夜の帷が下りた頃、居酒屋の懐かしげな提灯の灯りが灯る中で、キバは見知った人物を見つけた。
それは、この夜街に珍しい、目深にフードを被った人物。
「シノ!」
呼びかけると、その人物が振り返る。丁度その横に垂れた提灯に灯りが灯り、その顔を橙色に照らし出した。
青灯
「おい、シノ!しっかりしろよ!」
「……」
ぐったりとして今にも意識を失いそうなシノに、キバは怒鳴った。
夜はまだ序の口で、忘年会シーズンのためごった返し始めた通りを避けて一本外れた路地に出たはいいが、シノの様子はまるっきり良くない。
居酒屋の前で久しぶりに姿を見つけて、気分が高揚したキバが少々強引に誘って飲ませはしたが、たったビール1杯だ。
シノと飲んだのは初めてだったのだが、まさかたった一杯でこの様になるとは、思ってもみなかった。
逆に強そうだと思っていたので尚更吃驚だ。
「おっと…!」
ずれ落ちそうになるシノを、キバはよいしょと抱え直した。
身長差は大分縮んだが、悔しいことに未だシノの方が若干大きい。
しかし体術を得意とし体力には自信のあるキバにとって、支えるのにさほど苦はない。それどころか、シノの軽さに驚いた程だ。
「相変わらず野菜ばっか食ってやがんな?お前」
抱えた時に、思わずそう呟いた。
組んだ肩とか触れる腕が、華奢だとは言わないががっしりしているとも言い難い。
同じ頭脳派のシカマルといい勝負で、もしかしたら負けるかもしれないと考えつつ、キバは歩みを進めた。
「…………ったく、世話の掛かる…」
悪態を付けば、どこかで聞いたことのあるような台詞。
はてどこで聞いたんだっけと記憶を辿れば、ぱっと甦る。
今と逆の立場で、昔自分がシノに言われた言葉だった。
そう言えば、昔はシノによく支えられてたなと、現金にも忘れていた事実を思い出す。
張り切りすぎて、焦りすぎて、状況判断を誤って…。その度に怪我をし、そして腹が立って、担ぐシノに文句を言いまくった。
シノは、はじめは「煩い」やら「静かにしろ」やらぼそぼそ注意してきたが、いつの間にか何も言わなくなって、ただ黙って、キバを家まで担いでいくようになった。
こいつも、こんな気持ちだったのだろうか。
と項垂れるシノの頭を見やる。
世話の掛かる奴だと、呆れていたのだろうか……?
夜街通りに抜ける道を通り過ぎる度、橙の灯りと賑やかな音が眩しく大きくなっては、遠ざかっていく。
カラフルな隣とは反対に、歩いて行く路地は街灯の青白い灯火の他は影の濃淡だけ。
静寂で、まるで水底を歩いているようだ。
シノに担がれて帰る時よく見た景色は、真っ赤な夕焼けだったと、キバはぼんやり思った。
自宅に到着すると、キバは靴を脱ぎ散らかし、シノの靴も脱がして部屋に上がり込む。
電気を付ければ、シノが微かに呻いた。
サングラスを付けているくせに眩しいのだろうかと思いながら、仕方ないと電気を消してシノをベッドにどさりと下ろした。
キバはやれやれと息を吐き、近くに部屋を借りておいて良かったと思う。
ここは実家ではなく、けっこう前に一人暮らしを始めた8畳間のアパートだ。
実家にこんな状態で連れて行っていたら怒られるのは確実に自分だったし、
シノの家はどんな対応をされるか予想が付かなくて怖い。とキバは胸を撫で下ろした。
それにしても…とベッドに転がしたシノを見下ろす。
他の連中がこの姿を見たらなんと言うだろうかと考えて、思わず苦笑が漏れた。
たまに耳にするシノの評判は、自分の初めの評価と大抵同じ。
『忍びとしては高評だが、人格的には不評』。
その話を聞く度に、「要は慣れだ」とアドバイスしているが、キバ自身、四六時中一緒にいて慣れるのに
半年はかかったのだから、容易ではない。
それでも、半年を過ぎて慣れてくれば、そんなに嫌な奴でもないことがやっとわかってきた。
偉そうなのは、言葉を省略して簡潔に意見を述べるからで、本人に他意はない。
冷たく感じるのは、任務に対して真剣だから。
馴れ合いが嫌いそうに見えるが、実は仲間外れが嫌いなこと。
無口だが、言葉でも態度でも何かしら返してくれること。
それさえ感じ取れれば、何気にわかり易いこと。その他色々…。
こんな風に、間抜けな面も知っている。
思慮深く見えるが、任務でない時には何にも考えずぼ~としていることが多かったり。
夜、口笛を吹くと蛇が来ると本気で信じていたり。
しかも口笛を吹けないことが密かなコンプレックスだったり。
その上密かに練習してたり。
分かり難いだけで、けっこう、馬鹿だ。
負けず嫌いで、頑固で、意地っ張りで。大人びたガキだった。
「おら、シノ!起きろ!」
にやけた顔のまま、シノの頬を軽くぺしぺしと叩く。
こんなシノを知っているのは、8班の面子だけ。
その中でも特に自分が一番知っているだろうことが何だか嬉しくて、キバは調子に乗って今度はぎゅむとシノの頬をつねった。
「おーい、まだ寝んなよ!せめて上着ぐらい自分で脱げ!」
しかし、シノは身動ぎもしない。
ビール1杯でこんなぐっすり眠ってしまうなら、睡眠薬が効かない体でも意味がないと頭を掻いて、
ったくしょーがねーなーと零して、上着を引っ剥がし、黒眼鏡も取ってやる。
着けたままでも寝ていたが、やはりない方がいいだろうというのと、悪戯半分だ。
しかし、本当に久々に見た素顔に、キバは思わずしげしげと見入ってしまった。
光源は月明かりだけだが、慣れた目にははっきりと見て取れる整ったきれいな顔立ち。
白い顔と長い睫毛。閉じた瞼の奥には、昔と同じ綺麗な瞳が隠されているのだろう。
何年ぶりかに見た素顔は、眠っているせいか記憶よりあどけないように見える。
「お前、なんでそんな隠すんだよ?こんなにきれーな顔してんのに」
勿体ない…などと、ガキの頃は意地でも言いたくなかった台詞がすらりと出てくる。
自分も随分大人になったなと、苦笑した。
あどけない寝顔に、こいつは逆に幼くなったんじゃないかとも思う。
実際、もともと大人びていたから、精神的な成長はそれほど見られないだろうが。
居酒屋で話した短い時間では、変化はわからなかった。
「今度は、もっと話そうぜ。忘年会でも、新年会でも開いてよ」
昔の思い出話でも良い。最近のことでも良い。自分がどうしてきたか知って欲しいし、お前がどうしてきたか知りたいから。
「できたらヒナタも呼んで。紅先生は……絶対酒とセットだからやめておこうな」
くすくすと忍び笑いをして、くしゃりとシノの頭に手をやる。
大人びたシノより大人になった気がして、気分が良くなった。
すっと手を放し、キバは立ち上がると、さて自分はどこに寝ようかと辺りを見回す。
広い部屋ではない。ベッドで半分近く埋まっているし、もう半分は物でいっぱい。
どかして床で寝ることも出来なくはないが、今の時期はやはり寒い。
やはり寝床はここしかないかと、シノが横たわるベッドに視線を向けた。
どうせ昔、演習中シノを枕にして寝たこともあったのだから別にいいだろう。
とさっさと結論を出し、キバは眠る準備をして、シノを隅に押しやって、掛け布団を整えてから潜り込んだ。
やっぱり成人男子が二人では狭いなと思ったが、密着した体からは、昔はいつも傍らにあった独特の匂いがして懐かしさを感じる。
無数の蟲の匂いと、シノの微かな匂いが混ざった、特別な匂い。
キバは、この匂いが好きだった。
本人に言ったことは無かったが、清々しくて、とても優しい匂いにはとても落ち着く。
しかし気分良く更に鼻を利かせたキバは、不意に眉間に皺を刻んだ。
酒はともかく、微かに、血の匂いが混じっている。
風呂にも入っていないし、任務帰りだったのなら別におかしなことではないが。
その時キバの中で、血の匂いと、居酒屋の灯りの前に立つシノの姿がつながりを持った気がした。
そもそもシノの性格からして、一人で居酒屋に赴くなど有り得ない。これほど酒が弱いのなら尚更だ。
では、なぜ居酒屋の前になど居たのか。
通りすがっただけには見えなかった。
何か、理由があるはずだ。
その答えに漠然と思い当たって、キバは堪らず、シノをぎゅっと抱き締めた。
――――――昔も、そうだった。
省いた言葉や感情を、包み隠してしまって、決して露わにしない。
全部、自分の中にしまって、一人で抱え込んでしまうのだ。
しかし人間、全てを隠すことなど不可能で。
何も言わなかったが、キバもヒナタも、薄々勘づいていた。
こいつにも、飲みたい夜というものが、あったのだろう。
キバは抱く腕に、力を込めた。
耳にちゅんちゅんというスズメの鳴き声が聞こえて、キバはうぅと呻いた。
体内時計は朝6時。
いつもの習慣で、この時間には自然と目が醒めるのだ。
起きて、赤丸の散歩に行くのが日課。
寒いけど赤丸を待たせるわけにはいかないと、目を開ける。
と、その瞬間。琥珀色の目と、それはもうばっちり視線がふつかって、目を目張った。
「!!!?!?!?!???」
頭がはっきり覚醒する前に体が反応し、ばっと身を離すと、勢い余ってベッドから転げ落ちる。
「………っつ…ぁ。う、あ…?ああ、シノ…」
尻餅をつきながらも、漸く回転し始めた頭が昨晩のことを思い出し、キバは事態を呑み込んだ。
どうやら、自分はシノを抱いたまま眠り、そのまま起きて、文字通り目と鼻の先で顔を突き合わせてしまったのだ。
「や…これは……だなぁ…!」
さすがに言い訳をした方がいいかと慌てるキバを尻目に、シノはのそっと起き上がり、暫しぼうっとしてから、徐に呟いた。
「………………頭いたい…」
「…………」
その一言に、キバは唖然として、言い訳をするのも忘れてしまった。
「あれだけで二日酔いかよ!」
漸くつっこめたのは、シノに水をわたした時。
たったビール1杯で二日酔いになるなど、ある意味立派だが…。
と思いながらシノの様子を窺うと、まだ頭痛がするようだが、顔色は良くなっている。
「大丈夫か?」
問えば、「ああ」と返された。
「………ところで、ここは…どこだ?」
漸く自分の状態を把握したシノが、部屋を見回して訊ねる。
「俺んち」
「お前の…?」
キバが端的に答えれば微かに驚いたような顔がキバに向けられる。
サングラスがない分、表情が読みとりやすい。
「結構前だけど、言ったぜ?一人暮らし始めたって」
「………そうだったか…」
忘れたのかよ、と不満げに言えば、シノは眉間に皺を寄せ、記憶を辿るように言う。
どうやら、本当に記憶に無いらしい。
シノにとって自分の独り立ちが大したことではなかったのかと、けっこう凹んだキバだったが、
もう随分前の話だし、忘れても仕方ないと気持ちを切り替えて、思いついた事を訊く。
「シノ。お前、家に帰んなくていいのか?」
「………ん?…ああ…」
諦め悪く記憶を巡っていたシノが、鈍く反応する。
その返事がなんだが気に入らなくて、キバが更に問い詰めると、シノはしぶしぶといった感じで白状した。
「家には、ここ数ヶ月帰っていない。宿に泊まっている」
「何で」
「家に帰ると……見合いの話をされるからだ」
「みあい…って、あの、見合い?!」
お前が!?とキバが声を上げれば、うむと頷くシノ。
「でも意外だな。お前の親父さん、そういうのしなさそうなのに」
「親父ではない。もっと上の…爺婆様たちだ……」
そう言って、微かに息を吐く。本当に、迷惑しているらしい。
もしかしたら飲みたかったのはそのせいだったのかと思い至って、キバは自分の早とちりを一瞬後悔し、気まずくなって顔を背けた。
「別に、いいんじゃねーの?いい女に出会えるかもよ?」
自分を誤魔化すように言えば、シノは一瞬黙ってから、ボソリと言う。
「…………駄目だ」
何か含みがありそうな声に、キバが再びシノに顔を向けると、ベッドに座っているため
立っている自分より低い位置にシノの伏し目がちなのが見て取れた。
ココではないドコか、ココにはないナニかを見ている様だ。
その雰囲気に、やはり自分の勘は正しかったとキバは直感した。
「なあ、シノ」
それでも呼べば、ふいと顔を上げ、しっかりとした眼差しをキバに向ける。
キバもひたとシノを見つめて、しっかりとした口調で言った。
「今度から、ウチに泊まれよ」
唐突な申し出にきょとんとするシノ。
その不思議そうな顔を見て、キバはにっと口角を上げて続けた。
「宿より安くしてやるからさ」
「………金を取るのか」
「当然!」
と胸を張って答えるキバに、シノが僅かに苦笑する。
「でも、ぜってー得だって!着替えとかも置いてっていいし。なっ!」
バンと肩を叩かれたシノは、二日酔いの頭に響いたのか頭を押さえて呻くように応えた。
「…………考えておく」
その後さすがにそろそろ一度家に帰らなければいけないと、シノが切り出したのだが、二日酔いのせいで足下がふらつきなんとも頼りない。
なので、キバが赤丸の散歩のついでに送ることにした。
まだ薄暗い朝。
赤丸を巻物から呼び出すと、久しぶりのシノの匂いに尻尾を振って喜んだ。>
体は大きくなっても無邪気な質は相変わらずで、早速にシノにじゃれつく。飛び付くようなマネはしないが、頭を擦りつけ顔を舐める。
そんな赤丸に少々困りながら、それでも久しぶりに会うチームメイトの一匹に、シノも嬉しそうだ。
しっかり黒眼鏡を装着しているので分かり難いが、フードは被っていないので、雰囲気が和んだことはわかった。
意図したわけではないが、犬には癒し効果がある。
これで少しは二日酔い諸々が薄れれば良いなとキバが少し離れたところで思っていると、シノが不意にキバを呼んだ。
「そろそろ行くか?」
そう言ってキバが一歩踏み出すと、シノがひょこりと赤丸の頭の横から顔を出す。
「キバ」
「あ?だから何」
「ありがとう」
「…………へ?」
突然述べられた感謝の言葉にキバがぽかんとする。
それは、酔ったシノを介抱したことに対しての言葉か。
それとも、ウチに泊まれと言ったことに対してか。
それとも、赤丸の癒し効果に期待した心を読んでか。
しかしシノは再び赤丸にじゃれつかれていて、キバの間抜けな表情に気付いていない。
そのままキバはしばらくぽかんとしていたが、徐々にどこからか嬉しさが込み上げてきて、無意識に頬が緩む。
まあ、何に対してであれ、シノに感謝されるなど滅多にないことだ。
こういうのは良いなとキバは笑みを浮かべ、今度は紅先生と連んで焼酎でも飲ませてみるかと、調子に乗って画策を始めるのだった。
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あとがき
やってみました。成人したキバとシノのお話。
お酒は二十歳になってから!なので二十歳以降です。
お酒飲ませてみるのは、面白いですね。
どんな酔い方するのか想像すると止まりません。
ただ一人、シカマルだけは酔っ払ったところを想像出来ないのですが…。
キバは、酒乱かもしくは強いか。泣き上戸でも可。
シノは、強いか、すぐに眠ってしまいそうなイメージですね。