紅やキバより先に告げるのはどうしても躊躇われたからだ。彼女は、優しすぎる。
キバなら…。彼ならば、なぜもっと早く言わなかったと怒鳴るかもしれないが、ヒナタよりは客観的に受け入れられるはず。
そう判断して、シノは夕食を作りながらキバの帰りを待つ事にした。
誕生日を祝ってくれる気満々の彼には悪いが、この機を逃すと今度いつ話せるか解らない。
紅に言えなかった分、キバにだけは話しておこうと、覚悟を決めていた。
野菜を切っていると、ピピピピと炊飯器が炊けたことを告げてくる。今夜のご飯はちらし寿司。
自分の誕生日だからというわけではないが、多少祝う感じにしておかないとキバに文句を言われかねないので、こういう献立になった。
できるだけ熱を使わずに出来るという理由もあり、それにご飯を混ぜ合わせる時のみ防熱すれば済むし、冷めても美味い。
「……………それにしても、不便だな……」
出来たてほっかほかのご飯を飯切に移して混ぜるため、厚手のオーブンミットを装着しながら、シノは呑気にそう呟いた。
キバが帰宅したのは、丁度ちらし寿司が冷めた頃。
チャイムの後に「おーいシノ~!」とドンドンドアを叩く音がして、すぐにキバと判った。
声の調子から察するに、何か良い事でもあったのか頗る機嫌が良いらしい。
シノが鍵を開けてドアを開くと、犬歯を覗かせ笑顔満面のキバが立って居た。
「たっだいま~!」
「…………おかえり」
ルンルン気分のキバをシノが通すと、早速ちらし寿司を見つけて「お、美味そー!」と声を上げる。
やけに高いテンションに、シノは呆気に取られ、折角した覚悟が色褪せていくのを感じた。
あの話題を持ち出すには、タイミングが悪すぎる。
「…………随分と機嫌が良いな。何か良い事でも、あったのか」
ベッドに腰掛け荷物を放り意気揚々と円卓に紙袋を置くキバに、シノが呆れたように尋ねれば、へへへと笑う。
「実はさ、今日の任務で俺、すっげー活躍したんだぜ!赤丸もよぉ、大手柄!」
「………ほぅ……」
嬉しそうに語られるキバと赤丸の武勇伝に耳を傾けながらも、シノは素直に喜んでやれない自分に気付いていた。
喜ぶべき事だと頭で解っていても、心がそれを受け入れない。
そしてこれが嫉妬心であり、焦燥感であることを重々承知していた。
自分が抱えている問題とキバは、何の関係もないというのに…。
酷いものだと自身の心に対して嫌悪の念が生まれ、胸が痛む。
「あと、それに!お前に良いモン買ってきたんだ!ほら、シノ!お前も突っ立ってねぇでこっち来いよ!」
ぼんやりとしていた頭に楽しげな声が突如飛び込んできて、はっと見れば、キバが紙袋の中からごそごそと何かを取りだしていた。
シノが言われた通りテーブルの横に膝を付くと、それを見計らってキバが、じゃ~ん!と取り出したのは、一目瞭然、小さなケーキボックス。
「中身は、普通のショートケーキなんだけどさ。ロウソク付きだぜ、ロウソク付き!」
ロウソクが一体どうしてそんなに良いのか、にやにやとやけに楽しげなキバを見て、シノは嫌な予感がした。
「………キバ…。まさか、俺に吹き消せと言うのではないだろうな……」
しかし、そのまさかが的中する。
「当たり前だろ。他に、どうするってんだよ!」
「…………」
キバの明快な応えに、閉口するシノ。
そんなシノに笑顔絶やさず、キバがちゃっちゃとケーキボックスを開いてロウソクの袋を破り、ショートケーキの片割れに一本刺す。
ピンク色と青色の線が螺旋を描く、細小の物が2本ある内、わざとピンク色の方を選んだのは、キバの茶目っ気である。
キバは放った荷物からマッチを取り出すと、ロウソクに火を点けて、電気を消そうと立ち上がった。
その行動に、シノが再び口を開く。
「おい、飯が先だろう」
「何言ってんだよ。誕生日っつったら普通、ロウソク吹き消すのが先だろ」
「…………」
「…………」
「……だとしても、電気まで消すことないだろう」
「こないだの、良い感じだったろ?」
こないだ、というのは8班の集まりの時の事だろう。
もう何を言ってもノリノリなキバを止めることはできないと悟ったシノは、溜め息を吐いて黙り込む。
それを了承と解釈し、キバは喜々として電気の紐を引っ張り部屋に闇を落とした。
以前のものよりも細いロウソクの灯が、一本浮かび上がる。
キバが再びベッドに腰を下ろし、シノが胡座を組んで座り直すと、二人共暫く沈黙した。
ヒナタは居ないし明るさも前回より心許ないが、その灯は確かに二人の顔を照らし出している。
「……本当はよ」
ぽつりと零れたキバの声に、シノが視線だけを向けた。
赤々と照らし出されたキバはロウソクの灯を見つめ、その顔はやんちゃな影を潜めてどこか穏やかである。
此奴がこんな大人びた表情をするのかと、シノは初めて気が付いた。
だが、そんな表情は一瞬で崩れて、苦笑の顔が浮かび上がる。
「今日の任務、ちょっとヤバかったんだ。いわゆる、ピンチってやつ?」
「…………」
「追い込まれて、どうしようって……。そんな時、ふっとお前の顔が浮かんでな? なんか、つい可笑しくなって、気付いたら笑ってた」
「……人の事を思い出して笑うとは、失敬な」
「いや、そーゆーんじゃなくてよ。なんつーか、こう…わくわくっつーか、楽しいっつーか……
緊張が解れて、切羽詰まってたのが全部余裕に変わった感じで………って、解れよ」
「…………解ったことにしておこう……」
「おぅ」
キバの辿々しい説明は正直全く理解できなかったが、伝えたい事柄の雰囲気の端だけ掴んだつもりでシノが言えば、キバは満足そうに頷いた。
「それでよ、そしたらぱっと視界が開けた感じで、まあ上手い事切り抜けられたわけだ。
それに誕生日。祝ってやるって約束してたから、何が何でもってのもあったし。お前のお陰…ってわけでもねーけど、ちょっとは……な」
「…………ちょっとは、何だ」
「……解れよ」
「解らん」
今度は空気の端すら見えなくて、シノは妥協しなかった。
そんなシノにキバはむぅと口を尖らせ、頭を掻き掻き、照れ臭そうに言う。
「……んだからぁ……要するにだな」
「………?」
「…………お前がいて、良かったなって思ったってことで……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
ロウソクの灯に顔を赤くしていたキバが、ふと真顔になる。
そして、キバの言わんとする事の端を捉えて沈黙するシノに、その真剣な眼差しを向けて言った。
「感謝してる。生まれてくれて、ありがとう」
―――――――熱い。
シノは、立てた襟の中で密かに喘いだ。
この男は、どうして、今、そんな言葉を、こんな目をして言うのか。
熱に火傷を負った目頭が痛みを発し、苦しみを伴って息が詰まる。
「なんてな」と誤魔化す様に表情を崩したキバの照れ笑いが、遠く聞こえる。
血の様に朱く濡れた灯火が、黒いグラスの内側で、蜃気楼のように揺れて歪んだ。
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あとがき
誕生日に間に合わなかった誕生日話です。が。
暗い。重い。痛い。
誕生日にアップしなくて良かったなと思います……。
灯シリーズが、まさかこんなシリアスになるとは予想外でした…。
だんだん長くなってるし……。
しかし!私のモットーはハッピーエンド!
頑張って幸せに終わらせたい。
死にネタにはならない。……はず…。
…………
さて!気を取り直して今回のお話に盛り込んだ私的なポイントです。
まずはシノとサクラ。
ほぼ絡みの無い二人ですが、書いていて意外と楽しかったですね。
サクラに頭の上がらないシノ。……木ノ葉の女性陣は強い…!
因みに、私には医学の知識はほぼ皆無ですので、出てくる病名や症状は全くの偽物で御座います。
くれぐれも、知識として頭に残さぬよう、お願い致します。
そして、お次はナルトより年下であった驚愕の事実です。
木ノ葉の学期制がわからないので、日本と同じように4月で学年が上がるとしたら、ですが。
10月生まれのナルトと1月生まれのシノでは、およそ3ヶ月間、ナルトの方がお兄さんになるわけですよ!
というか、シノってサクラ(3月)の次に若いんですよっ!
ナルト(もしくはキバ)には、是非とも先輩風を吹かすか、兄貴面をして欲しい…!!
次はシカマルですが、彼は矢張りこんな立場が良い。。
秘密の共有者というか、影の支えというか。面倒見の良いお兄ちゃん的立場で(笑)
で、漸くメイン。
シノを思い出すだけで、心にゆとりが生まれるキバです。
はっきり言ってこれは私の事なんですが、どんなに落ち込んだ状況でも
『シノ』って思い出すだけで思わずにやけてしまうという…。実に怖ろしい症状です……。
でも、そうなんですよ。
そういう人は、居るってだけで有り難いんです。
だから、生まれてくれてありがとう。
(今回、シノの立場からしたらけっこうキツイ言葉になってしまったけれど……)
キバは、大人になるにつれて、きっと自分に正直になっていくだろうなと思います。
そしてシノは、逆にどんどん捻くれてけば良いと思います(笑)