プロローグ

「なあ…ここ、どこだってばよ?」
きれいな金髪のツンツン頭に絡みつく細い枝を払いながら、うずまきナルトは誰ともなしに聞いた。
「森だろ!!」
「森だってこたぁ確かだな」
ナルトの問いに、先頭を歩いていた犬塚キバが立ち止まり振り返って噛みつくように怒鳴り、その後ろの奈良シカマルはメンドクセェと呟き辺りをぐるっと見回しながら言った。
「そうじゃなくって、森のどこかって言ってんだってば!!」
「んなこと知るかっっ!!」
ナルトが当たり前の答えに不満とばかりに声を荒げると、それ以上に声を荒げてキバが間髪入れずに応えた。
「…つまり、ボクたち、迷っちゃったんだよね」
シカマルとナルトに挟まれ、今まで黙々とポテトチップス(牛タン味)を頬張っていた秋道チョウジが、ぽつり、と呟いた。
「…そういうこったな」
チョウジの言葉に、シカマルがため息まじりに賛同する。

こんな状況に陥ることとなった元凶は、木ノ葉隠れの里でも有名な問題児、ナルトである。
まだアカデミーに入学して半年も経っていないというのに、すでに教師の大半から目の敵にされ、その存在は極めて目立っている。
そんな彼が今回思いついたイタズラは、どういうわけか、同級のキバ、シカマル、チョウジをも巻き込むことになってしまった。
イタズラの内容は、文字にするのも躊躇われるような…お下品なものなので詳細は伏せておくことにするが、
とにかく、そのイタズラに怒り狂った方々に追われている間に、散歩をしていたキバと、野原でのんびりとしていたシカマル、
チョウジまで追いかけられる羽目になり、あげく、森の中に逃げ込んで、今のような状況に至ったというわけだ。
「だいだい、てめぇのせいだろうがっ! なんで俺らまでこんなことになってんだよっ!」
キバが、鋭い目を更につり上げ、ナルトを指差して怒鳴る。
「そっちが勝手に一緒になって走って来たんじゃねぇかっ!」
ナルトも負けじと怒鳴り返す。
そんなうるさい二人に挟まれ、空になってしまった菓子の袋を名残惜しそうに見つめるチョウジを見て、シカマルはまた、大きくため息をついた。
「…ここって、まさか呪いの森じゃないよね?」
またしても、ぽつり、とチョウジが呟いた。菓子が無くなったせいかこころなしか寂しそうだが、お陰で菓子から現状に意識が向いたらしい。
「「呪いの森??」」
犬同士のケンカのようにワンキャンと言い合っていたナルトとキバが、声をそろえた。
もともと似たもの同士、こういう時は息もピッタリだ。
「あー、確か、一度入ったら出てこれないとかいう…あれか?」
「あ、それなら俺も知ってるってば! 『帰らずの森』だろ?」
シカマルの言葉を受け、ナルトが喜々として言った。自分も知っていたことが嬉しかったようだ。
「んー? 俺は『入らずの森』って聞いたぜ? いつの間にか元の場所に帰ってきちまって、絶対に入れないってよ」
キバは首を傾げて言った。
呪いの森、帰らずの森、入らずの森、呼び方は色々あれど、奇妙な森の噂は有名だ。
子供たちは、いつから言われているのかもわからないその噂を信じ、脅えたり逆に見つけ出そうとしたりしている。
だが、今まで実際に見た、入った等の話は聞いたことがなかった。
もしかしたら……と思うだけで、先程までただの森だった景色が、なんだか怖ろしい異界のように思えて、四人は自然と息を潜めた。
そして、キバを先頭に、再び歩き出す。
ザッザッという歩く音と、少し荒くなった息の音が妙に響いて聞こえる。ザワザワと、木々が揺れる音が遠く微かにあり、時折バタバタと鳥の羽ばたきが聞こえてきた。
疲れて、時間の感覚もなくなり、不安感と焦燥感とで四人は沈黙し、ただひたすら来たと思われる方向に真っ直ぐ歩き続けた。
そんな中ふと、シカマルが足を止めた。自然と、チョウジとナルトの足も止まる。
「シカマル?」
チョウジの声に、キバも止まって振り返った。
「……戻ってきちまった」
シカマルが、滅多に見せない真剣な表情で言う。
一瞬、どういう意味かわからず口を開きかけたキバは、シカマルの足下に、五段に積み上げられた平たい石を見つけた。
ご丁寧に、一番上の石にはシカマルの家の家紋が白く描かれている。
「どういう意味だってばよ?」
キバの代わりに、ナルトが口を開いた。
「これを見ろ」
そう言って、シカマルは自分のすぐ近くにある木の根もとを指差した。五段積みの石だ。
やっぱり、とキバは思った。
「さっき、目印に置いといた」
「じゃあ、ボクたちぐるっとまわってきちゃったんだ…」
チョウジが言ったが、それはねぇだろ、とキバが否定する。
「俺たちゃ真っ直ぐ歩いてたんだぜ。右にも左にも曲がっちゃいねぇ」
森の中、真っ直ぐ行くというのはなかなか難しいが、野生に近い感覚を持つキバが言うのだ。間違いないだろう。
では、どういうことか……。
四人は、目を合わせた。
「やっぱここは、帰らずの森なのか……?」
ナルトが、少し震えた声を出した。
おまえ、怖いのか? といつもなら真っ先にからかうであろうキバも、黙っている。
怖いのは皆同じだと、わかっていた。おそらく、一人だけなら泣き出していただろう。
しばしの沈黙の中、キバはふと、チラチラ揺れる青いものを目に留めた。
なんだ? と思いながら目を凝らすと、それは蝶だとわかる。アカデミー入学から五ヶ月ほど経った今の季節は秋。いても不思議ではないが、珍しい。
キバは、まるで誘われるかのようにフラッと青い蝶の後を追いかけた。
「どうした?」
突然動いたキバに、シカマルやチョウジ、ナルトが少し驚く。しかし、キバは気にも留めずに来た道を戻っていく。
キバの眼は、青い蝶に釘付けだった。ヒラヒラと上下に揺れて飛んでいく蝶との間合いを詰めながら、もう少し、もう少し、と距離を測る。
そして、今だっ! と思った瞬間、地を蹴り、蝶に跳びかかった。
「うあっ!?」
「!!」
しかし、跳び上がった瞬間、横から飛び出してきた何かにぶつかり、そのまま倒れ込んだ。キバの右袖の下で、ガチャというような鈍い音がした。
「―――いってぇ…」
飛び出してきた何かに思い切りぶつけた額を押さえ、キバは顔を上げる。
と、そこには、眼があった。
とろけるような、それでいて澄んだ、まさしく琥珀の石のような眼が…。
キバは、思わず息を呑んだ。
背中に大丈夫か、どうした等の声をぼんやりと聞きながら、その琥珀色の眼を食い入るように見つめた。
「…………………………………重い、降りろ」
しばらくの沈黙後、その眼から…いや、眼の持ち主から低く静かな声がかけられて、キバははっとして勢いよくその場を退いた。
心臓が、爆発しそうなくらいドキドキと鳴っている。
キバが退くと、その人物はのっそりと立ち上がった。
どうやら、キバが人物を押し倒した格好になっていたらしいことに気づくと、キバの心臓は更に速さを増した。
人物は、キバよりも少し背の高い男子で、襟の高いジャケットを着ている。年は少し上だろうか。
きょろきょろと足下のあたりを見まわして、何かを拾い上げると、小さくため息をついてそれをポケットにしまった。
「おい、キバ」
肩をつかまれ、名前を呼ばれて、やっとキバは仲間のことを思い出した。
振り向くと、ナルトが自分の肩に手を掛け、キバと突然現れた少年を交互に見ていた。
シカマルもチョウジも、その少年を不思議そうな面持ちで見つめている。
「…………お前達は、ここで何をしている」
そんな状況下で、はじめに口を開いたのは少年だった。
子供とは思えないほど落ち着いた声と、子供らしからぬ口調に、四人は気圧された。
「……あー、何って………迷子?」
迷子とはするものなのかという疑問もあったが、とにかく一番適切な表現だ。圧されつつもシカマルが言うと、
「そ、そ、そうそう! 迷子!! 俺ら、森から出らんなくなっちまってさぁ!!!」
ナルトが大袈裟な動きと声で場の重い空気を一気にぶち壊した。いつもならうるさいだけだが、こう言う時は有り難い。
しかしナルトの言葉に、チョウジは嫌な考えを思いついてしまった。
「もしかして、きみも……?」
それは当然だろう。自分たちとそう変わらない年の子供が、こんな森の中に一人きりでいるのだから。
しかし、予想に反して少年は首を横に振った。そしてしばし黙ってから口を開いた。
「出口がわからないのなら、連れて行ってやる」
予想だにしなかった言葉。
「ほんとか!?」
ナルトの驚いた調子の大声にも、怯むことなく力強くうなずいた。
その返答に、ナルトはやったぁ!! と大手を振って喜び、シカマルとチョウジも顔を見合わせて口元をほころばせた。
ただ一人、キバだけは、高鳴る胸を必死に押さえ込みながらもその少年から目が離せず、じっと見ていた。
そんなキバの視線に気づいたのか、少年が不思議そうに、少し小首を傾げてキバを見た。
眼がばっちりと合った瞬間、ドキリとキバの心臓が飛び跳ね、直後みるみる顔が熱くなり、慌てて目をそらす。
「おい、キバ、どうした? 顔が赤ぇぞ?」
「う、うっせえ!! な、なんでもねぇよ!!!」
シカマルがキバの様子に気がついて声を掛けると、赤い顔を更に赤くして怒鳴る。
シカマルはあまりのうるささに耳を塞ぎ、なんだよ、という視線を送ったが何も言わなかった。
「おぉ、すっげー!」
突然あげられたナルトの歓声にそちらを向くと、少年の指に、先程の青い蝶が留まっている。
ナルト曰く、まるで呼び寄せられるみたいに留まったらしい。そんな無邪気に喜ぶナルトを、もの珍しそうに少年はしげしげと眺めていた。
「きれいな蝶だね」
いつの間にかその輪に加わっていたチョウジが、素直な感想を述べる。
すると、青い蝶がフワッと少年の指を離れ、チョウジの周りをしばし浮遊してから肩に留まった。
「…………どうやら、気に入ったようだ」
少年が、少し驚いたように言う。
しかし長くは落ち着かず、ナルトが「ずりぃーぞ」と言って手を伸ばすと、またフワリと少年の指へと戻ってしまい
チョウジが恨めしそうにナルトを見やると、ははは…という曖昧な笑みでごまかした。
「……んで、ほんとに出口わかるのか?」
顔の赤いキバを置き去りにして、のらりくらりと少年に歩み寄ると、シカマルは確かめた。
少年は、こくりと頷く。それと同時に、蝶がフワリと浮かび上がり、ヒラヒラと飛んでいく。
「ついてこい」
そう言うと、少年は蝶の後を追って歩き出した。
ナルトも、チョウジも、シカマルも、そしてキバも、慌ててその後について行く。

まるで、絵本の世界の様だった。青い蝶と琥珀色の眼をした不思議な少年に導かれて。
サワサワと涼しくなり始めた風に火照った顔をなでられ、青葉がほんのりと色褪せる初秋の木々の色合いと
蝉に代わって鳴き出した秋の虫たちの音が重なって、それは一つの幻のような、―――異世界。

十分程歩いていくと、青い蝶が空高く舞い上がり、少年が立ち止まった。そして振り返ると、先を指差して言った。
「この先に、出口がある」
「おまえは行かないのか?」
「行かないのではなく、行けない。なぜなら、外はまぶしすぎるからだ」
シカマルの問いに、少年は抑揚のない声で答えた。
しかし、まぶしすぎるとは…?
四人はその答えに更に首を傾げたが、それ以上は聞けなかった。
少年が先を指したまま、ナルトたちが動くのを待っていたからだ。
それ以上、聞ける雰囲気ではなかった。
「ありがとな!」と言って、ナルトが先へと歩き出す。
「バイバイ。さっきの蝶にもよろしくね」と言って、チョウジがナルトの後に続く。
「じゃな」と言って、シカマルも歩き出した。が、ふいに立ち止まって、振り返る。そして、じっと少年をみつめてから、さらりと言った。
「青い蝶もきれいだけど、おまえの眼もきれいだな」
少年は一、二度瞬きをして、そうか、とだけ言う。
その反応にシカマルは苦笑し、片手を挙げて挨拶して、先へと歩みを進めた。
取り残されたのは、キバだ。シカマルの台詞に、言われた本人以上にショックを受け、立ちすくんでいた。
なんだってあんなことをさらりと言えるのか。キバには理解できなかった。
それよりも、自分の思っていたことをシカマルに言われて、何だかとても……悔しかった。
いつまでも動かず、ムッとした表情をしているキバを不思議に思ったのか、少年の方から近寄ってきた。どうした、というように顔を覗き込んでくる。
キバは、気恥ずかしさと惨めさで琥珀色の眼を見ることができずにうつむいた。
すると、ふいに頭に何かが乗り、そして、低く、静かな声。

「またな、キバ」

横をすり抜ける気配に、キバは慌てて顔を上げて振り返る。少年の手が、キバの頭から離れ、来た道を戻っていく少年のポケットへと収まる。

キバ、と、名前を呼ばれた。
またな、と言われた。
そのことが。それだけのことがとても嬉しくて。
キバは緩む顔を隠すことなく、満面の笑みで応えた。

「またな!!!」

そして自分を待つ仲間たちがいる方へと、駆けだしていった。




それから数年の月日が流れた、下忍の説明会の日。
「こら、キバ! 廊下を走るな!! 危ないぞ!」
真面目な教師の怒鳴り声を背中に聞きながら、キバは駆けていた。
「たらたら歩いてなんかいられっかよ!」
と叫びながら廊下を曲がった瞬間、教師の忠告が見事に当たり、ドンッという盛大な音と共に倒れ込んだ。カシャンという小さな乾いた音がした。
「―――いってぇ…」
思い切りぶつけた額を押さえ、キバは顔を上げる。
と、そこには、眼があった。琥珀色の、あの、眼が…。
キバは、目を見開き、思わず息を呑んだ。
なんで、ここに、こんなとこに、この眼があるんだ!?
背中に教師の大丈夫かという声をぼんやりと聞きながら、その琥珀色の眼を食い入るように見つめた。
「…………………………………重い、降りろ」
しばらくの沈黙後、その眼から…いや、眼の持ち主から低く静かな声がかけられて、キバははっとして勢いよくその場を退く。
それは、まるで数年前の再現。
キバが退くと、その人物はのっそりと立ち上がった。
キバより頭一個分背の高い、琥珀色の眼の彼は、きょろきょろと足下のあたりを見まわして、何かを拾い上げると、
ほっとしたように小さくため息をついてそれを元の位置に戻した。
子供に不必要と思われる、サングラスだ。
その人物を、キバは知っていた。以前、同じクラスで、ついさっきスリーマンセルで同じ8班になった、油女シノだ。
無口で、ほとんど表情を変えず、口を開けば偉そうで。ナルトも言っていたが、キバはシノが大の苦手だった。
それなのに……。

それなのに……!!

「――――っ、なんっでおまえなんだよっ!!!」
ってか、なんで気づかねぇんだ、俺!!

キバは、無意識のうちにシノを指して怒鳴っていた。心臓がバクバクと鳴り始め、顔の熱さから赤くなっていることが自身にもわかった。
「………ぶつかってきたのはそっちだ。怒鳴られる筋合いは無い」
突然ぶつかって倒された挙げ句指を差され怒鳴られて。シノは不愉快そうに眉を寄せている。
しかし、キバはそれどころじゃない。
ああ、なんてことだ。どうしてこうなる。嘘だろ。信じられない。巫山戯んな。
琥珀色の眼の少年がシノだったことに、動揺を隠せない。隠そうとする余裕もない。
あわあわと動揺するキバを見て、シノは少し心配になったのか、僅かに小首を傾げた。
「どうした、キバ?」
その瞬間、キバの心臓が跳ね上がった。
……不覚にも、またしても。
キバは、有り得ない胸の高鳴りを振り切るかのように、猛ダッシュでその場から駆けだしていた。