翌朝。
無事ユキホタルを見ることはできたものの結局無事では済まなかったシノとゲンマは、何だかんだと微笑ましいわだかまりを抱いたまま下山することになった。
その上一夜明けても思いの外シノが回復せず、半強制的にゲンマが背負って下りることにしたのだが、そのことでも多少のいざこざがあった事は言うに及ばない。
それでも何とか旅館へ無事戻った二人は、それぞれにシノは部屋に残りゲンマは共同風呂に入ってくることになった。
共同風呂は村人達の銭湯にもなっているため、温泉ではないがそれなりの広さがある。
加えてまだ朝早くだったためかゲンマが行った時はほぼ貸し切り状態だった。

「あああああぁぁぁ~……」

良い湯だ~生き返る~、と軽く汗を流した後盛大な溜め息と共に湯に入るゲンマ。
すると、ちょうどそこへやってきた村人に言われてしまった。
「若造が、オヤジみたいな入り方しやがって…」
「お、爺さん」
それは、『灯雪』こと刀鍛冶の村正ユキジその人だった。
「……あの小僧はどうした。一緒じゃねぇのか」
「ああ。残念ながら腰痛でね」
愉しそうにそう答えたゲンマにユキジが「あぁ?」と訝しげに顔を歪める。
ゲンマはその顔に更に笑みを深めると、気持ち良さげに風呂に浸かりながらうんと伸びをして誇らしげに言った。
「俺もまだまだ、若いってこと…!」
「…………わけわからん…」
そんなゲンマにユキジが呻く。
真ん中を仕切られた風呂のそれぞれを占領し、朝風呂をたしなむ親子ほど歳の離れた二人は、互いに正面を向いたまま会話を続けた。
「わけわかんねぇのはそっちだろ。言ったじゃねーか。俺の可愛いの、あんまりイジメてくれるなって。
繊細な子どもに何やってくれてんだよ。『刀の気持ちが伝わって来た』とか言って、珍しくまいってたぜ?」
ゲンマの言葉に、ユキジが一瞬押し黙る。だが一つ息を吐くと言い返した。
「………何が繊細だ。恐ろしく肝の据わったガキじゃねーか。そっちこそあんな刺客差し向けやがって…」
「アンタが俺の事煙たがるからだろ。何度会っても邪険にされて、あんな刺客も送り込みたくなるじゃねぇか」
「……あの小僧も、お前さんみたいなのに付き合わされていい迷惑だな」
「アンタだって、ボケ老人の戯言(たわごと)に付き合わせたんじゃねーか」
「…俺はボケてなんかいねぇ」
「どうだか」
「…」
「あれ、もうあがるのかよ」
浸かってまだ間もないというのにユキジがザブザブとお湯からあがっていくものだから、ゲンマは声を上げた。
「お前さんみたいなのと、付き合ってられるかよ」
そう言い残して去っていくユキジに溜め息を吐く。
「………張り合いはやっぱシノの方があるかな」
活(い)きが違うもんな~とユキジが出ていった後でも大概失礼なことを吐かすゲンマ。
しかし風呂の入口の戸が開いて「あれ、あんたゲンマさんじゃないか」と知り合いの村人に声を掛けられると、
「ああどうも」と多少態度を改める。
必要以上―つまり無駄―に馴れ馴れしいのは、シノと似ているというユキジに対してだけらしかった。


                 *


一方、部屋に残ったシノは布団に寝転がりながらぼうっとしていた。
ゲンマからは午後になったら山を下りると言われている。
そのまま直行で里に戻るのかそれともどこかに立ち寄るのかシノは聞いていない。
ただ、たった一日二日居ただけなのにこの村を去るのだと思うと、寂しさともつかない何とも不思議な気持ちが湧いてきて仕方がなかった。
もっとここに居たいかと言えばそんな気もするし、そうでもない気もする。
ただ、この場所やここで過ごした時間が、木ノ葉の里や任務といった日常と上手く結びつかず、空間的にも時間的にも延長線上に居るはずなのに
何だか切り離されているような気がするのだ。
こんなのは、任務で遠征した時にも感じたことは無い。
不思議だった。
灯雪の一件がまだ消化しきれていないのかも知れない。
「………行った方が良いだろうか…」
ゲンマの見解が正しいのかは判らないが、とりあえずそれを参考に自分の中でもなんとか納得のいく答えはまとめられた。
不可解な行動、態度、言葉…。
人を斬るための道具を真っ直ぐに作り続けた末に、歪んでしまった弱い部分。
それを償いという行為で補わんがため、魂込めて刀を打ち、それを壊す―――。
理解し難い大人の心情。
要らないことは無駄と思うが。
けれど人間が精神を保つためには、要らぬ事も必要なのかも知れない。
しかし。
繰り返し繰り返し、作って壊し続けるのは、やはり悲しい事だと思えてならない。
何か、行動を起こすべきなのか―――。
それともこのままそっとしておくべきなのか。
道徳的にはお節介は焼くべしとされるが、経験不足な上に午後には山を下りる身分で軽々しく無責任な事はできない。
シノは、溜め息を吐いた。
取り敢えず体を起こそうと動いてみれば、腰の痛みはだいぶマシになっている。
この分なら自分の足で山を下りることが出来そうだ。
と、思ったその時。
コンコンと戸を叩く音がした。
ゲンマが戻ってくるには早いが……とシノが出てみると、そこにいたのはなんと、灯雪その人だった。

何故この人がここにいる――。

絶句し身動きを止め、灯雪を見上げて凝視するシノ。
一方、灯雪はそんなシノの視線を避けるように顔を背けながら言った。
「………昨日は、悪かったな」
そう、言われて、シノははっとして応える。
「……いえ…」
「………ボケ老人のたわごとだ…忘れろ」
「………」
シノは単刀直入なそれには応えず、じっと灯雪を見上げ続けた。
その顰めっ面で厳つい顔は、工房で見た格好良い姿とも最後に見たやつれた姿とも違う。
無愛想で頭の固そうな――ゲンマ曰く頑固爺といった――感じのお爺さんだ。
濡れた感じの白髪から、どうやら風呂上がりらしい事が判る。
「……それだけだ」
そう言って結局顔を合わせず帰っていこうとする灯雪を、シノは意を決して呼び止めた。
「……あの」
振り返らずも立ち止まった灯雪に、言葉を選んで、告げる。
「………初めてあなたを見た時、俺は『この人は本物だ』と思った。たとえ灯雪でなくとも、『本物』だ…と」
「………」
「俺が観察を得意としていることは知っているはずだ。だからあなたは……本物だ」
俺が保証する、と偉そうに言い切ったシノに、頑固な灯雪が失笑を漏らした。
「……何が可笑しい…」
「………いや」
口元を歪めて振り返る灯雪。
ようやくシノと視線を交えると、愉しげに言った。
「……小僧、お前さん、『刀の気持ちが伝わって来た』と言ったそうだな」
「………何故それを…」
言い掛けたシノが、途中ではたとする。風呂でゲンマと遇って聞いたのだろう――と察した事を、灯雪も察したらしい。
「ああ、あの兄ちゃんはちゃんと口止めしといた方が良いぞ」
と言って微かに笑った。
「……で、だ。もしそれが本当なら、見込みがある」
「……………刀鍛冶の…?」
一瞬何の見込みか分からなかったがすぐに思い付き、シノが唖然として言えば、灯雪は冗談なのか本気なのかよく解らない表情で言った。
「忍が嫌になったらいつでも来な。希代の名工『灯雪』が直々に鍛えてやる」
「………」
シノは昨日と今日の灯雪の差に返す言葉を失い…そして思った。
この、人を茶化し、煙に巻くような物言いといい、掴み所の無い感じ。
もしやこの人ゲンマ以上の食わせ者か―――と。

この明るい雪陽の中、真実は光の中に紛れて見えず。

シノにはよく―――分からなかった。


                 *

                 *



「シノ……大丈夫か?」
ほら、と差し出された手にシノが眉を潜める。
山を下り始めた当初は平気だったものの、やはり下りの雪道は腰に残った痛みにきつく。
「………」
シノは溜め息を吐きつつゲンマの手を借り、起き上がった。
結局シノがこの旅で得たものは、旅は未知数世は不可解――という教訓だけ。
何があるか分からない、そして何かあっても有耶無耶なまま流れゆく。
任務と違って目的はただの切欠(きっかけ)で、目的以外が重要らしい。
奥が深いと言うならそうだが、シノはいまいち釈然としない。
「……」
掴み難くよく解らない『旅』を喩えて言うならば。
それはまるで―――

「ん?」

楊枝を銜えたゲンマがじっと見つめるシノにきょとんとする。
「…」
やはり、自分はこの人といられれば旅など必要無いのかも知れない、と思う。
何故なら。
この人と一緒に時を生きる事が、俺にとっては、旅をしているようなものだから――。



雪の煌めく世界の中で。

光る雫の一粒が、溶けたつららの先へと落ちた。




                 *



                             Fin . . .