まっ白な手を力いっぱい握りしめる。
そして、キラキラと輝く瞳で見つめて誓う。
「オレ、ぜったい、おまえのおむこさんになるからなっ!」
白い右手の薬指に、草で作った婚約指輪がはめられていた。
こんやくしょ
無造作に箱詰めされたガラクタを外に出しながら、シノは溜め息を吐いた。
「なぜ俺が、キバの部屋の片付けを手伝わなければならんのだ…」
見渡してみれば、散らかった部屋は片付け途中のために更に酷い有様になっている。
ドアが開けば、その周辺にあった物がドアに押し退けられ、扇形の空間が出来上がる。
そして入って来たキバは、物を足で寄せて足場を作りながらやって来た。
「おいキバ…」
「おっ! なっつかし~!」
文句の一つでも言ってやろうとシノは言い掛けたが、箱から出されたガラクタを見たキバによって見事に遮られてしまった。
ぱっと輝いたキバの顔は、まるで子どものようだ。
「これすっげー気に入ってたんだよなぁ~! あ! これ! うわすっげ、こんなとこにあったのか!!」
「………」
次々取り上げられるキバの宝物らしい物の数々に、シノは何も言えなくなった。
人の価値観はそれぞれだし、キバの思い出の品にケチをつける気は無いが、やはり第三者であるシノの目から見れば、それ等はガラクタでしかなかった。
壊れたミニカーに、錆びついたブリキ人形。
キャラクターと必殺技が記されたカードの束に、ボロボロの布切れ等々。
その中で唯一つ、シノが見ても宝物だと思えたのは、『たからばこ』と書かれた――字が汚すぎて辛うじて読める程だが、
恐らくそう書いてあると思われる――小箱だけだった。
キバがねじ巻き式の犬のオモチャをいじっている間に、シノはその小箱を取り上げてみた。
ただの白い箱で、お菓子の箱のようだ。お菓子のおまけでも入っているのかと思いフタを取ってみると、意外にも、中に入っていたのは紙切れ一枚だった。
―――これが宝物?
シノは小首を傾げながら、四つ折りになったその紙切れを取り、開いて見た。
するとそこには、
「………こんや…くしよ…?」
と、書かれていた。
「あ?」
シノの奇妙な言葉に、キバも振り返った。
「何だって?」
「『こんやくしょ』だ」
そう言いながら、シノが紙切れをキバに渡して見せる。
確かにそこには、かなり汚い字ではあったが何とか読み取れる字で、そう書かれていた。
「こんやくしょ…って何だ?」
「こんやくしょはこんやくしょだろう」
「いや、だから…」
「だから、婚約書だ。婚約…即ち、婚姻を結ぶ約束のことであり、その約束を記した書……ということだろう」
「こんやく……ああ、婚約。婚約書ね」
なんだそうか、と漸く頭の中で汚いひらがなを漢字変換できたキバは、納得したように頷いた。
頷いてから、ぴたりと動きを止め、暫し固まった後――――。
「こっ…! こここここここ婚約っ?!!??」
見事なまでに吃驚仰天した。
対するシノは実に冷静に(どこか冷ややかさも持ちながら)言った。
「………身に覚えは無いのか?」
「ね、ね、ね、ねぇよっ!! ぜんっぜん!!!」
全力で否定し、頭を振るも、シノの眼差しは一層冷ややかになるばかりだ。
ほぅ…と、全く信用していないような相槌を打ち、
「だが見ろ、書面にはしっかりと書いてあるぞ。
『こんやくしょ オレたちはおとなになったらけっこんすることを ちかいます。 いぬづかキバ』。」
ほら見ろと、シノが紙切れをキバに突き付ける。
キバは、いや、それは読み間違いで、きっとこの字は『こ』じゃなくて『と』で……と、
解読済みの暗号を無意味に難解にしようと試みたが、所詮、無駄な抵抗だった。
シノの解読は完璧で、よくすらすらと読めたものだと感心するしかない程だ。
しかし、解読出来ても肝心の相手が誰なのかは、判らなかった。
婚約書の下が署名欄らしく、『いぬづかキバ』の名前はしっかりと刻まれていたのだが、その右隣は破れてしまっていたからだ。
その失われた紙片に、相手の名前は書かれていたのだろう。
「……キバ、本当に覚えていないのか?」
再度シノが問うも、キバには全く覚えがなかった。
ふむ、とシノは何事か考えるような仕草をしてから、急に立ち上がると、キバの作った足場を使ってドアへと向かう。
「あ…お、おい? シノ?」
「帰る」
「へっ?!」
シノの突然の行動に、キバは慌てて立ち上がった。
足場を使う余裕もなく踏み出せば、積み上げた本の山に当たって雪崩を起こす。
その音で、ベッドの上の安全地帯で丸まっていた赤丸が反射的に頭を上げた。
雪崩が起きたせいで道がふさがれ、キバが行く手を阻まれている間に、シノは部屋を出て行ってしまった。
「うわ、くそっ! ちょ…待てって! おいシノ!」
悪路に苦戦しながら、シノの後を追い掛けるキバ。その後を、赤丸が追い掛ける。
キバは部屋から脱出すると玄関へ急いだが、その途中でハナに捕まってしまった。
「ちょっとキバ、部屋の片付け終わったの?」
「な…なんだよねぇちゃん! 今、それどころじゃ…」
「何言ってんの! 今日中に片付けないと、母さんにどやされるよ!」
「ねぇちゃん、マジ、頼むから! シノが」
「ダメ! 私にまでとばっちりが来るんだから!」
「だああ~! もおっ! なんかヤベーんだって! わっかんねぇかなあ!! そんなんだから彼氏できねぇんだよ!」
「な…っ! なんだってぇ!!」
キバの言葉が逆鱗に触れたのか、ハナの形相が変わった。
「わるかったね! どうせ彼氏いないよっ! てゆーか、アンタにいるってのがそもそもオカシイんだよ! アンタには百万年早い!!」
「なっ―――――!!」
ハナの怒号にキバも一瞬我を忘れ、シノのことも忘れかけたが、ぱっと甦ってきた記憶に言葉を呑み込んだ。
そう――――前にも同じがあった―――同じセリフをハナに言われて――。
「おい」
既視感(デジャビュ)か、と思い当惑したキバの耳に、今度は姉の声ではなく、もっと低く太い声が聞こえてきた。
ハナと同時に振り向けば、眼帯をした犬が一匹、二人を見つめていた。
「黒丸」
「良いのか、油女の坊主、行っちまったぞ」
黒丸の呻るような声に続いて、足下で二人を心配そうに見上げていた赤丸がくぅんと鳴いた。赤丸も、黒丸と同じような事をキバに言った。
その言葉にシノのことを思い出して、キバはハナを振り払って玄関へ急いだ。
後ろからハナの怒声が聞こえてきたが、何を言っているのか聞き取ることなく、とにかく必死の思いで外に飛び出し、シノの後を追い掛けて言った。
匂いを追ってみれば、シノは、断言した通り家に帰ったようだった。
一体何にそこまでへそを曲げたのか、キバはさっぱり解らず、舌打ちをする。
一応、恋人同士だという自覚はあるものの、シノは休日を一緒に過ごそうなどとは考えないらしく、誘わなければ家にも来ない。
そして今日は、部屋の片付けを手伝って欲しいと協力を仰いだのである。シノを家に誘う口実としては打って付けだった。
ああだこうだ言いながらも、散らかった部屋を放置しておける性格ではないのだ。
シノはどう思っていたか知らないが、キバにしてみればシノと一緒に過ごせる上に部屋も綺麗になって、一石二鳥で最高だった。
―――――それが、どうしてこうなっちまうんだ。
思い通りに行かないことに、腹が立った。
そりゃあまあ、婚約書なんて見つかったら機嫌を悪くするのも仕方が無いかもしれない。
だが、あれはどう見たってガキの頃の物だし、全く覚えてもいない物なのだから、さほど気にすることも無いと思う。
急に家に帰ってしまうほど怒る必要は、もっと無い。
それなのに、たった紙切れ一枚でシノとの関係にヒビが入ったかと思うと、キバはあの婚約書をビリビリに引き裂いて燃やしてしまいたくなった。
でも、それでも気が収まらないかもしれない。
そう言えばと思い出してみれば、あの紙はシノが持って行ってしまったのだ。
何にせよ、シノの家に向かってシノと話さなければならないと思い、キバは地を蹴る力を強めた。
「……でも、さっきのは一体…」
ただ、引っ掛かるのは、さっきの既視感だ。
確か、前にも同じことがあったような気がした。
ハナと喧嘩をして、彼氏がいないだとか、百万年早いだとか…。
そう―――たぶん―――あの紙切れ―――婚約書をねぇちゃんに見せて。
キバはぼんやりとした記憶を辿った。
紙切れを自慢気に姉に見せる。
すると姉が「あたしにはまだカレシだっていないのに!」と急に怒りだして、壮絶な姉弟喧嘩が勃発。
そしてその最中に破かれる紙の一部……。
そう―――そうだ、既視感なんじゃない。確かにあった。これは記憶だ。間違いない。
『オレはアイツとケッコンすんだ!』
と、叫んだ記憶も甦ってきた。
――――アイツって、誰だ?
だが、そこだけがどうしても思い出せない。
そうこうしている内にシノの家に辿り着き、キバは押し込み強盗さながらの勢いで押し入ろうとしたが、その前に、シノが表に出てきてキバの前に立った。
「シノ! あれ…ありゃあ、違うんだ! あれは!」
ガシッとシノの肩を掴み、勢い込むキバに、シノは小首を傾げて少し呆れたような声で言った。
「何だ。まだ思い出せないのか」
「まだ…え…思い出せない…って…?」
何を? と言うキバに、シノは一つ息を吐いて、それから徐にポケットから何かを取り出しキバに差し出した。
それは小さな―――輪っかだった。
石などを保管しておくのに使われる、小さなガラスケースの中、布かれた白い綿の上にちょこんと乗っている。
草でできていたのか今では朽ち果てる寸前で、褐色の繊維体が辛うじて輪の形を保っていた。
「これは、お前がくれた婚約指輪だ」
ケースにしまったのは俺だがな、とシノが言う。
それを聞きながら、キバの頭は物凄い勢いで記憶を辿り、過去に遡っていた。
そう―――――そうだ。
「思い出した!!!」
あれは、アカデミーに入るよりもずっと前。
散歩の途中迷い込んだ森の中で、出会ったのだ。
黒眼鏡をかけ、高い襟とヘアバンドで、これでもかと言うほど顔を隠した、怪しい子どもに。
最初はその見かけに、敵対心と警戒心を剥き出しにしていたが、ぽつりぽつりと語られるその子の話を聞く内に、そんな心は消えていった。
キバは、その子家の森の中に迷い込んでいたらしかったのだ。
それで話をする内に、最初の印象から一変して、キバはその子が大好きになっていった。
何がどう…とは言えないが、とにかく、好きになった。
それで、かなり突拍子もない事だが、告白した。それも、
「オレ、オマエのおよめさんになるっ!」
と。当時見ていたテレビ番組で、「私あなたのお嫁さんになってあげる」という台詞を聞いたばかりだったため、
好きな人にはそう告白するものだと思い込んでいたのだ。
その子は、呆気に取られたようだった。
「およめさん…というのはすこしちがう。それはオンナがオトコにいうものだ」
「え…そーなのか?」
「まあ…オマエがそれでもよければかまわないが」
「や! ヤダ! オレはオトコだ! ……でも、じゃあ、」
「オトコがいうばあいは、『およめさん』ではなく『おむこさん』だ」
「そっか! じゃあ、オレ、オマエのおむこさんなっ!」
キバはにかっと笑うと、地面に生えた草を千切り、その子にお箸を持つ方の手を出すよう要求した。
そして、その手のお姉さん指(薬指)に四苦八苦しながら草を結びつけると、自信満々に言った。
「これ、『こんにゃくゆびわ』っつーんだ!」
「………それをいうなら、『こんやくゆびわ』だ」
静かな訂正が入れられたが、キバは無視した。
「オレ、ぜったい、おまえのおむこさんになるからなっ!」
キバは草の指輪がはめられた、まっ白な手を力いっぱい握りしめ、瞳をキラキラと輝かせて言った。
その子は少し、息を吐いて、
「……では、こんやくしょをかこう」
と提案した。
「こん…やくしょ?」
「けっこんするやくそくだ」
その子はそう言うと、ポケットから紙とペンを取りだしキバに渡す。
キバはその子に言われるまま、下手な字で文章を書き、左下に名前を書いた。
そしてその子も、キバの右隣に名前を書いた。
――――あぶらめシノ…と。
「あ、あ、あ、あ……」
シノを指差し、言葉にならない声を阿呆みたいに出すキバ。
「あれ! お…お、お前!」
「やっと思い出したか…」
キバの様子に、シノがやれやれといった感じで言う。
これで漸く、合点がいった。
シノは、キバが他の者と婚約したことを怒ったのではなく、自分と婚約した事を忘れていた事に怒ったのだ。
キバは、もうどうしようもないほど焦った。
シノとの約束を――しかも婚約を――忘れていたなんて。最悪じゃないか。
「シノ! 俺が悪かった! マジで、ごめん! お前が怒んのも無理ねぇ――!」
「待て」
シノの肩を再び力強く掴み、勢い込んで謝り倒し始めたキバに、シノが再度、待ったを掛ける。
「俺は怒ってなどいないぞ」
「え…でも…。怒って帰ったんじゃ…」
「否。俺はただ、これを取りに来ただけだ」
これ、とシノが朽ち果てかけた婚約指輪の入ったケースを振って見せる。
「え……え…?」
それでも解らないらしいキバに、シノは同じ言葉を繰り返した。
「俺は、怒っていない。何故なら、お前はここにいるからだ」
「……は…?」
「婚約の事を覚えていようがいまいが、関係ない。お前は俺を選び、俺のところに来た」
それで十分だ――と言うシノに、ぽかんとするキバ。
だが、暫し固まった後――――。
思い切りシノに抱き付き、もう絶対離さないと言わんばかりに力一杯抱き締めた。
やれやれと、シノが溜め息を吐く。
懐いてくるキバ越しに地面を見れば、赤丸がニコニコしながら座っていた。
シノはそんな赤丸に秘かに微笑み返すと、キバの頭を軽く叩いて言った。
「さあ、片付けの続きをしに戻るぞ。さもなければ、お前の大事な宝物がゴミに出されることになる」
この後、『こんやくしょ』はキバの『たからばこ』に戻されることとなる。
新たに、今度はもっとちゃんとした字で書かれた婚約書と共に。
勿論、署名欄には二人の名前が記されて―――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
久々に書いた気がします。キバの空回り大暴走!(笑)
切ないキバも好きですが、やっぱり右往左往するキバも好きですv
婚約書―――ってのは多分実在しないと思いますが、その辺りは幼いシノの勘違いです。
『お嫁さん』が、オトコの場合は『お婿さん』というのも、うん? 間違っちゃいないがちょっと違うぞ?……みたいな(笑)
キバが油女家に入る気があるならいいんでしょうが。そういうのは、キバの頭には無いです。そしてシノの頭にもない。
とりあえず将来一緒になるってことを約束するために、思いついた言葉がお婿さん。日本語は難しいのです。。
しかし、そんな約束をキバはけっこうすぐに、すっかり忘れてしまいそう。
でも、覚えていようがいまいが、結局はシノの下へ来る事になる――。
どんなに足掻こうと、シノというカゴ(籠or加護)からは逃れられない。
そんな、必然的、運命的なキバシノが好きです!
ちなみに、黒丸を登場させたのは初めてでした。
リンクさせて頂いている『空毬』の黒丸がとっても素敵でハマリまして。
機会があったらまた登場してもらいたいと思います!
(09/3/15)