ナ ゴ リ ガ

「――――――っ…!」
喉の奥に込み上げた衝動に、一瞬耐えたものの、ゴホゴホとタンの絡んだ咳は止まらなかった。
そんなキバの様子に不安そうな顔と声をあげる赤丸。布団の上を歩きキバの方へ行こうとしたが、横から伸びて来た手に止められ、抱え上げられてしまった。
抱かれた腕の中から見れば、そこには黒眼鏡の上で目一杯眉を寄せているシノがいた。
「……コタツで寝たりするからだ」
その声に同情や心配の色は微塵もない。あるのは呆れと、冬の寒さにも似た厳しさだけだ。
「ウ……ウルセェ……っ、ダレのセイだと思ってやがる……!」
「誰のせい……? 自業自得だろう」
再びゴホゴホと咳き込むキバにも、シノは動じることなく変わらぬ様子でズバリと答える。その答えに、キバはウッと言葉に詰まった。
確かに、自分がコタツで寝て自分で風邪をひいたのだから、自業自得に違いない。その上、シノは知らないが、実際には背中を出して寝ていたのだから、誰を責める余地はカケラもなかった。
とは言え、事の原因が誰にあるのかと言えば、シノにあるのもまた事実なのだ。
シノが家に来て、コタツでキバと一緒に過ごして、蜜柑を食べて、帰って。その後、残されたキバはその蜜柑の皮から漂う仄かな柑橘系の香りに、微睡(まどろ)んでしまった。
より正確言うならば、その蜜柑の名残香がついさっきまでいたシノを想わせ、いつまでもキバをその芳香にとろとろと浸らせたのだ。
そんな甘い中で、ウトウトするなと言う方が無茶である。
だがしかし、シノがそんなキバの事情など知る由もなく、シノの中での今回の要因は飽くまでもキバの迂闊さにあった。
しかも、悲しいかなそれは泣きたくなる程正しい正論で、キバはぐうの音も出ない。その代わり、咳が出てきた。
シノが深々と溜め息を吐く。
「バカは風邪をひかないと言うが……。お前は、バカな上に風邪をひくのだな…」
「ぁんだと…っ、てめ、」
絶えず出てくる咳にまともに言い返すこともできず、詰まっているはずなのに出てくる鼻水に半分キレながら、キバはチーンと鼻をかんだ。
だが、いっこうにスッキリとしない。
「あ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!! クソッ!!」
キバは我慢の限界と鼻をかんだちり紙をゴミ箱に向かって投げ付けたが、球がへなちょこなせいで全力投球の割にまったく上手くいかなかった。
その事が、更にキバの毛を逆撫でる。
と、そんな時。
不意に横から伸びて来た手が、キバの額に触れた。
「!」
ビックリして目を瞠るキバを意にも介せず、シノが黙って、額に当てた掌でキバの前髪を上げて押さえる。
そして、露わになったキバの額に、自身の額をそっと押し当てた。
あまりの急接近に、キバの怒りも、そして咳さえも引っ込んでいた。
「…………少し熱いが…まあ、大丈夫だろう」
そう言いながら離れたシノは、キバの前髪を放すと、下りた髪を二度三度整えるように指先で撫で、
目を瞠って固まっているキバに気が付くと、その様子が可笑しかったのかちょっと微笑って言った。
「焦る必要はない。この程度なら、きちんと静養すればすぐに良くなる」


…………あ。


キバは、ふっと、あの、蜜柑の香を感じた気がした。
手を伸ばしても捕らえられない。
けれど、それは確かにそこにあって、自分を包み込んでいてくれる。


甘い 甘い 名残香


「薬を飲むためには何か食さなければならない。何か、食いたいものはあるか?」
ぼんやりとした意識に漂うシノの声。
キバは、その中に浸りながら答えていた。


「……みかん………食いてぇ…」



甘い 甘い この香りに



まだもう少し浸って



君を想っていてもいい…?











(09/1/29)